3.蕪のランタンは道しるべ
文字数 9,508文字
十月三十一日。
日没と共に日付が変わる。
と同時に、この世とあの世を隔 てる扉が開き、亡者 たちがかつての我が家に帰ってくる。
十一月一日、サウィンの日。収穫祭 の始まりだ。
あの世から帰ってくる親族たちが迷わぬよう、人々は目立つところに手作りの灯 りをともす。白い蕪 をくりぬいて作ったランタンだ。
大陸の西に浮かぶ小さな島、イニス・ダナエは朝早くからそわそわとした空気に包まれる。
この日ばかりは、誰も飢 えることを許されない。
秋の実りを全ての人が分かち合わなくてはならない。
王や領主たち、それなりの財を蓄 えた者たちは自らの住まいを開放し、訪れるもの全てにふるまいをする。例え相手がみすぼらしい野良犬であろうとも。
家々の出窓 や玄関に飾られた無数のランタンが夜を照らし、広場や通りには露店 が並ぶ。どんな小さな村でもそれは同じだ。音楽が奏 でられ、人は集 い、踊りの輪ができる。
賑 わいは夜通し途切れることがない。
――気をおつけ。
いつも通る道が、いつもと同じ場所に通じているとは限らないのだから。
古老 の忠告はすぐに忘れ去られてしまう。
生ある者たちは、思い思いの扮装 をして、日常を離れたこの時を楽しむ。ふっくらとした酒場の女将 は冬の女王だし、靴屋 のせがれの頭にはヤギの角が生えている。
ふざけ過ぎだ、と眉 をひそめる者もないではないが、それも祭りが始まるまでのことだ。
灯火 と、賑やかな気配に惹 かれて集まってくるのは死者の霊ばかりではない。
お菓子の入った籠 を提 げて歩いている老婆は、妖精女王かもしれない。自分の隣で踊っている美しい娘は、魔法で姿を変えた小人かもしれない。木の下では水辺に棲 むいたずら好きの精霊が黒い馬に化け、気に入った人間を連れてゆこうと待ち構えている。
――自分の目が映すものをそっくり信じてはいけない。
異界の扉が全て開く日。
いつもは距離をおいて暮らしているものたちが、同じ場所に集 うのだから。
* * *
サウィンの夜、砦の城はわりと穏やかだった。
(これは、当たりだったかもしれない)
広間を見渡しながら、アリルは満足そうに頷いた。
カエル・モリカの城は、何年振りかに門戸 を開いた。去年までは訪れる者たちを迎え入れたくとも、この時期に限って、毎年何かしらの差し支 えがあってできなかったのだという。
「決して、昔ながらの慣 わしを軽んじてのことではありません」
この城は町を守るという立場にありながら、長い間、重要な責 を果たすことができなかった。それが負い目になり、城の者たちはずっと肩身 の狭い思いを味わっていたらしい。
「ですから、アリル殿下にはぜひ、城主としてこちらで客人の饗応 をお願いいたしたいのです」
そのように家令に懇願 されて、オルフェンは兄を連れ出すのを諦 めた。
アリルとしては願ったり叶 ったりだ。
ごった返す町に出て妹たちに振り回されるより、ここで過ごす方が楽に決まっている。
砦の城に王子と王女が揃 っているとあって、昼を少し過ぎたあたりからぞろぞろと客が押し寄せてきた。
不足があってはならぬという配慮 から、早々 に王都からは焼き菓子や大量の食材、上等のワインが何樽 も運ばれてきた。
酒樽 とベーコンは町の広場に移され、焼き菓子は可愛らしく包まれて城を訪れる客への土産 になった。どちらも王子の名義で下賜 されたが、誰もがその出所を承知していた。
(王さまも、王子さまに任せっきりにするのは不安なのだろうさ)
人々はこっそり囁 き合った。
風は弱く、空にはうっすらと雲がかかっている。小さな星は隠されてしまうだろうが、まずまずの祭り日和 だ。
日没が近づくと、大勢いた客たちも波が引くように城から町へと流れていった。
後には、祭りに出かけて人混みにもまれる体力はないが、家でひとり留守番をするのもつまらないという老人や、薪 や灯りに使う油代を浮かそうと考えるちゃっかり者たちが残った。
楽師がゆったりとした曲を奏でる。踊りたいものは踊り、そうでなければごちそうとおしゃべりを楽しむ。暖炉 のそばで編み物をする老婆、静かな場所を探して書を読む学者風の男性。それぞれが好きなように楽しんでいる。まったく手がかからない。
城で働く者たちも交代で町に出ることができる。
城に長居 する客の中に若い女性が一人もいないという事実に、ダナンの王子が抱える深刻な問題が露呈 してしまったが、当の本人はまるで気にしていなかった。お年寄りの話し相手は苦痛ではないし、何よりずっと椅子に座っていられるのがいい。立ち上がるのは新たな客が到着したときと、客が帰るときだけ。
今ごろ、エレインたちはオルフェンに振り回されているのだろう。
(気の毒に)
戸惑いながらも、一生懸命オルフェンの後ろを追いかける彼女の姿が目に浮かぶ。
アリルも一応は若い男ではあるから、人並 みに女性と仲良くなりたいという願望はある。
