2.エリウの問わず語り

文字数 3,342文字

 つまらない夜になった。
 イレーネよ、たまには私の()(ごと)に付き合ってはくれぬか。
 エレインが冥界に下った経緯(いきさつ)は、前に話したことがあっただろうか。今宵(こよい)はそれを語るとしよう。

 あれは、あの娘がコーンノート王に(とつ)いで間もないころだった。クネドに臣従(しんじゅう)することをよしとしない王の息子たちが、父に反旗(はんき)(ひるがえ)した。その第一歩が、老父(ろうふ)の年若き新妻(にいづま)を殺すことだった。
 もちろん、『不死の乙女』の名は知っていたさ。信じていなかったようだがね。
 老王とその老臣たちの目の前で、王妃の胸を剣で(つらぬ)いた。王にはどうすることもできなかっただろうよ。重い(やまい)のために枕から頭も上がらぬ状態だったと聞く。
 そのとき、マクドゥーンはクネドの王宮にいた。異変を察知してその場に駆けつけた。ヤツの魔力なら、王都ファリアスからカエル・モリカまではひと飛びだ。それでも間に合わなかった。
 胸に剣が刺さったままの娘を、ヤツは『湖の島』に運んだ。
 そう、緑玉(ジェイド)の島。あそこは特殊な魔の地。湖の貴婦人、ニムの領域だ。常に霧に包まれ、彼女が認めない限り、何者も島にたどり着くことはない。人であろうと、なかろうと。
 何ものも、だ。
 こう認めるのは悔しいが、あそこ以上に安全な場所はないだろう。それに、あの娘に不死の呪いをかけたのは、他ならぬニムの妹だ。その(せき)は負ってもらわねばならぬ。
 
 ニムには九人の妹がいる。
 末の妹フィニが、若かりし日のクネドに関心を持った。
 そのころのクネドは英雄でもなければ、名の知れた戦士でもなかった。
 平凡な一地方領主の、四番目の子だった。すでに長姉(ちょうし)婿(むこ)をとって領地を()ぐことが決まっており、二人の兄はすでに他の地で(おの)(あるじ)と見込んだ人物に仕えていた。クネドは行く末を決めかねて、父の家の近辺をぶらぶらしていた。
 ある日クネドは一人で狩りに出かけ、獲物を追いかけて森の奥に踏み込み、怪我をして動けなくなった。そこに偶然フィニが行き会った。
 初めて見る人間の男に、年端(としは)もいかぬ妖精は興味を引かれた。それが始まりだ。
 このあたりも吟遊詩人が好んで語る場面だな。
 フィニは愛しい男のために、世に出る手助けをしてやった。クネドは大小問わず各地で開かれる武芸の大会に出場しては勝利し、着々と名を上げていった。もちろん、妖精の魔法の働きのおかげだ。
 卑怯(ひきょう)? 
 そこまでの意識はクネドには無かったろうよ。主導権を握っていたのはフィニの方だったからな。言われるがままに剣や(やり)を振るっていただけさ。そんな思慮深い男でもなかったよ。
 名声はミースの王の耳にまで届き、クネドは宮廷に招かれた。
 イニス・ダナエで王位継承権を持つのは女だ。
 女王の娘が多くの候補者の中から会議で選ばれた男と結婚し、その男が次代の王となる。大陸育ちの者たちの目には、奇異(きい)に映るかもしれんな。
 果たしてクネドはお眼鏡にかなって王女の婿となった。そのようにして、フィニはクネドをミースの王に仕立て上げてやったのだ。
 自分の恋人を他の女に譲ったわけじゃない。人間の女などに眼中になかっただろうさ。
 
 しかし先にも言ったが、いたってクネドは平凡な人間だった。王女と結婚してしまうと、妻を愛し家族を思いやる誠実な夫となった。そうして次第に妖精の娘を(うと)んじるようになった。
 フィニには恋人の心変わりが理解できない。これほど尽くしているのに、どうしてつれない態度をとるのか。なぜ自分から離れていってしまうのか。まだ何か足りないものがあるのだろうか。
 恋に迷うと、妖精も人間も、正常な判断ができなくなってしまうものさ。
 クネドの娘に尽きせぬ癒しの力を与えたのも、純粋にクネドを思ってのことだ。クネドに万が一のことがないように、と。深い考えなどあるものか。単にクネドを癒やすための力だった。
 ああ、浅はかだな。
 エレインが死ぬことができなくなったのは、その贈り物の副作用だ。呪いなどというものではない。
 癒やしの力がダナン統一に大きな役割を果たしたことは事実だが、次の世への道が閉ざされることは人間にとってこれ以上はないほどの悲劇だ
 さしも優柔不断なクネドも、ついに決断を下した。
 宮廷に仕える魔法使いたちによって、フィニは追い払われた。
 そして、姉のニムにも厳しく叱責(しっせき)されて、湖からも追放された。
 フィニはエレインを憎んでいる。あの娘のせいでクネドの愛を失ったと思い込んでいる。あの娘をどうにかすれば、クネドが自分のところに戻ってくるのではないかと、(はかな)い望みを抱いている。
 恋しい男は、もうこの世にいないというのに。哀れなことだ。
 エレインを(がい)した愚かな男も、もしかしたらフィニに利用されたのやもしれぬ。あの時点で不死の乙女、ミース王の娘を手にかけても何の(えき)ももたらさない。大勢(たいせい)はとうに決していたのだから。

 話を戻そう。
 フランがエレインを連れて湖の島に渡ったところからだ。
 出迎えた人間たちの中に、戦で婚約者を失った女がいた。その女が、エレインを見るなり金切り声を上げて(つか)みかかったそうだ。
 
―― あなたはあの人を見殺しにした! 
  あなたが癒しを与えてくれていれば、今頃私たちは幸せに暮らしていたはずなのに!

