ジェームズ1世(イングランド王)(9)
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イングランド王に即位後はスコットランドは遠隔支配することになり、複数の側近を派遣して「ロンドンに在ってスコットランドをペンで治める」旨を伝えた。権力集中を避けるため3人がスコットランドを治める体制を作り、議会で権力が制限されがちなイングランドよりは効果的な体制だったが、国王の目が届かないため圧政や腐敗が広がった。
特にジョージ・ヘリオット、トマス・ハミルトン、アーガイル伯爵アーチボルド・キャンベルが権勢を振るい、ヘリオットはイングランドで浪費して金に困ったスコットランド貴族やジェームズ1世に土地と引き換えに金を工面し、スコットランド最大の地主に成り上がりジョージ・ヘリオット学校設立など慈善事業に捧げた。
ハミルトンはガウリ伯兄弟の遺体を裁判にかけ大逆罪を下したことで一族共々出世しハディントン伯爵も与えられた。一方アーガイル伯は対立していたマクレガー氏族を大勢惨殺したり、他の氏族にも強引にイングランド文明を押し付けたりしていた。
スコットランドでは宗教問題が未解決で、ジェームズ1世がイングランドに移ってからも監督制を支持する国王と長老制を堅持する長老派教会との対立が続いていた。ジェームズ1世は1606年にアンドリュー・メルヴィルを追放、1618年にはパースで監督制を強化したパース5箇条を押し付けたが、後に一部緩和してそれ以上宗教に介入しなかった。