第10話 王女さまがやってきた
文字数 3,107文字
三軒の家に三匹の猫を届けて、今日の仕事はおしまいだ。
移動は自動車。
これは、キャリーケースを持って、えっちらおっちら電車移動ってのが大変だから。
今の季節ならまだしも、夏とかだったら猫たちだって参ってしまう。
エアコンの効いた車内でくつろいだ方が良いだろう。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
玄関でキャリーケースごと愛猫を受け取った依頼主が、涙を流しながら感謝している。
有閑マダムって感じの上品なご婦人がおいおい泣いてる姿は、正直いたたまれない。
ホントにな。
こういうことになるから、脱走なんかしちゃダメなんだ。
捕まえたというか、合流した猫には充分に言い含めてあるけどね。
結局、猫って好奇心がすごく強い生き物なので、ついつい外に出てしまうことがあるのだ。そして夢中になって走り回っていると、家の場所が判らなくなる。
これが、迷子猫の最も多いパターンだ。
「先生! 本当にありがとうございました!」
俺の右手を両手で握りながらの言葉。
感極まったのか、先生呼びになってる。
しがない探偵なんだけどね。
そしてそのままリビングまで引っ張り上げられてしまう。俺も美鶴も。
せめてお茶でも飲んでいってくれ、と。
最後の受け渡しだったため、仕方なくお相伴にあずかることになった。
「先生から連絡があって、すぐに買い求めました。お口に合えばよろしいのですが」
などと言いながらケーキの乗った皿をソファテーブルに置く令夫人。
すっげー高級なやつなんだろうなーってのは見て判る。
美鶴が目を輝かせた。
「さあさあ。可愛い助手さんも召し上がって」
うん。
あきらかに美鶴をもてなすためのケーキだよね。
ちなみに依頼主には、妹で助手なのだと説明している。平日に子供が探偵の真似事を、と思う人もいるだろうが、そこはそれ相手の事情を忖度しないというのが探偵の流儀だ。
あーだこーだと文句をつけてきたら、俺は依頼を受けないだけだし。
「先生にお願いすれば、ものの数日で解決してくださる、という噂は聞いていました。ですが頼んだ翌日に見つけてくださるとは」
「妹は猫娘でしてね。猫には猫の居場所がわかるんですよ」
冗談めかして俺は言い、美鶴もにゃーんと合わせてくれる。
これはまあ、リップサービスのようなものだ。
「先生、こちらを」
しばしの歓談のあと、依頼人が立派な封筒をテーブルに置いた。
もちろん報酬だが、少し封筒が厚すぎる気がする。
手に取ってたしかめると、やっぱり一万円札が二十枚も入っていた。
「奥さん。桁がひとつ多いようですが」
俺はその中から二枚だけ抜いて、残りが入った封筒を押し返した。
昨日依頼を受けて今日解決。
調査に要した日数は一日なので、料金は二万円である。
「いえいえ先生。私の気持ちですので」
「しかしですね。正規の料金以外を受け取ってしまいますと、いろいろと問題があるのですよ」
俺は柔らかく拒絶してみせた。
誰も彼もが、この依頼主のように金満家なわけではない。
一日分の調査費用である二万円を、やっと捻出している人だって少なくないのだ。
だからこそ、俺は必ず一日で解決するのである。
「受け取ってもらわなくては私が主人に叱られてしまいます」
「そういわれましても」
「でしたら、先生の妹さんに服をプレゼントするということで。ただ私には好みが判りませんので、服代ということにりますが」
手を変え品を変えて押しつけてくる。
そして何度も断り続けるというのも、非礼な話なのだ。
俺は大げさにため息をついて、美鶴の髪を撫でた。
「良かったな。奥様が服を買ってくださるそうだよ」
「ありがとうございます。奥様」
ぴょこりと幼女が頭を下げる。
