第3話 雨、アラビアータ

文字数 2,504文字

 朝から乳白色の雲が上空をびっしり覆っていた。ちょっぴり雨粒を落としてきたりして、「オイラこのあと雨降らすんだもんね。確定だもんね」的な宣言をしているように見受けられた。

 果たして、昼休憩の時間に会社から出ると、雲はどんより鈍色に変わっており、しとしと大きめの雨粒を投げて街を濡らしていた。
 僕はボロっちい黒の折りたたみ傘を広げて、腕をじとっと濡らしながら歩く。

 今日のランチは、昨日、街歩きしている時に決めていた。
 奥まった場所にあるため、すっと通り過ぎてしまいそうになるお店。入り口ドアの前の小さな立て看板に、ランチのメニューが描かれていた。

「アラビアータ……って何だっけ」

 ググると、大体は「唐辛子多めのトマトソース」というような説明がなされていた。トマトのさっぱり感、唐辛子のピリッと感、ニンニクの風味がベースで、そこに色々加えてオリジナリティを出すみたいだジュルッ。

 ……いかんいかん、もう涎が。

 ドアを開けて、券売機で980円のランチBを選択。
 ランチセットは、自家製ミニサラダか、麺増量か、ガーリックトーストの3つから選択できた。麺増量に心がぐらり揺れるも、僕はガーリックトーストをお願いした。トーストにアラビアータのソースを付けて食べてみたいなって。きっと美味かろうって。

 小さな店内は、椅子を詰めても10人座れるかどうか。さほど大きくない厨房を取り囲むようにカウンターが設置されている。椅子に座ると厨房の中で店主さんがいそいそ動く様子が丸見え。フライパンから火がぼわっと上がる。味付けにワインとか酒とか使ってるのかな、オリーブオイルであんなに火は上がらないだろう。店内は厨房から広がる熱で、もわっと暖かい。今日、雨降りの外気はかなり冷えていたので、体がポカポカしてきて嬉しい。

 ワンオペにて、店主さんはとても忙しそうだ。かなり若く見える店主さんは、ひたすら店内を動き廻っている。スパゲティの茹で具合を管理しながら、ふたつのフライパンでボゥボゥ具材を炒め、炒まったらソースを入れて温め、出来上がったソースの中へ、良い具合に茹でられたスパゲティを投入していく。

 手の動きが速すぎて、間近で眺めていても何をやっているのかサッパリ分からない。これがプロってやつか……。その動きを繰り返しながらも、券売機で券を購入したお客さんへの対応と、皿の片付け、テーブル拭き、椅子の配置替えを同時に行う。マルチタスク、格好良いなぁ。

 その俊敏かつ華麗な動作に見惚れていると、注文の品、アラビアータクリーム・スパゲティが提供された。赤色にクリームの色がほんのり混ざった、なんとも食欲をそそる色艶だ。そのあと、ガーリックトーストの乗った皿もいただく。



 ちなみに、気になってパスタとスパゲティという言葉について調べてみた。パスタはイタリア語で小麦粉を練った食品の総称らしく、スパゲティ・スパゲッティはその中でも麺の長さや太さ等、特定の条件を満たしたものの呼称のようだ。だから迷ったらパスタと呼んでおけば大抵間違い無いらしい。

 さてそれでは、すごく美味しそうなスパゲティを食べよう。
 写真では分かりにくいが、すっごい湯気。その湯気で、トマトやらクリームやら少しのニンニクやらなんやらの匂いが立ち昇り、鼻腔をくすぐる。食べる前からもう鼻で味わってしまっていることに驚く。こりゃ絶対美味いワ。

 フォークにスパゲティをクルクル巻いてソースをも巻き込んで、丸くなったかたまりを口へ運ぶ。細くて噛みごたえのある麺に、絡んだソースが絶品だ。旨辛で濃厚、想像よりもトマトもニンニクも唐辛子も主張強めで、口腔内においてそれぞれが支配圏を広げようと躍起になっている。それでいて噛んでいるうちに混ざり合って。結局、仲良く舌を楽しませてくれたのち、食道を通っていった。

 ひと口でこんなに楽しいだなんて一体どういうことなんですかいな。
 ではお次、気になっていたガーリックトーストだ。持ち上げて、アラビアータクリームソースに浸す。トーストの断面がピンクともオレンジともつかない色で染まる。その断面をパクリと咥え、噛みちぎる。ウッマっ。

 喫茶店のモーニングで出して欲しいくらい、トーストの甘味にガーリックの風味、アラビアータソースのピリ辛さと芳醇な香りの合わせ技が素晴らしい。

 あっという間にふた切れのトーストを平らげてしまった。再びスパゲティをフォークで巻いて口に入れ咀嚼する。辛さは普通を選択していたが、食べ進めるうちに額から汗が垂れてきた。本来は口の周りを拭くために置かれているであろうティッシュを使い、こめかみに流れ出た汗を拭きつつ、皿の上のスパゲティをドンドン減らしていく。

 ソースだけになったら、スプーンでソースを掬い上げていく。ソースだけでもすっごく旨辛、辛くて旨い。美味い。そして今更、ベーコンも入っていたことに気付く。あと、これは鷹の爪? 種もワタも無いみたいだけど、皮だけでも十分辛い。ああ美味い。スプーンをたぐる手が止まらない。ほどなく皿は空っぽになった。

 食べてる間、店主さんはずっと高速移動し、一瀉千里に動き続けていた。
 それで、ちょいと気になったことを訊いてみる。

「いつもお一人でやられてるんですか?」
「いえ、普段は手伝ってくれる人がいます。金曜日は一人なんですけど。今日は雨が降っていたので、一人でもいけるかなって。雨だとそんな混まないんで。エヘヘ」

 そう言って店主さんは、はにかんだ。胸のすくような良い笑顔だった。

「とってもおいしかったです。ごちそうさまでした」

 店主さんはどのお客さんに向けても爽やかに声掛けをしていた。「いらっしゃいませぇ」も「ありがとうございましたぁ」もしっかり気持ちが入ってて、ビジネス的な印象は受けない。素晴らしいお店、忙しくても笑顔をふりまく素敵な店主さんだ。

 お店を出て道路を見る。さっきより強い雨が幾つもの水溜りを作り出していた。
 折りたたみ傘をさして、振り返る。

 ……また、雨の日に来ます。

【本日の出費】

 アラビアータクリーム・スパゲティとガーリックトーストのランチセット
 980円
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