第5話 ギル・マックス

文字数 2,956文字



黄昏暦(Dämmerung)四百年 西暦二四五〇年 八月十九日

 赤錆びたパイプが無数に伝う、無機質なヘイズ工業地帯の壁を、長いコートを着た男がよじ登っていく。カーキ色のコートを羽織って、リーゼントの頭部が怒髪に逆立っている。そして左目に眼帯をしていた。
 上空を警備するブラックヘリが近づくと、男はパイプの隙間に隠れてやり過ごした。ダム湖の端に建つ、インダストリアル・ローマ社の「下水処理城」(通称下水城)。ここは発電機能をつかさどる巨大な、いくつもの塔がそびえたっていた。厳重な警備を守られた「城」に、男は侵入を果たした。外壁から音もなく飛び降りて、廊下を進んだ。
「待て!」
 警備兵に呼び止められた。
「貴様は何者だ」
 二メートル近い大男は立ち止まった。
「見れば分かろう。ここの城主に、呼ばれたから来たんだ。オマエにはオレが、エルビス・プレスリーに見えるとでもいうのか?」
 警備兵には、エルビス・プレスリーが誰なのか分からなかった。
「城主……社長のことか? お前のような奴が来るとは聞いとらん!」
「フッ」
「見れば見るほど怪しいヤツめ……そもそもそんなナリのヤツに社長がお会いするワケがない」
 警備兵は銃を向けた。
「止めるんだな、無駄死にしたくなければ」
 男は指ぬき手袋をはめた右手をスッとかざした。
 そこへスーツを着た男が近づいて、慌てた様子で警備兵を制し、追い払った。
「大丈夫だ、下がれ! ギル・マックスだな? ――こっちだ。案内する」
 男に手招きした。二人はガラス張りの高速エレベータに乗り込む。
「今度からは正門から正規の手続きを経て入ってもらいたい」
「そんなことをせずとも、オマエたちがオレの顔を覚えればよいではないか……」
「近頃ヘイズは不審な連中が増えていてな……、兵たちもピリピリしているんだ。第一この巨大な城は案内なしじゃ、どこへも行けんぞ」
「不要だ……俺はここへ何十回と忍び込んでいる」
「レーザー網だってあるんだぞ。権限のない者がその場にいるだけで殺される」
「そんなオモチャ俺に当たる訳ないだろう」
「……」
 ギルが答えると、スーツの男はギョッとした顔をした。
 大男はエレベータから下水ダムを見下ろして、ニヤリとした。
「城の正門からは、ダム湖の匂いが特にキツくてな……いつ来ても思う。鼻をつくこの匂い。貴様たちよくこんなところに常駐できるものだ」
「……」
 城内に、匂いは入ってきていないはずだが、ヘイズの臭気については、否定できなかった。

