ニコラウス・コペルニクス(16)
文字数 862文字
16世紀には観測手段の限界から、古代に知られていなかった新しい観測結果があったわけではないため、直ちに大きく天文学を変革するといったことはなかった。コペルニクスの時代の観測記録は精度が悪く、それを基にした地動説も天動説と比べてそれほど精度に差があるものではなかったためである。1551年にはエラスムス・ラインホルトが『天球の回転について』に基づいて『プロイセン表』を作成したが、これも従来の星表の精度を改善するものではなかった。
コペルニクスの地動説の普及に努めたトマス・ディッグズは恒星の天球を取り除いたものの、残りの惑星についてはいまだ天球上に存在するものであるとした。この状況が大きく変わるのは、ティコ・ブラーエが観測精度を飛躍的に向上させた長期の観測データを得ることに成功し、そのデータを引き継いだヨハネス・ケプラーが1619年に惑星は楕円軌道を描いているというケプラーの法則を発見し、これによって1627年にはケプラーが地動説に基づいて『ルドルフ表』を完成させ、予測精度を飛躍的に向上させてからである。これによって地動説は天動説に対し完全に優位に立った。
そしてアイザック・ニュートンが1687年に『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の中で、ケプラーの法則が成り立つための万有引力の法則を発表し、これによって古代の力学は完全に否定され、惑星の運動と太陽系の構造を高精度に説明できる理論として地動説が完成した。