第1話 

文字数 1,266文字

牧野は回収した答案用紙を数える手を止めた。
そのうちの1枚に動物のイラストがたくさん描いてあったのだ。
またあの子か。
牧野は俯き答案用紙をトントン、と教卓で揃えながらきつく目を閉じる。右手でジャケットのボタンをぐるりと撫で、ひと呼吸してから顔を上げた。
「吉井さん。ちょっと先生のところに来てください。」


放課後の職員室。
牧野は苦々しさを隠しきれない顔を誤魔化すように、いつもの倍ほど濃く淹れたインスタントコーヒーを飲んでいた。

テストの時間にずっと絵を描いていてごめんなさいと言えば済むことなのに、花純は終わって時間が余ったから絵を描いていました、と言った。答えを確認すると、確かに全問正解していた。
「そんなに時間が余るほど簡単に解けるなら、次の時間でみんなにテスト問題の解説をするくらいなんてことないわよね?先生の代わりに吉井さんが授業をやりなさいよ。」
意地が悪い言い方をしてしまったが、そのくらいのことを言わないとこの生徒は謝罪をしないだろう、早く「ごめんなさい。できません。」と謝ればいい。と牧野は考えていた。

まさか、本当に授業をするとは考えもしなかった。挙句、「花純ちゃんに教えてもらってやっとわかった!先生より先生みたいだね。」などとクラスの生徒たちからも支持をされていた。屈服させるつもりが返り討ちにされた気分だ。なんと忌々しいことか。

すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干して、牧野は大きなため息をついた。



日直の仕事を終えた花純は、書き終えた学級日誌を抱えて牧野の席へ向かった。
「先生、遅くなりました。日誌です。確認お願いします。」
牧野の席の斜め後方から声をかけ、日誌を差し出す。

「待っていたわ、吉井さん。」
振り返って日誌を受け取った牧野は、睨め付けるような視線を花純に投げつけながら続けた。
「あなたって、かわいげのない子ね。」

「先生は、」
おとなげないですね、と口が滑りそうだったがなんとか飲み込み、花純は深く息を吸いこむ。
「先生は、わたしのことが嫌いですか。」
声に寂しさを乗せ、少しボリュームと目線を下げて花純は言った。
「あなたはこどものくせに言動がこどもらしくなくて気味が悪いのよ!もういいから帰りなさい!」
牧野はばつの悪さを誤魔化すように早口でそう吐き捨て、花純に背を向けた。

「帰ります。先生、さようなら。」
うまくできた。花純は牧野の背に向かって笑顔でお辞儀をし職員室を出た。


花純は道路の繋ぎ目を踏まないように注意深く足元を確認しながら歩いていた。

それにしても、あの担任教師はおとなげないな。
何を言われるのかと思ったら「かわいげがない」だって。「言動がこどもらしくない」だって。

色が薄いところがセーフティーゾーン。繋ぎ目と黒いところを踏んだら地中に吸い込まれてしまう。家に帰るまでが冒険だ。

「気味が悪いのよ!キミガワルイノヨ!」
牧野の口真似をしながら、花純は【死の谷】と呼んでいる幅50センチほど道路が濃色になっている部分をぴょこん、と飛び越えた。

「よし、今日も生き延びた!」
ランドセルの横で体操着袋の巾着が大きく揺れた。



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登場人物紹介

吉井花純(よしいかすみ)


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