3.誓いと禁呪 

文字数 8,628文字

 どさっ、と小さな丸テーブルの上に書物が積み上げられた。
 その山の上に右手を置き、左手を腰に当ててアリルがぐいっと身を乗り出す。
「さあ、順を追って説明してもらいましょうか」
 声を荒げることはしない。ドアを一つ(へだ)てた続きの間では、エレインが眠っている。
「…って言われてもなあ」
 一方フランは、両手を頭の後ろにやって足を組み、椅子を揺らして危ういバランスを楽しんでいる。面倒臭がっているのがありありと見て取れる。
「お前さん、何が聞きたいんだ?」
「まずはこれです」
 アリルが開いたのは、クネド王から始まるダナンの国史。第一巻。
「ここに、偉大なる魔法使いマクドゥーンの姿を描いた図があります」
 クネド王、戴冠(たいかん)の場面だ。クネド王がマクドゥーンの前に(ひざまず)き、王冠を授けられている場面が描かれている。
 日付はダナン暦509年5月1日、ベルティネ祭の日。今から185年ほど前になる。
 四十二歳の壮年王クネドに対し、マクドゥーンは長く豊かな顎髭(あごひげ)をたくわえて、かなりの高齢に見える。
「この時、彼が何歳だったか分かりませんが、この後すぐ宮廷を退いて森の庵に(きょ)を構えたんですよね」
「ああ、そうだな」
 フランは生返事(なまへんじ)を返した。
「で、こっちです」
 続いてアリルがバサバサと引っ張り出したのは、二代目の手記だ。
「読んでみてください」
「えー…なになに」

 ――あの方が去った。今生(こんじょう)で、あのお姿を目にすることは二度とあるまい。
  もし、幸運にも出会うことがあるとすれば、…………、
     ……お守りするばかりだ――

