ボエモン1世(2)
文字数 996文字
ボエモンはアンティオキア公国をエルサレム王国以上の大国にするつもりだったが、1100年にアナトリアのイスラム地方政権ダニシュメンド朝に敗れ(メリテネの戦い)、1103年まで捕虜となった。また1104年にはハッラーンの戦でもムスリムに敗れた。
その間に、東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスの支援を受けて、トゥールーズ伯レーモンがトリポリにトリポリ伯領を創設し、アンティオキア公国の拡大を防いだ。その後、兵力を募るために一旦ヨーロッパに戻り、1105年にフランス王女コンスタンス(フィリップ1世の長女)と結婚し、東ローマ帝国と争ったが結局敗れて、その宗主権を認めた。
東ローマ帝国のアレクシオス1世コムネノスの皇女アンナ・コムネナは彼女の著書『アレクシオス1世伝』の中で、十字軍の来訪について「野蛮人が大挙してやってきた」と記しているが、そのなかでノルマン人を率いているボエモンの特徴的な容姿を以下のように記録している。
「背が高く、広い肩幅、引き締まった身体。金髪、肌は白く、少し赤味を帯びた顔、碧眼で、その瞳には高貴さと威厳がある。すべすべと顔をそり、頭髪は耳のあたりで短く刈っている。この男には恐怖感を感じさせる一方で、何とも言えない魅力があり、機知に富み、よく事情に通じ、断固とした言葉を交わす」「この男に優る資質の持ち主と言えば、私の父である皇帝だけであろう」