第20話

文字数 1,079文字

夕方、花純は一人で電車の中にいた。

窓に映る半透明な自分の姿をぼんやりと眺めていた。


班ノートに書き込まれた文字は、何度も消して書き直した跡があった。
抱えきれない出来事を文字にする苦しみを思って視界が滲んだ。

書かれた内容を理解するためには、花純にはまだ時間が必要だった。
もちろん、言葉の意味がわからないわけではない。
言葉の意味を今の状況と結びつけて受け止めるには、あまりにも強い痛みが伴った。

心が錆びた刃物で抉られるようだった。喉の奥から何かが迫り上がってくる感覚に、花純はタオルで口元を押さえた。
教室の喧騒が、うまく受信できていないラジオのようにノイズ混じりで遠くに聞こえていた。


思い返してみると、いくつも違和感はあった。

班ノートのイラスト。
ベランダ菜園の話。
CDを貸してくれた時。
ホームセンターの買い物。

わたしは、小雪さんのSOSを見落としていた?
気づいてさえいれば、話を聞くことができたのに?

…いや、なんでも聞くからなんでも話して欲しいだなんて、ひどく傲慢な考えだ。

聞く側が聞くか聞かないかを判断する以前に、話す側が誰にどこまで話すかを決める。
その繰り返しが対話なのだ。

わたしたちはいつも、お互いに話せる範囲のことを話していた。
それが全てだ。
そこにどんな事実があっても、伝えるか伝えないかを決めるのは本人だけが決められることだ。

小雪さんは言わないことを選んだ。
けれども、わたし達が自分たち自身を責めて悩まないように、言わずにいたことをノートに書き残してくれたのかもしれない。

ああ、それもこれも何もかもがわたしの推測だ。
本当のことは当事者しかわからない。


小雪と共に病院に行った青木から状況の連絡が来るまで教室に残らせて欲しいと綾香が言い、西川がそれを承諾した。
クラスの半数以上が教室に残った。

西川が教室に現れたのは15時を回った頃だった。

青木先生から連絡がきました。吉岡さんは今も手術室で頑張っているそうです。
さあ、もうこんな時間。戸締りするのでみなさんも気をつけて帰りましょうね。

小雪がこの世界にまだ存在している、という知らせで教室に歓喜の声があがった。

花純はどう反応していいかわからず、俯きながら荷物をまとめた。

また話せたらわたしは嬉しいけれど、小雪さんはどうだろう。
言えない、知られたくないことをたくさんの人に知られてしまった。
ノートは没収されて先生たちの手に渡ってしまった。
余計、辛くなってしまわないだろうか。

もう二度と会えなかったらわたしは悲しいけど、小雪さんの望んだ未来はそれだったはずだ。

どんな結果でも、先にあるのは深いかなしみなのだと知った。



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登場人物紹介

吉井花純(よしいかすみ)


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