「うん? 途中がかすれちまってるな」
「あの方、というのは流れから見て初代のことでしょう」
「そうだろうな」
「日付は663年2月1日。今から約三十年前になりますね」
「あー、そうだな」
「そうだな、じゃないですよ!」
 アリルが語気を(あら)げた。
「クネド王戴冠のときに、マクドゥーンはすでにご高齢。若く見積もって六〇歳くらいとしても、663年には軽く二二〇歳を超えていますよ。魔法使いってのは、みんなこんなにご長寿なんですか。不老不死の秘薬でも飲んでいるんですか」
「えー? 俺に聞かれても」
 ぽりぽりとフランが左耳をほじった。その(とぼ)けた顔をアリルが下から(のぞ)き込む。
「あなた、今、何歳ですか」
「さあ。何歳だっけ」
「まあ、いいでしょう」
 アリルはさっさと引き下がり、別の書物のページをめくり始めた。
「まだあるのかよ」
 うんざりだ、という内心を思いっきり声音(こわね)で表現してみたが、アリルには通じない。
(そういや、探究心旺盛で真面目なガキだったなあ。熱意が空回りするところなんざ、まるで変わってない)
 フランにはもう、アリルがこの先何を言いたいのかも見当がついている。
「それで、師匠。あなたが名乗ったヨハルという名ですが、マクドゥーンには幼いころ生き別れになった双子の兄がいて……」
「ちょっと待った」
 フランは耐えきれず、手を挙げて話を(さえぎ)った。
「お前さん、シャトンから何も聞いていないのか?」
「何をですか?」
 きょとん、とした顔でアリルがフランを見つめる。藍色の瞳は純真な少年のまま。このくどくど遠回しな問い方も、嫌がらせでやっているのではない。
 フランはふいと顔を背けて、
「おーい、シャトーン」
 隣の部屋に続くドアの方に向けて声をかけた。
 とっとっとっ、と軽やかな足音がした。
 キィ…、と(きし)んだ音を立ててドアが開く。開いた狭い隙間からするんとシャトンが入ってきた。
「何だい?」
 すぐ足元まで来て、二人の顔を見上げる。大きさはいつも通り。ごく普通の白っぽいサバ猫に戻っている。
「お前さ」
 フランが体の向きを変えて、正面からシャトンと向き合った。
「あれ、こいつに話さなかったのか?」
「あれ、って?」
 シャトンが小首をかしげる。
「ちょい前に、俺の兄貴と聖女さまの話をしただろう」
「ああ、あれね。面白い話だったね」
「あの時、兄貴が聖ヨハネスで、俺が聖樹の賢者マクドゥーンだ、って。言ったよな?」
「聞いた」
「あれ、こいつに言わなかったのか?」
「言ってないよ。伝えてくれとも言われなかったし」
 あっさりとした返答に、がっくりとフランが肩を落とす。
「……そうか」
「用事がそれだけなら、もう行ってもいいかい? あの子の冷たい足を温めてやらなきゃいけないんでね」
「あ、ああ。忙しいところすまなかったな」
 さっさと身を返し、シャトンはいそいそと去って行った。続きの間、温かな寝室へ。エレインが眠るベッド、そこにかけられた毛布の中へと。
 ぱたん、と軽い音を立ててドアが閉まる。
 二人はしばらく気の抜けたように黙っていた。
「……そういえば、猫だったな」
 ぽつりとフランが洩らす。
「猫でしたね」
 アリルが頷いた。
 普段の言動があまりに人間臭いからつい忘れてしまう。魔法動物とはいえ、それでもやっぱり彼女はネコ族だった。ネコ族は今を生きる種族である。遠い過去も遠い未来も、その思考の中にはない。
 彼女にとって一番重要なのは、今、快適であること。そして優先するのは、今したいこと。
 今ここにいる者が過去に何者であったか、など、彼女にとっては何の意味もない。
「すまん。お前さんはとっくに知っていると思ってた」
「いえ、師匠は悪くありません。僕が鈍かったんです」
 すっかり脱力した男二人は、なんとなく顔を見合わせてほろ苦く笑った。
「あ、そうだ。一つ言っておくことがある」
「はい?」 
 フランはさっきアリルが山に戻した『ダナン国史 第一巻』を引っ張り出した。クネドの戴冠式の場面を開いて、ばん、と平手で(たた)く。
「すんごい爺さんみたいに描かれちまっているけど、俺、クネドよりずっと若いから」
 彼にとって、これだけは絶対に、何をおいても主張しておかなければならない最重要事項なのだった。

