ゴドフロワ・ド・ブイヨン(10)
文字数 1,061文字
ゴドフロワ・ド・ブイヨンの最大の武功・伝説が生まれたのは、このエルサレムであった。1099年6月、十字軍はエルサレムに到着し、エルサレムの城壁を乗り越えるために、イタリア人水兵から提供された木材を用いて攻城兵器を建造した。そして7月14日~15日にかけて十字軍はエルサレムを攻撃した。そしてゴドフロワと彼の指揮下の数人の騎士が最初に城壁を抑え、エルサレム市街へと突入したことで、エルサレムは陥落したのだった。
この包囲戦は、1096年に開始された3年に渡る十字軍遠征の集大成となり、彼等は聖地エルサレムの奪還や聖墳墓教会、イエス・キリストの空墓などを再びキリスト勢力下に取り戻すことに成功したのだった。ゴドフロワは遠征終結後、エルサレムのムリスタンに病院施設を寄付したという。
そして2番手として即位を求められたゴドフロワがそれを快諾したことを受け、ゴドフロワは初代エルサレム統治者となった。しかし彼はエルサレム王と名乗るのを拒否し、自身を聖墳墓守護者と名乗り、またイエス・キリストが荊の冠をかぶせられた地で黄金の王冠を冠るのは畏れ多いことだとしてそれも拒否したという。
ただし彼が名乗った称号の意味や、実際にそのように名乗ったかどうかについては様々な論争がなされている。当時の文献の中にprinceps(第一人者、創立者)というより多義的な称号を用いたと主張する文献もあれば、遠征前から彼が有した公爵の称号をそのまま用い続けたとする文献も存在している。また、十字軍に参加していない歴史家などによって後世に編纂された文献には、Rex、または王(King)の称号を用いたとの記述が残されている。