2.林檎のパイで占いを

文字数 7,231文字

 (とりで)の城の調理場(ちょうりば)は、城館(じょうかん)としては珍しいことに、広間にほど近い日当たりの良い場所にあった。
 来客の多いシーズンには三十名ほどの料理人がここに()めっきりになる。サウィンの収穫祭(しゅうかくさい)(ひか)え、今は嵐の前の静けさといったところか。
 ダナンの王子を城主に迎えてからこっち、この厨房(ちゅうぼう)はときおり(あるじ)の貸し切りになる。風変(ふうが)わりな貴人(きじん)に、料理人を始め、城の者たちは面食(めんく)らった。が、すぐに慣れた。
 調理や仕込みの邪魔にならぬ時間を選び、長くは居座(いすわ)らない。王子が引き上げた後は、それと分からぬほど元通り、いや使用前以上に整頓(せいとん)されていた。
 猫を連れ込むのを見て、露骨(ろこつ)にイヤな顔をする者もいたが、どれほど探しても猫の( )一筋(ひとすじ)、足跡のひとつも見当たらない。床には粉のひとつまみすら落ちてはいなかった。
 料理人たちは気を引き()めた。今やここは、城で一番掃除の行き届いた場所と言われている。

 昼の喧噪(けんそう)が去った(おだ)やかな厨房。
 王子さまが焼き菓子を作っている。本日のお菓子は、焼き林檎(りんご)のパイだ。
 調理台の上でパイ生地(きじ)を伸ばしながら、アリルは自分の身にささやかな異変(いへん)を感じていた。
(体が軽い)
 気のせいではない。ぎしぎしと悲鳴を上げていた骨や筋肉、節々(ふしぶし)がいつの間にか(らく)になっている。生地をこねている間も、背中が痛まなかった。
 情けない話だが、以前パンを作ろうとして肉離(にくばな)れを起こしたこともあるのだ。
 それが、さんざんダンスに付き合わされた翌日(よくじつ)だというのに、かつてないほど快調なのである。
(いや)しの力、か」
 ふと口からこぼれ落ちた言葉に、木の椅子(いす)の上で丸くなっていたシャトンの耳がぴくりと動いた。
 つないだ手を通してエネルギーをもらったのか。
 これがエレインの力なら、誰もが彼女を欲しがるだろう。この力は目に見える傷だけでなく、体の内部にまで(およ)ぶのだろうか。
 もし、心の傷まで癒すことができるとしたら。
(あの子を(うば)い合う争いや(たくら)みも、あったのではないかな)
 歴史書にはそのような事実は記載(きさい)されていない。だが、実際にはどうだったのか。フランあたりに聞けばすぐ分かるのだろうが。

 ――彼女を心から愛する者が、不死の呪いをその身に引き受けてくれるだろう。

 不老(ふろう)(ともな)わない不死など、誰が望むものか。むしろ彼女は忌避(きひ)されていたのかもしれない。
 
 頭に渦巻(うずま)くもやもやとした思いとは別に、その手はてきぱきと働く。
 丸く伸ばしたパイ生地が二枚。片方を丸い皿に()き、フォークで数回( )(つつ)いて穴を開けておく。もう一枚は(ふた)になる。
 (かまど)の方からこんがりと甘酸(あまず)っぱい香りが(ただよ)ってくる。
 中に閉じ込められた赤い林檎たちがしわしわの飴色(あめいろ)になって、ぶつぶつ文句を言っているように見えた。
「もういいかな」
 取り出して、ごろごろと調理台の上に転がす。これは冷めてからざく切りにしよう。(かたまり)が大きすぎると切り分けるときにパイの形が崩れてしまうかもしれない。小さすぎると林檎そのものの味わいがなくってしまう。加減(かげん)が難しい。
 フィリング用のクリームを作る。メインは林檎だから、少なめでいい。
 木のボウルに柔らかなバターを入れ、()き卵を加えてなじませる。砂糖はほんの気持ちだけ。香ばしさと風味を出すため、今回は小麦粉に()った大豆(だいず)粉末(ふんまつ)を合わせてみた。しっかりと混ぜ合わせてクリーム状になったら、林檎のざく切りを入れて()える。
 これをパイ皿に入れて、表面を(なら)して。
 それから――。
 
