第4話

文字数 4,496文字

 ずっと営業畑でやってきた私。社会人になった頃、上司から「決して宗教と野球の話はしてはならない」と言われた事がある。まあ、宗教の価値観の違う人に話しても理解はされないであろうし、ふと怒りをかうかもしれない。野球なんかアメリカの属国位しかしないだろうし、あのユニホームを見ただけで軍服みたいで虫唾が走る何て偏見を持つ私が野球の話などするはずもないのだが。広島の上司が「ジャイアンツ・フアンって実は広島も多いんだよ」って言うのを聞き、へ〜ッて思った。その後、その上司が鹿児島の問屋に行き「私、ジャイアンツ・フアンです」と言った所。あいつは嘘つきで信用ならない奴と問屋の全員に烙印を押された。成る程、野球の話もしないに越した事はないようだ。(鹿児島に行った際には言葉に注意しないと一斉に全員に嫌われる事がある。地域性ってやつだ。逆もあるが…… )
 
 八〇年代初頭、私は北九州は新日鉄が真下に見える場所に住んでいた。下に見える新日鉄構内は高い塀で区切られていて職員や関係者でないと入れない。二四時間眠らぬ構内には色んな外国船がやって来ては、巨大なパイプなど鉄製品を積んでは出ていく。学生であった私は積み荷の検数バイトとして、臨時の許可証を貰い外国船に乗り込む事が何度かあった。ロシア船、パナマ船、中国船、韓国船、名前も知らないヨーロッパの船など色々だ。
 まず、違うのは匂い。近づくだけでロシア船はミルクの匂いがする。インド船はカレーの匂い、中国船はお香の匂いがした。パナマ船などは白人、黒人、黄色人種の三色乗っているので船特有のペンキと油の匂いだろうか? ちなみに日本は醤油の匂いがするらしい。
 混合人種の船のメスルームは白人専用と黒人専用に分かれている。黄色人種(主に中国人)は船室から出てこない。黄色の私はどっちに行こうかな? と悩むのだが、決まって黒人用に入る事にしていた。黒人はジャマイカの船員達であった。ジミー・クリフやボブ・マーレイの話で盛り上がり、黒人船員に聞くと「ボブ・マーレイは別格」なんて言ってたっけ。
 ロシア船には世界で唯一、数名の看護婦が乗っている。(歳は一〇代から様々)当時はカムチャッカ辺り出身の船員が多く、皆、人の良い農夫のような人々であった。白人は大体、日本人を馬鹿にして口もきかない船員が多いのだが、ロシア人は違う、日本人に対し友好的。だが英語は全く通じない。
 
 面白いのが、時たま風呂敷包みを担いだ日本人の婆さんが乗り込んでくる。ズカズカと乗り込んできては、メスルーム辺りで風呂敷を広げる。それは派手なハッピや置物、タオルや手拭いといった土産物の数々。どこの国の物だよ? って感じなのだが、この婆さん流暢な英語やポルトガル語で船員に売り込む。時間にして一時間もいないのだが、ほとんど売り捌いた婆さんは「毎度あり〜」ってな感じで風呂敷を抱え下船していく。私はプロだなと感心すると共に、やっぱ言葉って大事だよなと思ったものだ。そういえば昔たくさんいたフィリピンから来た女の子も日本語、英語、タガログ語の三言語が話せたな…… 。アメリカが人身売買だとイチャモンをつけ日本から帰らせたが。
 構内では昼夜を問わず、船のハッチに製品を積み続けるのだが、港につけない外国船は沖のブイにつながれている。その場合、艀と呼ばれるボートに物を積んで外国船横につけた後、船に付いているウインチを使って積み込みを行う。艀とは平坦で物を運ぶためだけに作られたボート。しかし、その中には家族が住んでいたりする。
 朝が明けて日が差し始める頃、岸壁につけられた艀をぼ〜っと見ていると真っ黒な夫婦の元に小学生位のランドセルをしょった女の子が出て来た。女の子は真っ白である。「行っておいで」なんて事を言ってるんだろうが、三人共笑顔である。粉塵の舞う暮らしの中、風呂に入っても取れない煤だらけの両親と普通の真っ白な少女。まるで絵画をみるような情景であった。職業の貴賎の差なんて本当にくだらない妄想に思えた。
 
 最近、話題になっている韓国だが、韓国船の船員は皆、日本語が喋れた。聞くと第二国語が日本語であったらしい。船は大抵ボロボロで大丈夫かい? ってな具合。まあ、韓国が経済成長する前の時代の話だが。日本人が拙い英語を白人と話す時も似たようなものだろうが、韓国人は非常にオドオドとした話し方をした。別にいきなり殴ったりしないのになと思ったものだ。
 
 土地柄もあるではあろうが、北九州から下関辺りにかけて在日朝鮮人はたくさんいた。日本人部落地帯の隣に一段のブロックで仕切られた隣は朝鮮部落っていった風だ。黒崎辺りに行くと、朝鮮学校の連中がよく集団で行動していて、日本人の不良と街なかでよく喧嘩をしていた。 
 日本人も朝鮮人も見た目は全く変わらないので、宣言されない事には分からない。では、今の状況が予測できたか? といえば予測出来たと思う。
 
 植民地時代の事など知る由もない。そもそも、その頃の人間はほとんどもう死んでいる。私の物心ついた時代でも差別は悪い事という事はしきりに言われていた。人種差別や肌の違いでの差別も卑しいとされた。では差別がなかったか? と言われれば否だろう。実際、支那人(これも差別用語とされるようだ)や朝鮮人の嫁をもらうと長子としての資格を失うとか「朝鮮人の結婚式を見に行ったら膝立てて飯食ってやがんの」なんて話を聞く事もあった。日本は元々、純血主義国。ヨーロッパの移民問題で意見するくせに、世界一厳しい移民法は変わらない。日本人になる事は世界一難しい。おまけに世界から見れば単一言語を使っている珍しい国。島国なので陸続きの国はなく、隔絶されている。だから想像でしか世界を見れない。それ故、変な選民意識は今に始まった事ではないようだ。
 
