第21話 死んでもいいと思った
文字数 1,180文字
ポプコン第16回 (1978年)
優秀曲賞『傷心』: 大友裕子
作詞 大友裕子
作曲 大友裕子
日本の1970年80年代の曲を調べていると出てくるポプコン。
ヤマハポピュラーソングコンテストは、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテストである。略称「ポプコン」
後に年2回開かれるようになった。グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。
1970年代はフォーク・ニューミュージック、1980年代はニューミュージック全盛期であったが1980年代後半にかけてバンドブームの隆盛やロックへの移行傾向とともにこの名称での大会は終了。
第1回 (1969年)グランプリ
恋人はあなた:黛ジュン
第2回 (1970年)グランプリ
できごと:弘田三枝子
第3回 (1971年)グランプリ
PleasePleasePlease:ヒデとロザンナ
第7回 (1974年)グランプリ
恋のささやき:小坂恭子
第10回 (1975年)グランプリ
時代:中島みゆき
第14回 (1977年)グランプリ
あんたのバラード:世良公則&ツイスト
第15回 (1978年)グランプリ
10月の汐吹は寒かった:U・U
第15回には、日本の音楽史に名を残すであろう強烈な個性を持ったミュージシャンが2人登場した。
巡恋歌 長渕剛
長渕剛は第12回大会にも出場しており、「雨の嵐山」という曲で入賞している。
もう1人は「Do What You Like (勝手にしなよ)」で優秀曲賞を受賞した佐野元春。
この曲は佐野元春のファースト・アルバムに収録されている。
第16回 (1978年)グランプリ『夢想花』: 円広志
優秀曲賞『傷心』: 大谷裕子
圧倒的な歌唱力で注目され、『傷心』で優秀曲賞を受賞したのが大友裕子。
当時はニューミュージック全盛期だったが、彼女はその範疇にはまらないアーティストだった。
書く詞も
「二人なら死んでもいいと思った」
など、情念の籠もったものばかり。
しゃがれ声での絶唱はいまだに強く記憶に残っている。
「世界歌謡祭」でも最優秀歌唱賞に選ばれ、この曲でレコードデビューを果たしたが、82年、結婚のため活動期間わずか3年ほどで惜しまれつつ引退した。
ラストシングルが、飛鳥涼が作詞した『ボヘミアン』。これは翌年、同じポプコン出身の葛城ユキがカヴァーし大ヒットした。
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