 黙々(もくもく)と動いていた手が、ふと止まった。
「シャトン。少しの間、これを見ていてくれませんか」
 背後(はいご)を振り返る。シャトンは起き上がると背を伸ばし、くわあと大きなあくびをした。
「見ていればいいのかい?」
「小虫などが中に入らないように、追い払ってくれるとありがたいです」
「はいはい」
 椅子ごとシャトンを調理台のすぐ前まで運ぶと、アリルは身につけていたエプロンをきちんと(たた)み、その椅子の背もたれにかけた。
「すぐに戻りますから」
 そう言い置いてそそくさと出てゆく。ぱたん、と扉が閉まる。
 厨房にはひとり、猫だけが残された。

 シャトンは調理台の方を向いてきちんと座った。目の前に作りかけのパイがある。
(これはアタシにも食べられる菓子かねえ)
 前足を調理台にかけ、そうっと鼻面(はなづら)を近づけようとしたところに、
「……シャトン」
 声をかけられた。びくっと足をひっこめる。
 声がした方に小さな頭を(めぐ)らせると、さっき閉じられたばかりの扉がうっすらと開いており、金色の娘と目が合った。
「今、兄さまはいらっしゃらないわよね」
 オルフェンだった。
 きょろきょろと厨房内を(うかが)うと、するりと中に入ってきた。静かに扉を閉め、誰もいないというのに足音を(しの)ばせてこちらに近寄ってくる。
(この娘は虫じゃないから、近づけてもいい)
 そう判断したシャトンは「にゃあ」と愛想(あいそ)良く一声(ひとこえ)鳴いて、しっぽの先をぱたぱたと動かした。
「いい(にお)い」
 オルフェンは鼻をひくひくさせた。いい匂いの正体はすぐに分かった。パイ皿に入りきらなかった焼き林檎が一つ、調理台の上に取り残されている。
「今日のお菓子は林檎のパイね」
 (ふた)をする前のパイをちらっと見やり、オルフェンはシャトンの目の前でドレスの袖口(そでぐち)から布の塊を取り出した。丸めた白い布。レースのハンカチだろうか。
「あのね、いいことを思いついたの」
 ハンカチを調理台の上に広げる。
 しゃりん、と金属の()れ合う音がして、きらきらした丸いものが台の上に転がり出た。
 ぐい、とシャトンが本能的に身を乗り出す。前足が出る前に、オルフェンが止めた。
「ああ、触らないでね。あなたの遊び道具じゃないのよ」
 大事そうにつまみ上げて、ハンカチの上に戻す。
(お金のようだね)
「これはね、(うらな)い用のおもちゃなの」
 首をかしげるシャトンを見て、オルフェンが丁寧(ていねい)に説明を加える。
 サウィンの日には特別なパンを焼く。フルーツをたっぷり入れ、スパイスを()かせた()(ごた)えのある大きなパンである。
 パンの中にはさまざまなものを隠しておき、何人かで切り分ける。それぞれの取り分から出てきたものによって、今後の運勢(うんせい)を占う。
「ずっと昔からある伝統よ」
(今日はまだサウィンじゃないはずだけど)
 ふんふんと神妙(しんみょう)な顔で小物の匂いを()ぐ猫を見て、オルフェンは微笑んだ。
「一足早くお祭り気分が味わおうかな、と思って」
 指先でコインを示す。
「このコインが出てきたら、お金持ちになれる。収入が増えますよ、という知らせ」
 占いというのは、猫にはあまり関係がなさそうだ。
「それでね、こっちはお守りのメダル」
 シャトンにはコインとの違いがよく分からない。きょとんとオルフェンを見上げた。その心中(しんちゅう)(さっ)してか、オルフェンが解説した。
「ほら、表面に渦巻(うずま)き模様が描いてあるでしょう。これは魔除(まよ)けの模様なの。これからお守りが必要な目に()いますよ、という警告(けいこく)
(ふうん)
 これは当たらない方がいいのだろうか。
 それとも大変なことが起こるのはもう決まっていて、このメダルが守ってくれるというのだろうか。
 お金が当たった人間は喜ぶだろう。しかし、このメダルが当たるのは人間にとって嬉しいことなのだろうか。
(よく分からないねえ)
 次にオルフェンが指し示したものは、
「王冠。これ、兄さまに当たらないかしら」
(きっと、嬉しいとは思わないだろうよ)
 シャトンは心の中で(つぶや)いた。眉間(みけん)にしわを寄せるアリルの顔が容易(ようい)に想像できる。もっとも口にしたところでオルフェンには伝わらない。
 一見すると庶民(しょみん)には(えん)が無さそうだが、
「近いうちに出世しますよ、っていうメッセージがあるの」
(なるほど)
 それなら、(わり)の良い仕事にありつくとか、他人から(わざ)の腕前を認められるとか。解釈次第で何かは当てはまることがありそうだ。
 最後にオルフェンが指し示したのは、
「女の子にとって一番重要なもの」
 オルフェンの小指の先しか入らないほど小さな、銀色のリングだった。
「大切な人に巡り合えますよ、っていう意味。つまり、もうすぐ恋人ができますよってこと」
(ほう、それは確かに年頃の女の子が好きそうだ)
 自分のことは(たな)に上げて、シャトンは納得した。
 菓子にこんな楽しみ方があったとは。アリルは森の(いおり)でもよく菓子を作るが、こんな遊びをしたことはなかった。

