ジャン・カルヴァン(9)
文字数 892文字
カルヴァンは、職業は神から与えられたものである(職業召命観)以下キリスト教綱要より抜粋・・・最後に、主なる神は我々すべての者に、人生のあらゆる活動において、自分の使命を重んじなければならないことを、命じておられること、に注意しなければならない。・・・神は、すべての人に人生のあらゆる領域において、それぞれの特別な義務をお定めになった。・・・人が、自分の心配、苦労、困難、その他の重荷の何においても、神が自分の導き手であることを知っておれば、これらのことが、どんなに軽くされるかしれない。各個人はその重荷を神から背負わされるのである、ということが納得できれば、為政者は自分の務めを、そう大きな満足をもって、自分の義務に専念するであろう・・・かくてまた特殊な慰めというものが生まれる。なぜならば、(われわれが自己の天職に従う限りは)余りに卑しく下劣で、到底神の御目の前において真に尊く見え、非常に重要には思われないというような仕事はどこにもないからである。
これはもっともらしく見えて解釈によってはどんなこともできてしまう実に危険な思想だと思います。十字軍の時は教皇の演説があったために人々は熱狂し残酷になってしまいました。でもカルヴァンの思想ならば教皇のような高位聖職者でなくても、誰もが神に選ばれた特別な人間だと思って仕事に励み、その仕事が人を騙して金銭や食糧を奪い、命を奪うものであったとしても、自分たちは選ばれていると信じて残酷になってしまうのです。プロテスタントは全ての人間が司祭になる可能性だけでなく教皇と同じだという信念を持つことも可能にしてしまったのです。そして争いが激しい場所にいて現状に不満を持っている者ほどこうした思想に飛びついてしまいます。