第22話

文字数 5,508文字

 日頃、酷使しまっくっているパソコンに一本筋が入った。そろそろ寿命かなとガッカリしてて…… ほとんどの事に動じない自分が実はメンタルヨワヨワなのを改めて知る。仕方ない色々やってダメなら別のパソコン使えばいいやとやっているうち修復のポイントに合わせてみるとアララ、元に戻った。
気弱になるといつも書いてる暴言も罰があたりそうで躊躇するのだが、愛器の復活に気も大きくなる。すると久々にボンジョビが聞きたくなり、動画を検索。音楽とは不思議な物で聞いていた時代の思い出や匂いが一瞬で蘇る。何であんなに浮かれてたんだろう? 景気の良い時代であったが、別に自分に恩恵があった訳ではなかった気もするが。
この前、昔一緒に働いていたアメリカ人と話していて。
「俺、アメリカに住んで働こうかな? 」
 って言うと。
「年収四〇〇万でいいのか? 」
 と笑う。そうである。三〇年近く前に一緒に働き始めた頃には二人共年収四〇〇万で年棒契約したのだった。今じゃアメリカのホワイトカラーで年収四〇〇万という薄給で働く奴いないぜって話のようだ。今の日本で四〇〇万も貰えない人間は多いと言うと、まあインドだったら家があれば月四万で暮らせない事はないがなというアメリカ人。今雇っているプログラマーは全部インド人で優秀らしいし、何せ英語が通じる国なので良いらしい。
確かにボンジョビを聞いていてPLAYとPRAYの聞き分けが出来ないので何とも言い難いのだが。
永く生きているせいか、戦前の生き残りとも仕事したし、オイルショックや学生運動も見て来た。親が玉音放送を聞いていたし、祖父母にとって昭和天皇は相変わらず神であった。爺さんは大人しい人だったのだが、婆さんはプロレス放送が始まるといてもたってもおられず「クソ! 殺せ! 」と外人レスラーに罵声を浴びせていた。私が「ウルサイ、あっち行け」と言うと、見ない方が良いと言いつつも我慢ならず振り向き又、怒鳴り始めるのだ。戦争をしてきた当人たちにとって、終わったから忘れましょうというのは無理な話である。
確かに戦中戦後間もなくは食う物にも苦労してたのは本当の話らしい。が、私が大学生の頃、たまたま新日鉄の洞海湾内で外国船の積荷の検数をしていた頃の事。その時、同じ船に乗り込んでいた老人。聞くと若い頃軍部にいたらしい。
「あの頃は良かったな。毎晩、銀座で飲んでいた」
 らしい…… 私は思わずこいつを洞海湾に蹴り落した方が正義ではないか? とも思ったのだが、戦中戦後に爪の先に火を灯すように生活してきた日本人というのは明らかにマスコミの言う事や狭い田舎での体験談であった。そういう世界があっても不思議ではない。
戦争の頃、小学生だった母は同級生が通学路で爆撃を受け死んでいる。戦後、初めて米軍兵を見た時は憎らしくて堪らなかったらしい。その後、集団就職した母は倉敷で父親と出会う。外国航路の船員だった父親に誘われ児島の映画館に自転車に二人乗りして洋画を観に行っていた。後にアメリカ人と一緒に働いている私を見て。
「あんたアメリカ人と一緒に働いとんね。今度、うちに連れて来ない」
 と言っていた。もうあんな時代じゃないって事だろう。
一方、父親は母親より三つ下だったので玉音放送を聞いた時は小学生でも低学年だった。戦争が終わった途端に教師の言う事が変わったのと、教科書の墨塗に反感を持った父は以降、日本人の価値観がいい加減だった事に気付いたようで、この国は信用出来ねえなと思ったようだ。外国に行ってみたいと思った父はやる気のなかった高校生活に見切りをつけ児島にある国立船員学校に入学する。
世界中をまわり、私が生まれた時にはブラジルにいた。私が幼少の頃はどこの国には何があってこんな事があったとかいっぱい話してくれた。そもそも日本映画を馬鹿にしていた父だったので洋画ばかり観に行っていたのだろう。私が超天邪鬼なのは父の影響大だ。
キユーバ革命の頃も船員だったらしく一度聞いた事がある。
「ああ、カストロの頃だろ? あれ以降キューバ経由でアメリカに入港出来なくなった」
 と言っていたが、ゲバラが英雄視されるのはアメリカ寄りだったからでカストロはロシア寄りだったって事だけなのかもしれない。
当時、船員の給料は丘の三倍といわれていてうちは普通の家庭より裕福ではあった。ダチョウの卵や籐の家具やオルゴール、象牙やらアフリカの置物やら色々あったな。ブラジルから連れて来たというオウムもいて三〇年以上は生きていた。最後は風邪ひいて鼻水垂らして死んだが。
