ぽちの生活:犬を拾う2000字
文字数 1,987文字
「ワンと鳴け、ワンと」
「ワン」
「よしよしよくできた。賢いな」
ガシガシと頭を撫でられる。平皿に盛られた飯が目の前に差し出される。それにそのまま口をつけてがふがふと食べる。この形式はいまいち慣れなくて、少し飛び散る。そうすると目の前の人間は、仕方ないな、と言って床を拭き、ついでに私の口の周りも拭く。
このなんだかよくわからない関係はだいたい2週間前に始まった。2週間より前は普通に暮らしていた気がする。2週間くらい前に道を歩いていたら突然目の前の人間に捕まった。
ちょうど雨の日で、ザアザア雨が降っていた。行くあてはその時もなかった。ぼんやりしていてふらふら道を歩いていると、その人物にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
謝ったけど、相手は全く聞いていないようで私をジロジロと無遠慮に眺め回して首筋に触れる。びっくりして後ずさるとその人物は不振そうに私を見た。
「野良なのか?」
「野良?」
「うろついてると保健所に連れてかれてしまうぞ、うち来るか?」
「あの……」
その人物はすぐ目の前にあった門扉を押し開けて一歩踏み込み、どうするんだ? という目で振り返った。
「雨が上がるまでの雨宿りでもいい」
雨。
思わず空を見上げると雨粒が直接目の中に入ったから大急ぎで目を瞬かせて頭を振った。灰色で、冷たくて、家の屋根や木や地面や、私にも等しく降り注ぐ雨は、なんだか全てを同じように冷やしつくそうとしているようで、思わずぷるりと身が震えた。その大きな水の塊はぶつぶつと散弾銃のような鋭さとともに私にぶつかる。その重みで思わずその場でしゃがみ込みそうになったけど、ふいにその一部が軽くなった。見上げると傘がさしだされていた。その部分だけは雨の冷たさから守られ、少し暖かくなった。
「おいで、風邪ひくぞ」
なんとなくのそのそついていくと、入り口で待てと言われた。しばらく待つとその人物は大きなバスタオルを持って戻ってきた。
「偉いな」
バサバサと頭の先から雑に拭かれて思わず身震いする。
「服も脱いでしまえ。重くて気持ち悪いだろう? こら暴れるな」
抵抗してもあっという間に服を脱がされて、ばさばさと全身を拭かれた。ざっと上下を眺めわたされる。
「意外と綺麗だな。そうだ、飯はどうしよう。人間と同じでいいのかな。犬は飼ったことないからよくわからん」
「あの……」
その人物は私を置いてさっさと廊下を進んでいく。
バスタオルも服も持っていかれてしまった。廊下にいても仕方がない、全裸なのは心許ないけど恐る恐る後を追う。リビングは広めですっきりしていた。ソファの後ろに隠れて恐る恐る覗くと、さきほどの人物はキッチンでフライパンを振っていた。肉の焦げる香ばしい香り。
そのうちゴトリと目の前に肉が乗った平皿が置かれた。
「犬は猫舌なのかな。まあ、食べられるようになったら食べて」
そう言ってその人物は私の頭を軽くなでてソファに座り、テレビを見ながら肉をフォークとナイフで切り分けていた。私は……少し触れるとまだ熱い。けれども肉汁のと油の匂いにお腹がキリキリ痛んだから、手で押さえて直接かじった。
「随分散らかしたな。腹減ってたのか」
目を落とすとフローリングの床には肉汁が飛び散っていて、少し恥ずかしくなった。
ソファの肘かけの上から腕が伸びて頭を撫でる。見上げるとその人物は優しそうに微笑んでいた。
「うちの子になるか?」
「あのでも……」
床が綺麗に拭かれてそこに毛布が敷かれて恐る恐る寝そべる。柔らかくて暖かかったから、くるまって眠った。なんだか随分疲れ果てていた。
翌朝、日の光で目が覚めた。顔をあげると私が寝ていたのは窓際だったことに気づく。昨日は暗くて窓の外なんて見えなかった。慌ててまたソファの影に隠れると、昨日の人間が扉を開けて出てきたから思わず後ずさる。
「うわっ犬⁉︎ ……あ、ぁ。昨日のか」
「あの、泊めて頂いてありがとうございます」
「朝飯は何がいいかな。犬ってハムエッグとか食べるのか?」
「あの……」
その人物は私を無視して冷蔵庫を開けてまたキッチンに立つ。
「あの……」
しばらくするとまた平皿に乗せられたハムエッグが床に置かれた。昨日のステーキより柔らかくて食べやすかった。
「お前、うちの子になるか? そうだ。前に飼ってた犬のだけど」
戸棚をごそごそして、戻ってきたときに手にしたものは黒くてツヤツヤした首輪だった。混乱する。頭が撫でられる。目と目が合う。
「あの……」
「うちの子にるならワンって鳴いて」
私は外には行き場所がなかった。改めて、ゆっくりその人物を見る。昨日の夜、あったばかり。優しそう。ここを出ても、どうしていいかわからない。だから。
「ワン」
「よしよし、いい子、名前はぽちでいいかな、ベタすぎるだろうか」
その人物はカチャリと私に首輪を締めて、私はこの家の犬になることにした。
