初恋への道。
文字数 2,363文字
「おはようさん、おはようさーん!」
門扉を開けた途端、向かいの教会の前にいた百瀬太一郎 が大きく手を振って、駆け寄ってきた。
「おはよう、太一郎」
そう挨拶を返したのに。
「おはよう、一樹」
「って、おい! 僕は透明人間かよ!」とつっこむところまでが毎朝のお約束。
「ウソウソ、おはよう、ふぅ」
僕らより10センチ身長の高い太一郎はニヤニヤ笑いながら、僕を見る。
「いやぁ、何べん見ても、笑える制服やなぁ」
太一郎は一週間前、真っ白の制服に身を包んだ僕を見て爆笑した第二号だ。第一号はもちろん、一樹。
一樹が試着したら、ちょっと高貴な雰囲気を漂わせたのに、僕が着たら笑える。
同じ顔でこの差はなんだ?
「笑うなよ、慣れろ!」
僕らがそんなやりとりをしている間に、一樹はスタスタとバス停へ向かう。
「一樹、おはよう、おはよう、おはよう、おはよう……」
後を追いながら、歌うように繰り返す太一郎に、一樹が足を止めずに振り返った。
「もぅ。うるさい」
この場合の「もぅ」は「もーやだぁ」の「もー」ではなく、百瀬の「もぅ」。
僕同様、名前を一文字しか呼んで貰えない太一郎が、一樹の言う「アイツ」。猫をかぶらないでいい、悪いツラを平気で見せられるもう一人の人間だ。
「一樹が『もぅ』って呼ぶから、高校でも俺のあだ名、もぅになった」
ニコニコ教えてくれる太一郎はアホっぽいけど、僕より頭が良くて、一樹と同じ超進学校に進んだ。
「よかったやん、大大大好きな一樹と一緒の高校で」
「うん、よかったわ!」
僕の嫌味をスルーして、太一郎は元気に頷く。
小学2年でお向かいの教会に引っ越してきた日に、お目目キラキラオーラにやられて以来、太一郎は一樹の奴隷だ。
嫌いなシイタケは食べてくれる、面倒くさい工作の宿題はやってくれる、忘れ物は取りに帰ってくれる、いじめられそうになると颯爽と登場する――。
有名な猫型ロボットですら、説教をかましてからじゃないと助けてくれないのに、太一郎は無条件で一樹に尽くす。
しつこいようだが、聞きたい。
同じ顔の僕が、同じ状況になっても一切助けてくれないくせに、この差はなんだ?
「それはやっぱ、運命の相手やからやーん」と太一郎がふざけた途端、一樹の後ろ回し蹴りを食らった。
と思ったら、紙一重で避けていた。
「チッ」
一樹が盛大な舌打ちをする。
実はこの二人、同じ空手道場に通っていて有段者。だから、太一郎が助けに来なくても、一樹はいじめなんて屁でもない。
「あーあ、でもなぁ、ふぅはええなぁ。英宣が共学になると知ってたらなぁぁぁ。僕かて受けたのにぃぃぃ」
一樹とお揃いがいいから、と標準服で通している太一郎は大きなため息をつく。
「うちの親、肝心なとこで情報逃すんやもん。親父、地団太踏んで悔しがってた」
「え! あのおじさんが……?」
太一郎のお父さん、大二郎さんは牧師さんだ。
日曜日になると、教会の前でニコニコ微笑みながら礼拝に来る人たちを迎えている。
教会の裏というか奥というか――そこにある太一郎の家にいつ遊びに行っても、詰襟みたいな黒いシャツ(ローマンカラーシャツというらしい)を着て、いつもニコニコして、穏やか。
地団太を踏んで悔しがる姿なんて、想像もつかない。
「英宣学園は今も生徒と保護者以外、男子禁制やろ。俺が入学してたら、保護者として堂々と中に入れたのにって」
太一郎は僕に顔を近づけた。
「オカンに内緒やけど、親父の初恋の人、英宣の人やってんて」
「んん? それってお前のことやろ?」
「せやから、二代続けて、初恋の子ぉが英宣の子っちゅうわけ」
そう言うなり、太一郎はがしっと僕の手を握った。
「頼むわ、ふぅ! 俺の初恋の子、探してきて!」
またそれか……。
