第31話 奥多摩なぐりこみ
文字数 3,527文字
「ラスボスの名前が加藤だなんて、『帝都物語』みたいだな」
高級車を運転しながら冗談を飛ばす。
一九八八年に公開された映画である。
で、これのラスボスの名前が、加藤
陰陽師とか式神とか、美鶴にも関わりが深いものがけっこう登場した。
「あの作品は、風凪のかの字すらかすっておらぬがのう。ちなみに加藤は、二〇〇五年公開の『妖怪大戦争』って映画でもラスボスをやっておるぞい」
「まじで!? 見ないと! アマ○ンプ○イムにあるかな?」
「どこに食いついておるのやら。ともあれ、その加藤保憲とこの加藤少佐は別人じゃよ」
助手席で美鶴が肩をすくめる。
あ、かっぱらった霊刀はトランクに隠してあるよ。検問で止められないことを祈るのみだね。
「まあ、魔人加藤は創作だからな」
「あやつは、風祭機関のスタッフの一人じゃった。しかも、そこそこ上の方じゃの」
少佐だからね。
普通に幹部だ。
「わしにとっては、痛いことや苦しいことをする怖いおじちゃん、という印象じゃな。身体に針は刺されるわ変な薬は飲まされるわ電気は流されるわ。それはそれはひどいことをされたのじゃよ」
あんまり詳しく聞きたくはない。
小さな子供たちがどんな目に遭わされながら死んでいったかなんて。
「わししか生き残らなかったと思っておったが、加藤少佐は実験結果をちゃっかりと持ち逃げしていたのじゃな」
「そしてそれを使い、彼自身の肉体に降る時を止めたってことか」
「いや。それはあくまでも副次的なものじゃろう。もし主目的だったなら、わしが放置されるはずがない」
たしかにそれはその通りだ。
実験に使われた子供の唯一の生き残り、彼女がどのように成長するのか、見届けようとしないはずがない。
彼女には、風祭機関が望んだ効果は現れなかった。
だから狙われることもなく、今日まで生きてこられたというわけである。
「もちろん、それを感謝する気にはなれんがの。わしとしては、普通に生き、普通に恋をして、普通に子を産み、普通に死んでいきたかった」
前方を見つめる美鶴の瞳には、叶えられないものへの憧憬と、そして悲しみを映している。
初潮を迎える前に時を止めてしまった彼女は、けっして子を成すことはできない。もちろん恋愛だってできないだろう。
「まー、日本人女性の平均寿命まで、まだまだ四年もあるけどね」
俺は軽く冗談で流す。
本人が望んだわけではまったくないが、彼女は薄闇の領域の住人になってしまったのだ。
俺たちと一緒、あるいは準じる存在に。
ゆえに、普通の生活など望むべくもない。
「もうちょっと気のきいた慰めはないのかや?」
じろっと美鶴が運転席を睨み付ける。
けど目が怒ってないからね。
「最初の百年が一番つらいんだってさ。定命のものが不老不死になっちゃうと」
知己がどんどん死んでいくから。
自分だけが取り残される気分になってしまうんだそうだ。
しかし、それを過ぎるとまた考えも変わってくる。
親しかった人や血縁者の子々孫々を見守っていくというのも、なかなかおつなものだと思えるようになっていくらしい。
「それは少し判るのう。わしとて美咲の成長が嬉しくて仕方がないからの。人妖どもにまとわりつかれているのは業腹じゃが」
ふうとため息を漏らす。
いやいや。あなただって人妖の相棒と、人妖の娘がいるんですよ。
「ともあれ、長い時をともに生きていく仲間ができてしまったわけじゃ。となれば人としての生き様に固執する必要もあるまいよ。ほどほどの人間生活を送れるなら、それで良しとしなくてはな」
「ほどほどの探偵業で、ほどほどに楽しもうぜ。あと百年くらいは」
「悪くない。じゃが、だからこそ過去の因縁に決着を付けなくてはならぬの」
ふっと笑った美鶴が視線を前方に戻した。
奥多摩の自然が、ざわざわと梢をゆらしながら俺たちを迎えてくれる。
多賀谷屋敷は豪壮だったが、加藤の家はぜんぜんそんなことなかった。
奥多摩湖を眺望する小高い丘に立っているのは、庵って風情の閑雅な建物である。
「風流だねぇ」
「電話回線を引いてネットに繋げている時点で、風流もへったくれもないがの」
美鶴がせせら笑うが、そこにつっこんだら可哀想だ。