 切り立つ岸壁に波が打ち寄せている。風が強い。
 空気が澄んでいるのだろう。今日は対岸がよく見える。
 長い髪を風がもて遊ぶに任せ、キアランは城を背に、崖にぶつかっては砕ける白い波頭(はとう)を見ていた。
「ここは春から夏にかけて、一面の花畑になるのだそうですよ」
 誰もいない空間から、若い女の声が聞こえてきた。
「ふうん。それはいいね」
 大して興味もなさそうに、キアランは相槌(あいづち)を打った。振り返ることもしない。
 吹き抜ける風に、まばらに生えた灌木(かんぼく)ががさがさと乾いた音を立てる。細い枝の間からヒースの紫がのぞいた。
 色あせた草原に、ひとりの少女がふわりと立っていた。はおっているケープから彼女が修道女だと分かる。グレーのフードからこぼれる一房の髪が、きらりと日に反射した。
「エリウは元気? って聞くまでもないか」
「そうですね。相変わらず、お元気です」
 少女、イレーネはくすっと笑った。
「ドウンさまはどうしてこちらに?」
 キアランは軽く口に人差し指を当ててみせた。
「その名前はここでは出さないでくれないか。今の私は騎士なんだ」
「騎士の姿もお似合いですよ」
「ありがとう」
 二人の言葉が風にさらわれ、波音に飲まれて消えてゆく。
「さきほどの問いに、答えていただけますか?」
 イレーネがにこりと小首をかしげる。
「偶然だよ」
 キアランはふと横を向き、睫毛(まつげ)をふせて薄く笑った。
「そのお答えでは、エリウさまは納得なさらないと思います。できれば近寄りたくない場所であろうに、と」
 世間話のように軽やかな口調で、辛辣(しんらつ)な言葉を口にする。
「先回りをして、あの子が来るのを待っていらしたのでしょうか」
「まさか」
「生前わたしが身に着けていた品と、わたし自身の抜け殻を狙う者たちが神殿の内外に潜んでいるのは分かっていました。かの者たちは人の身にしては長い年月、従順に務めを果たしながら静かに時を待っていたのです。そして、あの子が神殿に到着した日を選んで行動を起こしました」
「……」
「あなたが(そそのか)したのではないのか、とエリウさまは疑っておられます」
「どうしてそんなふうに思ったのだろう」
「少しでもあの娘に危害が及ぶ恐れがあれば、マクドゥーンさまがあの子を連れて神殿を出る。まず最初に向かうのは惑わしの森でしょう。身を隠すにはよい場所です。現在の隠者はマクドゥーンさまの直弟子(じきでし)。しかもダナン王の嫡子(ちゃくし)です。頼る先としては申し分ありません。その王子が今、居城とするのは静かな辺境の館。もともとあの子の身柄を湖の島からエリウの神殿へと移したのは、人と触れあう機会を増やすため。ならば、マクドゥーンさまは森の中よりもそちらをお選びになるだろう、と」
 イレーネはにこりと笑った。
「もしあなたが黒幕であるなら、そう予見するのは難しいことではないと。エリウさまはおっしゃいました。いかがですか?」
 あの男にとっては、屈辱(くつじょく)の地ではあるが――、とエリウが付け加えたことは黙っておく。
「違う、と言ったら? エリウはともかく。イレーネ、あなたは信じてくれますか?」
「さあ、どうでしょう」
 すぐ近くでかさかさと茂みをかき分ける音がした。ウサギだろうか。荒れ野に細い筋をつけ、小動物が駆け抜けていく。
「……エリウや、ニムには分からないだろうね。人と交わって暮らしている方々には、ね」
 しばらくの沈黙の後、ドウンはまっすぐにイレーネを見据えた。その瞳が蒼紫(あおし)から深いアメジストに変わる。『死者の王』の目だった。
「あなたも物好きだ。せっかく肉の体という(くびき)から解き放たれたというのに、次の世に向かわずこのようなところに留まっている。それはなぜですか?」
「そうですね、呼び声は感じます。今も」
 死者の王の視線を、少女の姿をしたイレーネの魂は、避けることなく受け止めた。
「落日の向こうの国。安らぎの園。こちらでは天の国をそう呼ぶのでしたね。そちらに向かうべきなのでしょう。けれど、どうしようもなく()かれるのです。同じように癒しの乙女と呼ばれながら、わたし以上に過酷(かこく)な運命を負わされたあの子に。あの子を放って自分だけ次の世に向かう気にはどうしてもなれないのです。冥界の神さま、あなたにならお分かりいただけると思うのですが」
 柔らかな青い瞳がドウンを見上げている。
「エリウさまからのお言伝(ことづて)を預かっています」
 何かな、とドウンが微笑むように目を細めた。
「あの子には手を出すな、ひどい目に遭わせたら私が許さない、だそうです」
(きも)(めい)じておきますよ」
 イレーネがふわりと頭を下げると、そこには白い蝶が舞っていた。白い蝶は透き通る羽をはためかせ、風に溶けるようにして姿を消した。
 癒しの聖女を見送ると、ドウンは眩しげに天を仰いだ。どこまでも空は高く、はるか高みに晩秋の太陽がある。
「女神も(こく)なことをなさる」
 誰も聞く者はいない。それでもこぼさずにはいられなかった。