エレインは魅力的な女性だ。あの輝く笑顔を思い出すだけで胸がきゅうっと締め付けられる。恋というのはこのような気持ちをいうのだろうか、と考えることもある。しかし、それ以上心が傾くことはない。
(彼女は二百年も前のご先祖、なんだから)
自分には劇的な恋など似合わない、とも思う。
ともあれ、オルフェン王女出現以来、久しぶりにアリルは自由と安息 を手に入れた。
今はそれを満喫 することにした。
*
赤黒い夕焼けがわずかに西の空に消え残っている。夜の訪れを少しでも遅らせようと足掻 いているかのようだ。
城門から離れること約三百メートル。
砦の城とは打って変わって、町は華やいでいた。
民家の窓辺にも、辻に立つ木の枝にも。道沿いにはずうっと蕪 をくり抜いて作ったランタンが吊 るされて、夜を照らしている。
「こんなにたくさんのランタン、初めて見ました」
エレインがうっとりと溜め息をついた。白い蕪には飾り彫 りが施 され、その中にオレンジ色の光がゆらゆらと揺れている。幻想的な風景である。
「この灯りを目印に、祖先の霊が帰ってくるんだ」
フランが言うと、
「寄ってくるのは人の霊だけではありませんけどね」
キアランが付け加える。
オルフェンの白いマントとエレインの緑のマント。ポケットには、フランが作った魔除 けがピンで留めてある。二本のナナカマドの小枝を十字の形に交差させ、赤いリボンで結んだだけのシンプルなものだ。シャトンも魔除け付きのマントを着用している。
「おそろいなの」
オルフェンが愛 おしげに、サバ猫に頬ずりをする。ただし、シャトンの白いマントにはフードにウサギの耳がついていた。
(なんで、猫のアタシがウサギを被 らなきゃならないんだろう)
不本意だし、邪魔っけだ。しかし、
「ダヌは白いウサギの姿で人の前に現れる、って言うじゃない。今日のシャトンは大いなる女神さまなのよ。すごく似合っているわ」
あまりに王女が嬉しそうな顔をするので、その気持ちに水を差すのも無粋 か、とシャトンはおとなしくウサギ耳のマントをはおっていた。
「いいか、お姫さんたち」
主 にオルフェンに向けて、フランが強い口調で念を押す。
「その魔除けは力のある魔物には効かないからな。怪しいものには絶対近づかないこと。もちろん人間にも悪い奴がいるから、ふらふらとついて行ったりするなよ。それから……」
「わあ、見て! きれーい」
きょろきょろと辺りを見回していたオルフェンがはしゃいだ声を上げる。つられてエレインもそちらに顔を向けた。
「聞いちゃいねえ」
フランはがっくりと肩を落とした。
オルフェンが駆けてゆく。その方向には、ゆうに樹齢五百年は超えるだろう、この町をずっと見守ってきた大きなイチイの木があった。大人二人でも抱えきれないほど太い幹 。ぽっかりと空いた洞 の中にも、大小さまざまなランタンが鎮座 している。
レースで編んだかのような緻密 な細工から、幼い子どもがたどたどしい手で彫 ったであろうものまで。ひとつひとつ模様の違う白いランタンが、内側に作り手の心を抱いて温 かな色に染まっている。
オルフェンの後を追って、エレインもイチイの大木のそばに駆け寄った。
そっと幹に手を当てると、ごつごつした樹皮 の下で命の脈打 つ気配が感じられた。
声なき声が語りかける。
――気をおつけ、小さな子。
はっとエレインは大木を見上げた。古木は囁 く。
――今日はすべての世界がつながる日。よく目を開いて見ることだ。
思わぬところに落とし穴があるよ、どこに招かれるか分かったもんじゃない。
それを聞いたシャトンは、親切なイチイの幹に爪を立てた。
「言いたいことがあるなら、もったいつけずにさっさと言いな。そうしないとここで爪を研 ぐよ」
イチイが身を捩 った、ように見えた。
――おお、なんと凶暴 な猫だろう。
年老いたものへの敬 いの心も持ち合わせないと見える。
せっかく忠告してやったというのに。
「シャトン、どうしたの?」
オルフェンにイチイの声は聞こえない。ひょい、とシャトンを抱き上げる。
「町の大切な木に傷をつけてはだめよ」
イチイはもう二度としゃべろうとしなかった。
シャトンはふん、と鼻を鳴らすと、おとなしくオルフェンの肩に前足をのせ、腕の中に収まった。
町のあちらこちらから賑やかな音楽が聞こえる。
大地の底まで轟 けとばかりにドラムが打ち鳴らされる。そのリズムに合わせて陽気な旋律 が奏 でられ、夜空を満たす。
オーボエ、パンフルート、手回しオルガン、アコーディオン。もちろんフィドルもある。楽しげな舞曲を手拍子が盛り上げる。
「行きましょう。露店 をひやかして、何か美味しいものを食べて、踊るの!」
オルフェンは左手にシャトンを抱きかかえ、右手でエレインの手を引いて走り出した。
「おい、待て。勝手にどっかに行くな!」
フランの制止は間に合わない。
