第2話 ペッシオン

文字数 7,158文字

 マジャル砂漠の中心を流れるドナウの川辺にポツンと存在する、研究村ペッシオン。十ヘクタールの面積の農地がある実験村である。本部と研究棟は、クリスタルドームに覆われ、時間によって七色に変化する。もともと、ここにオアシスがあり、そこで研究が始まった。
 かつてドナウの真珠、花の都・ブダペシュトと呼ばれた場所。ドナウの西岸をブダ、東岸をペシュトといい、村は川を挟んだペシュト側に位置する。村名は、ペシュトとシオン(聖地エルサレム)の合成語だが、かつてこの地域にあったコントラ・アキンクムの森が、プトレマイオスによってペッシオンと呼ばれたことにも由来していた。
 東ドナウ連邦領の研究者の自治村であり、禁断地帯の砂漠の中で、ここだけが植物の栽培が可能なテラリウムなのだ。
 ドナウ中原(マジャル砂漠)の中心にあるペッシオンは、地球の食糧難を解決し、砂漠化を阻止する研究を行っていた。人口およそ二百人。
 なぜペッシオンだけに緑地ができるのか、その理由ははっきりとは分かっていない。農地の拡張は、五年前から、十ヘクタール前後で止まっていた。そこから先は一歩も緑が生えない。つまり、陸の孤島だ。
 ドナウの川守の一人エリスンは、同僚の研究者たちとともにドナウの管理とマジャル砂漠の生態系の調査をしてきた。
 午後三時。エリスンは、ビオトープの緑で戯れ、はしゃいだ。それから、オアシスの農場でブドウを栽培している作業員に駆け寄り、ブドウ畑に入って貴腐ワインの収穫を手伝った。四十分後、本部に帰宅すると、応接室にあるマリア・テレジア像に「ただいま!」と挨拶し、実験室へと入った。
 採水したドナウ川の水を前処理し、分析機器で細かい測定を行う。カドミウム、全シアン、鉛、六価クロム、砒素、総水銀、アルキル水銀、などの重金属やジクロロメタンなどの有機塩素化合物など三十近い項目を調べる。いずれの数値も基準を超えていた。

「ハーモニー、ハーモニーって聴こえるんです」
 エリスンは、所長室でメタル卵に耳をそばだてる。
「私には聞こえないが」
 金色の顎ひげを蓄えた、ユーリャ・ハーキマー所長は答えた。
「そうですか?」
「……」
「どうやら君だけのようだ」
 珍しい事でもない、という顔で所長は言った。
 エリスンは、テレパシストが多い研究者たちの中でも飛びぬけてテレパシー能力が強く、そのせいではないかという。
「原始メタル生命体の一種では? 他には見当たらなかったのか?」
 と、ペッシオン村長を兼ねたハーキマー所長は訊いた。
「いいえ、他にはありませんでした。これだけです。これは、卵の可能性があるんです」
 これまで発見されたことがない、“卵”は、メタル生命体が、本当に生物かどうかを見極める材料になる。仮に「生物」だとして、どのように繁殖しているかを解き明かす可能性があった。メタル生命体は、分裂して増えていると推測されるが、生態系がほとんど分かっておらず、死ぬのかどうかも分からない。エネルギー変換能力、すなわち何を食べているのかはっきりと分からない。特にグレートCエレガンスに至っては全く不明である。おそらく、金属が朽ちていくまで、ずっと生き続けると考えられていた。
「すごい発見です!」
 エリスンは興奮気味に言った。
「フム……しかし、これまでのペッシオンの歴史で、メタル生命体の卵がたった一個しか発見されないというのは、不思議な話だが……」
 巨大なまず・クラリアスのソテーが、所長室に届けられた。さっきまでドナウを悠々と泳いでいた王者が二百人分の夕食に変わった。エリスンは数人の仲間とディナーを摂る。エリスンはナイフで切り別け、口に運んだ。ぶどうジュースと共に食べる白身は柔らかくて、美味しい。
 世界的な砂漠化と、食糧難、少子化、四五〇年前からユーラシア大陸全土を埋め尽くし始めた「機械帝国」の拡大で、人類は滅亡しかかっていた。
 四五〇年前の世界最終戦争後、地球は荒廃し、砂漠化が進んだ。さらに百年前に欧州で勃発したドナウ大戦で、貴重な緑地だったドナウ中原は砂漠に変貌した。そこに突如メタル生命体が独自に進化し、残された人類の生存を脅かしている。
 まだヨーロッパのその他の地域には緑地が残っている。だが、砂漠化は全世界で進行していた。一度、砂漠化してしまうと元には戻らなかった。
 ここの村だけ例外的に緑が茂り、ブドウ畑や小麦などの作物が取れて自給自足していた。主な蛋白源は川の生物だが、ここでの研究成果を世界中に広めることが村の使命だった。
「この村は密閉されたガラス容器のようなもの。ここだけで全てが循環して完結している。ここは人間の世界じゃない。彼らの世界だ。だが、その秘密を解き明かす鍵となるか――」
 所長は、テーブルに置かれた青く輝くメタル卵を見て、ワインを一口飲んだ。
「生物はお互いのみならず、地球との関係で、自分の生存に適した環境を維持するために進化している。すべてひっくるめて、地球という巨大な生物だ。メタル生命体も、ガイアのシステムの一部として生まれてきたに違いない」
 ペッシオンでは、ガイア理論を仮説として研究方針にしてきた。
 共通の先祖を持った地球上の生物は、増殖し繁栄する中で進化し、今日の生物多様性を獲得してきた。お互いに複雑に影響し合う生物圏は、一つの巨大生命体とみなすことができる。
「もしもこれを、飼うことができたら――卵も、メタル・コンバータの家畜になってくれるかも」
「飼育できるか、エリスン」
「――やってみます」
「フーム、明日、さっそく実験してみよう……」
 ペッシオンには、原始メタル生命体の飼育に成功したメタル・コンバータが存在した。それは、サイキック能力者とのサイコミュニケーションでエネルギーを引き出す、フリーエネルギー発電装置である。
 一つのメタル生命体で、村の設備すべてを補えるほどの発電エネルギーを得られる。それで、村人は自給自足生活が送れていた。さらに村では、このメタル・コンバータの作用で、植物も生えてくるのではないかと推察していた。原始メタル生命体の飼育は、常に危険を伴いながら、同時に地球環境を救う道を示唆している。
「ありがとうございます」
 エリスンは「彼ら」と対話するサイキック能力を他の研究者よりも強く持ち、それゆえエリスンは、何度も砂地に入っていった。彼らは砂漠を好み、水気のせいか、ペッシオンの緑地にメタル生物は入ってこない。怪物たちも村人を襲うことは決してなかった。

