メアリー・オブ・ギーズ(1)
文字数 1,047文字
フランスの大貴族ギーズ家の出身で、初代ギーズ公クロードの長女。母アントワネット・ド・ブルボンはブルボン家傍系のヴァンドーム伯フランソワの娘でブルボン朝初代の王アンリ4世の大叔母にあたる。ギーズ公フランソワ、ロレーヌ枢機卿シャルル、オマール公クロード2世、エルブフ侯ルネ2世は弟である。マリー・ド・ロレーヌとも呼ばれる。
はじめ、1534年にロングウィル公ルイ・ドルレアンに嫁いだが、1537年に夫が死去したため、同じく妻マデリン・オブ・ヴァロワを亡くしたスコットランド王ジェームズ5世と、1538年の6月18日に22歳で再婚。マリーの2人の弟、ギーズ公フランソワとロレーヌ枢機卿シャルルは、フランス宮廷で絶大なる権力を握っていた。
彼女は美人というわけではなかったが、体格ががっしりしていて子供を多く期待できるという事で、ジェームズ5世の再婚相手として選ばれた。フランス王フランソワ1世の娘でジェームズ5世の前妻マデリンは体が弱く、1537年1月に嫁いだが7月に死去してしまっていた。しかしマリーには前夫との間に3歳になる息子フランソワがいたが、幼い我が子をフランスに残していかなければならなかった。
ジェームズ5世と結婚し、スコットランド王妃になったものの、既に彼には長年の恋人であった、スコットランド有力貴族の娘マーガレット・ダグラスとの息子ジェームズ・ステュアート(後のマリ伯)や、他多くの愛人との間の私生児達がおり、幸せな結婚生活ではなかった。