「とろとろしていると置いていくわよ、騎士さまたち―――」
あっという間に声が遠くなって、黄金と亜麻色の頭は人混みの中に消えた。
「やれやれ、お転婆 な王女さまたちだ。元気な女の子は大好きです」
愉快 そうに含 み笑いをするキアランには構わず、フランは慌てて後を追った。
季節柄、ワインもコーディアルも温めて。
ケーキもプディングもほかほかのうちに。
商売人たちは定められた場所で思い思いに敷物を広げ、自慢の品を並べている。
一等地を陣取 るのは大きな釜 だ。大人三人すっぽりと隠れられそうな年季の入った大釜を、体格の良いおかみさんたちが交代でかき回している。おかみさんたちの顔には髭 があった。
彼女らはオルフェンの金の髪を見ると、一瞬「おや?」という表情をしたが、すぐに何食わぬ顔で気さくに声をかけた。
「さあさ、そこの別嬪 さんたち。蕪のシチューを召し上がれ」
エプロン姿のおかみさんが、野太い声ですすめてくれる。彼女らの黒いスカートには色とりどりの糸で花や小鳥が刺繍 されていた。
そっと近づいて覗 いてみると、釜の中にはミルクがたっぷり。その中で大量の蕪とベーコンがぐつぐつと煮込まれている。
なるほど。あの大量のランタンの中身はここにやってきたのか。
「これを食べなきゃ始まらない。お代はタダだ。さあ、どうぞ」
今宵 最初のごちそうが、男のおかみさんたちの手料理になるとは想像もしなかった。
目の前に差し出された木の椀 を、オルフェンはこわごわ受け取った。熱々のシチューを木の匙 ですくい、ふうふうと息を吹きかけてからそうっと口に運ぶ。
「おいしい!」
「おいしい、ですね」
蕪の大きさは不揃 いだったが、芯 までとろとろ。口に入れるとすぐにほどけた。ミルクの優しさが心の奥まで温めてくれる。
「だろう?」
料理人たちが相好 を崩 す。
「わあ、今年のシチューはベーコンがいっぱいだ」
すぐ近くで甲高い子どもの声がした。どこからともなく、わらわらと子どもたち湧 いてくる。オルフェンとエレインは大鍋と共に取り囲まれてしまった。
「すげえ」
小さな子は背伸びして、もっと小さな子は大きな子が抱え上げて。みんながみんな、釜の中を覗 き込んで目を丸くする。釜をかき混ぜる大人たちは誇らしげだ。
「そうだろう、そうだろう」
「おっちゃん、これどうしたの?」
「おっちゃん、じゃねえ。今夜の俺は世にも名高い賢女 、オールドレーンのコシカさまだ」
「コシカさま、すね毛がもじゃもじゃだよ」
「うるせえ、スカートをめくるな。蕪と一緒に煮込んじまうぞ」
遠慮のない楽しい掛け合いに、ついついシチューを食べる手がお留守になる。
オールドレーンの賢女さまが、こっそりとオルフェンとエレインに向けて片目をつぶって見せた。
「お城からの贈り物だよ。心優しい王子さまと王女さまに栄光あれ! ってな」
二人の少女は顔を見合わせてにっこり笑った。子どもたちと一緒に蕪のシチューをお代わりする。シャトンも王女の肩の上でほどよく塩気の抜けたベーコンの端っこをじっくりと味わった。
(ふむ、悪くないね)
「さあ、今夜はとことんお祭りを堪能 させていただくわよ!」
唇の端にミルクの皮をくっつけたオルフェンが、高らかに宣言した。
護衛の男たちの気苦労など意にも介 せず、オルフェンはあちらへこちらへと忙しく動き回る。フランとキアランはまんまと撒 かれてしまい、群衆の中に被保護者を見失った。
「しょうがないわねえ。護衛がそろって迷子になるなんて」
「ふふ……」
オルフェンの勝手な言い草にエレインが笑う。
踊りの輪に入って軽やかなステップを披露 してから、二人は一軒の店の前で足を止めた。きらきらと光るアクセサリーが並んだその露店はかなりの人だかりで、年頃の娘たちが品定めに余念がない。店の番をしているのはまだ若い男だったが、なかなかの如才 なさで、売り上げは上々のようだ。
ランタンの光の下できらきら輝くブレスレットにイヤリング。飾り石たちはさながら色とりどりのキャンディーだ。目の肥 えたオルフェンにも魅力的に映る。
〈サウィンの夜〉という特別な時間の魔法のせいかもしれない。
「ねえ、エレイン。あなたはどういうのが好み?」
オルフェンの青い瞳も、色石に劣らずきらきらしている。しばらくはここに腰を落ち着けるつもりらしかった。
「聖騎士殿、黒騎士殿。お疲れ様です」
「この町の祭りはいかがですか?」
フランとキアランは行く先々で、声をかけられた。砦の城から派遣された巡回の兵士たちや、交代で祭りを覗きに来ている者だ。たまたまその場に行き会った町の人々は城の重要人物であるらしい騎士たちを見覚え、他の者たちに話し、二人の名はすぐに知れ渡った。若い娘たちが彼らを見て袖を引き合い噂にしたが、本人たちはそんなことに気づきもしなかった。気づいたとしても構っているひまはなかった。
「おい、いたか?」
「いえ、こちらにはいません。あの二人の姿を隠してしまうなんて、祭りの力を甘く見ていましたね」