父親が行っていた頃のアフリカは白い街で綺麗な場所だったらしい。ところが独立して随分汚くなったと話していた。
「黒人に教育がないからだろうな」
 とは言っていたが。インド人はどこでもいたなとも言っていて、まあイギリスの植民地だったからなとも。英語を話す国よりポルトガル語かスペイン語の方が通じる国が多いかもなとも。どちらか出来れば大抵通じるらしい。
戦争が終わって一〇年も経たないうちに海外を巡っていたってのも父親らしいのだが。まあ、死ぬまで遊び人だった。
最近は毎日のように中国人企業に仕事で行っている私。日本にいる中国人は何か差別されていると感じるらしくコミュニケーションに難はあったが最近はやっと信用したようだ。
韓国の話になって、あいつらの恨の文化はクソだなって言うと。
「確かにあの国はダメだが、国民全部が悪い訳じゃない。日本人だって一緒だろ? 」
 と言っていた。恨みを後世に伝えるのが正義であるというのが韓国の文化だが、歴史を見れば中国の王朝に度々支配された経緯がある。その都度、忠誠を誓う碑を建てては王朝が変わった途端に屈辱の碑としてきた韓国。そりゃあ中国人もいい加減にしろよと思うはずである。
アメリカ人の友人の親戚が葉山に住んでいて、マッカーサーの三日前に日本に来て住み続けているらしい。この老人、朝鮮戦争にも行ったらしく、夜中に基地にいたら韓国人のコソ泥がガソリンの入ったドラム缶を盗みに来たとの事。捕まえたその親戚は
「そのドラム缶を担いで持って行ければくれてやる。無理なら殺す」
 と韓国人コソ泥に言ったらしい。すると何とガソリンの詰まった重いドラム缶を担いで帰って行ったらしい。韓国人は小さいくせに馬鹿力と言うのを聞いたようだ。確かに伊藤博文が朝鮮人を見たらコソ泥と思えというのは的を得た表現かもしれない。今の時代は変わったとは? ……思うが。
八〇年代、韓流ブームの前に話だが、韓国は買春に行くだけの国であった。実際、某超大手新聞会社の拡張団体の社員は年末になると売春ツアーに一〇〇人以上で行っていた。食い物だって犬の肉が出て来るかもしれない国で、美味い物を期待する方が阿保だった。一晩一〇万でやり放題とアメリカ人に教えると「ちょっと高いな」とは言っていたが。当時の韓国の平均月収からいえば何ヶ月分だったかは覚えていないが高額であったのは間違いない。当時は国民全部が股を開くと言われたものだ。
 それがどうだい、韓流ブームとかで女が行くようになった。当初、私は「とうとう男娼を買いに行き始めたか? 」と思ったものだ。流石に売春に国をあげて取り組んでいた国だけにセクシーな体形の女はいるのだが、ほとんど原型をとどめた顔はいない。韓国人の原型は女子サッカー選手の顔を見たら分かる。血が濃いのだろうか? 似た顔が多い。
某政治家が売春婦の国といって物議をかもしたが売春ツアーのリアル世代なので仕方ない気もする。私も誘われた事はあるが若かったし、別に女に不自由してなかったので行った事はない。その黒歴史を葬る為にゴネているとしか思えない韓国。精液や愛液まみれの芸能で稼ぐ分には黙っていてやるがそれ以上ゴネタらタダでは置かないぜ、朝鮮人。
 三八度線を越えれば急に綺麗になるとも言われるが行った事無いので定かではない。只、中国の南部に行くと割と美人が多いので満更嘘ではなさそうだ。ちなみに中国の大連から先に橋が架かっているので北朝鮮には行ける。北朝鮮と中国は仲が良い、おまけにロシアとも友達と言う。これは世界では稀な事でイギリスとフランスがくっついていたら大変な事になっていただろうし、大抵、隣国とは仲が悪い。それにしても韓国の嫌われ方は尋常ではない。日本と仲良くしなきゃどこも相手をしてくれないだろうし。
中国とアメリカの不仲をよく聞くが、アメリカの中小の殆どは中国外注である。小ロットでの注文に応える為中国は欠かせない。あれだけ買ってるんだから今更どうしようもないと言える。(ホームデポなんか見るとアメリカ製など食品以外はない)関税上げた所で中国にとっては痛くも痒くもない、関税はアメリカの業者が払うだけのもの。。アメリカ人が作ったってボロしか作れないし一体幾らかかるか分からない。最近はコロナの影響もあってヨーロッパからのキャンセルが相次ぎアメリカメーカーの中国工場閉鎖か? って事態もあるらしい。シンプソンの工場が中国に出来てアメリカから買うより製品が良くなり尚且つ安くなったと喜んでいた日本の業者。撤退してもらったら又、ボロで高いアメリカ製を買わねばならぬのかと心配していた。