「何? グレートCエレガンスが現れたのか!?」
「はい」
「その時何か、変わったことは?」
「実は……卵を拾った直後でした」
「よく無事だったな――前回現れたのは確か……三年前か。ここ最近は観ていない」
 開口部からプラズマ砲を発射し、世界を滅ぼしたグレートCエレガンス。
グレートCエレガンスは、メタル生命体の中で、「思考」を持つモノとされ、この禁断地帯で、神のような存在として恐れられている。
「この卵を拾ったとき、相手は私を見下ろしていました」
 思い返すと、エリスンは生きた心地がしなかった。グレートCエレガンスは、それからすぐ立ち去った。
「グレートCエレガンスは、おそらくこの砂漠にある何かを守っている。それが研究村の結論だ」
 それはメタル生態系、メタル生命体の目的、彼らの存在理由とは何か? を示唆している。
「卵とグレートCエレガンスには、何か関係がありそうだ」
 だが、エリスンはそれを持ち帰ってきてしまった。
「君が砂漠を自由に行き来して、どうしていつも無事なのかはっきりとは分からない。だが、君はテレパシーでメタル生命体と意思疎通し、メタル生命体と通じて、敵ではないと分からせることができる。それで、この生命の謎に迫ることができるのかもしれんな。……しかしなぜそんな遠くへ?」