大地の力が満ちる今宵。
多くの精霊、妖魔、祖霊たちが入り混じる中で魔法を使う訳にもいかない。小さな魔法が引き金になって連鎖 を起こし、とんでもない事態を起こしてしまう恐れがある。うんざりするような人混みの中で迷子を探すには、地道に聞き込みをするしかなかった。
猫を抱いた金色の王女と、聖女と同じ若草の瞳の乙女。目立つ取り合わせだ。
目撃者は多かった。
「ああ、王女さまたちのことだね。少し前にあっちで大道芸を見ていたけれど」
「そうそう、芸人とシャボン玉をこしらえて遊んでいたね」
正体もばれていた。
「あたしが見たのは、砂絵描きと一緒に石畳に座り込んで、何か描いているところだったよ。ああ、ほらまだ残っている。あれは猫、なのかねえ」
どうやらシャトンとおぼしき地面にうねる白い砂の模様を見て、フランは久々に頭から湯気の出る思いを味わった。
「子どもか、あいつらは!」
あちこち駆けずり回ったせいで、ちょっと怒鳴っただけで息が切れる。ついでに堪忍袋 の緒も切れそうだ。
「小さいころに、そういう遊びをしたことがなかったのでしょうね」
キアランがしんみりと呟く。こちらは肉体の疲れなどとは無縁だ。
「はあ?」
「あなたには、子ども時代に故郷の村で季節ごとの祭りを楽しんだ記憶があるでしょう?」
「大したことはしてねえよ。お袋とばあさんが占いの小屋をやっていたから、ほとんどそれの手伝いだな」
「それでも、村を包むお祭りの雰囲気は味わえたはずですよ。けれど、あの子たちにはこれが初めての経験なのじゃないですか? かく言う私も初めてですけれど」
涼しげな眼差しに影が差す。
「……」
「オルフェン王女は、王宮で堅苦 しい作法に縛られていたでしょうし、エレイン王女の時代は他国との戦続きで、祭りを楽しむどころではなかったと思いますよ。庶民育ちのあなたとは違います。彼女たちは今、初めて祭りを体験する子どもなのですよ」
キアランは珍しく饒舌 だった。
フランは黙った。それも一理あるかもしれない。少しくらいは大目に見て、自由にさせてやった方がいいのだろうか。
そう思うと、追う足が鈍 る。
「それに、オルフェン王女にとっては、都合の良いところだけを切り取って見せられるのではなく、民のありのままの姿に触れて、生の声を聞くいい機会でしょう」
(しかし、放っておくわけにはいかないからな)
自分の目の届くところにその姿がないのは、どうにも不安だ。胸がざわざわする。
闇雲に走り回っても無駄なのが分かったので、歩きながら手がかりを拾うことにした。
「さっき、あそこのベンチでパンを食べていたのを見た」
「金髪のお姉さんが王冠が出たとか言って、みんなで大騒ぎしていたよ」
小さな子どもたちが木陰の方を指さした。
「またか。すごい強運だな」
フランが呆れる。
「買い食いですか。お行儀が悪いですが、座って食べていたのなら、まあ良しとしましょう」
キアランが溜め息をついた。
それぞれ全く異なる感想を口にしつつ、教えられた方角に向かう。
探し求める乙女のひとりがそこにいた。
広場の端っこ、植え込みの中から白いウサギ耳が垂れ下がっている。
「おい、シャトン!」
フランが名を呼ぶと、ガサガサと枝が揺れて猫が姿を現わした。
出てくるなり、はあ――…、と大きな溜め息をつく。
「何かあったのですか? 元気がないようですが」
「アタシは、占いってのを甘く見ていたよ……」
「なんのことだ?」
オルフェンの肩から下ろしてもらい、自分の足で歩き始めてすぐのことだった。わらわらと猫たちが寄ってきたのだ。妙齢のオス猫たちだった。ケンカを売りに来たわけではない。自分を売り込みに来たらしかった。
「侮 れないものだね。あんなちっぽけな指輪ひとつがさ」
シャトンは男たちに背を向けて、しっぽをぶんぶんと振った。
フランとキアランは顔を見合わせた。彼女の言う指輪が、王子謹製のパイから出てきた指輪のことを指すらしいと思い当たるまでに少し時間がかかった。
季節外れの猫の恋。占いが当たったと言うべきか。突然シャトンにモテ期が訪れたのだった。
「それは、災難でしたね」
キアランが当たり障 りのない慰めの言葉を口にする。フランは右のつま先を石畳の上でイライラと踏み鳴らした。
「そんなことは、今はどうでもいい。オルフェンとエレインはどうした」
「あの子たちなら、あたしが猫どもに囲まれている間にどこかに行っちまったよ」
変に気を回した乙女たちは、身動きの取れなくなったシャトンをその場に残していったのだ。
「最後に見たのは、あそこの小間物 屋の前だね」
つい、と鼻先で一軒の露店を示す。客は全て女ばかりだ。店が見えなくなるほどの繁盛 ぶりで、ここからでは何の店だか分からない。
シャトンが猫たちを振り切ってやっとここまで来たときには、すでに二人の姿はなかった。匂いをたどろうとしたが、あまりにさまざまな匂いが混じり合っていて、そこから先は追うことができなかった。また猫たちに見つかると面倒なので、とりあえず隠れていたのだという。
