第30話 ドナウ大戦4 濃霧の奇襲 グレート・ウォーター・フリー

文字数 5,920文字



黄昏暦(Dämmerung)四百年 西暦二四五〇年 九月六日

濃霧

 砂漠の夜明けに濃霧が発生した。霧は、ペッシオンの東ド陣をすっぽりと包み込んだ。視界五メートル。三交代勤務の朝勤の東ドナウの兵士たちは、まるで……絞りたてのミルクの中をさまよっているような感覚にとらわれた。
 ペッシオン南部に位置するウォーヘッドを補給基地として、周囲を取り囲む各部隊の陣に早朝の補給隊が派遣されていく。砂漠には何もなく、補給が命だった。いたずらに攻勢に出ると補給線が伸びる。そこを攻撃されれば食料や燃料が切れてしまう。
 特に水はドナウ川が重要な水源だったが、ペッシオン周辺は汚染のために飲料水にするには高度なろ過装置が必要だった。しかし、一度にろ過できる水の量には限界があった。
 東ド軍のレーション(戦場食糧)は、ウォーヘッドから支給されるオートミール粥、乾パン、コンビーフの缶詰である。貯蔵の関係で数日分しか支給されず、次の補給を待つことになる。
 東ドナウの兵たちは、戦場のつかの間の静寂の中、ドナウ川に釣り糸を垂れていた。川面にザザザッと波が立つ。一本の竿に強い引きがあった。滑っとした巨大な尾びれが姿を現した。
 こんなに汚れていても、巨大ナマズ・クラリアスは泳いでいる。ドナウ川流域の人間なら口にしたことがない者はいない主要たんぱく源。汚水でも魚体は比較的汚染されないのが利点だ。ところがその周りを、異様にガチャガチャした歯が並んだドブザメが群がった。ヘイズの汚水ダム湖から流れ出てきた新種の生き物は、針にかかったナマズを喰おうと必死だった。兵士と鮫とで、取り合いが演じられた。
「ウッ、な、なんだ? この魚」
 隣の兵が格闘していたのは、さらに異様な魚だった。針に食いついた鮭は、魚体にギラギラとしたピンク色の文字が躍っていた。
「それはドナウイトウの一種だ、ゴミ喰ってるから魚体に広告が浮かび上がるらしい――初めて見たぜ!」
 この魚類は沢山いるけど食えない。クラリアスは体内で分解し、排せつするので食える。だが長年汚水にさらされれば、その限りではないだろう。
「そんなコトがあるとは思えんがな」
「しかしコイツは実際に、Apfelschorle(アプフェルショーレ)って読めるじゃないか!」
 ドイツの炭酸飲料の名称だ。
 仕組みは不明だが、数頭姿を現したドナウイトウは、どれもこれも西ドナウ共和国の牛乳パックやグラノーラ、洗剤などの商品名のロゴが、クッキリと胴体に書かれていた。
「ウゲッ、と、とても喰えん」
 兵士が針から魚を離した瞬間、霧の中に突撃ラッパに似た怪音と共に、周辺にマシン音が響き渡った。
「てっ敵だ」
 慌てて釣竿を放り投げ、レーダーを確認するがジャミングを受けていた。
「どっちの方向だ?」
 音は反響して、四方から聞こえてくる気がした。
「分からん、霧で視界が――ジェットスケーターに出動要請を請う!」

