第13話 ヴォルガ機界

文字数 6,309文字

黄昏暦(Dämmerung)四百年 西暦二四五〇年 八月二十五日

 機界帝国。
 高さ数キロメートル。何層にも積み重なった機械都市――。
 そこは、ヘイズ工業地帯とも全く異なった異様な「都市」だった。
 無機質な構造物が無秩序に林立し、どこまで下れば大地に到着するのかも全く見当がつかない。何キロにも積み重なった「階層」。人間の国ではなかった。むろん、生き物の気配もない。代わりに、マシン・ヴァーサーカーが蠢いている。
 ドナウの北東に位置する、もう一つの禁断地帯。マジャル砂漠以上といわれる、地球上最も危険なエリア。純粋なマシンの集合体である機界は、年々増殖し、やがて地球を覆いつくすといわれている、人類を脅かす存在である。
 エリスン・オンディーヌは、ステンドグラスのような色とりどりのハニカム構造の細胞膜に閉じ込められている。
 人さらいマシンが連れてきた真っ暗な構内は、人影がなく、ガチャチャという金属音が無限に反響していた。ハニカム構造の中で、鋼鉄製の糸の拘束は、手足に何重にも巻き付けられていたが、エリスンはハーモニーに願って、解除した。ステンドグラスは、何度か蹴っているうちに外れた。外に出ると、周りの部屋には、閉じ込められた人はいなかったが、遠くの部屋には人影がチラホラ見えている。
「ああ……」
 両手の中のハーモニーの放つ青白い光が、弱々しくなっていく。エリスンはポケットにしまった。この先、いつ目を覚ますのか分からない。
 無数の足音が近づいてくる。
 クモ型のマシンが集まってきた。体長およそ一メートル。エリスンは、ハニカム構造とワイヤーの「巣」を抜け出すと、通路に降り、勢いよく走った。壁や天井にも、無数の張り付いた蜘蛛型マシンが、大量に押し寄せてきている。クモマシンはワイヤー製のネットをビュンビュンと飛ばしてくる。蜘蛛の巣状に張り巡らされた、ワイヤーの上を走りながら。何機存在するのか分からなかったが、おそらくは、無数――。
 エリスンは「巣」から数百メートル離れたところで転んで、右足をくじいた。
「つっ…………」
 後ろを振り返り、再び起き上がって、右足を引きずりながら歩き出す。
 クモ型マシンたちが、たくさんの眼をチカチカ輝かせながら、あっという間にウジャウジャと集まり、追ってきていた。
「あっあっ――」
 足の痛みに耐えかねて、再び、ドスンとずっこけるようにして転倒した。
「た、立ち上がらなくちゃ――」
 エリスンは痛みに耐えながら、ヨロヨロと立ち上がった。ここで捕まれば、またあの「巣」に閉じ込められ、貼り付けにされて、二度と生きて機界を出ることはできない。
 通路は行き止まりだった。足の痛みを無視して走り続け、突き当たりの壁まで来ると、戸を発見した。人間なんかいないのにドアがある。夢中で開けると、そこは、巨大なすり鉢状の構造物の、スタジアムのような空間だった。