 コイン、メダル、王冠、指輪。

「他にも布の切れ端とかボタンとか、いろいろあるのだけれど。あまり良い意味がないものは入れないでおくわね」
(て、ことは。メダルは良いものなのかね)
 シャトンが考え込んでいるうちに、オルフェンはいそいそとパイを検分(けんぶん)にかかった。
「これが上にかぶせる皮ね。(すみ)に寄せてあるのは余った分かしら」
 丸く伸ばした白い生地の中央に、小さな切り込み。そこから放射状(ほうしゃじょう)に六枚の木の葉が描かれている。(くし)でつついた点で描かれた模様は、六等分に切り分けるための目印だろう。丁寧(ていねい)な仕事だった。
「兄さまってば、本当に几帳面(きちょうめん)
 ほうっと息を()くと、オルフェンは丸いパイ皮を手に取った。そこそこ厚みがある。うっかり破ってしまう心配は無さそうだ。
 形が(ゆが)まないよう慎重(しんちょう)に皿の上にかぶせる。そうしてそうっと(ふち)をめくり、木の葉模様の下に小物を(もぐ)り込ませてゆく。
「コインがここ、メダル、指輪……」
 その手元(てもと)をシャトンがじっと見つめる。
(これは虫じゃないけれど、どうなんだろうか)
「清潔にしてあるから大丈夫よ」
 猫の心配そうな眼差(まなざ)しに気づいたオルフェンが、真剣な顔で()け合った。
(なら、いいか)
「王冠を入れて、これでおしまい」
シャトンに見守られながら占い小物を隠し終えると、オルフェンはしっかりと(ふち)を閉じた。
「あとは焼くだけね」
 二人して仕上がりを(なが)める。特に不審(ふしん)なところはない。まっとうな(なま)のパイだ。
「兄さまはまだかしら」
 扉の方をちらっと見やる。つられてシャトンも同じ方を向いた。
 人の気配はない。
 オルフェンは調理台の隅に置いてあった余りの生地に手を伸ばした。
 少しちぎって薄く細く伸ばし、くるっと丸め、指でひっぱって形を整える。
「お花のできあがり!」
 小さな花飾りを得意げにシャトンに見せ、満足そうに笑うとパイの端にちょこんとのせた。
「指輪が確実にエレインに当たるように。これが目印よ」
 お茶の時間が楽しみだ。
「あの()がこれを引き当てたら、さりげなく兄さまを売り込んで……」
「僕を、どうするって?」
 背後から当の本人の声がした。
 オルフェンは一瞬びくっとしたが、すぐに笑顔を作って振り返った。
「あら、兄さま」
「オルフェン、ここで何をしているの?」
「お手伝いをしたくて」
 ものは言いよう。
「もうできることはなさそうでしたので、少し飾りをつけさせていただきました」
「ふうん」
 アリルはしとやかに頭を下げる妹を(いぶか)しげな目で見、その視線をそのままシャトンに移した。
「にゃあ」
 シャトンは何食わぬ顔で箱座りをしている。
「あとは僕がやる。数少ない趣味なんだから、楽しみを(うば)わないでほしいな」
「はい。では失礼いたします」
 ドレスをつまんで一礼すると、オルフェンは軽やかな足取りで厨房から出ていった。
 アリルは妹を見送って戸口まで戻り、きょろきょろと厨房の外を見渡した。その仕草は、つい先ほどオルフェンが厨房内に入ってきたときとよく似ていた。
 誰もいないことを確かめると、アリルは静かに扉を閉め、ポケットから小さな箱を取り出した。
「何だい、そりゃ」
 人さし指を唇に当てて、シャトンの目の前で茶色いビロードの小箱を開く。
 金の指輪だった。窓から差し込む光を映して、キラキラと輝いている。
 オルフェンが持ってきたようなおもちゃではない。本物の指輪だ。男の指にはめるには少々小さいようだが。
「あんた、そんなもの持っていたのかい」
「まあ、いざというときのために。装身具(そうしんぐ)は一通り持たされています」
「いざというとき?」
 その問いに、返事はなかった。
 指輪を水で洗い、乾いた布で(みが)く。
「ここにしましょうか」
 皮の端をめくると、オルフェンが指輪を入れた、ちょうどその向かい側に埋め込んだ。
「で、目印に飾りをつけて、と」
 手際(てぎわ)よく生地でリボンの形を作り、その(ふち)に置いた。
「サウィンの日には、いろいろな種類の小物をケーキの中に隠して、占いをするんですよ」
 小鳥、三日月……。
 リボンと花が悪目立(わるめだ)ちしないよう飾りを付け足しながら、独り言のように(あつぶや)く。
「この指輪を、エレインに当たるようにしてあげたいんです。あなたを愛してくれる人はきっと現れますよ、と」
 意図(いと)はともかく、やっていることがオルフェンとそっくり同じだ。正反対のようでも、血は争えないといったところか。
(兄妹だねえ)
 妙なところでシャトンは感心した。
 