 幾つか存在する塔のうちの、東塔の管制室。
 その窓際に、インダストリアル・ローマ社長ローゼス・ゴードン。隣には、西ドナウ共和国大統領ハイドラ・ガイキューヌが立っていた。
「よく来てくれた、ギル・マックス。こちらはガイキューヌ大統領だ」
 ゴードン社長はギルを見上げた。
「彼が……かの有名な殺し屋の?」
 ガイキューヌ大統領は、男に圧倒されている。
「はっ」
「世界一の殺し屋と聴いておるが、本当なのか?」
 大統領の問いに、ギルは軽くニヤリとし、黙ってうなずいた。
「君と北米のゴースト・ブライヤー、どちらにするかでひと議論あったんだ。しかしブライヤーとは連絡がつかなくてな」
「賢明な判断だ。そんな雑魚など相手にする必要はなかろう」
「お前にうってつけの仕事がある。いよいよ東ドナウとの戦争が近づいている」
 ゴードン社長は言った。
「そうか」
「つい先ほどの事だが、国境検問所で事件が発生した。東ドナウの女スパイが、侵入したというのだ。女は一時このヘイズに潜伏していたが、何者かの救けを借りて検問所を破り、国外へと脱出した。レジスタンス・ドナウエッシンゲン同盟の仕業だ」
「その女の名は?」
「判明している。エリスン・オンディーヌ。西ドナウのペッシオンから来たらしい」
 ゴードンは、監視カメラに映ったエリスンの写真を渡した。
「……砂漠のど真ん中にある小さな村のか?」
「そうだ。我々が彼女を追って川を下れば、ペッシオンの川守達に悟られ、さらに東へと逃げられてしまう可能性がある。軍都へ行かせてはならん。川の中には東ドナウの軍偵イルカもうろついて監視しておる。だから、砂漠を通って欲しいのだ。早急にエリスンを見つけ出して逮捕し、ここへ連れ戻してほしい。禁断地帯を抜けられるのはお前しかいない」
「――禁断地帯を?」
 大統領は、ゴードン社長の依頼内容に驚いた。
「さようです」
 ゴードンはこともなげに返事を返す。
「皇帝金塊十本だ」
 ギルは社長からバッグを受け取ると、頭を下げ、監視カメラの写真を手にしてニヤリとした。
「たかが女スパイ一人の逮捕に、ずいぶんとご執心だな」
「念のため忠告しておく。詳細は控えるが、特別な女なのだ。検問所の国境警備隊の話では、彼女は魔女のような特殊能力を発揮したということだ。捕獲の際には、くれぐれも気を付けてほしい」
「そんな事か、問題ない」
 ギルはエレベータに戻っていった。
「いつ見ても懐かしい景色だ」
 ギルは窓からアルプスを一瞬観て立ち止まった。
「かつて俺がいたマンハッタンには、マッターホルンと似たビルが建っていた。マンハッタン・ホーンと言ってな。今のトランスNYには存在しない」
 ギルは部屋の隅のベッドに横たわる金髪の少女をチラッと見て、
「こんなシックハウスの中じゃ、病人も出るってものだ」
 と言い残し、踵を返して立ち去った。その姿を見送って、大統領は社長に訊いた。
「禁断地帯には狂暴なメタル生命体がウヨウヨしている! どうやって抜けるつもりだ!? ――あの男は、一体何者なんだ」
「ご安心ください。奴の異名は『生命兵器』です。ギルは一人で、一個師団に匹敵する戦力です」
「なんというか……まともな人間とは思えん!」
 大統領は額に汗をにじませている。
「ある意味ではそうです」
「――恐ろしい。あんな奴には、初めて出会った」
「この世界に存在するエイスワンダー(八不思議)の一人ですからな」
「そんなヤツなのか……」
「だからこそわが社はブライヤーより彼に依頼したのです。後は奴にお任せください」
「生命兵器に……?」
 大統領は、ギル・マックスに人間ならざる領域を感じたことを、ゴードン社長に見抜かれた気がした。
「しかし本当に、ヴァーミリオン家の『姉』が見つかったというのか? 彼女が本当に」
「はい」
「レジスタンスの情報にはたびたび惑わされているが……」
「えぇ。ですが今回は信憑性が高いでしょう」
「そもそもリーダーが誰なのかも分かっていない。未だ正体不明の『常勝将軍』ラリマ・キルマーは、皇帝家に仕えたキルマー家の末裔だと自称しているが――」
「作り話です、絶滅したはずです」
「数々のテロに関わりながら、未だ一度も捕まっていないのだぞ!」
「奴らは彼女に何かの“徴”を見たのです。西ドナウは、このチャンスを逃すわけにはまいりません」
「そうだな……ようやく、『妹』の方も、目覚めてくれるだろうか……」
 大統領は、窓際のベッドで眠る少女を見やった。傍らには背の高い銀髪でショートヘアの女性オペレーターが立っていて、端末を眺めている。ベッドはパイプで天井につながっていた。
 少女の能力は、下水処理城の汚水浄化システムと関連するバイオマスエネルギーの稼働に一役担っていた。
「期待しております」
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