旧ウィーン遺跡戦

 早朝から発生した濃霧の彼方から、メタル生命兵器特有の装甲車の音が響き渡った。つまり巨大生物の「足音」である。それは、次第に東ド陣営に近づいてきた。
「……来よったか! 新手が」
 スケーター部隊がレーダーで対象の位置を正確に確認すると、セラスレギオンを先頭に、セラス機甲師団の弩級重戦車隊が旧ウィーン遺跡群へと突っ込んでいった。
「撃ていッ!!」
 セラスレギオン隊隊長ランズバートが命じると、イオン・ブラスト砲の一斉射撃が行われた。
 ドガン! 甲虫系メタル生命体戦車が、吹っ飛んでバラバラに砕け散った。続けて第二攻撃、第三攻撃と発砲が続き、敵に命中していく。
「……手ごたえがないな」
 サラマンジアは怪訝な顔でモニターを見つめている。どうも爆発の規模が小さい。
「ハリボテです!」
 現場からランズバート隊長が報告した。
「――何だって?」
 戦車の残骸に接近したセラスレギオン騎士の一人から、さらに詳細な続報がウォーヘッド総司令部に入った。
 破壊したのは確かに金属には違いなかったが、素材が細かく飛散して、破片になると、たちまち足を生やしてカシャカシャと軋んだ音を立てながら、蜘蛛の子のように離散した。スクラップ虫である。テーブルのようなその形状のメタル生命体による、擬態だったのだ。戦車の形に、磁力で結びついている。そして磁力が離れると、クモ型メタル生命にカシャカシャと分かれていった。
 遺跡中どこもかしこも、錆びたテーブルの骨格のような姿が走り回っていた。
 逆にスクラップの車かと思えば、動き出して襲い掛かってきた。スクラップ虫が擬態かしており、完全に鉄くずと同化していて見分けることは極めて困難だ。
「――つまりニセモノの戦車だと?」
 そうしてレギオン騎士が銃を降ろした途端、敵の重戦車が砂下から出現し、突っ込んできた。超接近戦でパルスレーザーの砲撃を受け、セラスレギオンは被弾。油断しているとハリボテの中に本物が紛れ込んでいて、レギオン機の腕を吹っ飛ばされたり、中枢機能を破壊されるのだった。

 西ドナウ軍は、古代遺跡地帯の迷宮にセラスレギオン騎士をおびき寄せると、大量のカモフラージュ戦車を使用して、大軍がそこに居るように見せていた。
 やがて、一段と低い轟音が鳴り響いた。
 レーダーに映らぬ新メタル生命兵器が砂から出現した。依然として砂漠を覆う霧の中から、巨大なミジンコの姿をしたまがまがしいメタル宇生命兵器がヌッと姿を見せた。東ドナウ軍の弩級重戦車隊に対して、これまでにない磁気嵐の攻撃を仕掛けてくる。霧を巧みに使った電子戦に特化した兵器だ。敵がどこから出現するかは、もはやジェットスケーターでも分からなかった。
 東ドナウ軍の兵力はたちまち分散された。
「しまった、このままでは孤立するぞっ!」
 セラスレギオンは集合して円陣を形成し、全方位を迎え撃った。そこから盾用重戦車を前方に置き、攻撃専用の駆逐戦車を守りながら砲撃する「車がかり陣形」となった。前方からミジンコ型戦車が数台、小型戦車が数十台迫ってきた。
「突撃する!」
 レギオン隊はA字陣形を取って、敵陣を突破した。西ドナウのメタル生命体戦車は素早く左右に分かれ、素早くV字陣形に変化した。結果、セラスレギオンは左右から挟撃された。西ドナウ軍はそのまま後ろへ回り込んで、レギオン隊を追撃した。戦略的迂回機動だ。レギオンのプラズマ砲は新しい敵の戦車に効かなかった。
 巨大ミジンコ戦車は東ドナウ軍の精鋭を蹴散らすと、直ちにペッシオン地下へ潜り、掘削を開始した。ミジンコ掘削兵器。従来のメタル生命兵器をはるかに上回る、上位PM(サイキック・メタル)に位置する戦車だ。
 その出現と共に、東ドナウが敷いた地雷原に異常事態が発生した。ガラティアが操作するミジンコ戦車のPMFで地雷ガニと化し、砂から這い出すと、東ドナウの兵器に群がり、襲いかかってきたのである。
「ククク……は、張りぼてのおとり戦車――……! 地理気候を利用した用兵、兵は奇道なりを地で行く策略かッ! まんまと一杯食わせおったなゲオルギウスめ! 直ちに旧ウィーンに援軍を送れ!」
 総司令部のサラマンジアは血相を変えて、第二レギオン隊に出撃を命じた。
「西は補給線を叩く作戦です」
 シカケーダー総参謀長は次に起こることを予想していたが、サラマンジア元帥はまるで聴く耳を持ちそうになかった。
 轟イストリヤが、空爆で援護する。しかし地上を覆った濃霧に阻まれ、レーダーはジャミングされ、正確な爆撃ポイントを抑えることができない。味方を爆撃しかねない。また速攻で地に潜る敵には、足止めにはなっても、地中深くへの爆撃も困難だった。結局、空爆は中止になり、イストリヤは一万メートル上空に上がった。