 ともあれ、王子さまのパイは無事に焼き上がり、お茶の時間に(きょう)された。
 給仕(きゅうじ)の娘たちを下げてしまうと、いつものようにキアランがお茶を()れ始める。
 珍しくオルフェンがいそいそと席を立った。
「わたしもお給仕をするわ」
 先を越されたアリルは、こちらも珍しく自己主張をした。
「僕が切り分ける。形がいびつになったら困るからね」
 オルフェンを制して自分がナイフを手に取り、さくさくと切り分けてゆく。パイはあっという間にきれいに六等分された。
「では、これを客人に」
 アリルがリボン飾りのついたパイを皿にのせて、オルフェンに手渡す。
 皿を受け取ったオルフェンは、少し考えた。
 給仕をする場合、最も身分の高い者からというのが王宮でのマナーだ。が、この場合は誰に当たるのだろう。
 身分だけなら、ダナンの王子である兄。しかし、主人である兄は「客人に」と言った。そうでなくとも給仕役に回っている。空席に置くわけにはいかない。
 キアランも除外(じょがい)
 あとは兄の師匠(ししょう)であるフランか、彼が守護するエレインか。これが花飾りのついたパイだったら、迷うことなくエレインに差し出すのに。
 パイを取り分けている兄の横顔を、ちらっと(うかが)う。
 彼の性格なら「女性からに決まっている」と言うだろう。
 ならば――。
「そうね、これはあなたに」
 ことん、とシャトンの前に皿が置かれた。
「あっ」
 それを見たアリルが思わず声を上げ、シャトンは咄嗟(とっさ)に右手で皿を左隣の席に押しやった。そこにはエレインがいた。
「あら、あたしにくれるの?」
 おっとりとエレインが首をかしげるその(そば)で、オルフェンが唖然(あぜん)としている。
「おい、お前ら」
 三者三様。
 不自然な行動と反応にフランの声が(とが)った。
「何を(たくら)んでいる」
 アリル、オルフェン、シャトン。
 ゆっくりと、順々に視線を移してゆく。
 アリルはうつむき、オルフェンはつんと横を向いた。
「占いをするんだってさ」
 右前足でくるんと顏をひと()でして、シャトンが正直に答えた。
「占い、ですか」
 カップにお茶を注ぎながら、くすくすとキアランが笑う。
「怖いですね。一体何が入っているのでしょう」
 それをじろりとひと(にら)みすると、フランは腕を組み、ぐいと顎を上げた。
「だったら、両殿下(りょうでんか)には手を出さないでいただこうか。どこに何があるか、ご存じなのだろうからな」
 この兄妹はそろってポーカーフェイスが苦手だ。
 何も言わなくても、「その通りです」と顔が語っていた。
「あなただって、()ようと思えば見えるでしょう」
 キアランが口を(はさ)む。
「お前もな」
 フランが返す。
「と、いう訳で、エレイン。お前さんが分けてくれ」
「あ、はい……」
 まだ事情が飲み込めないままのエレインが席を立ち、皿を配り始めた。
「じゃあ、シャトンにはこれを」
 エレインがシャトンのために選んだのは、花飾りのついたパイだった。
 オルフェンの視線が痛いが、エレインの前には(すで)に皿がある。これ以上押し付けることはできない。シャトンは身じろぎもせず、じっと自分の前に置かれたパイを見つめた。
(これは、どうしたものだろうね)
 悩んでいる間にも着々と皿は配られ、キアランがカップを置いてゆく。
 熱いお茶と、シャトンには(ぬる)いミルクを。
 アリルはお茶と菓子が全員に行き渡ったのを確認して、キアランにも席に着くよう(うなが)した。
 ようやくお茶の時間だ。
 客をもてなす(あるじ)として、アリルが短い祈りの言葉を唱え始める。
 皆が目と口を閉じ、軽く手を合わせた。