「ハイハイ、英宣の制服着てて、目が大きくて髪の毛がくるんくるんで、キ〇ィちゃんが大好きで、唇がさくらんぼみたいに赤い、『みーちゃん』な――って5歳の、1日だけの情報で探せるか!」
僕は太一郎の手を振り払ってバス停に走った。
「頼むわぁ、なぁ、ふぅ~」
俊足の太一郎は僕をあっという間に追い越すと、拝むように手を合わせた。
10年前、太一郎はおじいさんのお見舞いに行った神戸市内の大きな病院で、英宣学園幼稚舎の制服を着た女の子に一目惚れした。「みーちゃん」も誰かのお見舞いだったらしい。
かわいさに、雷が打たれるほどの衝撃だった、という「みーちゃん」とはその一度きり。
数年後に引っ越し先でネコをかぶった一樹と出会った瞬間に、またもや雷に打たれたせいで、「みーちゃん」が頭から消し飛んだらしい。
中学時代はちゃっかり彼女がいて、「みーちゃん」のことなど思い出しもしなかったくせに、僕が英宣に入学したことで、無性に「みーちゃん」に会いたくなったらしい。
「あのね、僕はまだ学校に慣れるので精いっぱい! 太一郎の初恋の人なんて探す余裕ないよ」
「3年あるやん。余裕できてからでええから。な? 数学の宿題、答え教えたるから」
数学が大の苦手の僕は、あっさり陥落。
「……探すんは、僕に余裕ができてから、やで?」
「うんうん!」
「前払いで数学の答え、教えてくれる?」
「……前払いの場合は、解き方を教えるだけ」
「ええー!」
「それでもだいぶ、いいと思うけど?」
というわけで、早めに太一郎の初恋の人「みーちゃん」は探したいところだ。とりあえずは、女子の誰かと友達になったほうがいい。
入学以来、女子とほとんど話をしていないけど。
僕はバスに揺られながら、クラスメイトたちの顔を思い浮かべ、憂鬱になった――。
門扉を開けた途端、向かいの教会の前にいた
「おはよう、太一郎」
そう挨拶を返したのに。
「おはよう、一樹」
「って、おい! 僕は透明人間かよ!」とつっこむところまでが毎朝のお約束。
「ウソウソ、おはよう、ふぅ」
僕らより10センチ身長の高い太一郎はニヤニヤ笑いながら、僕を見る。
「いやぁ、何べん見ても、笑える制服やなぁ」
太一郎は一週間前、真っ白の制服に身を包んだ僕を見て爆笑した第二号だ。第一号はもちろん、一樹。
一樹が試着したら、ちょっと高貴な雰囲気を漂わせたのに、僕が着たら笑える。
同じ顔でこの差はなんだ?
「笑うなよ、慣れろ!」
僕らがそんなやりとりをしている間に、一樹はスタスタとバス停へ向かう。
「一樹、おはよう、おはよう、おはよう、おはよう……」
後を追いながら、歌うように繰り返す太一郎に、一樹が足を止めずに振り返った。
「もぅ。うるさい」
この場合の「もぅ」は「もーやだぁ」の「もー」ではなく、百瀬の「もぅ」。
僕同様、名前を一文字しか呼んで貰えない太一郎が、一樹の言う「アイツ」。猫をかぶらないでいい、悪いツラを平気で見せられるもう一人の人間だ。
「一樹が『もぅ』って呼ぶから、高校でも俺のあだ名、もぅになった」
ニコニコ教えてくれる太一郎はアホっぽいけど、僕より頭が良くて、一樹と同じ超進学校に進んだ。
「よかったやん、大大大好きな一樹と一緒の高校で」
「うん、よかったわ!」
僕の嫌味をスルーして、太一郎は元気に頷く。
小学2年でお向かいの教会に引っ越してきた日に、お目目キラキラオーラにやられて以来、太一郎は一樹の奴隷だ。
嫌いなシイタケは食べてくれる、面倒くさい工作の宿題はやってくれる、忘れ物は取りに帰ってくれる、いじめられそうになると颯爽と登場する――。
有名な猫型ロボットですら、説教をかましてからじゃないと助けてくれないのに、太一郎は無条件で一樹に尽くす。
しつこいようだが、聞きたい。
同じ顔の僕が、同じ状況になっても一切助けてくれないくせに、この差はなんだ?
