1.咲き残る夢の半分

文字数 2,681文字

  ()めど尽きせぬ清らなる泉よ
  愛は枯れて落ち葉が積もる
  水面(みなも)(にご)
  月影も映らず

  日は空を駆け、時は巡れど
  過ぎし日は戻らず。
  ああ泉よ、我は嘆く
  かつての汝を知るがゆえに
        
      /湖水地方に伝わる歌 

  * * *  
 
 晴れた日の湖よりも透明な青い目を(またた)かせて、オルフェンは背の高い男を見上げた。
「では、本当にあなたは冥界(めいかい)の神さまなのね」
「ええ。できればずっと隠しておきたかったのですが」
 ここは死者の国。王の城。
 暗い夜を暖かく照らすランタンは、ここにはない。赤黒い夕焼けの名残(なごり)のような、ぼんやりとした薄明かりと影があるばかり。
 ドウンはつい、と口の(はし)をつりあげた。
「オルフェン王女、私が怖いですか?」
 その酷薄(こくはく)な笑みを、オルフェンはじっと見つめた。
「ここに来る前にも聞かれたわね。怖くはないのか、って」
 確かに驚きはしたけれど、「怖いか」と聞かれると自分でもよく分からない。短い期間に多くのことが起こりすぎて、感情の(はかり)は目盛りが振り切れてしまった。
 初めて出会った、親しく言葉を交わせる同世代の娘。
 初めて町で迎えた祭りの夜。
 今までお伽話(とぎばなし)にも聞いたことのない魔法。
 目の前で消えた友人―――。
 そして今、自分は生きながら『死者の国』にいる。
 頭の中がぐるぐるする。オルフェンはうつむいて、力なく首を振った。
「ここで初めて出会ってそのように名乗られたのだったら、きっと怖かったと思うわ。でも、まだ実感が無いの。あなたの言葉を疑うわけじゃない。けれど、わたしにはまだ、あなたが騎士のキアランにしか見えないのよ……」
 言ってから、はっと気づいたように顔を上げ、しとやかにスカートをつまんだ。
「知らぬこととはいえ、陛下に対しての無礼の数々。どうぞお許しくださいませ」
 そうして深々と頭を垂れる。
 王女らしい完璧な所作(しょさ)に、ドウンは声を上げて笑った。仄暗(ほのぐら)い石造りの城に、冥王(めいおう)の笑い声が陰々(いんいん)とこだまする。
「私などに礼を尽くしていただかなくても結構ですよ。王女殿下」
 わずかに頭をもたげ、自分の方を(うかが)い見る人の娘に、冥界の王は皮肉な調子で語った。
「あなたもご存じの通り、ここは生者の国から『安らぎの国』への通り道。日没の向こうにある国への道を見いだせぬ哀れな魂たちが彷徨(さまよ)う場所」
 虚空(こくう)(あお)ぎ、芝居がかった調子で両手を広げる。
「耳を澄ませてごらんなさい。聞こえるのはしわがれたカラスの声。目を()らしてごらんなさい。(うごめ)くものは不幸な亡者(もうじゃ)の影。導かねばならぬ民もなく、求めねばならぬ幸せもない。ただ荒涼(こうりょう)たる地があるばかり。それで王などと、どうして言えましょう。」
 コツコツと硬い音を立てて靴音(くつおと)が響く。
「おお、女神ダヌの恩寵(おんちょう)厚きイニス・ダナエ。その豊かな大地。(うるわ)しき次代の女王よ。敬意を払って頂くに及ばない。どうぞあなたの(しもべ)(おぼ)()し、その(けが)れなき瞳に私の姿を映しますことをお許しください」
 そうしてひとしきり語り終えると、冥界の神は流れるようにオルフェンの前に(ひざまず)き、その手を押し(いただ)くと華奢(きゃしゃ)な指に口づけた。
「生者がここを訪れるのは久方ぶり。まして貴いご婦人をお迎えするのは初めてのことですから、行き届かぬところが多々ありましょう。どうぞご容赦(ようしゃ)を」
 オルフェンの視線が、男の膝元の床石へと移った。一面に敷き詰められた、冷たい光沢(こうたく)を放つ黒い石。そこに金を散らした白い石が、象嵌細工(ぞうがんざいく)のように、複雑な模様を描き出している。それはあの占い師の幕屋(まくや)で見た模様、エレインをどこかへと連れ去った模様によく似ていた。
「こちらこそ。わたしなどに礼を尽くしていただかなくても結構ですわ、冥界の王さま」
 ドウンの口真似(くちまね)をして、オルフェンはついと(あご)を上げ、不吉な模様から目を()らした。その青ざめた横顔にドウンが目を細めた。
「そんなに恐れずとも大丈夫ですよ。さきほどのような魔法は、それなりの手順を踏まないと作動しませんから」
「でも、あのとき、エレインはあっという間にどこかに飛ばされてしまったわ。わたしだって、あなたが指を(はじ)いたと思ったら、ここにいたわけだし……」
「私の方は、いつでもここに帰ってこれるよう仕掛けてあったというだけです」
 ドウンは立ち上がり、模様がオルフェンによく見えるよう移動した。
「それにフィニ、あの占い師にとってはあっという間ということはなかったと思いますよ。あなた方が小屋に入ってから、ある程度の時間はあったでしょう。たとえば、あなたと他愛(たあい)のない話をしながら、それとなく位置を誘導したり。もしかすると、エレインが砦の城にいると知って、周到(しゅうとう)(わな)を張って機会を待っていたのかもしれませんしね」
「あの魔女はどうしてエレインを(ねら)ったの? 憎んでいるようにも見えたけれど、どうして?」
「赤き薔薇(ばら)(つぼみ)のごとく愛らしい唇から、あふれ出るのは疑問ばかり」
 ドウンは苦笑し、呆れたように肩をすくめる。
「お疲れでしょうし、少しお休みになってはいかがですか。地上ではもう深夜を過ぎようとしておりましたよ。よろしければお部屋と、お茶をご用意いたしましょう。長話はその後で。いかがですか?」
「あなたが、お部屋に通すふりをして城に帰したりしないと約束してくださるなら、お言葉通りにいたしますわ」
御意(ぎょい)。王女殿下の御心のままに」
 面白い娘ではあるが、相手をする時間も惜しい。適当な居場所をあてがう手筈(てはず)を整えると、冥界の王は足早にその場を去った。
 