電気も電話もガスも水道もない生活を送るなんて、そう簡単な話じゃない。便利さに慣れてしまったら、もうなにもなかった頃には戻れないのだ。
もちろん、一時的に不便さを楽しむことはできるよ。
キャンプとかね。
でもあれは一泊か、せいぜい二泊だから楽しいって話。
何年もテント生活なんかできるわけがない。
ぶっちゃけ俺たち夜魔だって、文明の利器はありがたーく使わせてもらってるから。
「本当に不便さを楽しみたいなら、火おこしも自分でやらないといかんぞい。ライターを使って着火剤に火を付けるなど、なんちゃって不便生活というべきじゃな」
「じゃあメタルマッチとかでつけるのか?」
「あれだって文明の利器じゃ。木をこすらぬか。木を」
「ハードル上げすぎだろ!」
そこまで行くとキャンプというよりサバイバルだ。
すべての文明が滅び去ってしまったディストピアかよ。
きゃいきゃいとくだらないことを言い合いながら車を降りる。
美鶴は喜びいさんで後方にまわり、霊刀『鬼滅』を取り出した。
なまら気に入ってますね。それ。
危ないからって取り上げたら怒られそうだ。
「まま。ぱぱ。すごく強いのがいるよ」
美胡のソードクロウがシャキーンと伸びる。喉奥でぐるぐると鳴るのは警戒音。
加藤というのは、人猫を警戒させるほどに強いってことか。
「けっこう時間がかかったな。もっと早く来るかと思っていたが」
からからと引き戸を開けて姿を見せたのは、涼しげな作務衣をまとった加藤である。
中背だが引き締まった無駄のない体つき。眼光は刺すように鋭い。
こいつ、ホントに人間か?
「仕方ないね。奥多摩はど田舎だから」
奥多摩在住の方々、ごめんなさい。
これは加藤を煽ってるだけで、他意はないから。
許してね。
「画面越しでは判らなかったが、貴様、夜魔だな」
軽口には乗らず、じっと俺を睨めつける。
おいおい。
こいつ、夜魔を知ってるのか。
でも部下の多賀谷は知らなかった。どういうこっちゃ? 情報の共有ができていないのか?
「知識を独占することで支配を強固にする。あの頃から、なにも変わっておらぬな」
唇の端を持ち上げたのは美鶴だった。
「おおかた、風祭機関にあった知識を持ち逃げしたのじゃろうよ。アメリカ軍に奪われるより前にの。こそ泥がいっぱしの智者気取りとは、なかなかに笑わせてくれるもんじゃ」
彼女の言うことは憶測にすらなっていないような言いがかりである。
もちろん煽るのが目的だから、事実かどうかなんて関係ない。
とりあえず相手が怒ってくれれば成功だ。
「ネズミのようにこそこそ隠れて生きてきたお前に言われてもな」
しかし加藤は薄ら笑いを消さない。
なんかこの余裕が不気味だ。
「美胡。他に気配はないか?」
「ないよ。あいつだけ。でもちょっと怖い」
小声で人猫の幼女と言葉を交わす。
ここまできて平和的な解決はない。風祭機関の生き残りを美鶴が見逃すはずもないからだ。
相打ちになってでも倒そうとするだろう。
それが、彼女が過去の軛から解き放たれるために必要な儀式だから。
「哀れな人間を操り、人猫を利用し、なにを企む? 風祭の残党よ」
「知れたこと。兵の強化に決まっている」
決まってないだろ。
この国にはもう兵士なんかいないぞ。
「いずれ中国の牙が日本へ向く。そのとき韓国なども傍観するまい。いまの自衛隊で奴らの侵攻を食い止められるとでも思うのか」
「そのために人妖の力を持った兵士を作り出すと? そなたの頭の中では、まだ戦争は終わっておらぬようじゃな」
「終わってなどなおらぬ。お前たちも私に付け。この国の未来のために」
「然様か」
ふうと息を吐く美鶴。
もとより交渉の余地がある相手と思っていたわけではあるまいが、こうも考えの方向性が違うと、疲労感のみいや増す。
「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」
呪が紡がれる。
幼女の髪が逆巻き、顔立ちも少し精悍になった。
大きく膨れ上がる精気。
あるいは、戦氣とでもいうべきか。
「いまの日本にオカルトはいらぬよ。それが判らぬというのなら、この場で叩きのめすのみじゃ。加藤少佐よ」
彼女の身体には大きすぎるカタナを軽々と構える美鶴だった。