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文字数 1,395文字

夕日は見る間に水と汚泥に沈んでいく。

濃度を増す陸地の影の中に、イグネフェルは帰る家を見失った。

僕はこれからどうしたらいいんだろう。
あてどなく浮遊しながら、尋ねるともなしに呟いた。
ミクリラもまた、答えるでもなく呟いた。
おじいちゃんは魔女の側についた。
イグネフェルの腕の中にいて、体を支えられていても、誰にも気を許したくないという思いが冷えた体から伝わってきた。

あんたのお父さんや、息子のイグネフェルとは敵だったわけだ。

今は沈んでしまった東の港町にね、浮遊要塞だけはまだ残ってる。

戦後はそこの司令官を務めてた。

君のおじいちゃんは英雄だったの?
うん。
讃える歌のある?
うん。
でも、セレナルに味方したことを悔いて、たった五年で退役した。

あとは従兄弟(いとこ)のアグアが継いで、今もその地位にしがみついてるよ。

イグネフェルは大地の闇に目を凝らしながら相槌を打った。
敵の味方は減らしたほうがいい。
………………。
……君の親類なんだよね?
親類だからって仲がいいとは思わないことね。
家が見つかるまでの時間を、二人は無言のうちに過ごした。
ようやく見つけ出した家では、顔のない老人が、所在なげに戸口に立って二人を待っていた。
羽音が聞こえるぞ……誰だ。
ただいま、お父さん。

おお……

イグネフェル……イグネフェルか!

心配していたぞ……

遅くなってごめんなさい。
契約は果たしたよ。金は用意してあるんでしょうね。
イグネフェル、私はどれほどお前の顔を見たいか……いいや、贅沢は言うまい。お前が生きているだけで、こうして触れられるだけで、私には望外の喜びなのだ……
……
……誰にも見られなかっただろうな?
沈黙が長く続くと、ナーシュは息子の似姿の二の腕に添えた手に、力を込めた。
見られたのだな、ミクリラ。契約が違うぞ。
誰も昔の『英雄』さんが蘇って翼を盗んだなんて思いやしないさ。
私はオーレリアの仕事を高く買っていた。だからこそあの値で交渉したのだ。

お前の仕事は完璧じゃなかった。その分しょっぴかせてもらうのは当然のことだ。

あたしはおじいちゃんじゃないんでね。

もしものときはあたしが引き継ぐことくらい織り込み済みの契約でしょうが。

もし金をちょっとでもしょっぴく気なら、『翼』はあたしがもらってくよ。

何を。

オーレリアの後を追いたいか、小娘。

あんたが息子の後を追うことになるよ。

いくら紋様術の才能で劣っていてもあたしの目は紋様が見える。

触覚しか頼りにできないあんたとやりあったって結果は……

お父さん。

ミクリラにお金を払って。

……………………。
家に入れ。テーブルにある袋の中身を数えるがいい。
待って、ミクリラ。
溜め息混じりの言葉に肩を竦め、家に入っていこうとするミクリラを呼び止めた。
僕はこのまま、まずそのアグアという人を討伐しに行く。

……君はそれでいいんだね。

あたしに気を遣わないで。
……わかった。
ミクリラは、東の方角に一際強く光る星、第三の星チグリスを指差した。
あの星目掛けて飛んできな。

海の上に浮遊城塞の光が見えてくる。

海は水没した陸地と見分けがつくのかな。
つくよ。

雲間から月の光が差せば、本物の海は輝くから。

泥で濁っていないもの。

イグネフェルは頷き、礼を言う。

地を蹴り翼をはためかせた。

魔女を討伐すれば何が起きるのか。

その後は何をすればいいのか。

何もわからない。
夜空を()けるイグネフェルは、ただ目の前のことをするだけであった。
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登場人物紹介

イグネフェル

本作主人公の紋様兵器。魔女を討伐するべく旅に出る。

涙を流す機能がない。

ヴィオレンタ

本作のヒロイン。

セレナル

『世界の涙の魔女』。

30年前の器継承戦争によって魔女の地位を継いだ。

ミクリラ

30年前に名を上げた英雄オーレリアの孫娘。

ナーシュ

イグネフェルの創り主。

30年前の器継承戦争で息子イグネフェルを失い、自身は顔面を奪われた。

ヴィゼリー

西の浮遊要塞の司令官。生ける紋様兵器。

リーセリー

ヴィゼリーが連れている紋様兵器。

オーレリア

30年前の器継承戦争の英雄。ミクリラの祖父。

アグア

東の浮遊要塞の司令官。

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