「私が“卵”を見つけたいきさつなんですが……」
 エリスンはドナウの水質調査のデータを示した。いずれの数値も基準値を超えている。
「産業廃棄物と共に流れる、大量の川の生物の死骸でした」
「これは……」
「それで上流へさかのぼったのです。間もなくここへ流れてくるでしょう」
「おそらく、ヘイズ工業地帯が本格稼動したな。大量の光化学スモッグが作り出す酸性雨の長雨で、汚水を十分に処理しないで垂れ流すに至ったのだろう……」
 ヘイズは、西ドナウの国境に存在するコンビナートだ。ドナウの水質は年々悪化し、このままでは今年の東ドナウの作物の収穫に重大な影響があった。
「明日、西へ行ってみようと思います。卵の実験は、帰ってから行います」
 エリスンは国交のない西ドナウ共和国へ様子を見に行く決意を固めた。
「西ドナウと国交が途絶えて久しい……行くのはとても危険だ」
 所長は危惧した。だが、エリスンの意思は固かった。
 大戦後、休戦条約は締結されたが、終戦協定は結ばれていない。十年前の国交断絶までは人が行き来していた。
 ただし永世中立のペッシオンの川守は百年前のドナウ帝国時代の法律に守られ、ドナウ川を自由に航行する権限を有している。
「ドナウの古法を西ドナウの役人が知っているかどうか、遵守するかどうかが問題だ」
 ドナウの古法とは、「マジャル砂漠化対処条約」、「生物多様性保護条約」、「ドナウ環境保全条約」の三つである。
「それでも参ります。私ももう十六です……一人で頑張れます! 行かせてください!」
 ドナウは、東西欧州を横断する唯一の川である。広大なマジャル砂漠(禁断地帯)を緩衝地帯として、これまで両国の衝突は避けられていた。両国との間に国交はなく、二国に分裂して以来百年間、冷戦状態にあった。
 しかしこのままでは、川下に位置する東ドナウへ川の汚染が押し寄せる。国家間の摩擦は免れず、国際紛争に発展する恐れがあった。ドナウの川守として、行くしかない。
 西の情勢を見て東へ報告し、いずれ流れ着く汚染で、東部の穀物地帯が壊の危機に瀕した際の対策を講じなくてはならない。
 最悪、戦争にでもなったら――。その時は地獄絵図となることが容易に想像される。一歩でも両軍の兵士がマジャル砂漠に足を踏み入れれば、グレートCエレガンスが砂から現れ、開口部からプラズマ砲を発射し、再び人類は滅亡の危機に瀕する。
「ま、いいだろう。行ってくれると私もありがたい。君はいつも遠出しているし、他の誰よりも適任者かもしれんな」
 ハーキマー所長は、エリスンをじっと見た。
「くれぐれも、危険だったら引き返すのだぞ」
「はい! 私一人の方が逃げやすいですし」
 エリスンは晴れ晴れとした笑顔で答えた。

 自室にこもったエリスンはベッドに腰かけると、ささやくように、両手の中の卵に話しかけた。もう、ペットを飼っている気分だった。
「君は何者なの?」
 エリスンは目をつぶると、両手で卵にエネルギーを送るイメージを浮かべ、それからそっと抱きかかえたまま、ベッドで眠りに就いた。

 ハーモニー……
 緑の風にそよぐ、長い髪。
 その髪も、光の中で、黄緑色に輝いていた。
 小柄で痩せた少女。白いワンピースを着ている。歳は、十歳くらい。
 目をつぶって、心地よさそうな表情で歌う。

 ハーモニー……

 誰?! 何者……?

 ハーモニー……

 ハーモニーってあなたのこと? あなたは誰なの?

 私よ、思い出して――お姉さま。

「……これから出会えるのカナ」
 エリスンは、緑に囲まれて、光合成する緑の髪の少女に話しかけた。

 えぇ、そのうちに……

 少女の口元は動いていなかった。テレパシーの会話らしい。
 長い髪が風になびいていて、少女の顔ははっきりとは見えなかった。

 夜が明けた。
 掛け布団の中で何かがモゾモゾしている。
 ハッとして布団をバッと開けると、五センチくらいの小さな竜……のような形状の金属が動いている。驚いた。メタル卵はふ化したのだ。
「メタル……やっぱりこの子、メタル生命体だわ!」
 エリスンの声に反応するように、青い光を発した。グリーン・フェアリーの伝説をほうふつとさせるその姿。
「ブルーフェアリーさん」
 エリスンは声をかけた。
 やっぱり「ハーモニー」と音がする。
 懐いていた。エリスンを親だと思ってくれてるみたいだ! うれしい。心が弾んだ。かわいい仕草に、思わず和む。昨日愛でて、抱いて眠ったら今朝孵っていたのだ。
「フフフ……君はハーモニーだね」
 エリスンは、結局そのメタル龍を「ハーモニー」と名づけた。
 ハーモニーはエリスンをやっぱり親だと思っている。ヒョコヒョコ着いてきた。
「おいで。出かけよう。今日はヘイズだ」