   天の恵み 大地の恵み
   命の(かて)ありて 日々の(いとな)みあり
   我らが心よりの謝辞(しゃじ)を ダヌの御許(みもと)

「では、このひとときをお楽しみください。みなさんに幸運が訪れますように」
 さく、さく。パイにナイフを入れる音が聞こえる。
「王冠ですって?」
 真っ先に声を上げたのはオルフェンだった。きっ、とオルフェンがアリルを睨む。
「知らないよ。それは、僕のせいじゃない」
 アリルはシャトンのパイを切り分けるのに余念(よねん)がない。
「おやおや、硬貨ですか。特に経済的に不自由はしていないのですが」
 キアランがコインを(つま)み上げて困ったように溜め息をつく。
嫌味(いやみ)な奴だな。それじゃ、そいつをよこせ。俺のと交換してやるよ」
 フランが差し出したのはメダルだった。
「それは結構。苦労はあなたがしてください。神々のご加護がありますように」
 自分のパイの中に金の指輪を見つけたエレインは、隣の席を振り返った。シャトンはパイもミルクもそっちのけで、銀の指輪を転がすのに夢中になっていた。
「おそろいね」
「まあね」
 生返事(なまへんじ)だ。ぺたぺたと、テーブルの上に猫の足跡が増えてゆく。
 お行儀はよろしくない。しかし怒れない。
 エレインは微笑んで、そっとその背を撫でた。
「で、お前さんのには何が入っていたんだ?」
 フランがアリルに(たず)ねる。つられて皆がアリルの方を見た。
「何も」
 アリルが軽く肩をすくめる。
「何も入っていませんでした」
 (にぎ)やかだった座がしんと静まり返った。
 ハズレ。
 あまりにもこの王子らしい結末に、誰も二の句が()げなかった。

 明るい西日の()しこむ部屋。
 カポポック、カポポック、ココウ――…
 窓の外をワタリガラスの声が通り過ぎていった。
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登場人物紹介

アリル

ダナンの王子。四代目『惑わしの森』の隠者。

21歳という若さながら枯れた雰囲気を漂わせている。

「若年寄」「ご隠居さま」と呼ばれることも。


シャトン

見た目はサバ猫。実は絶滅したはずの魔法動物。

人語を解する。

まだ乙女と言ってもいい年頃だが、口調がおばさん。

フラン

赤の魔法使い。三代目『惑わしの森』の隠者。

墓荒らしをしていた過去がある。

聖女や不死の乙女と関わりが深い。

エレイン

亜麻色の髪に若草色の瞳。

聖女と同じ名を持つ少女。


エリウ

エリウの丘の妖精女王。

長年、聖女エレインの守り手を務めた。

オルフェン

ダナンの王女。アリルの妹。

「金のオルフェン」と称される、利発で闊達な少女。

宮廷での生活より隠者暮らしを好む兄を心から案じている。

ドーン

冥界の神。死者の王。

もとはダヌと敵対する勢力に属していた。

人としてふるまう時は「キアラン」と名乗る。

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