「もう広場はひととおり探しましたが。どうしますか?」
キアランが言い終える前に、フランはずかずかと女たちの塊 の中に分け入っていった。
「なあ、あんたたち」
女たちが振り向いた。品定めをしていたそのままの鋭い目が、一斉に場違いな赤毛の男に向けられる。一瞬フランは怯 んだが、ここで回れ右をすればただの不審者だ。ぐっと踏ん張って堪 えた。
「人を探しているんだが。十六から十八歳くらいの娘、二人連れ。片方は派手な金髪、もう一人は亜麻色の髪をした……」
警戒しているのか、口を開く者はいない。お互いに顔を見合わせ、無言で押し合いながらじりじりとフランから距離を置こうとする。
見かねて、キアランが助け船を出した。
「お楽しみの邪魔をして、すみません。怪しい者ではありません。私たちは護衛の者なのですが、お嬢さまとはぐれてしまいまして。こうして皆さまのような同じ年頃の可憐 な方々が集まる場所を回っているのです」
柔らかな声に、女たちはフランからその背後の男へと視線を移した。
もちろん、その場には同じ年頃より遙かに年長の元乙女たちもたくさん混じっている。彼女たちの目に己の姿がどう映るかをも十分意識した上での発言だ。
「何かご存じのことがあれば、どうかこの哀れな男にお教え願えませんか」
キアランは片手を胸に当ててにっこりと微笑んだ。
若い娘たちが美しい黒騎士の優雅な仕草に息をのむ。ぽかんと口を開けて見惚 れる者がいて、頬を染め、目を輝かせる者もいる。
「それって、王女さまとエレインって子のこと?」
真っ先に口を開いたのは、勝気そうなそばかすの少女だった。
「そう、ご存じですか?」
「ついさっきまでここにいたよ、ねえ」
振り返ってその場にいた友人たちに確認する。何人かが頷いた。
「どっちに行った?」
「さあ……」
首を捻 る少女の後ろから、別の少女が顔をのぞかせた。
「占 い通りじゃないかな」
ぴょこんと黒い三つ編みが揺れる。
「あのね、あたしたちが占いの話をしていたら、教えて欲しいって。行ってみたい、って言ってたよ」
「占い通り?」
この町に、そのような名称の通りは無い。
「今年はメガンさんだけじゃなくて、よそからもたくさん占い師やまじない師が来てて、ジェムドラウの川沿いがすごいことになってるんだ。そこのことだよ。柳の木の下だけじゃなくて、細い木の下も、みんな占い師たちに占領されちゃってるの」
三つ編みの少女の言葉に、フランは唸 った。
(なぜ気づかなかった)
あれだけ歩き回って、まだ一軒も占い小屋を見かけていない。祭りの日は絶好の稼 ぎ時だ。見えないものは自分の瞼 。自分は身をもって知っていたはずなのに。
「一番当たるっていう噂 の占い師は、ここを出てすぐの橋を渡った南側にいるよ。一番大きな小屋だから、すぐに分かると思うけれど」
「行ってみますか?」
キアランがフランの方を振り返る。フランは頷いた。
「王女さまたち、見つかるといいね」
そばにいた娘たちがみな、祈るように指を組んだ。
「ああ、ありがとうな」
「感謝いたします」
親切な乙女たちに礼を言い、教えてもらった方角へと足を向ける。
嫌な胸騒ぎがする。
「よそから来た占い師とやらに、妙なものが混じっていないといいですね」
フランの危惧 を、キアランがそっくりそのまま軽い調子で口にした。
ごった返す人の海を速歩で歩く。その勢いに、行く手を塞 いでいた人間たちが慌てて、右に左に道を譲る。フランはいつしか全力で走っていた。
日没と共に日付が変わる。
と同時に、この世とあの世を
十一月一日、サウィンの日。
あの世から帰ってくる親族たちが迷わぬよう、人々は目立つところに手作りの
大陸の西に浮かぶ小さな島、イニス・ダナエは朝早くからそわそわとした空気に包まれる。
この日ばかりは、誰も
秋の実りを全ての人が分かち合わなくてはならない。
王や領主たち、それなりの財を
家々の
――気をおつけ。
いつも通る道が、いつもと同じ場所に通じているとは限らないのだから。
生ある者たちは、思い思いの
ふざけ過ぎだ、と
お菓子の入った
――自分の目が映すものをそっくり信じてはいけない。
異界の扉が全て開く日。
いつもは距離をおいて暮らしているものたちが、同じ場所に
* * *
サウィンの夜、砦の城はわりと穏やかだった。
(これは、当たりだったかもしれない)
広間を見渡しながら、アリルは満足そうに頷いた。
カエル・モリカの城は、何年振りかに
「決して、昔ながらの
この城は町を守るという立場にありながら、長い間、重要な
「ですから、アリル殿下にはぜひ、城主としてこちらで客人の
そのように家令に
アリルとしては願ったり
ごった返す町に出て妹たちに振り回されるより、ここで過ごす方が楽に決まっている。
砦の城に王子と王女が