 姿が見えなくなると、金の娘のことはすっかり彼の頭から消え失せた。
「ここが私の帰る場所、か……」
 (ひと)りごちるその口元に、皮肉な笑みが浮かぶ。
 うんざりするほど長い時を、ここで過ごしてきた。どれほど時が経とうともこの(くら)き地に『愛着』を感じることはなかった。
「私も、哀れな亡者のひとりだ」
 赤黒い世界につなぎ止められ、彷徨い続ける魂のひとつ。いつしか自分が何者であったかすらも忘れてしまうのだろうか。いや、いっそその方が幸せかもしれない。自我を失い、ぼんやりと消滅してゆけるのなら。
 
 それでも、まだこの世界にはドウン引き留める存在があった。
 咲き残る遠い日の夢。
 それは城の奥深く、小さな中庭にある。
 回廊(かいろう)に囲まれた狭い空間。そこは死者の国にあっては異質な空間だった。
 ぽっかりと穴が開いたような、青い天が頭上にある。
 そして一面のクローバーと、水たまりほどの泉。
 泉のほとりに咲く白い薔薇の前で身をかがめ、(いと)おしげに語りかける。
「ただいま帰りましたよ。私の姫君」
 
 それは〈不死の乙女〉の魂の半分と、過去の記憶そのものだった。
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登場人物紹介

アリル

ダナンの王子。四代目『惑わしの森』の隠者。

21歳という若さながら枯れた雰囲気を漂わせている。

「若年寄」「ご隠居さま」と呼ばれることも。


シャトン

見た目はサバ猫。実は絶滅したはずの魔法動物。

人語を解する。

まだ乙女と言ってもいい年頃だが、口調がおばさん。

フラン

赤の魔法使い。三代目『惑わしの森』の隠者。

墓荒らしをしていた過去がある。

聖女や不死の乙女と関わりが深い。

エレイン

亜麻色の髪に若草色の瞳。

聖女と同じ名を持つ少女。


エリウ

エリウの丘の妖精女王。

長年、聖女エレインの守り手を務めた。

オルフェン

ダナンの王女。アリルの妹。

「金のオルフェン」と称される、利発で闊達な少女。

宮廷での生活より隠者暮らしを好む兄を心から案じている。

ドーン

冥界の神。死者の王。

もとはダヌと敵対する勢力に属していた。

人としてふるまう時は「キアラン」と名乗る。

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