夏と秘密基地:夏の思い出3000字

文字数 2,897文字


 大きなクスノキの下で昔と同じように町を眺めていた。
 うだるような暑い夏。木陰の外は太陽の熱線が降り注ぎ、一歩でも出るとだらだらと汗が噴出するけど、この大きなクスノキの枝の上にいる限りは別天地のようだ。この小高い丘の後ろは大きな山に連なり、その涼しい山肌から木々の間を吹き抜けてくる風が背中を少しだけ冷やす。

 ここは俺たちのふるさとで、山に囲まれた人口1万人程度の小さな町だった。
 小さい頃の記憶といっても小学生のころの記憶と高校のころの記憶ですら大きく異なっている。俺たちが小さいころは田んぼがまだ結構あって、その間にぽつりぽつりと家が立ち並んでいた。コンクリートもアスファルトもあまりなく、都会よりは随分涼しい。
 それが原因なのか、いつのまにか避暑地の開発が進んでいき、田んぼは随分小さくなっておしゃれな店やらきれいな家やらがぎしぎしと詰め込まれた箇所が増えていった。

 この丘もそれほど高いわけじゃないから遠くまで見通せはしないけど、今も俺の家とか幼馴染の家とか、そういったものは昔と変わらずちょくちょく見えた。そういった昔と同じものはいくつか混在している。例えば丘の下から誰か上がってきたらすぐわかる。なだらかな斜面を幼馴染が手を振ってこちらにやってくるのが見えた。昔も、それから今も。

「お待たせ」
「別に待ってたわけじゃないんだけど」

 そう、特に待ち合わせていたわけじゃない。けれどもやっぱり俺たちの足が向くのはこの丘だった。

「それにしても懐かしいな」
「そうだね。どのくらいぶりだろ、20年にはなる?」
「そうかもな」

 変わらないもの、変わったもの、変わりゆくもの。幼馴染は成りはずいぶん大きくなったけど、それほど変わらないもの。
 変わらないものといえばこのクスノキもそう。俺たちはこのクスノキに秘密基地を作っていた。図書館できちんと調べて、こっそり家から使っていなさそうなノコギリやトンカチといった工具を持ち出して、町の至るところからダンボールをもらってきて、必要な木なんかはそのへんの木を勝手に切って、今考えてもそれなりの秘密基地をこのクスノキの上に設えたような気がする。
 その基地はいつのまにか撤去されていたけど、今でも上の方にのぼれば作ったときの跡が残っているだろう。
 目を細めて見上げていると幼馴染も隣に並んで見上げていた。

「また作るか? 秘密基地」
「ここに? 町じゃなくて?」
「そう、観測所だ。ここから観測する」

 夏休みになれば一日の大半はここで過ごしていた。
 朝一番に帽子をかぶってやってきて、それから町に異常がないか観測して、持ち込んだ漫画を読んだり探検したり、基地を拡張したり、それで昼飯に一旦家に帰って、午後はまた集まって蝉を採ったり、それから基地の上からだんだんと赤紫色に変化する景色を眺めながら丘を降りて家に帰る。そのころにはウシガエルの声がうるさいほど響いていて。
 小学生の俺たちにとってここは日常と不連続に繋がった異世界で、僕らの頭の中ではよくわからない怪物が襲いかかってきたり、宇宙人が攻めてきたりしていた。だから大きな紙に地図をかいて、秘密基地を拠点に逃走経路や裏道を書き込んだ。それで剣と盾で戦ったり、ペットボトルロケットを飛ばしたり、そんな夢と現実の区別がつかない毎日を送っていた。

 けれども今、俺たちの眼下にはたくさんの工事機械がならんでいて、強い太陽が照りつけてじりじりとそれらを焦がしている。この町は地盤が悪い。それはそうだろう、もともと田んぼになっていたところを宅地にしたのだから地面は柔らかいはずだ。そして難点は宅地になったところは手抜き工事かなんかできちんと基礎が造成されていなかった。
 それがこの間あった大きな地震で、ええと、なんていったかな。

「液状化」
「そうそうそれだ」

 その液状化が発生して結構な数の建物が傾いた。まぁ、田んぼの上に建てたわけだからさもありなん。更に悪いことに工事の際にこことは違う方向の丘を結構削ったらしいのだけど、その時の整備も雑で、次に地震か何かあったら崩れて危険かもということが判明した。
 それで開発許可を出した市を巻き込んで喧々諤々の訴訟がおこって元々住んでいた住民を含めて引っ越すことになった。それが去年の夏。それから一年、ごちゃごちゃとしたフクザツなやり取りの後、次に分譲する際にはこの町一帯の地面をきちんと造成することを条件にただ同然の値段で引き取ったのが俺たちだ。

 俺たちは大学生のころ作ったアプリが結構な値段でいくつか売れて、夢みたいにそれなりの金を持っていた。
 町としてはおそらく俺たちがきちんと住宅地として開発して家を建てて町として再生することを期待していたのだろうけど、用途までは契約書に定められていなかった。だからね、ここは変わらず夢と現実の区別がついていない俺らの夢に使うことにした。

「あのよっちゃんちのあったところから正岡(まさおか)さんちがあったところまでが発射場だ」
「うん」
「だからあのへんは結構深く基礎を掘って固めないと」
「田んぼって言っても数メートルのとこだろ?」
「そうそう、もともとの地盤自体は弱くはない。町全部の地盤をいじるなら大変だけどこの範囲ならさして費用はかからない」

 それから、昔からある学校を指をさす。大きな地図を広げてペンをもち、よっちゃんの家と正岡さんの家のあたりを四角く囲む。二人で以前と同じ用にペンを持って。

「学校は軽作業場とかには使えるかもしれないが精密機器を扱うなら専門の建物をつくらないと」
「じゃあここ、この学校の隣のあたりにその設備と研究棟」
「あと、資材の格納スペースが必要だ。これは地盤がゆるくたってかまわない。倉庫に置いておくだけだから」

 地図には次々と四角がならんでいく。話し込んでいるとだんだん四角が薄暗くなり地図と見分けがつかなるほど紙面が暗くなった頃、見上げるとたくさんの星が瞬いていた。都会とは全く違う、星だらけの空。

「こんなに遅くまでここにいるのは初めてかもな」

 そういえばそうだ。
 ここに泊まった記憶はない。顔もよく見えなくなった幼馴染と寝転がると、葉を広げたクスノキだけが真っ黒で、それを囲むように小さな光が川のように流れていた。

「宇宙人が攻めてくるぞ」
「どの星から」
「そうだな……ええと、明るい三角の真ん中から?」
「ええと……夏の大三角形、だったかな。天の川から攻めてくるならやっぱりイルカかな」
「アマノカワイルカが攻めてくるぞ」

 ぷっと思わず息が漏れる。
 小学生の林間学校の天体観測で見たのと変わらない空。
 今度はこのクスノキじゃなくて町全体を秘密基地にする。この町を民間ロケットの発射場にする。ここは山に囲まれていて近くに村や町はない。だから万一ロケットが落下しても人的被害がない。
 俺らは結局夢と現実の区別がつかないまま大学で物理学や機械工学を学んで宇宙人と戦うことにした。工事はおそらく今年いっぱいかかって、来年の夏にはあの天の川を目指してロケットを飛ばす。
 飛ばすのは昼だから秘密基地から見る宇宙は黒かったりはしないのだろうけど。
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