ユダの場合

文字数 1,257文字

 初めてあの人の奇跡を見たのは、ベトサイダの町でした。あの人は生まれながらの盲人の目を癒しました。
 あの町は埃っぽくて貧しくて、私としては長居したくない所でした。何しろ十三人の一行が満足に寝止まりできるだけの宿場は無さそうでしたし、よしんばあったとしてもきっとこちらの足元を見て、法外な値段をふっかけてくるに違いないと思ったからです。
 ところがあの人は、道端の物乞いに目を留めると、いつまでもいつまでもそのそばから離れようとしないのです。たまりかねて私は声をかけました。
 「先生、この者の目が見えないのは誰が罪を犯したからですか? 本人ですか、それとも両親ですか?」
 はっきり言って、そんなことはどうでもいいことでした。私が言いたかったのは、生まれつきの盲人など相手にしないで下さいということです。
 「早く次の町を目指しましょう」
 と暗に臭わせたつもりです。
 ところが先生はしゃがみこんで土を手にとると、ご自身の唾をまぜて練り始めたのです。
 「本人でも、両親でもない。神の業がこの人に現れる為なのだよ」
 そして一塊の粘土を盲人の両瞼に塗り付けました。
 「さあ、シロアムの池まで行ってこの泥を洗い流しなさい。但し、誰にしてもらったかは言ってはいけないよ」
 盲人は言われるがまま立ち上がると、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながらも、町外れの池へ向かいました。
 「先生、あなたの奇跡はきっと起こりますね」
 私は言いました。本当は半信半疑でしたが、師のなさることを疑うのはいけないと思ったからです。先生は私の語りかけには何も反応されず
 「さあ、行こう」
 とだけ言われました。

 私は「会計番」を任されていました。最初にその役目を命じられた時は、本当に誇らしかったです。
 何しろおっちょこちょいのペトロはいつだって「俺が、俺が」とでしゃばるし、弟のアンデレは訳知り顔で澄ましている。荒っぽい性格のヤコブとヨハネの兄弟は、先生の小旅行にいつもお供をさせて貰えることを鼻にかけていて、十二使徒の中で一番自分達が信用されていると思っているようでした。
 けれど私は知っていました。一番信用される者というのは、金銭を任される者なのだと。
 あの人は、私が十二人の中で一番思慮深く知恵があることを見抜いておられたのです。だからこそ旅の大事な財布をそっくり預けて下さったのです。私は何としてもその期待に応えなければならないと思っていました。
 必死で金策をしました。この世のことについても伝授致しました。人間というのは難しいのです。心の中で舌を出しながらも、表面上はにこやかに親密に接しなければうまくことが運ばないこともあるのです。あの人も、他の弟子達もそういうことには疎いから、いつも私は一手に引きうけておりました。そしてあの人はそんな私の苦労をきっと知って下さっている、いつか報いて下さる、そういうお方なのだだと信じてきました。
 私の価値を認めてくれた。だから私はあの人の弟子になったのです。
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