 ビュオオオオオオオオ――……。
 巨大な空間に吸い込まれそうになって立ち止まる。風がビュービューと吹いていた。
 ヴォルガ機界の最上階に位置し、見上げると鉛色の空には、数百機の巨大な黒い鳥のようなマシンが群れを成して、すぐ近くを飛び回っていた。彼らの大きさは、やはり一メートルほどはあった。その群れが、あちこちに見えていて、近づいてくる度身を固くする。まがまがしい機械音を発しながら飛行する彼らが、いつ「スタジアム」に降りてきて襲ってくるのか、分からなかった。
 すり鉢の大きさは、およそ一キロメートルはあった。そこをよく見るとゾッとした。その円形の斜面という斜面に、びっしりとエビガニ型のマシンが群生し、身体を休めていた。エビガニたちは青みがかったグレーの金属製で、体長は三メートル。数はおよそ、十万機はいるだろうか……。
 後ろを振りかえれば、蜘蛛型マシン群が廊下を埋め尽くしている。蜘蛛マシンたちは「スタジアム」の中まで追って来れないらしい。数の赤い目を輝かせ、エリスンの様子をうかがっている。戻ることはできない。
「ダメだ……」
 エビガニ・マシンは、今のところ眠っているのか……不気味な沈黙の中、身じろぎ一つしない。相変わらず、マシンの黒い鳥の声が響いていた。
「ここがどこなのかもわからない……」
 無機質なマシンたちがむき出して立ち並んでいる世界。冥府ヘイズへ行った時よりはるかに巨大な構造物で、自分が小人になったような錯覚を覚える。
 ハーモニーは? ダメだ。エリスンはハーモニーに命じて、人さらいマシンの腕を外し、蜘蛛型マシンの巣から脱出することはできたが、それっきりハーモニーは眠りに就いていた。
「刺激したら殺される――……」
 廊下の数百メートル先に、別のドアが見えていた。そこまで走りたかったが、とてもダッシュすることなんてできない。
 死――。
 いずれ、それがエリスン・オンディーヌを待ち受ける運命だった。
 心を通わせようにも、敵意をむき出しにして襲ってくる連中相手に、自分のテレパシーのレベルではなすすべがない。
 エリスンはソロソロと、廊下の移動を開始した。
 突然、エビガニ・マシンたちが、目を赤く輝かせて、すり鉢の中を渦巻くようにして、ガシャガシャと回転運動を始めた。猛烈な機械音がスタジアムに渦巻いている。
 それと同時に、後ろのドアから蜘蛛型マシンが這い出してきた。縄張りではなかったらしい! 何やら、エビガニたちとお互いにコードや触覚アンテナをくっつけ、情報交換している。おぞましい。
 もう、走るしかなかった。
 ギュィイインッと音が鳴り響き、光弾が宙を走った。エリスンは姿勢を低くした。
 バヒュ――――ンン!
 光弾がいくつか真上を飛び越えて、クモ型が跳ね上がるようにして撃ち落とされていった。
「だ、誰!?」
 人の気配を感じて、エリスンは立ち止まった。
「待たせたな――」
 自由に動き回るプラズマ、ファイヤーボール・スティックを使って蜘蛛たちを撃破した東ドナウの兵士、アイビス・グレイが立っていた。
「やっと……会えたな」
 エリスンはホッとして涙をこぼした。
「また、助けに来てくれたのね。生きてたなんて……」
 バイザーで目元を隠したアイビスは、エリスンを抱きしめる。
「フ……オレはレーダーマンだぜ? 君がどこに居ようと見つけ出す」
 アイビスは、エリスンとテレパシーで接続されていることが救出に役立っていると言った。それは彼のレーダーバイザーの機能を増幅した。
「そして、不死身の男よね」
 エリスンはクスクス笑った。喜びがあふれそうになったが、エビガニたちが背後でうごめいている。恐るべき機械音に、まだ危険が何も去ってないと思い至った。
「ハーモニーは?」
「眠っているわ……」
「今更、ギルは追ってこれないだろうがな。こんなトコまで」
 エリスンは目をつぶった。
「気配がない……」
「おそらく、飛行機が落下して死亡したのだろう。今度こそ、さすがのヤツでもな……」
 アイビスのバイザーのレーダー・テクノロジーでも、エリスンのテレパシーでも、ギル・マックスの気配は完全に消えていた。
「でも……うかつには安心できない。アイツはまだ生きてる気がする」
 エリスンは不安げにそういった。万が一、ここを無事出られたとしても、外でギルが待っている可能性があった。
「さて、どうするか。この状況はかなりマズいな」
 エビガニ・マシンたちは完全に目覚めていて、いつ襲撃を受けるか分からなかった。
「あの山は?」
 エリスンはスタジアムの向こうに聳え立つ、機械の山を指さした。いくつもの尖った板状のビルが重なり合って、山頂を形成している。
「ヴォルガの奥地にある、八千メートル級の人工山、『恐怖山脈』だ」
「恐怖――山脈?」
「最終戦争の時、思考機械の自動反撃システムで、全世界に破壊プラズマを一斉放射したんだ。そん時世界中の空が赤くなったと言われている。エイスワンダーの一つらしい。俺も初めて見たぜ」
 それがまだ存在しているという事実。ヴォルガ機界が、いつでも世界を滅ぼせることを意味していた。
 エビガニたちの眼が赤くチカチカと輝き、こちらを向いた。

 キシャキシャキシャキシャシャシャシャシャ――――……ッ!!