不足があってはならぬという
(王さまも、王子さまに任せっきりにするのは不安なのだろうさ)
人々はこっそり
風は弱く、空にはうっすらと雲がかかっている。小さな星は隠されてしまうだろうが、まずまずの祭り
日没が近づくと、大勢いた客たちも波が引くように城から町へと流れていった。
後には、祭りに出かけて人混みにもまれる体力はないが、家でひとり留守番をするのもつまらないという老人や、
楽師がゆったりとした曲を奏でる。踊りたいものは踊り、そうでなければごちそうとおしゃべりを楽しむ。
城で働く者たちも交代で町に出ることができる。
城に
今ごろ、エレインたちはオルフェンに振り回されているのだろう。
(気の毒に)
戸惑いながらも、一生懸命オルフェンの後ろを追いかける彼女の姿が目に浮かぶ。
アリルも一応は若い男ではあるから、
エレインは魅力的な女性だ。あの輝く笑顔を思い出すだけで胸がきゅうっと締め付けられる。恋というのはこのような気持ちをいうのだろうか、と考えることもある。しかし、それ以上心が傾くことはない。
(彼女は二百年も前のご先祖、なんだから)
自分には劇的な恋など似合わない、とも思う。
ともあれ、オルフェン王女出現以来、久しぶりにアリルは自由と
今はそれを
*
赤黒い夕焼けがわずかに西の空に消え残っている。夜の訪れを少しでも遅らせようと
城門から離れること約三百メートル。
砦の城とは打って変わって、町は華やいでいた。
民家の窓辺にも、辻に立つ木の枝にも。道沿いにはずうっと
「こんなにたくさんのランタン、初めて見ました」
エレインがうっとりと溜め息をついた。白い蕪には飾り
「この灯りを目印に、祖先の霊が帰ってくるんだ」
フランが言うと、
「寄ってくるのは人の霊だけではありませんけどね」
キアランが付け加える。
オルフェンの白いマントとエレインの緑のマント。ポケットには、フランが作った
「おそろいなの」
オルフェンが
(なんで、猫のアタシがウサギを
不本意だし、邪魔っけだ。しかし、
「ダヌは白いウサギの姿で人の前に現れる、って言うじゃない。今日のシャトンは大いなる女神さまなのよ。すごく似合っているわ」
あまりに王女が嬉しそうな顔をするので、その気持ちに水を差すのも
「いいか、お姫さんたち」
「その魔除けは力のある魔物には効かないからな。怪しいものには絶対近づかないこと。もちろん人間にも悪い奴がいるから、ふらふらとついて行ったりするなよ。それから……」
「わあ、見て! きれーい」
きょろきょろと辺りを見回していたオルフェンがはしゃいだ声を上げる。つられてエレインもそちらに顔を向けた。
「聞いちゃいねえ」
フランはがっくりと肩を落とした。
オルフェンが駆けてゆく。その方向には、ゆうに樹齢五百年は超えるだろう、この町をずっと見守ってきた大きなイチイの木があった。大人二人でも抱えきれないほど太い
レースで編んだかのような
オルフェンの後を追って、エレインもイチイの大木のそばに駆け寄った。
そっと幹に手を当てると、ごつごつした
声なき声が語りかける。
――気をおつけ、小さな子。
はっとエレインは大木を見上げた。古木は
――今日はすべての世界がつながる日。よく目を開いて見ることだ。
思わぬところに落とし穴があるよ、どこに招かれるか分かったもんじゃない。
それを聞いたシャトンは、親切なイチイの幹に爪を立てた。
「言いたいことがあるなら、もったいつけずにさっさと言いな。そうしないとここで爪を
イチイが身を
――おお、なんと
年老いたものへの
せっかく忠告してやったというのに。
「シャトン、どうしたの?」
オルフェンにイチイの声は聞こえない。ひょい、とシャトンを抱き上げる。
「町の大切な木に傷をつけてはだめよ」
イチイはもう二度としゃべろうとしなかった。
シャトンはふん、と鼻を鳴らすと、おとなしくオルフェンの肩に前足をのせ、腕の中に収まった。
町のあちらこちらから賑やかな音楽が聞こえる。
大地の底まで
オーボエ、パンフルート、手回しオルガン、アコーディオン。もちろんフィドルもある。楽しげな舞曲を手拍子が盛り上げる。
「行きましょう。
オルフェンは左手にシャトンを抱きかかえ、右手でエレインの手を引いて走り出した。
「おい、待て。勝手にどっかに行くな!」
フランの制止は間に合わない。
「とろとろしていると置いていくわよ、騎士さまたち―――」
あっという間に声が遠くなって、黄金と亜麻色の頭は人混みの中に消えた。
「やれやれ、お
季節柄、ワインもコーディアルも温めて。
ケーキもプディングもほかほかのうちに。
商売人たちは定められた場所で思い思いに敷物を広げ、自慢の品を並べている。
一等地を
彼女らはオルフェンの金の髪を見ると、一瞬「おや?」という表情をしたが、すぐに何食わぬ顔で気さくに声をかけた。
「さあさ、そこの