押し負けた格好で受け取ることとなった。じつはこれ、珍しい話ではない。
依頼人のうち、一から二割くらいの人がこうして追加報酬を出してくるのだ。
さすがに十八万円もというのは滅多にないけどね。
だいたい一万円くらいかな。
「居場所がわかっている迷子猫と合流し、家に連れて帰るだけで二十万円。しかもケーキまでついてくる。こんなに美味しい仕事もそうそうないじゃろうの」
帰りの車内で、美鶴が苦笑を浮かべる。
まともに働くのがばかばかしくなる、などと言いながら。
「ゆーて、十八万は美鶴の取り分だぞ。お前さんの服代ってことで受け取ったんだからな」
「いらぬよ。と言ってしまうと、話が面倒になるのじゃったな」
困った顔の助手さまである。
ついさっきの押し問答を思い出すまでもなく、一度出した財布は引っ込められないものなのだ。
プライドってのがあるからね。
「家賃も光熱費もかからぬ上に高給優遇され、追加で金が入ってくる。堕落への道、一直線じゃな。誰の引いた絵図面やら」
ふふりと笑う。
「しまった。俺の高度な心理作戦が見抜かれてしまったか」
「社長は高度という言葉の意味を、辞書で引き直した方がよかろうな」
「金の力で美鶴を籠絡するのだあ」
「はいはい。社長はすごいのう」
助手席からひらひらと手を振る。
社長、なんて呼ばれてるけど敬意は一ミリグラムも籠もってない。
いっそ家にいるときのように、アゾールトと呼び捨てにされた方が清々しいというものだが、仕事の時はちゃんとしなくてはダメだ、という謎のポリシーによって社長と呼ばれ続けている。
つーかちゃんとしてるのって、二人称代名詞だけじゃねーか。
客がいないときは、普通にちょー上から目線で接してくるじゃん。
車を駐車場に入れ、事務所へと戻る。
時刻はまだ十五時を回ったばかり。朝に予想していた通り早く終わりそうだ。
ならば早じまいして、美鶴とショッピングに出かけるのも良いかもしれない。
せっかく服代をいただいたのだし。
なーんていう俺のささやかな夢は、事務所に入った瞬間に無残にも打ち砕かれた。
施錠していたはずの事務所に人の姿があったのである。
しかも、社長席にでーんとふんぞり返っている。
「遅かったじゃない。ロリキュバス」
背の高い美人で、胸部はわがままな自己主張をしており、道行く男の八割くらいは生唾を飲み込んじゃうような女性だ。
そうじゃない二割は、老け専とかブス専とか処占とかロリコンとかに分類されるような、業の深い人々だろう。
「これはラシュアーニ姫、このようなむさ苦しいところに何のご用でしょう。あと、変なあだ名で呼ばないでください。お願いします」
すっごい嫌そうな顔で挨拶してやる。
夜魔族の第三王女であるラシュアーニに。
「マゾールトだっけ?」
「アゾールトです。わざとやってますよね?」
女もののスーツからこぼれそうな胸をゆらして、ラシュアーニが笑う。
蠱惑的な笑みだ。
男の心をとろけさせるような。
もちろん、同族である俺には、これっぽっちも効果はないけどね。
インキュバスの魅力はサキュバスには通じないし、逆もまた真なりというやつた。
「まあ、用件はいつも通りよ。お金をすこし引き受けて欲しいの」
「いくらです? うちはしがない探偵事務所なんで、あんまり多くは無理ですよ? 姫」
「三億くらいいけそう?」
「ぎりぎりですね」
やれやれと両手を広げる。
「どういうことじゃ?」
うしろから、つんつんと服の裾を引っ張られた。
ふむ。
ちゃんと説明しないと判らないよな。
美鶴とラシュアーニを応接セットに招く。とくに後者な。そこ俺の席だから。
で、軽く双方を紹介した。
「人妖にも、姫と呼ばれる存在がおるのじゃなあ」
「ついにロリキュバスが食事にありつけたのね」
一方は妙なことに感心してるし、他方は涙ぐんでるし。
なに? この状況。