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文字数 2,222文字

水没した麦畑の向こうの道を、黒服の一団が進んでいく。

葬列だ。

イグネフェルは目を凝らした。

棺は小さい。ゆえに、子供の葬儀であることがわかった。

風に乗って聞こえる女の(むせ)び泣きが、それを裏付けていた。

わかるか、この臭いが。
はい、お父さん。

ものの腐った臭いがします。

これが死者の臭いでしょうか。

いいや。傷んだ水の臭いだ。
二人の前後左右、見渡す限りの麦畑であったという場所は、どこも黒く濁る水に覆われていた。

かろうじて残された道も、水没は時間の問題であった。


腐った水は疫病の温床となる。

あの子のことは知っている。

病に(かか)る前の、変わり果てる前の姿をな。

父が黒い布で覆われた顔を天に向ければ、イグネフェルもそれに(なら)う。

人ならざる少年の目に、視界の限り天を覆う光の網が見えた。網には様々な(かたち)が織り込まれていた。


赤に、青に、黄に。

白に、黒に、灰に。


月。

星。

太陽。


あらゆる植物。


空を飛ぶあらゆる獣と、地を這う全ての獣と。


家。

毒。

道。

都市。

武具。

道具。

人が作るあらゆるもの。

見知ったものから、見知らぬものまで、全て。


あらゆる色彩があらゆる物の輪郭を表して、それらの集合体は、この星の人間が住む全ての土地を覆う器を成していた。

それが、世界を守る大いなる紋様、『世界の涙の器』だった。
あの紋様の成り立ちについては話したな。
はい、お父さん。
人ならざる少年は、己を創作(つく)る知識を参照する。
creation

IGNEFER: 362


『聖職者たちの教えによれば、宇宙の発生から現在までの全歴史には10段階の進化の跳躍があった。恒星や惑星の誕生、生命の誕生、ホモ・サピエンスの誕生、農耕の発生といった具合に。

その第9段階にあたるのが、宇宙開拓技術の獲得。

そして第10段階めに、色と形を持つあらゆるものからエネルギーを取り出す能力の獲得があった。


それ以前の人類は、地球(ガイア)と呼ばれる惑星にいたと言われているけれど、かつて地球が実在したことを証明する手段は失われた。

地球は伝説であり、神話であると解釈するのが現実的だ』


creation

IGNEFER:145


『原理として色と形を持つあらゆる物からエネルギーを取り出すことができるのだけど、それではあまりに無秩序にエネルギーが氾濫し、危険極まりないことになる。


だから人は象徴機能を利用して無数の紋様を作り出し、その紋様を使いこなすことによって望むエネルギーを得られるようにした。


この能力を、進化の第10段階めから「災厄」に至るまでの時代の人間は、誰もが持っていたと言われる。


けれど、「災厄」以降、その能力を持って生まれる人間はごく少数に限られるようになった。


その人間は「紋様術師」と呼ばれる』

creation

IGNEFER:367


『人類が獲得した新たな居住環境に四つの惑星があった。


ピション。

ギホン。

チグリス。

ユーフラテス。


かつて星間通信によって結ばれ、交易が行われて栄えた四つの星の文明は、けれど、「災厄」によって一夜にして滅びた。

その災厄がどのようなものであったのか、今ではわからない。

残ったのは過酷な現実。

農耕によって生き延び、他の星との交信手段を復活させることもできない現実だけ』

『世界の涙の器』は、1000年前の災厄に打ちのめされた人々の心から悲しみを吸い取り、この大地を再び人が住める世界にするために必要なものでした。
そうだ。

あの大いなる紋様は、惑星ピションを1000年守ってきた。

紋様と、その正当なる継承者、『世界の涙の魔女』によって。

……。
だが、今や器は(ひび)割れて、溢れ出た涙によって世界は水没を始めている。

この星で流されるはずだった1000年分の涙によってな。

もはや器に人の心から悲しみを(ぬぐ)い去る機能はない。

それどころか……。

残された大地を涙に沈める、新たなる災厄の象徴と化しつつある。
なぜこのような事態になった、イグネフェル?
父の教えによれば。
現在の器の保持者である『世界の涙の魔女』セレナルが無能であるからです、お父さん。
そうだ。
魔女セレナルは、死に至るまで続く若さと美しさを欲し、(いくさ)を起こしてその地位の正当な後継者を殺して簒奪者(さんだつしゃ)となった。

そのような者に器を保持できるわけがない。

………………。
……息子イグネフェルは、器の継承権をかけた『継承戦争』で戦い、魔女の軍勢に殺された。
……。
私の息子は英雄だった。
……はい、お父さん。
お前は息子イグネフェルに代わり、魔女セレナルを討て。

それがお前の()る意味だ。

…………。
…………はい。
大いなる紋様と青空の間を、雲が遮っていた。沈む世界に更なる水の痛手を与える雨雲が。


目も鼻も口も、顔面の全てを黒い布で隠す老いた紋様術師の腕を、イグネフェルは引いて歩く。


向こうの道では女が泣いている。


イグネフェルは紋様で思考する。

思考によって自己創造する。


ありもしない脳に渦巻く紋様。


涙。

土。

弔旗。


落穂。


落葉。

creation

IGNEFER:12895


『人は泣く。

両目から、塩辛い涙がぽろぽろこぼれ、

それが通った筋道から、人は老いていく。

この世界の人は、泣く。

誰にもそれは止められない』

creation

IGNEFER:12896


『僕は涙を流さない』

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IGNEFER:12897


『僕は人間じゃない』

二つの道は次第次第に離れていく。

女の声が聞こえなくなった頃、視界の先に小さな家が見えてきた。

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登場人物紹介

イグネフェル

本作主人公の紋様兵器。魔女を討伐するべく旅に出る。

涙を流す機能がない。

ヴィオレンタ

本作のヒロイン。

セレナル

『世界の涙の魔女』。

30年前の器継承戦争によって魔女の地位を継いだ。

ミクリラ

30年前に名を上げた英雄オーレリアの孫娘。

ナーシュ

イグネフェルの創り主。

30年前の器継承戦争で息子イグネフェルを失い、自身は顔面を奪われた。

ヴィゼリー

西の浮遊要塞の司令官。生ける紋様兵器。

リーセリー

ヴィゼリーが連れている紋様兵器。

オーレリア

30年前の器継承戦争の英雄。ミクリラの祖父。

アグア

東の浮遊要塞の司令官。

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