第十五章 名もなき弟は悲願と共に名乗る

文字数 1,034文字

 その瞬間、魔王を引き留める老者の姿があり。父はかく語れり。

「そなたには別れを告ぐ定めがある。その資格がある」

 老者は魔王を引き留め、新たな天使の長の眼前まで連れて行く。
 弟は涙のあまり、顔がよく視えなかった。
 その別れの刹那に兄はぼやいた。

「はあ、ようやくこの重苦しい天使の長の座とも別れを告げる時に」

 その瞬間、弟は兄の顔を視た。

 その笑顔はあまりにも太陽に近づきすぎた存在としては今も尚神性を残した快い笑顔だった。

 兄は語る。

「泣かないでおくれ。お前は『私』の自慢の弟であろう?」

 兄は膝を折り、弟を抱き寄せた。

「済まない」

 その言葉の重みがどれ程のものであったか少年は知る由もない。

「本当に済まない」

 二度同じ言葉を口にする兄。

「『私』は結局『神の非在』なる世界に『非在の神』を見出せなかった。だが……」

 少し躊躇いの後に兄は口に出した。

「お前は『神の非在』なる世界に『非在の神』を見出せたのだ。お前は運命の初子なのだ。この先に産まれる被造物らも皆お前に倣う様に神を見出せる。お前は可能性なのだ。それにな」

 これ以上なき賛辞の言葉を以て天使の長は次に託す。

「『私』は信じているよ。たとえ、世界が終わってもお前が『私』達を迎えに来てくれることを」

 そう語り、毅然とした姿勢で去ろうとする前の天使の長に老者は高らかに宣言する。

「大天使長ルシフェル! そなたの信仰は大義である!」

 弟は察した。
 後ろ姿で見えないが、兄の頬に一滴の涙が流れていることに。
 それでも尚且つ兄は毅然としていた。偉大であった天使は王としての振る舞い、或いは神の僕として神に語り掛けた。

「主よ、我らが主よ。『私』達が託したこの子を頼みます」

「待っ……」

 そう弟が引き留めようとした時、弟は感じ取った。

 悲壮な決意。

 そうか、神が兄を大義と宣言した理由。即ち、最も高貴な自己犠牲の果て。
 それを否定してはならない。
 弟は言葉を引っ込めた。
 彼が愛したもの、彼が護りたかったもの。
 その選択を無駄にすることは天使の長に対する最大の侮辱である。
 ならば、弟のとる選択とは。

 待って、と言おうとした。代わりに答えた。

「必ず……必ず迎えに行く! 僕は神に代わって宣言する! 僕はいつか救ってみせる! 『神の如き者』として!」

「そうか……ではな、大天使長ミカエル。お前の人生に神が共にあらんことを」

 兄は拳を掲げ、かつての英傑らを引き連れ去っていく。この日、天を去りし天使ら実に全天使の三分の二に上った。

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