エプロン姿のおかみさんが、野太い声ですすめてくれる。彼女らの黒いスカートには色とりどりの糸で花や小鳥が
そっと近づいて
なるほど。あの大量のランタンの中身はここにやってきたのか。
「これを食べなきゃ始まらない。お代はタダだ。さあ、どうぞ」
目の前に差し出された木の
「おいしい!」
「おいしい、ですね」
蕪の大きさは
「だろう?」
料理人たちが
「わあ、今年のシチューはベーコンがいっぱいだ」
すぐ近くで甲高い子どもの声がした。どこからともなく、わらわらと子どもたち
「すげえ」
小さな子は背伸びして、もっと小さな子は大きな子が抱え上げて。みんながみんな、釜の中を
「そうだろう、そうだろう」
「おっちゃん、これどうしたの?」
「おっちゃん、じゃねえ。今夜の俺は世にも名高い
「コシカさま、すね毛がもじゃもじゃだよ」
「うるせえ、スカートをめくるな。蕪と一緒に煮込んじまうぞ」
遠慮のない楽しい掛け合いに、ついついシチューを食べる手がお留守になる。
オールドレーンの賢女さまが、こっそりとオルフェンとエレインに向けて片目をつぶって見せた。
「お城からの贈り物だよ。心優しい王子さまと王女さまに栄光あれ! ってな」
二人の少女は顔を見合わせてにっこり笑った。子どもたちと一緒に蕪のシチューをお代わりする。シャトンも王女の肩の上でほどよく塩気の抜けたベーコンの端っこをじっくりと味わった。
(ふむ、悪くないね)
「さあ、今夜はとことんお祭りを
唇の端にミルクの皮をくっつけたオルフェンが、高らかに宣言した。
護衛の男たちの気苦労など意にも
「しょうがないわねえ。護衛がそろって迷子になるなんて」
「ふふ……」
オルフェンの勝手な言い草にエレインが笑う。
踊りの輪に入って軽やかなステップを
ランタンの光の下できらきら輝くブレスレットにイヤリング。飾り石たちはさながら色とりどりのキャンディーだ。目の
〈サウィンの夜〉という特別な時間の魔法のせいかもしれない。
「ねえ、エレイン。あなたはどういうのが好み?」
オルフェンの青い瞳も、色石に劣らずきらきらしている。しばらくはここに腰を落ち着けるつもりらしかった。
「聖騎士殿、黒騎士殿。お疲れ様です」
「この町の祭りはいかがですか?」
フランとキアランは行く先々で、声をかけられた。砦の城から派遣された巡回の兵士たちや、交代で祭りを覗きに来ている者だ。たまたまその場に行き会った町の人々は城の重要人物であるらしい騎士たちを見覚え、他の者たちに話し、二人の名はすぐに知れ渡った。若い娘たちが彼らを見て袖を引き合い噂にしたが、本人たちはそんなことに気づきもしなかった。気づいたとしても構っているひまはなかった。
「おい、いたか?」
「いえ、こちらにはいません。あの二人の姿を隠してしまうなんて、祭りの力を甘く見ていましたね」
大地の力が満ちる今宵。
多くの精霊、妖魔、祖霊たちが入り混じる中で魔法を使う訳にもいかない。小さな魔法が引き金になって
猫を抱いた金色の王女と、聖女と同じ若草の瞳の乙女。目立つ取り合わせだ。
目撃者は多かった。
「ああ、王女さまたちのことだね。少し前にあっちで大道芸を見ていたけれど」
「そうそう、芸人とシャボン玉をこしらえて遊んでいたね」
正体もばれていた。
「あたしが見たのは、砂絵描きと一緒に石畳に座り込んで、何か描いているところだったよ。ああ、ほらまだ残っている。あれは猫、なのかねえ」
どうやらシャトンとおぼしき地面にうねる白い砂の模様を見て、フランは久々に頭から湯気の出る思いを味わった。
「子どもか、あいつらは!」
あちこち駆けずり回ったせいで、ちょっと怒鳴っただけで息が切れる。ついでに
「小さいころに、そういう遊びをしたことがなかったのでしょうね」
キアランがしんみりと呟く。こちらは肉体の疲れなどとは無縁だ。
「はあ?」
「あなたには、子ども時代に故郷の村で季節ごとの祭りを楽しんだ記憶があるでしょう?」
「大したことはしてねえよ。お袋とばあさんが占いの小屋をやっていたから、ほとんどそれの手伝いだな」
「それでも、村を包むお祭りの雰囲気は味わえたはずですよ。けれど、あの子たちにはこれが初めての経験なのじゃないですか? かく言う私も初めてですけれど」
涼しげな眼差しに影が差す。
「……」
「オルフェン王女は、王宮で
キアランは珍しく
フランは黙った。それも一理あるかもしれない。少しくらいは大目に見て、自由にさせてやった方がいいのだろうか。
そう思うと、追う足が
「それに、オルフェン王女にとっては、都合の良いところだけを切り取って見せられるのではなく、民のありのままの姿に触れて、生の声を聞くいい機会でしょう」
(しかし、放っておくわけにはいかないからな)
自分の目の届くところにその姿がないのは、どうにも不安だ。胸がざわざわする。
闇雲に走り回っても無駄なのが分かったので、歩きながら手がかりを拾うことにした。
「さっき、あそこのベンチでパンを食べていたのを見た」
