その18 パン焼き釜
文字数 2,087文字
今日のひとふり:
「おばあさんが/いえで/おんなのこを/ひろいました」
どんどんどん、と、はげしくドアをたたく音。
がちゃりと開いて、ふきげんそうな顔をつき出したのは、ボンネットをかぶり、鼻めがねをかけ、太いうでを粉まみれにした、パン屋のおばあさんでした。
「うるさいねえ。あたしゃいそがしいんだよ。見りゃわかるだろ」
らんぼうにドアをたたいていたのは、いかめしい口ひげをたくわえた将軍でした。
「娘が一人、逃げてこなかったか」
将軍は、いばって言いました。
「はあ? 知らないねえ。
言ったろ、あたしゃパンを焼くのにいそがしくてさ」
将軍はふりかえって、あごをしゃくりました。
らんぼうな兵隊たちが、どろだらけの長靴でどやどやと踏みこんできます。
「なんだいなんだい、あんたたちは」
おばあさんがどなっても、おかまいなしです。
「あの扉は何だ」
将軍はまた、あごをしゃくりました。
腰より上の高さで、土壁が奥へ掘りこまれ、そこに鉄の扉がついています。
「いやだね、これだから偉い人は。パン焼き釜も知らないのかい」
「パン焼き釜だと?」
「そうさ、あのくぼみに火を入れて、パンを焼くのさ。
ああ、さわっちゃいけない、いま焼いてるところだからね。その扉は熱いよ。やけどするよ」
「いけないと言うのに」
将軍にあごをしゃくられた兵隊は、扉に手をかけたとたん、ぎゃっと悲鳴をあげました。
「熱いであります!」
兵隊の手はみるみる火ぶくれに。みな、ぞっとして、少し後ずさりしました。
「言わんこっちゃない」おばあさんはどなりました。「あんたたちも、やけどしたくなかったら、とっとと出ていきな」
「ああ、そうそう。そう言やさっき、娘っ子かどうだか知らないが、白いようなよごれたようなやつが、あっちへ走っていったよ。あたしゃ幽霊かと思ったんだけどね。
ちょうどあんたさまが立ってる、そこのりんごの木を越えて、あっちへね」
あんたさまと呼びかけられたのは、白い馬にまたがって、白い花盛りのりんごの木を背にし、昼下がりの陽に金髪をきらめかせた、美しい若者でした。
王家の紋章のついたマント。
意志の強そうな目の光。
いらだって噛んだ唇。
若者が白馬にむちをくれて走りだすと、将軍も兵隊たちも、あわててぞろぞろ、あとを追いました。
「やれやれ」
おばあさんは、おおげさなため息をつくと、ドアをしめました。
そして、いそいで、手おけの水を、パン焼き釜の鉄扉にぶっかけました。じゅーっと音がして、白いけむりがたちました。
「やれやれ」
おばあさんはもう一度言って、笑いだしました。
「何があったか知らないけど」
「王子さまに見初められるってのも、楽じゃなさそうだねえ」
パン焼き釜の扉が開いて、中からおずおず出てきたのは、白い着物を一枚着たきりの、美しい娘でした。
やぶの中を走ってきたと見えて、服はやぶれ、よごれています。
娘はぶるぶるふるえながら、いきなり、おばあさんの首にかじりつきました。
「おやおや」
おばあさんは笑って、娘を抱きしめました。
「何があったかは聞かないよ。こんな所でよかったら、しばらくうちにおいで」
娘は、泣きながらうなずきます。
「女の服もほら、うちの亡くなったおっかさんのがこうしてあるから」
娘は、泣きながらうなずきます。
「パン焼きを手伝ってくれるかい?」
娘は、泣きながらうなずきます。
「うでが太くなってしまうよ?」
娘は、泣きながらうなずいて、いっそうしっかりと若者の首にかじりつきました。
若者はあいかわらず笑っていましたが、娘が自分から唇を合わせてきたので、
ボンネットと鼻めがねをむしりとって、あらためて娘を抱きしめました……
半年後。
あの手にやけどをした兵隊は、いまだに納得がいっていませんでした。
たしかに鉄の扉は熱かったのですが、
パン釜の全体は、ひんやりしていた気がするのです。
扉に、火のついた薪をこすりつけたような、炭のあともあった気がするのです。
だいたい、お昼をすぎてから、
パンを焼き始めるパン屋があるでしょうか。
村一番に早起きして、朝のうちにパンを焼き上げ、昼には売り切ってしまうのが、パン屋というものです。
偉い人はそんなことも、知らないんですね。
けれども、兵隊が、非番の日にこっそり、あのりんごの木のある小屋のところまで行ってみると、
幸せそうな若夫婦が、おいしそうな焼きたてパンを、いそがしそうに紙袋につつんでは、村の人たちに渡していました。
あんまりおいしそうなパンだったので、兵隊もひとくち食べたかったのですが、
えんりょして、赤くなったりんごの実を一つだけもいで、かじりながら帰りました。
おしまい。
え、王子さまはどうなったの、ですって?