 師匠の話は本当に長い物語になった。
 途中、何度もフランは過去の記憶に沈み込み、その度に語りは中断された。
 沈痛な面持ちで黙り込む師匠を見ているのが苦しくて、アリルは席を立った。お茶を淹れてもらおうとキアランを探す。しかし、姿が見当たらない。自分で淹れることにした。
 テーブルの上に散らかした書物を棚に片づけると、青いクロスをかける。後から気づいたのだが、皮肉なことにその布には白い薔薇が刺繍されていた。
「どうぞ」
 ひと言だけ添えて、そっと湯気の立つカップを差し出す
 カモミールとレモングラスをメインにしたハーブティーと、ジンジャークッキー。傍らにカシスジャムの小瓶を置いた。
 フランはテーブルに肘をついて指を組み、そこに額をつけたまま微動だにしない。
 森の庵ではのらりくらりとはぐらかされたが、こうしてすっかり聞き出すと、聞いてしまったことを()いる気持ちも湧いてくる。
(話が大きすぎる)
 それはアリルの想像をはるかに超えていた。 
  ――癒しの聖女と、不死の乙女。
 理解が追いついていない。頭の中を整理しようと、アリルはカップに口をつけた。
 
 * * * 
 
 コーンノート王の病室から湖の島へと飛んだあと、エレインが身体に負った傷は医術を修めた者たちによる手厚い看護と自らの癒しの力で徐々に回復していった。だが、心の傷はそう容易に癒えるものではなかった。
 もう少し。笑顔が戻るまでもう少し。
 皆が祈る気持ちで見守っていた、そんな折。エレインの魂に再び深い傷を負わせる出来事が起こった。大魔法使いマクドゥーンにも、どうすることもできない不幸な巡り合わせだった。そうして傷ついた魂は肉の器を離れ、死せる者と同じように他界へと(おもむ)いた。
 それでも器はやはり不死のまま。魂をつなぎ止める緒が切れることはなかった。
 大陸の聖女イレーネと不死の王女エレイン。
 この二人の少女を言葉の力を借りて巧みに重ね合わせたのは、大魔法使いの兄、ヨハル。初代神殿長ヨハネスだ。
 双子の共時性、とでも言おうか。
 いつ()めるとも知れぬ眠りについたエレインの体を抱いて途方に暮れるマクドゥーンの前に、永遠の眠りについて久しいイレーネの体を抱いたヨハネス神官が現れた。
 何十年かぶりに再会した兄弟は、二人の乙女のために、人ならぬものの力を借りることにした。
 まず、妖精女王エリウの守護のもと、ヨハネスが彼女の住まう丘の上に霊廟を建てた。ここが後の時代まで聖地として多くの巡礼を集める『聖エレイン大聖堂』となる。
 そしてマクドゥーンが湖の貴婦人ニムの力を借り、持てる魔法の力すべてを注いでイレーネの肉体を土に還した。
 聖女の棺が空になる。
 その棺に、ヨハネスがエレインを横たえた。癒やしの手を持つ乙女は、生前の可憐な姿のままここで眠り続けることになる。
 霊廟に聖女の名を刻む。
 大陸から伝わった共通文字で名を記すと、ふたりの乙女の名はまるっきり同じ(つづ)りになる。ヨハネスが『イレーネ』の名をわざわざダナン風に『エレイン』と読み替えたのも、より二人が混同されやすくなるよう意図してのことである。
 この秘密を知る者は少ない。マクドゥーン、ヨハネス、代々の神殿長と修道院長の他には、エリウのみ。
  彼らは敬虔(けいけん)な人々の祈りに望みを託した。人の憎しみによって傷ついた哀れな少女の魂が人の清らかな心によって癒され、いつの日か深い眠りから目覚めるように、と。

 * * *

「まさか、とは思いましたが。では、確かにあの娘は、史書に記された伝説のエレインなのですね」
 過去にマクドゥーンであった男は、うつむいたまま微かに頷いた。
 クネド王の娘。癒やしの手を持つ王女。
 その最期(さいご)は語られない。
 正史は彼女の足跡を、林檎(りんご)の花が咲く季節にコーンノートの王と婚約したという記述で締めくくる。
 詩人はうたう。彼女は永遠の眠りを眠る、と。
 