「金髪のお姉さんが王冠が出たとか言って、みんなで大騒ぎしていたよ」
小さな子どもたちが木陰の方を指さした。
「またか。すごい強運だな」
フランが呆れる。
「買い食いですか。お行儀が悪いですが、座って食べていたのなら、まあ良しとしましょう」
キアランが溜め息をついた。
それぞれ全く異なる感想を口にしつつ、教えられた方角に向かう。
探し求める乙女のひとりがそこにいた。
広場の端っこ、植え込みの中から白いウサギ耳が垂れ下がっている。
「おい、シャトン!」
フランが名を呼ぶと、ガサガサと枝が揺れて猫が姿を現わした。
出てくるなり、はあ――…、と大きな溜め息をつく。
「何かあったのですか? 元気がないようですが」
「アタシは、占いってのを甘く見ていたよ……」
「なんのことだ?」
オルフェンの肩から下ろしてもらい、自分の足で歩き始めてすぐのことだった。わらわらと猫たちが寄ってきたのだ。妙齢のオス猫たちだった。ケンカを売りに来たわけではない。自分を売り込みに来たらしかった。
「
シャトンは男たちに背を向けて、しっぽをぶんぶんと振った。
フランとキアランは顔を見合わせた。彼女の言う指輪が、王子謹製のパイから出てきた指輪のことを指すらしいと思い当たるまでに少し時間がかかった。
季節外れの猫の恋。占いが当たったと言うべきか。突然シャトンにモテ期が訪れたのだった。
「それは、災難でしたね」
キアランが当たり
「そんなことは、今はどうでもいい。オルフェンとエレインはどうした」
「あの子たちなら、あたしが猫どもに囲まれている間にどこかに行っちまったよ」
変に気を回した乙女たちは、身動きの取れなくなったシャトンをその場に残していったのだ。
「最後に見たのは、あそこの
つい、と鼻先で一軒の露店を示す。客は全て女ばかりだ。店が見えなくなるほどの
シャトンが猫たちを振り切ってやっとここまで来たときには、すでに二人の姿はなかった。匂いをたどろうとしたが、あまりにさまざまな匂いが混じり合っていて、そこから先は追うことができなかった。また猫たちに見つかると面倒なので、とりあえず隠れていたのだという。
「もう広場はひととおり探しましたが。どうしますか?」
キアランが言い終える前に、フランはずかずかと女たちの
「なあ、あんたたち」
女たちが振り向いた。品定めをしていたそのままの鋭い目が、一斉に場違いな赤毛の男に向けられる。一瞬フランは
「人を探しているんだが。十六から十八歳くらいの娘、二人連れ。片方は派手な金髪、もう一人は亜麻色の髪をした……」
警戒しているのか、口を開く者はいない。お互いに顔を見合わせ、無言で押し合いながらじりじりとフランから距離を置こうとする。
見かねて、キアランが助け船を出した。
「お楽しみの邪魔をして、すみません。怪しい者ではありません。私たちは護衛の者なのですが、お嬢さまとはぐれてしまいまして。こうして皆さまのような同じ年頃の
柔らかな声に、女たちはフランからその背後の男へと視線を移した。
もちろん、その場には同じ年頃より遙かに年長の元乙女たちもたくさん混じっている。彼女たちの目に己の姿がどう映るかをも十分意識した上での発言だ。
「何かご存じのことがあれば、どうかこの哀れな男にお教え願えませんか」
キアランは片手を胸に当ててにっこりと微笑んだ。
若い娘たちが美しい黒騎士の優雅な仕草に息をのむ。ぽかんと口を開けて
「それって、王女さまとエレインって子のこと?」
真っ先に口を開いたのは、勝気そうなそばかすの少女だった。
「そう、ご存じですか?」
「ついさっきまでここにいたよ、ねえ」
振り返ってその場にいた友人たちに確認する。何人かが頷いた。
「どっちに行った?」
「さあ……」
首を
「
ぴょこんと黒い三つ編みが揺れる。
「あのね、あたしたちが占いの話をしていたら、教えて欲しいって。行ってみたい、って言ってたよ」
「占い通り?」
この町に、そのような名称の通りは無い。
「今年はメガンさんだけじゃなくて、よそからもたくさん占い師やまじない師が来てて、ジェムドラウの川沿いがすごいことになってるんだ。そこのことだよ。柳の木の下だけじゃなくて、細い木の下も、みんな占い師たちに占領されちゃってるの」
三つ編みの少女の言葉に、フランは
(なぜ気づかなかった)
あれだけ歩き回って、まだ一軒も占い小屋を見かけていない。祭りの日は絶好の
「一番当たるっていう
「行ってみますか?」
キアランがフランの方を振り返る。フランは頷いた。
「王女さまたち、見つかるといいね」
そばにいた娘たちがみな、祈るように指を組んだ。
「ああ、ありがとうな」
「感謝いたします」
親切な乙女たちに礼を言い、教えてもらった方角へと足を向ける。
嫌な胸騒ぎがする。
「よそから来た占い師とやらに、妙なものが混じっていないといいですね」
フランの
ごった返す人の海を速歩で歩く。その勢いに、行く手を