     *

 Dr.ヴェネターの傍らで、ガラティアが自身の限界まで出力を上げてPMFを発生させ、新メタル生命体用デバイスをコントロールしていた。
 ミスト作戦――。
 巨大ミジンコ型戦車――グレート・ウォーター・フリーは、水に強いPMのメタル生命兵器であり、ゆえに霧をつかさどる。霧や雨にあたれば、普通のメタル生命体は動きが鈍くなる。だが、このグレートWフリーは違った。そして第一陣のメタル生命体戦車よりも、はるかに機動性能・攻撃力が優れていた。
 ガラティアは、水と風のエレメンタルを持ったこのメタル生命体を駆使し、マジャル砂漠に霧を発生させていた。霧で敵の視界を奪った上、レーダーをかく乱するPMFを霧に載せて戦場全体に発信。無数のメタル生命兵器をドローンとして操り、方々の軍への補給部隊を叩いた。
 長時間続く濃霧の中、ガラティアはテレパシーによるダイレクト接続で、戦場の各軍団の配置を掌握し、東ドナウの大軍を各々の配置で孤立させた。グレートWフリーによるPMFの影響下で、本来霧の中で動けるはずもないメタル生命兵器も、疑似的戦闘行動を可能とした。その上で実戦は、すべてグレートWフリーが担っていた。東ドナウ軍は霧による電子戦でレーダーも仕えず、もちろんテレパシーも仕えず、ウォーヘッドと各軍団は分断していった。

     *

「な、なんたる失態だ!!」
 サラマンジアはもう何度目か、デスクをドン!と叩いた。第二レギオン隊も壊滅し、撤退したという報が総司令部に入った。
 地上戦ではあるが砂漠の戦場に食料・水・エネルギーはなく、援軍補給は極めて難しい。そのため、兵站能力が極めて重要だ。特にドナウ川を離れた地域での戦闘は厳しかった。ウォーヘッド総司令部さえ前線に到着すれば補給は解決する――その過信が元帥や東ドナウ軍の将兵たちにはあった。
 戦闘で補給線が伸びればそこを叩かれ、孤立する。孤立は死を意味した。東ド軍はピンチに陥った。
 マジャル砂漠は海域のようなものだ。国境線はあっても、事実上禁断地帯で立ち入れない。砂漠でのタンク戦は、どこか海戦と似ている。巨大戦車の編隊は、砂漠に浮かんだ艦隊だった。
 東ドの主要戦車ヘリオス・メガタンクは、敵のグレートWフリーに匹敵する巨大さがあり、この主砲でないと敵ミジンコメタル生命兵器を倒すことはできない。だがヘリオス・メガタンクは、敵メタル生命体タンクやセラスレギオンに比して機動力が劣っていた。

     *

「敵と違い、我が軍の動力は無尽蔵のフリーエネルギーだ。プラズマ砲も無限に撃てる。ウォーヘッドと各部隊を分断さえすれば、いずれ孤立した部隊は自滅し始める」
 ゲオルギウス上級大将にとって、今やDr.ヴェネターのPM・ガラティアは、何よりの自身の右腕だった。
 グレート・ウォーターフリーは、掘削を開始すると同時に、東ドナウ軍のウォーヘッド総司令部の掘削機を地下から攻撃した。プラズマを生じさせる数十本の鋭いナイフと化した牙が、ウォーヘッドの掘削ドリルに食らいつく。だが、それは予想以上に難関を極めた。ウォーヘッドの掘削機はPMでないにも関わらず、事実上PM8に匹敵するほど硬かったのだ。結果、ガラティアは地上のウォーヘッドを叩かなければ掘削機は止まらないと判断し、地上攻撃作戦に主兵力を振り向けた。