 マジャル砂漠の青空は、雲一つない。
 エリスンはドナウの川守の紋章の入った許可証を所長から預かり、所長ら数人が見送る中、西ドナウへジェットボートを走らせた。そのままドナウ川を遡上する。エリスンは笑顔で手を振った。
 旅のお供にハーモニーを連れて、風を切ってジェットボートを飛ばと、腕輪になって巻き付いているハーモニーがキィキィと鳴った。
「この子を見つけたところだ」
 今日はグレートCエレガンスの姿はなく、ホッとする。
 エリスンは、「竜のウロコ」と呼ばれる金属片から作ったという父の形見の短剣を腰に刺していた。だが、銃は携帯していない。
 ドナウ川を行く限り、安全だ。幸い、川の中にメタル生命体はまだ確認されていない。彼らは水を嫌う。理由は分かっていない。砂漠には、一滴も雨が降らないせいかもしれない。
 エリスンは、十六にして初めて、独り立ちのスリルと喜びを感じた。
 十キロも遡上すると、一気に水質が悪化した。巨大ナマズ・クラリアスが群生している。ドブでも生きられる性質だからこそだ。たくましい。肥え太り、十メートルに成長している個体もあった。汚さが増している証拠だった。
「アイツを獲ったら、村の人たち、さぞ喜ぶだろうなぁ……」
 エリスンは、今すぐ獲りたい衝動にかられた。
「ポイントを覚えておこう。戻るときに、獲って帰ろう」
 数十頭のドブザメが集まって、クラリアスに襲いかかった。また、西ドナウの汚水生物が――

旧ウィーン

 夕日が砂漠の地平線に落ちつつあり、ユラユラと揺れていた。
 ドナウ川を二百四十キロさかのぼっていくと、砂に半分埋もれた遺跡群が出現した。
巨大な二つの塔が根元で崩れて、並んで横たわっている。もともとの高さは、三百メートルはありそうだ。かろうじて原形をとどめている。エリスンはボートのスピードを緩め、そのそばを通った。夕日で赤く染まっている。
 ここは確か、西ドナウ領のウィーンだ。ドナウ川を隔てて国境が存在するが、禁断地帯に警備隊がいるわけでもなく、マジャル砂漠は事実上海域のような扱いになっていた。両国とも、マジャル砂漠の両端に国境検問所を構えている。
 旧ドナウ帝国の都心の廃墟。大戦後、かつての都市は自然に朽ちていく。他のマジャルの遺跡は、グレートCエレガンスの地下活動によって大部分が砂の中に引きずり込まれている。でも、ここは彼らの縄張りじゃない。エリスンは始めて目撃した。親代わりの所長は、エリスンに外国のことをほとんど話したことがなかった。マジャル砂漠の西ドナウ領は一応外国に位置しているが、入ったところで誰にとがめられることもない。この場所のことを教えてくれれば、これまでだってジェットボートで訪れたのに。
「どうして私……今日までここに来なかったんだ。少し足を延ばせば来れたのに。危ないことは分かってるけど。見知らぬメタル生命体がいるかもしれないし」
 エリスンはボートを降りて廃虚に近づいた。
 一六歳のエリスン・オンディーヌは、自分の人生について考えていた。
 物心ついたころから、村で育てられてきた。外の世界は、時折川を下って都へ行くことはあったが、情報は制限されていた。エリスンは村で教育されたこと以外何も知らなかった。室内で教わるのと、自分で見るのとでは大違いだ。感動に打ち震えた。世界がこんなに美しかったなんて。まだ村以外で緑にも触れたことがない。廃墟でさえ美しく、食い入るようにそれらを見つめた。
 遺跡に、骨組みだけのメタル生命体が群がっている。幾何学的な蜘蛛テーブルとでもいうような。一メートル程度のそれらは、群生し、砂地にカシャカシャうごめいている。
「へんなの……」
 表面はゴツゴツしてて、黒く、朽ちつつある金属で、西の砂漠を飛び回っている恐ろしい金属片のように、ピカピカしていない。動くたびに軋んでいた。これも確か、原始メタル生命体の一種の「スクラップ虫」だ。動きか鈍く、どうやら飛行金属片たちよりは安全な種らしい。ここで一晩過ごすことにする。カシャカシャというスクラップ虫の足音と、風の音を聴きながら、エリスンは廃墟で眠った。
 翌朝ボートへ戻り、さらに上流へ遡上していく。
 やがて、空がどんよりとした鉛色の雲で覆われていった。乾ききったマジャル砂漠では、めったに見られない空だった。
「今度は川イルカだ――。妙ね。東のずっと向こう、ドナウデルタの河口付近にしか棲まない生き物なのに……こんな上流まで!」
 汚れ切った水面に、黒いイルカたちは平気な顔で通り過ぎていった。
 ボートは、ヘイズの山のように巨大なコンビナートへ近づいた。川から見える景色に雑草や低木が増えていく。この辺りまで来ると若干緑らしきモノが増えてくる。禁断地帯の境界線だろう。マジャル砂漠を超えて、メタル生命体が棲まない“人”の土地へと近づいて行っている証拠だ。シトシトと雨が降っていた。
 ポールの上に長細い旗が揺れている。太陽の顔のシンボル、西ドナウ共和国の国旗がいくつもはためいていた。
 今日、エリスン・オンディーヌは初めて外国へ来た。
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