 奇妙な鳴き声を立て、無数の足をカシャカシャカシャカシャと騒音の様に鳴り響かせ、猛スピードで二人に襲い掛かった。
 アイビスはエリスンを連れて走り出した。振り向きながら、スティックから光弾を撃っていく。
 アイビスの後ろを走りながら、エリスンは追ってくるエビガニ・マシンに対して念じ、テレパシー接続を試みた。
『聞いて、聞いてくれる私の心を――』
 エリスンには何か確信めいたものがあった。メタル生命体との類似性。彼らは確実にマシンであるに違いないのに。
「何してる、早く走れ!」
「ダメだ、やっぱり心が通じない!」
 エリスンは接続を中断して、逃げることに集中する。
 アイビスはスタジアムの廊下の別のドアに到達し、閉めた。
 ドアが、外からの衝撃によって変形していく。外のエビガニたちは巨大な鋏を持ち、すさまじい力でドアを撃っていた。
「開けて……開いて……君たちの心を!」
 エリスンは心の中で祈り続けている。
「もう持たん、行くぞ」
 間もなく、堅く閉じられた戸は撃ち破られた。

トランスドナウ山中

 東ドナウ連邦の旧都ブカレスト。
 この国の首長コード・ブレーダー総統に、軍都ザナドゥの「城船」のクロフト・サラマンジア元帥から連絡が入った。
「エリスンを乗せた機は、黒海上空でギル・マックスの襲撃を受けました。エリスンとアイビスはその地点で、飛行機から落ちたようです」
 飛行機は急遽、ゴラス要塞の遠隔操作を受け、旧ルーマニア領へと反転させた。だが、ギルを抹殺するために火山へと落下された。
「場所がまずいな」
「おそらく、ヴォルガの人さらいマシンに連れ去られたと思います」
「あそこへ行ける者は誰もいない」
「絶望的です。たとえ生きていたとしても、エリスンを助ける方法がありません」
「どうする? あの二人を救い出すことができん」
「諦めるしかありません」
 機界に人が立ち入ることは決してできない。
「それでギルは?」
「それが――一度捕らえたのですが、脱走しました」
「お待ちください、総統。私に考えがございます」
 サラマンジアの隣に立つシカケーダー総参謀長が、話に割って入った。
「これはチャンスと捉えるのです」
「ん……?」
「ギルは職業殺し屋です。“金”で雇われています。西ドナウより高い金でこっちが雇いなおせばよいのです」
「し、しかし……奴に近づくだけで我々は殺されるかと――」
 サラマンジア元帥は焦って総参謀長の提案を否定しようとした。
「それでもギルに頼るしかありません。ほかに我々に手段はないのです。手土産に皇帝金塊を持っていけば、話に乗るでしょう。奴を東ドナウに引き込むことができれば、味方に出来て一石二鳥です」
「オ、オイ! 総参謀長!」
 サラマンジアがシカケーダーが引き下がらせようとすると、
「――奴の居場所は?」
 コード・ブレーダーは訊いた。
「トランスドナウの山中です」
 内務省リリアックスがギルの居場所を特定したと、サラマンジアは答えた。
「よし、私が行こう」
「正気ですか!」
 総統はニヤリとして、続けた。
「ギルは奴のサバイバルナイフに仕えているのであって、他の何物にも仕えない。ただし、金で雇える……そうだな総参謀長?」
「はっ」
「元帥、とにかくギルを雇うのは決定だ!」
 そう言ながら、総統の額には冷や汗が光っている。
「総統が直接行かれるのはお止めください、危険です! もしも、総統の身に万が一のことがあったら」
「こっちが本気を示さねば、相手を動かすことはできん!」
 コード・ブレーダーは賭けに出た。