さあ。
どこかの王女さまと結婚してくれているといいんですけどねえ。
※ちなみに、21世紀(2023年)現在、
私の家から歩いて20分ほどの所に、たいていお昼で閉店してしまうパン屋さんが実在します。
お昼で完売してしまうんです。
なにげない、昔ながらの、素敵なパン屋さんです。本っ当~に美味しいです。
名前は「カメヤ」。^^
「おばあさんが/いえで/おんなのこを/ひろいました」
どんどんどん、と、はげしくドアをたたく音。
がちゃりと開いて、ふきげんそうな顔をつき出したのは、ボンネットをかぶり、鼻めがねをかけ、太いうでを粉まみれにした、パン屋のおばあさんでした。
「うるさいねえ。あたしゃいそがしいんだよ。見りゃわかるだろ」
らんぼうにドアをたたいていたのは、いかめしい口ひげをたくわえた将軍でした。
「娘が一人、逃げてこなかったか」
将軍は、いばって言いました。
「はあ? 知らないねえ。
言ったろ、あたしゃパンを焼くのにいそがしくてさ」
将軍はふりかえって、あごをしゃくりました。
らんぼうな兵隊たちが、どろだらけの長靴でどやどやと踏みこんできます。
「なんだいなんだい、あんたたちは」
おばあさんがどなっても、おかまいなしです。
「あの扉は何だ」
将軍はまた、あごをしゃくりました。
腰より上の高さで、土壁が奥へ掘りこまれ、そこに鉄の扉がついています。
「いやだね、これだから偉い人は。パン焼き釜も知らないのかい」
「パン焼き釜だと?」
「そうさ、あのくぼみに火を入れて、パンを焼くのさ。
ああ、さわっちゃいけない、いま焼いてるところだからね。その扉は熱いよ。やけどするよ」
「いけないと言うのに」
将軍にあごをしゃくられた兵隊は、扉に手をかけたとたん、ぎゃっと悲鳴をあげました。
「熱いであります!」
兵隊の手はみるみる火ぶくれに。みな、ぞっとして、少し後ずさりしました。
「言わんこっちゃない」おばあさんはどなりました。「あんたたちも、やけどしたくなかったら、とっとと出ていきな」
「ああ、そうそう。そう言やさっき、娘っ子かどうだか知らないが、白いようなよごれたようなやつが、あっちへ走っていったよ。あたしゃ幽霊かと思ったんだけどね。
ちょうどあんたさまが立ってる、そこのりんごの木を越えて、あっちへね」
あんたさまと呼びかけられたのは、白い馬にまたがって、白い花盛りのりんごの木を背にし、昼下がりの陽に金髪をきらめかせた、美しい若者でした。
王家の紋章のついたマント。
意志の強そうな目の光。
いらだって噛んだ唇。
若者が白馬にむちをくれて走りだすと、将軍も兵隊たちも、あわててぞろぞろ、あとを追いました。
「やれやれ」
おばあさんは、おおげさなため息をつくと、ドアをしめました。
そして、いそいで、手おけの水を、パン焼き釜の鉄扉にぶっかけました。じゅーっと音がして、白いけむりがたちました。
「やれやれ」
おばあさんはもう一度言って、笑いだしました。
「何があったか知らないけど」
「王子さまに見初められるってのも、楽じゃなさそうだねえ」
パン焼き釜の扉が開いて、中からおずおず出てきたのは、白い着物を一枚着たきりの、美しい娘でした。
やぶの中を走ってきたと見えて、服はやぶれ、よごれています。
娘はぶるぶるふるえながら、いきなり、おばあさんの首にかじりつきました。
「おやおや」
おばあさんは笑って、娘を抱きしめました。
「何があったかは聞かないよ。こんな所でよかったら、しばらくうちにおいで」
娘は、泣きながらうなずきます。
「女の服もほら、うちの亡くなったおっかさんのがこうしてあるから」
娘は、泣きながらうなずきます。
「パン焼きを手伝ってくれるかい?」
娘は、泣きながらうなずきます。
「うでが太くなってしまうよ?」
娘は、泣きながらうなずいて、いっそうしっかりと若者の首にかじりつきました。
若者はあいかわらず笑っていましたが、娘が自分から唇を合わせてきたので、
ボンネットと鼻めがねをむしりとって、あらためて娘を抱きしめました……
半年後。
あの手にやけどをした兵隊は、いまだに納得がいっていませんでした。
たしかに鉄の扉は熱かったのですが、
パン釜の全体は、ひんやりしていた気がするのです。
扉に、火のついた薪をこすりつけたような、炭のあともあった気がするのです。
だいたい、お昼をすぎてから、
パンを焼き始めるパン屋があるでしょうか。
村一番に早起きして、朝のうちにパンを焼き上げ、昼には売り切ってしまうのが、パン屋というものです。
偉い人はそんなことも、知らないんですね。
けれども、兵隊が、非番の日にこっそり、あのりんごの木のある小屋のところまで行ってみると、
幸せそうな若夫婦が、おいしそうな焼きたてパンを、いそがしそうに紙袋につつんでは、村の人たちに渡していました。
あんまりおいしそうなパンだったので、兵隊もひとくち食べたかったのですが、
えんりょして、赤くなったりんごの実を一つだけもいで、かじりながら帰りました。
おしまい。
え、王子さまはどうなったの、ですって?
さあ。
どこかの王女さまと結婚してくれているといいんですけどねえ。
※ちなみに、21世紀(2023年)現在、
私の家から歩いて20分ほどの所に、たいていお昼で閉店してしまうパン屋さんが実在します。
お昼で完売してしまうんです。
なにげない、昔ながらの、素敵なパン屋さんです。本っ当~に美味しいです。
名前は「カメヤ」。^^