 逆恨み、というやつだな。
 同じ戦に加わりながら、同じ隊にいた隣家の老人は助かり、その女の婚約者は死んだ。
 癒しの力は、死者には届かない。
 手を差し伸べる前に息を引き取った者は、助けようがないのだ。
 すまない、イレーネ。
 そなたの婚約者も戦で亡くなったのだったな。辛いことを思い出させた。しかし賢明なそなたなら、エレインを責めることはすまい。
 若い者、年老いた者。戦場にあって死は対象を選ばない。そこに立つ者すべてに等しく近しい。屈強な若者が死に、老兵が生き残るのもまた、なるべくしてそうなるのだ。若い命の方が尊いなどということもない。癒やしの力を持つ者に限らず、負傷した戦士たちの治療に当たる者は、その者の若さゆえに優先する、などという分け(へだ)てはしない。
 戦場を知らぬ者には分かるまい。いや、頭では分かっているのだろうが、理不尽だと感じてしまうのも自然な心の動きなのだろう。
 女の言葉は、弱っていたエレインの心を(くだ)いた。
 エレインの魂はその女にとどめを刺されて、肉の器を離れた。死なぬ体は我らが保護したわけだが、彼女の魂は冥界に向かい、そこでドウンに()った。
 知っての通り、ドウンとニムは仲が悪い。
 理由? さあ。聞いたかもしれないが……、忘れた。昔の話だ。
 あいつはよく女を敵に回すんだ。
 どちらにしろ、神やら妖精やらというのは、お互いにそれほど仲が良いわけでもない。
 ともかく、そのせいでドウンの領土は水の恵みに見放されている。ニムは泉や川、すべての水に関わる女神や妖精たちの上に君臨する女王だから。
 もともと不毛な世界だった。『死者の国』は人間の魂が最終的にたどり着くべき『安らぎの園』への通り道でもある。入り日が指し示す方に向かって、魂は飛翔(ひしょう)する。軽やかに冥界の空の上を駆け抜ける。
 かの地をさまようのは、行く先を見失った哀れな迷い(だま)ばかり。冥界の王としては、初めて出会う瑞々(みずみず)しい乙女だ。()かれない方がおかしい。
 エレインの魂がいた間に、あそこも随分(ずいぶん)様変(さまが)わりしたようだぞ。
 あいつ自身も変わった。
 それまでは、この世に面白いことなど何もないとでもいうかのように(うつ)ろな目をして、他の何ものとも関わりを持とうとしなかったのに。
 それほどに、エレインと過ごした時は、()(がた)く貴重なものだったのだろう。たとえその時間が、ほんの(つか)の間に過ぎなくとも。
 ドウンが今、地上の世界に現れた理由もそれで(さっ)しがつくではないか。
 
 ニムの(めい)を受け、八番目の妹が不死の呪いを打ち消す贈り物を(さず)けた。
 しかしそれも、魂がすべて肉の器に戻らねばどうしようもない。
 マクドゥーンがしでかした間違いによってエレインの魂は半分だけ戻ってきた。お寝坊な恋人を目覚めさせるには、定番の手法だったな。相思相愛の恋人であれば即効性があったろうに。残念なことだ。
 残りの半分は過去の記憶と共に、冥王の(やかた)で眠っている。
 実際のところ、どうやったら魂の半分を地上に連れ戻せるか。
 私にも分からないのだ。
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登場人物紹介

アリル

ダナンの王子。四代目『惑わしの森』の隠者。

21歳という若さながら枯れた雰囲気を漂わせている。

「若年寄」「ご隠居さま」と呼ばれることも。


シャトン

見た目はサバ猫。実は絶滅したはずの魔法動物。

人語を解する。

まだ乙女と言ってもいい年頃だが、口調がおばさん。

フラン

赤の魔法使い。三代目『惑わしの森』の隠者。

墓荒らしをしていた過去がある。

聖女や不死の乙女と関わりが深い。

エレイン

亜麻色の髪に若草色の瞳。

聖女と同じ名を持つ少女。


エリウ

エリウの丘の妖精女王。

長年、聖女エレインの守り手を務めた。

オルフェン

ダナンの王女。アリルの妹。

「金のオルフェン」と称される、利発で闊達な少女。

宮廷での生活より隠者暮らしを好む兄を心から案じている。

ドーン

冥界の神。死者の王。

もとはダヌと敵対する勢力に属していた。

人としてふるまう時は「キアラン」と名乗る。

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