 トランスドナウ山脈(カルパティア山脈)。その山中にある、断崖絶壁。
 この山上に、彼の「修行場」は存在した。ギル・マックスは、カロリーを一切減らすことなく、半永久的に戦える身体を持っている。連続で一週間の活動が可能だった。だが、激しい戦闘が続いた後など、時に休みを必要とする。ここは、ギルの体力回復の場だった。
 近くに軍用テントが張ってあるだけの、簡素なアジトだ。今は使用されていない旧世界の骨とう品の旧アメリカ軍の飯盒セット、チェアーにどっかり座し、干し肉をナイフで切り、口に運ぶ。水を飲む。簡素極まりない。服やテントも、もともと市場で売っている物を、その辺の素材からPMFで再現したものだ。
 ギルは食事を採らずに、水と自身のPMFだけで生きていられる。しかし採ろうと思えば採れるので、食事をすることもあった。それは、人間だった頃の「記憶」だった。
 食事を終えるとギルはピクリとも動かず、崖の上の岩場に横たわっていた。みるみる、身体のあちこちの傷口が塞がっていく。やがてバチッと目を開けると、上体を起こした。こうして寝ていれば二十四時間以内に治る。四五〇年前から続けてきたことだ。
 身体のあちこちを確認し、元の身体に戻ったことを知ると、ギルは直ちにトレーニングを開始した。
 崖の縁に両手の指先だけで掴まると、胴体から下をグッと宙へ浮かせ、そのまま腕立て伏せを行う。一定のリズムを保ったまま、超人的な姿勢の腕立て伏せは二時間続いた。飛行機の機体に余裕でへばりつくギルの筋力は、ここで養われていた。
 そこへ、二台の軍用ヘリが近づいてきた。東ドナウ政府の高官十数名が、部隊を引き連れて現れたのである。
「私はコード・ブレーダー、東ドナウの総統だ。知っておるな?」
 総統は自ら先頭に立って、早口でギルにあいさつした。ギルは腕立て伏せを中止すると、スタッと崖の上に降り立った。
「さすが、素晴らしい強靭な肉体だ! メタルウォームとザナドゥの連邦軍との戦いの直後でも、すでにほとんどの傷は治っているとは――」
 ブレーダーの隣には、サラマンジアが警備で着いてきている。
「あぁ――で、何の用だ?」
「東ドナウ連邦政府は、お前を相応しい額の報酬で雇いなおす」
 コード・ブレーダーは、手短に答えた。
「ヴォルガ機界に、ワイバーン機からエリスンが落ちた」
「俺が落した」
「そうだ。――すぐに助け戻して欲しい」
「……」
「報酬は、西ドナウよりも弾もう」
「いくらで?」
「今年度の軍予算の十分の一でどうだ。すべて金塊で渡す。聞くところでは、皇帝金塊を集めているそうだな? 受け取れ、前払いだ!」
 二台目のヘリに積まれた山ほど金塊を、部下たちがすばやく布を払って見せた。東ドナウが所有するドナウ皇帝金塊だ。
「――いいだろう」
 ギルはにやりとした。
 ブレーダー総統はホッとして、額の汗をぬぐった。
「俺はプロの殺し屋だ。逆に言えばそれ以上でも以下でもない。そして俺は、生粋の資本主義者だ――」
 資本主義。それは四百五十年前、前世界に存在した経済システムである。今、それに似たシステムが残っているのは、全世界で西ドナウ共和国だけだが、形骸化していた。
「一つ私からも聞きたい。なぜ皇帝の金塊を?」
「格が違う。金の質の水準がな。百年前、ドナウ帝に会って、そのエネルギーを受けたものだけが持つ金の価値を知ったのだ。……奪ったのでは性質が変わる」
「まるでサンジェルマン伯爵だな。彼は」
 コードブレーダーは、無言で突っ立っているだけのサラマンジアに言った。不老不死の伝説を持つサンジェルマン伯爵は、ルイ十五世にアレキサンダー大王と会った記憶を語った人物として知られる。
「ヴォルガ機界に入ろう。ただし、あの二人がまだ生きていればの話だがな」
「朗報を待っている」
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