 ――心から王女様を愛する者のみが、己が身と引き換えに呪いを解くことができる。
 
 この贈り物が、エレインを救うはずだった。
(せめて、俺があんな誓いを立てていなければ、もう少しマシだったかもな)
 遠い記憶が、かつてイニス・ダナエ最大の魔法使いと(たた)えられた彼を責める。
 彼女が生まれた頃、フランは湖の島にいた。不死の王女の存在すら知らなかった。
 小船から降り、初めて島の地を踏んだ時、彼の耳に届いてきたのは甲高(かんだか)い預言の巫女の声だった。巫女は彼を見るなり大きく目を見開いた。恐ろしいものを見たかのように体を強張らせ後じさりする彼女の唇から、あの言葉が滑り出た。
『この者は愛する女を死に至らしめる』
 人のものとは思われない鳥肌の立つような声に、その場にいた者がぎょっと凍りついた。後にも先にもあれほど恐ろしい思いをしたことはない。
 その時からフランはマクドゥーンという名で呼ばれることになった。
 間を置かず、マクドゥーンとなったフランは、『女を愛さない』という誓いを立てた。まだ子どもだったから、その重さに気づかなかった。
 誓い《ゲッシュ》が禁忌(ゲッシュ)となって、自分を縛ることになるとは夢にも思わなかった。愛する人を救う妨げに働くとは、想像もしなかった。
 そもそも湖の島で修行する者はみな、何らかの禁忌を自分に課している。生涯異性を愛さないという誓いを立てている者も珍しくはない。魔力だけがやたらに強い、心の幼い子どもには、その誓いが意味するものなど理解の外にあった。
 何年かの後、青年マクドゥーンは、いとも容易(たやす)く恋に落ちた。
 禁忌を破れば、それは呪いとなって我が身に返る。女性に心を惹かれることは自分の死をも意味する。
 しかし、エレインは生きている。自分もまた死ぬこともなくここにいる。
 呪いがお互いを相殺(そうさい)し合っているのか、中途半端な形で働いている。
 ……カチャン。
 カップが皿に触れる微かな音と甘いジャムの香りに、フランははっと現実に帰った。愛弟子がすっかり冷めてしまったお茶を淹れ直してくれる。
「聖女イレーネのご聖体を土に還すために魔力をすべて使った、って言いましたけれど」
 ようやく顔を上げたフランとアリルの目が合った。
「師匠は今でも魔法が使えますよね?」
 その問いに答える前に、フランは身体をほぐすため、うーんと伸びをした。
 両腕を上に伸ばしたまま答える。
「ああ。そのずっと後にな、ニムにしごかれたんだ。死んだ方がマシってくらいにな。まあ、死ねないんだけど」
「師匠も、死にたいなんて思ったことあるんですか」
「まあね」
 エレインの体を棺に納めた後、魔法の力を失ったマクドゥーンは隠者となった。体も心も相応に老いてゆく。庵を二代目に任せてからはダナン各地を巡る旅に出た。途中で行き倒れることを望んでいなかったと言えば嘘になる。あの無茶な放浪は『死』を願う心がさせたことだった。あり得ないと分かっていても、望まずにはいられないほど疲れていた。
 この世で自分が為すべきことはもうない。できることは何もなかった。枯れ枝と変わらぬ姿になって路傍(ろぼう)の木の下で眠りについた。それがマクドゥーンとしての最後の記憶だ。
「とまあ、こんなところか……」
 ひとくさり語り終えて、ようやく人心地のついたフランがクッキーでもつまもうと手を伸ばしたところに、
「あれ?」
 アリルがまた、素朴な疑問を差し挟んだ。
「まだ不死の呪いが解けていないということは、誰も心から彼女を愛する男性が現れなかった、または、彼女が愛を返さなかった、ということですよね」
 フランの手がぴたりと止まった。
「どうして彼女の眠りを覚ましたんですか。呪いを解く方法は他にはないのでしょう。だったら眠ったままの方が良かったんじゃないですか?」
 あまりに無邪気な問いだった。
(そこを突かれると、痛い)
 大魔法使いマクドゥーン、人生最大の恥だ。
「ねえ、師匠?」
 アリルに悪気はない。その悪気のなさがフランを追い詰めた。
「あの、さ……」
 何とか勇気を振り絞る。最低限の説明は必要だ。これ以上自分の傷を広げないためにも。
「お前、さっき魔法使いはみんな長寿なのか、って聞いたよな」
「はい。聞きましたけど」
 それが何か? と首をかしげる。
「不老不死の薬なんてのはない。魔法使いだって人間だ。若死にするやつだっている」
「それじゃ、師匠はどうして……」
 言いかけて、アリルははっと思い当たった。
「まさか、あの……」
 シャトンの好きなあの物語。
 