 私の母親は小学生の高学年で終戦を経験した。うちの実家の木戸口近くで同級生の女の子が空襲で死んだのだと。終戦後初めて実際のアメリカ兵を見た時は憎らしくて堪らなかったらしい。
 とはいえ、後にアメリカ人と一緒に働く私を見て「今度、うちに遊びに連れて来なさい」なんて言っていた。もう、そんな戦争の時代すら大昔の事、そんな時代じゃないって。
 只、祖父母の代になると又違っていた。実際に戦争に行ったり、天皇を神と崇めていた時代の人間だ。でも特にアメリカ人への恨みつらみを言う事は全く無かった。それは日本人として当り前の子供への教育。
 当時、プロレス中継が毎週放映されていた。内容は日本人プロレスラーが善玉、外人レスラーがヒール役とハッキリしていた。外人レスラーが反則をしたりして、最期は日本人レスラーが逆転し放映時間内に必ず決着するといったものだった。
 私がテレビを見ていると、いつの間にか部屋の片隅に帰ってきた祖母。外国人レスラーが攻勢に転じると突然叫び出す。「何をこら! やれ! あ〜! この野郎! 」などと吠えまくる。私が「うるさい! 」と言うと、しばらく黙るんだが、すぐに再び吠える。感情が抑えられないのである。私はあまりにうるさいので「あっち行け」と言うと「見らん方がいいわ」と言って移動しようとするのだが、去り際に振り返り「何をこら! やれ! あ〜! 畜生! 」とテレビに足を止めるのである。よっぽど戦争に負けた怨念が消えないのであろう。
 玉音放送を聞いたとはいえ、いきなり一八〇度価値観が変わる訳ではない。祖母がボソッと「あんたが結婚する頃には外人女を連れてくるのかね? 」なんて言ってた。そこまで急に時代は変わらねえだろと私は答えた覚えがある。
 まあ、祖父母のように明治大正生まれの人間に変われといっても無理なのだが、変えようにも遥か昔に死んでいる。
 日本人の良い所は原爆を落としたアメリカに対し爆弾を落とし返してやると言った事もなければ、敗戦の恨みつらみを言わなかった事だろう。過去は過去、今を見てきた。では韓国が悪いかといえば、断言は出来ない。元々、教育も文化も違うだろうから。
 韓国には「恨の文化」があるらしい。要は昔の屈辱を伝え続ける事は正義であるという考えだ。中国とのイザコザも多数あって当時の記念碑が今では屈辱の碑として多数残されている。中国人からすれば王朝が変わって記念碑まで作って跪いたと思えば、次の王朝に擦り寄って前の王朝を攻撃し、屈辱の碑にしてしまう国民性を嫌っている。韓国一番の問題は中国、ロシア、台湾など周辺国が全て嫌っているって事だろう。少なくともアジアで日本だけは友好的だったのだが。
 パチンコや焼肉屋など成功した在日企業も多いが、基本「日本人を見返してやりたい」ってのが、生きる活力だったのはほぼ間違いない。実際、在日朝鮮人から聞いた事でもあり、ブラックなゲーム賭博店やホストクラブをやっていた朝鮮人経営者に至っては「あいつらを地獄に落としてやるのが目的」と直接聞いた事もある。
 
 アジアにある国ぐらいは知っていたが、八〇年代に韓国の印象は「売春ツアーで行く国」であった。韓国ツアーといえばオジさんが団体で行き、買春するイメージだった。実際、某大新聞社の拡張会社は一〇〇人を超える社員で年末に買春に行くのが恒例だった。一晩一〇万らしいのだが、年末になると彼らはソワソワしていた。政治家のジイさんが「売春婦の国」と言って批判を浴びていたが、あの世代からすれば「食い物っていったって、犬の肉が出るかもしれない、女しかねえだろ」と言うのが正直な話。それが劇的に変わったのは韓流ブームからだ。
 最初はオバさんが韓国に行き始めたので「とうとう男娼を買いに行き始めたか? 」と思ったオジさんも多い。オジさん達はこっそりと集団で行っていたので、オバさんにはそんな悪いイメージがなかったのも良かったようだ。よく見ると昭和の初めのようなノスタルジーが女性達に受けたのだと分かる。おまけに韓国グルメの特集番組さえ現れた。韓国が民主化されたのも八〇年代後期だが経済成長もあり、ずっと日本も支援してきたのだが。歴史云々ではなく彼らを蔑んでいたのは事実。だが、国同士としてそんな事も言ってはおれないので、アメリカ繋がりの同盟国として金の援助はしてきた。国をあげて売春してた国が何が慰安婦像だよって政治家も思う訳だ。だから特にジジイに近い連中には歯痒さがあるんだろう。飼い犬が手を噛みやがってみたいな。
 まあ、こんな事も過去でしかないので、忘れ去られるか、書き換えられるか、消えていくんだろうな。
 そもそも歴史問題など前を見てない証拠であって、既に死んだ奴らの怨念など忘れた方が良い。昔から朽ちた墓の上に墓は建てられてきた。人が故人を覚えているのはせいぜい三代がいいところ。彼らは現在どこにも存在しない。 
 韓国人個人が日本を批判する分にはいいが、国のトップが言うと国の品格と言われても仕方ないだろう。唯一の友人国をなくして、どこに向かうのだろう? ってのが正直過ぎる話。
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