ハラハラ、ドキドキ。

文字数 1,502文字

 演劇部から借りた脚本は、それほど長いものではなく、サクサク読めた。
 例えば、アブラハムと息子イサクの物語。
『神は言われた。「あなたの子、あなたの愛するひとり()イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭(はんさい)としてささげなさい」』(創世記第22章2節)。

 燔祭っていうのは、つまりは生贄(いけにえ)のことだ。自分の息子を生贄にしろと言われて、アブラハムはあっさり承知する。
 え、いや、それでいいの?
 アブラハムはいいらしい。だって、神さまの言葉だから。

 で、道中にアブラハムは息子から「火とたきぎはあるけど、燔祭の子羊はどこですか?」と聞かれるんだけど(当然だ)、「神さまが準備してくれている」と答えて、息子はあっさり信じる。
 この辺は、ホラー映画なんかのセオリーっぽい気がする。
 信じたらダメだよ、そっちに行っちゃダメ、と観ている方は思うけど、登場人物たちは最悪の選択をする。

 二人は目的地に着くと、一緒に祭壇をつくって、その上に縛り上げた息子を乗せて切アブラハムは刃物を振り下ろそうとする。
 イサク、間一髪! 否が応でも盛り上がるところだ。
 そこに颯爽と登場した神さまの使いが、待ったをかける。

『み使(つかい)が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、私のために惜しまないので、あなたが髪を恐れるものであることをわたしは今知った」』(創世記第22章12節)
 おまえの信仰の篤さはよーくわかった、と言われたアブラハムが周囲を確認すると、生贄にぴったりの雄羊が……!
 それをイサクの代わりに供えて、ハッピーエンド!

 え、これで終わり??
 僕は脚本を読んで唸ってしまった。
 なんだろう、物足りない。

 放課後、図書館で脚本の書き方本を漁る。
 それらを飛ばし読みして気づいたのは……付け焼刃の知識だけど……多分、この脚本には葛藤(かっとう)がない。
 やめようかな、どうしようかな、やっぱりやめようってやつだ(もしくは、やろうかな、やめとこう、いややっぱり、やっちゃおうってやつ)。
 まあ、聖書だから行間を読めよって話かもしれないけど。
 でも、僕は入れたい。葛藤とか、タメが見たい。聖書劇だってハラハラ、ドキドキしたい。

 次回公演は新一年生部員のお披露目の場でもある、5月末と丸子先輩が言っていた。
 一味違う劇にしてやる!
 やる気に満ちた僕は、脚本の書き方本を数冊借りた。そして、借りた脚本とあわせてかなりの重さの荷物を家に持ち帰ったのだった。

「なに、これ。今度は脚本書くの、ふぅ」
 借りた本はサブバッグに入れてたんだけど、リビングにいた一樹に目ざとく見つけられた。
「いや、別に」と誤魔化したけど、アブラハムのようにはいかなかった。

 おまけに、階段の陰に隠していた紙袋を、トイレから戻った太一郎に見つかった。
「これ、ふぅのやんね。演劇部の脚本が入ってるけど」
「え、演劇部に入ったん? 意外~」
 一樹が言う。いや、おまえのせいだから。おまえが真白三実の作品をアップしたせいだから!

 僕は仏頂面で、本と紙袋を二人から奪い返した。
「脚本書く人がおらんからって頼まれただけ!」
「出演はせぇへんの?」
 興味深々の太一郎に「まさか!」と答える。
「まぁ、ふぅじゃ華がないからなぁ」
 一樹はあっさり残酷なことを言う。いや、華がないのは事実だけど!
「とりあえず、時間あれへんから、邪魔せんといてよ!」
 二人に念押しして、僕は部屋にこもった。
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