黄昏歴(Dämmerung)四百年 西暦二四五〇年 九月八日

城船発進

 次第にウォーヘッド総司令部は砲火が集中することが多くなった。敵に包囲されながらも依然としてその頑強さゆえ、傷つくことなく単独で戦闘するウォーヘッドだったが、司令部全体のエネルギー配分から掘削の一時中断を迫られた。
「我々を見くびってもらっては困る、この陸上空母は、単独で一個師団に相当するのだ!」
 中で孤軍奮闘するサラマンジア元帥は、一転して開き直ったようにいつもの調子に戻っている。
「一個師団ということは、ギル・マックスと同等ということですな」
 シカケーダーの言葉には幾分皮肉がこもっている。
 ウォーヘッドだけなら持つかもしれない。だがここが孤立することは、各地への補給線が壊滅し、全軍が滅びることを意味しており、それを何より懸念するべきなのだ。
「ローマ社のメタル生命兵器……さらなる奥の手を持っていたか――」
 シカケーダーはこれ以上の味方の分断を避けるために、各部隊へウォーヘッド総司令部への再集結を呼び掛けた。
 窮地に陥った総司令部に、軍都ザナドゥから連絡が来た。コード・ブレーダー総統からだった。
「――城船を?」
 サラマンジア元帥は、総統の命令を反芻した。西ドナウの新メタル生命兵器の攻撃を受けて、ウォーヘッドに本国から一時撤退命令が出たのである。
「我々の代わりに城船が? 下手をすれば地下のブダペシュトごと吹っ飛んでしまいますぞ!」
 これにはサラマンジア元帥も躊躇した。
「総統閣下は一体何を考えておられるのだ!」
 サラマンジアは、通話中に隣のシカケーダーにバカでかい声で囁いた。
「主砲を使うとは言っていない、元帥! 城船の射程内に敵陣が入ればそれで十分なのだ」
 総統は淡々と返答した。
「で、ですが――」
 火力第一主義のサラマンジアでさえも躊躇するほどの大火力、それが城船の主砲・超重力子カノン砲だ。もともとギル・マックスの襲来の際に、城船の動力炉に火を入れさせたのは元帥自身だった。今更ながらその事実に、じっとりと冷や汗がにじんだ。

     *

 鉄門ダムの非常灯があちこち点灯している。
 ダム湖の上に悠然と浮かぶ城船(ヴェッセル・ブルク)は、七十年ぶりに横の稼働水路へと移動した。ゲートは閉じられ、次に水路の水位が徐々に下がっていった。ゴォンゴォンと音を立てて、ドナウ川に面したゲートが開門する。
 ドゥウウウン――。
 全長二百八十メートルの城船は、ゆっくりとドナウ川へ流れ出た。巨大な城を背負った怪物船は、上流へ向かって動き出した。
 軍都は、城船が持つ超重力子カノン砲を敵地の射程距離に稼動させるため、コード・ブレーダーが自ら乗り込んで、ドナウ川を遡上させている。
 もともとドナウ帝国時に決戦兵器として誕生し、対ヴォルガ機界戦で使用された船である。七十年前に東西間で「超越兵器禁止に関するエステルゴム条約」が締結し、以来、鉄門ダムの第三湖に閉じ込められていた。プラズマ主砲「超重力子カノン砲」の使用は、禁止された。それは、グレートCエレガンスの王・ガルガンチュアが持つ大出力プラズマ兵器に匹敵する破壊力を持つと言われてきた。
 東ドナウ領の橋はみな可動式の跳開橋であり、城船が前進するにつれ、左右へ橋が跳ね上がっていった。
 城船がドナウ川を旧ルーマニアと旧ハンガリーの国境まで遡上すれば、主砲の射程距離は、西ドナウのヘイズまで包括することになる。
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