Fin
「ワン」
「よしよしよくできた。賢いな」
ガシガシと頭を撫でられる。平皿に盛られた飯が目の前に差し出される。それにそのまま口をつけてがふがふと食べる。この形式はいまいち慣れなくて、少し飛び散る。そうすると目の前の人間は、仕方ないな、と言って床を拭き、ついでに私の口の周りも拭く。
このなんだかよくわからない関係はだいたい2週間前に始まった。2週間より前は普通に暮らしていた気がする。2週間くらい前に道を歩いていたら突然目の前の人間に捕まった。
ちょうど雨の日で、ザアザア雨が降っていた。行くあてはその時もなかった。ぼんやりしていてふらふら道を歩いていると、その人物にぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
謝ったけど、相手は全く聞いていないようで私をジロジロと無遠慮に眺め回して首筋に触れる。びっくりして後ずさるとその人物は不振そうに私を見た。
「野良なのか?」
「野良?」
「うろついてると保健所に連れてかれてしまうぞ、うち来るか?」
「あの……」
その人物はすぐ目の前にあった門扉を押し開けて一歩踏み込み、どうするんだ? という目で振り返った。
「雨が上がるまでの雨宿りでもいい」
雨。
思わず空を見上げると雨粒が直接目の中に入ったから大急ぎで目を瞬かせて頭を振った。灰色で、冷たくて、家の屋根や木や地面や、私にも等しく降り注ぐ雨は、なんだか全てを同じように冷やしつくそうとしているようで、思わずぷるりと身が震えた。その大きな水の塊はぶつぶつと散弾銃のような鋭さとともに私にぶつかる。その重みで思わずその場でしゃがみ込みそうになったけど、ふいにその一部が軽くなった。見上げると傘がさしだされていた。その部分だけは雨の冷たさから守られ、少し暖かくなった。
「おいで、風邪ひくぞ」
なんとなくのそのそついていくと、入り口で待てと言われた。しばらく待つとその人物は大きなバスタオルを持って戻ってきた。
「偉いな」
バサバサと頭の先から雑に拭かれて思わず身震いする。
「服も脱いでしまえ。重くて気持ち悪いだろう? こら暴れるな」
抵抗してもあっという間に服を脱がされて、ばさばさと全身を拭かれた。ざっと上下を眺めわたされる。
「意外と綺麗だな。そうだ、飯はどうしよう。人間と同じでいいのかな。犬は飼ったことないからよくわからん」
「あの……」
その人物は私を置いてさっさと廊下を進んでいく。
バスタオルも服も持っていかれてしまった。廊下にいても仕方がない、全裸なのは心許ないけど恐る恐る後を追う。リビングは広めですっきりしていた。ソファの後ろに隠れて恐る恐る覗くと、さきほどの人物はキッチンでフライパンを振っていた。肉の焦げる香ばしい香り。
そのうちゴトリと目の前に肉が乗った平皿が置かれた。
「犬は猫舌なのかな。まあ、食べられるようになったら食べて」
そう言ってその人物は私の頭を軽くなでてソファに座り、テレビを見ながら肉をフォークとナイフで切り分けていた。私は……少し触れるとまだ熱い。けれども肉汁のと油の匂いにお腹がキリキリ痛んだから、手で押さえて直接かじった。
「随分散らかしたな。腹減ってたのか」
目を落とすとフローリングの床には肉汁が飛び散っていて、少し恥ずかしくなった。
ソファの肘かけの上から腕が伸びて頭を撫でる。見上げるとその人物は優しそうに微笑んでいた。
「うちの子になるか?」
「あのでも……」
床が綺麗に拭かれてそこに毛布が敷かれて恐る恐る寝そべる。柔らかくて暖かかったから、くるまって眠った。なんだか随分疲れ果てていた。
翌朝、日の光で目が覚めた。顔をあげると私が寝ていたのは窓際だったことに気づく。昨日は暗くて窓の外なんて見えなかった。慌ててまたソファの影に隠れると、昨日の人間が扉を開けて出てきたから思わず後ずさる。
「うわっ犬⁉︎ ……あ、ぁ。昨日のか」
「あの、泊めて頂いてありがとうございます」
「朝飯は何がいいかな。犬ってハムエッグとか食べるのか?」
「あの……」
その人物は私を無視して冷蔵庫を開けてまたキッチンに立つ。
「あの……」
しばらくするとまた平皿に乗せられたハムエッグが床に置かれた。昨日のステーキより柔らかくて食べやすかった。
「お前、うちの子になるか? そうだ。前に飼ってた犬のだけど」
戸棚をごそごそして、戻ってきたときに手にしたものは黒くてツヤツヤした首輪だった。混乱する。頭が撫でられる。目と目が合う。
「あの……」
「うちの子にるならワンって鳴いて」
私は外には行き場所がなかった。改めて、ゆっくりその人物を見る。昨日の夜、あったばかり。優しそう。ここを出ても、どうしていいかわからない。だから。
「ワン」
「よしよし、いい子、名前はぽちでいいかな、ベタすぎるだろうか」
その人物はカチャリと私に首輪を締めて、私はこの家の犬になることにした。
Fin