中国人は三〇年前の日本人って感じだったが、最近はちと違う。世界有数の貨幣信仰国民だが使う事に幸福を感じる人々。もし経済制裁をされて経済が縮めば暴動が起きるのは間違いない。愛国心はあっても政府に信用はしていない。今は景気が良いので別に気にしていないだけだ。今回のロシアに対する経済制裁で一番青ざめたのは中国だろう。あれをやられたら中国人は幸福の概念に疑問を抱く。アメリカ人は中国人の忠誠心が恐いと言うが、私はもし戦争になればほぼ一〇億人逃げると思っている。中国人が言っていたが
「米兵は死んだら凄い額のお金を貰えるが、中国人はタダ同然よ。戦争に行くなんて馬鹿らしい」
 という事だ。まあ危惧されるのは黄色人種は知的な恩恵は白人に比べ受けてはいない。唯一、優性なのは感情に対する恩恵である。これは大きいとある宗教家はいうのだが…… 。
日本の概形は戦後、アメリカによって作られたのは間違いない。西洋大好きだった戦前の日本が一転鬼畜米英と言い出し戦争を起こしたものの敗戦。只、その後が計画的であった。神といわれていた昭和天皇に自国の判断は間違いだったと言わせた後、命をかけて守ったA級戦犯の遺骨を太平洋にまいた上、天皇という独裁者を平和の使者にすり替えた。そりゃあちょっと前まで神とされた偉い人である。偉い人は偉いまま、そんな偉い人が言うんだからそうなんだろうって位にしか考えない。そうして融通の利く岸信介はA級戦犯でありながら首相になる。以降、田中内閣の頃でさえ影のドンといわれた人物である。
非常に宗教的だとも思えるのだが、神が空の上にいない事などどんな宗教家も当り前だと知っている。神は個人の内部に存在するといわれる理由は祈りの概念である。馬鹿は空の上にいる神様に願うのだが、本来、自分自身の内面に問い結論を出すって事が祈りの概念である。そしてある問題や困難に対し、幸運を願うのではなく「こうすればこう動く。だからこの行動をすると必ずこうなる」って自問自答した上での確信が祈りである。こういう考え方を話すとアメリカ人の友人は「キリスト的だ」というのだが、キリストやユダヤに限った事ではなく、ある意味、世界征服を続けてきた白人の知性である。軍部が天皇を利用して戦争したのではなく、天皇を利用してアメリカ褒誉の国を作っただけの話だ。ロシアと平気で戦う国はある意味脅威でもあったに違いない。それらの全ては原爆は仕方なかったという昭和天皇の発言や諸々の発言で分かるだろ阿保。独裁者が天寿を全うする国、日本。ちなみに宮崎にある八紘一宇の塔(現、平和の塔)に来た際には記念撮影を断った天皇。東京裁判で殺されなくてホッとしてたのに世界征服宣言の塔の前で記念撮影出来るかよ! って話だ。ちなみにこの塔の看板は戦後GHQの目を逃れる為、宮崎神宮に隠されていて、土台は戦前侵略した中国の石で作られている。歴史的にも貴重な「世界征服します」宣言をした塔である。
イスラム教は砂漠で普通の人ムハンマドが説いたように馬鹿でも分かりやすいので勢力を伸ばした感はある。神の前では人間は平等というのが支持を集めたようだ。そりゃ砂漠に豚は不向きで酒を造るにも水がいる。砂漠でもないインドネシアを制覇したのは分かりやすかった故だろう。隣のインドでは牛が偉そうに歩いているが。ちなみにインドネシアでは豚は食わないが牛を食う。でも一番食うのは山羊の肉らしい。だが、勘違いしてはいけない。神の為に人間は生きるのではなく楽しく幸せになる為に神や信仰はあるだけの話で、幸せなら信仰は必要ない。

最後に非業の死を遂げたとはいえ国葬なんかするなよ、自民党。やるならお前らの金でやれ。これで英雄視するのは放蕩息子の慣れの果ての物書きを文豪化するのと同じ愚行だ。
ちなみにケネディは日本では人気だが、アメリカ人にはあまり人気はない。オバマなんてチキン野郎と言われている。トランプの頃、何でヒラリーを大統領にしないんだと言っている評論家を見て、アメリカ人に言った。
「あんな事言ってるから、今度はインディアンでも大統領にするしかねえな」
 それを聞いたアメリカ人は大笑いをしてた。
何か変だな日本人。
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