第5話

文字数 1,162文字

 地域で一番安いディスカウントに行くと、キャベツ一玉二五〇円以上する。増税前に舐めてんのか? そのうち、貧乏人で徒党を組み暴動でも起こしてやろうかと考えている今日この頃。
 そういえば大昔、お百姓さんの苦労のおかげで米が食えるので感謝せねばならぬという教育を受けた。では百姓とは何か? う〜ん。出た結論が「一生米をスーパーで買わなくていい人々」であった。
 農家は自分の田んぼで作った米の中から自宅で食う米、子供の家族が食う分まで取っておく。ちなみに私の後輩は新米が取れ始めるこの時期、余った米を処分する為、私に貢いでくれる。非常にうい奴だ。(この為、二ヶ月は米を買わなくて良い)
 まあ、百姓が餓死したって話は聞いた事がない。政治家が農家を大事にするのは票の為である。
 米の味は取れる場所によって随分違う。以前、広島の上司が単身赴任してきて、肉は旨いが米がまずくて困ると嘆いていた。おいおい、隣の焼肉屋は輸入の冷凍だぞ。(どんな肉食ってんだ? )確かに幼い頃越してきた私も南九州の米の不味さは痛感していた。逆に数十年前、佐渡ヶ島に家族旅行した際に旅館で食った米に愕然とした(あまりの美味さに)母は祖父母の住む宮崎に米三〇キロを即座に送った記憶がある。「私達の米に対する概念は完全に間違いであった」と訴えたかったようだ。
 しかし、最近ではすっかり水に慣れ、味の差に鈍感になったのか、気にならなくなった。
 スーパーに行くと惣菜やパンを買って帰るのは老人が多い。恐らく加齢による調理や手間が苦痛になっているのだろう、洗い物も面倒な上、目も見えなくくなっているので、若い頃ほど汚れも見えない。あ〜、面倒臭いって感じなんだろうな。食自体への興味も加齢と共に減退するのかも。
 肉の食べ放題はよく聞くが、魚の食い放題はあまり聞かない。骨もあり生臭い魚はそんなに量を食えるものではない。いくら身体に良いと宣伝したところで無理だ。瀬戸内で幼少時代育った私は毎日出される魚が苦痛であった。確かに魚は海が綺麗だからといって旨い訳ではない。むしろ多少汚い瀬戸内や大分の海峡付近の魚の方が旨い場合もあるし、国産の鯖よりノルウェー産の方が遥かに旨い。魚が好きになったのは酒を飲み出した大人になってからだ。
 そもそも宮崎に住んでいるからって宮崎牛など年に何度食ったろうか? あんなに高い肉よっぽど臨時収入でもない事には買わない。鳥取の境港の住人が蟹を毎日食わないのと同じだ。もうすぐ伊勢海老の時期なのだが、もう二〇年は食っていない。カッコは良いが只大きなだけのエビである。おまけにやたら高い。ほぼ消費するのは観光客か、冠婚葬祭か、魔の差した県民。
 本当に旨いものを食いたければ、シーガイヤにあるシェラトン辺りで食うのが間違いないんだけどね。
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