 ――いつの日か、心の底から王女さまを愛する者が現れて、
   その人が呪いをその身に引き受けてくれるでしょう。
   そして、王女さまがその人を心から愛するようになれば、
   二人は次の世への道を見出すことができるでしょう。

「そのまさか、だよ! あの『贈り物』のせいで不死の呪いにかかってんだよ!」
 やぶれかぶれの気分でフランはまくし立てた。顔が赤い。
「でもな、年をとらないわけじゃない。変若水(おちみず)で見た目年齢を調節していたんだ。それを…、あのバカ妖精が、俺が道端で寝ているところに大量に水をぶっかけやがったんだ!」
「水をぶっかけた…って、若返りの水を、ですか?」
 湖の貴婦人ニムには、九人の妹がいるという。変若水の管理を任されているのはその内の一人だ。もちろん、滅多なことで人間の手に入るものではない。
 マクドゥーンは、使用を許された特別な人間だった。
 約束の期日が過ぎても現れない魔法使いを探しに出た妖精が見つけたのは、ぼろ布にくるまれた行き倒れの老人だった。このままでは死んでしまう、と慌てた妖精は、加減を忘れて、ありったけの変若水を彼の上に注いだのだ。
「そのせいで、赤ん坊になっちまった。記憶までまっさらになっちまって、踏んだり蹴ったりだったぜ。そんで、墓荒らしの夫婦に拾われて、何も知らずに成長して、若気の至りで妙な功名心を起こして、聖女の墓に忍び込んで、で、それで……」
「それで?」
「……うっかり起こしちまったんだよ」
「うっかり、って、どうやって?」
「聞くな!」
 その剣幕(けんまく)に、アリルは口をつぐんだ。
 不死の呪いを受けた、ということは、フランがエレインを心から愛しているという(あかし)になる。そして、二人の呪いが解けていないということは、
(師匠の愛は報われていない、ってことで……)
 耳の先まで真っ赤になって、むっつりとフランは黙り込んでいる。ふてくされた少年のようだ。人知れぬ苦悩を抱える師匠にかける言葉は見つからなかった。たった一言を除いては。
「お茶、おかわりしますか?」
 この件に関して、アリルはこれ以上追及しないことにした。それが今彼にできる精一杯の思いやりだった。 
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登場人物紹介

アリル

ダナンの王子。四代目『惑わしの森』の隠者。

21歳という若さながら枯れた雰囲気を漂わせている。

「若年寄」「ご隠居さま」と呼ばれることも。


シャトン

見た目はサバ猫。実は絶滅したはずの魔法動物。

人語を解する。

まだ乙女と言ってもいい年頃だが、口調がおばさん。

フラン

赤の魔法使い。三代目『惑わしの森』の隠者。

墓荒らしをしていた過去がある。

聖女や不死の乙女と関わりが深い。

エレイン

亜麻色の髪に若草色の瞳。

聖女と同じ名を持つ少女。


エリウ

エリウの丘の妖精女王。

長年、聖女エレインの守り手を務めた。

オルフェン

ダナンの王女。アリルの妹。

「金のオルフェン」と称される、利発で闊達な少女。

宮廷での生活より隠者暮らしを好む兄を心から案じている。

ドーン

冥界の神。死者の王。

もとはダヌと敵対する勢力に属していた。

人としてふるまう時は「キアラン」と名乗る。

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