「それはやっぱ、運命の相手やからやーん」と太一郎がふざけた途端、一樹の後ろ回し蹴りを食らった。
と思ったら、紙一重で避けていた。
「チッ」
一樹が盛大な舌打ちをする。
実はこの二人、同じ空手道場に通っていて有段者。だから、太一郎が助けに来なくても、一樹はいじめなんて屁でもない。
「あーあ、でもなぁ、ふぅはええなぁ。英宣が共学になると知ってたらなぁぁぁ。僕かて受けたのにぃぃぃ」
一樹とお揃いがいいから、と標準服で通している太一郎は大きなため息をつく。
「うちの親、肝心なとこで情報逃すんやもん。親父、地団太踏んで悔しがってた」
「え! あのおじさんが……?」
太一郎のお父さん、大二郎さんは牧師さんだ。
日曜日になると、教会の前でニコニコ微笑みながら礼拝に来る人たちを迎えている。
教会の裏というか奥というか――そこにある太一郎の家にいつ遊びに行っても、詰襟みたいな黒いシャツ(ローマンカラーシャツというらしい)を着て、いつもニコニコして、穏やか。
地団太を踏んで悔しがる姿なんて、想像もつかない。
「英宣学園は今も生徒と保護者以外、男子禁制やろ。俺が入学してたら、保護者として堂々と中に入れたのにって」
太一郎は僕に顔を近づけた。
「オカンに内緒やけど、親父の初恋の人、英宣の人やってんて」
「んん? それってお前のことやろ?」
「せやから、二代続けて、初恋の子ぉが英宣の子っちゅうわけ」
そう言うなり、太一郎はがしっと僕の手を握った。
「頼むわ、ふぅ! 俺の初恋の子、探してきて!」
またそれか……。
「ハイハイ、英宣の制服着てて、目が大きくて髪の毛がくるんくるんで、キ〇ィちゃんが大好きで、唇がさくらんぼみたいに赤い、『みーちゃん』な――って5歳の、1日だけの情報で探せるか!」
僕は太一郎の手を振り払ってバス停に走った。
「頼むわぁ、なぁ、ふぅ~」
俊足の太一郎は僕をあっという間に追い越すと、拝むように手を合わせた。
10年前、太一郎はおじいさんのお見舞いに行った神戸市内の大きな病院で、英宣学園幼稚舎の制服を着た女の子に一目惚れした。「みーちゃん」も誰かのお見舞いだったらしい。
かわいさに、雷が打たれるほどの衝撃だった、という「みーちゃん」とはその一度きり。
数年後に引っ越し先でネコをかぶった一樹と出会った瞬間に、またもや雷に打たれたせいで、「みーちゃん」が頭から消し飛んだらしい。
中学時代はちゃっかり彼女がいて、「みーちゃん」のことなど思い出しもしなかったくせに、僕が英宣に入学したことで、無性に「みーちゃん」に会いたくなったらしい。
「あのね、僕はまだ学校に慣れるので精いっぱい! 太一郎の初恋の人なんて探す余裕ないよ」
「3年あるやん。余裕できてからでええから。な? 数学の宿題、答え教えたるから」
数学が大の苦手の僕は、あっさり陥落。
「……探すんは、僕に余裕ができてから、やで?」
「うんうん!」
「前払いで数学の答え、教えてくれる?」
「……前払いの場合は、解き方を教えるだけ」
「ええー!」
「それでもだいぶ、いいと思うけど?」
というわけで、早めに太一郎の初恋の人「みーちゃん」は探したいところだ。とりあえずは、女子の誰かと友達になったほうがいい。
入学以来、女子とほとんど話をしていないけど。
僕はバスに揺られながら、クラスメイトたちの顔を思い浮かべ、憂鬱になった――。