第21話 人外ネゴシエイト
文字数 3,227文字
白石が美鶴に胡乱げな目を向ける。
なんだこの子供は? と、表情が雄弁に語っていた。
普通に考えれば当たり前である。人工的に獣人を作り出しているマッドサイエンティストな組織からの使者と、そいつらを撃退した人外との会話に、幼女が口を挟んできたのだから。
しかし、これは彼らの情報収集能力の低さ、ネットワークの狭さを自ら証明してしまったようなものだ。
なにしろ俺は美鶴が見た目通りの年齢でないことを、夜魔族の第三王女に語っている。つまり隠す気がないってこと。俺たちの業界においてね。
普通の精気を吸収できない俺に、精気を提供することができる唯一の人間が美鶴。
この情報を知らないなんて、世界の夜に身を置くモノとしては、はっきりとモグリである。
だからこそ、ラシュアーニは美鶴の血縁者である美咲に護衛を付けたし、俺はつきっきりで美鶴を守っている。
親愛とかはもちろんあるけど、それ以上にこの二人が夜魔族にとって大切な存在だからだ。
そして白石はそれを知らなかった。
美胡をかくまっている人外にくっついてるオマケ、くらいに思ってしまった。
「無知とは、ときに滑稽をとおりこして哀れでさえあるの。
「風祭?」
耳慣れない言葉に俺は首をかしげる。
白石の方は愕然とした表情だ。百面相だなあ。こんなに表情に出るのって、あんまり交渉者に向いてないんじゃないか?
「かつて、わしらに非人道的な実験をしていた組織の名じゃよ。アメリカ軍によって解体され、研究成果はすべて奪われたはずじゃが、細々と命脈を繋いでおったようじゃな」
説明し、軽く肩をすくめた美鶴が俺の横に座った。
陰陽師や僧侶、イタコやユタなど、かつては日本にも人外と交渉を持つ人間がたくさん存在した。もちろんインチキな人もいたけど、本当に力を持っている家系だって多かったのである。
風祭機関とやらに集められたのは、そういう力を持った家の子供たち。美鶴の風凪家もそのひとつだった。
「そも、そなたをインキュバスだと知って、わしは驚かなかったであろう?」
「言われてみればたしかに」
「それは、人妖がこの世に存在することを知っておったゆえなのじゃよ」
俺に軽く解説したのち、美鶴は白石に向きなおる。
「もちろん、わしをこんな身体にした連中がどうなったか、なにも調べることすらせず忘却の彼方に捨て去った、とは、まさか思うまいな? 白石とやら」
「きみは……いったい……」
幼女が放つ謎の迫力におされ、白石が言葉を詰まらせる。
「わしか? わしはロリババアじゃよ。戦争中、そなたらの実験で身体をいじり回され、歳を取らなくなってしまった八十四歳のババアじゃ」
に、と唇をゆがめる。
「…………」
だらだらと汗を流す白石。
美鶴の言葉を嘘と決めつけることもできず、かといって信用するほどの材料もなく、去就に迷っているというところか。
「知恵をなくしたそなたらのために、すこし歌ってやろうかの。この世の理を」
幼女の唇が下弦の三日月を描く。
それはまるで、魔女が腰掛ける夜のベンチのように。
人間が地球を支配している。
それはある意味において正解だ。最も数が多い、最も支配域が広い、最も繁栄を謳歌している。
すべて間違ってはいない。
しかし同時に、もう一つの事実を語ってはいないのである。
すなわち、支配させてもらっている、という。
「人妖どもは、土地にも金にもさほど興味を示さぬからの。奴らが興味を示すのは、人間の血であったり、魂であったり、精気であったり。ああ、鬼族には人間の肉体そのものか。奴らは人を食うからのう」
「さすがに最近は食べなくなったけどね。他に美味しいもんがたくさんあるから」
美鶴の説明に、少しだけ修正を加えておく。
鬼族の名誉のためにね。
あと、それなりに金は稼いでるよ。どの種族も。貨幣経済の一端は担わせてもらってるさ。
「ともあれ、人間族が繁栄してくれていた方が彼らにとって都合が良いため、世界を支配することを許されている、というのが正確なのじゃよ」
「そんな……」
絶望的な表情の白石だ。
美鶴の言い方はちょっときつい。普通に共存共栄なんだけどね。
人間族が減りすぎてしまうと、彼らの持っているものをもらって生きている俺たちは、少ない食料を巡って争わないといけなくなるから。
そうならないよう、人類の繁栄には影ながら助力させていただいておりますとも。
その一方で数を減らしてしまっているのが、獣人やエルフ、ドワーフたちだ。
彼らは人間と共存できず、逐われ狩られ、
「ゆえに、日本と相争うことを怖れるかと問われれば、普通に否なのじゃよ。日本人一億二千万を殺し尽くしたとしても、世界にはまだまだ六十億以上の人間が残っておるでの」
いやいや。
人聞きの悪いことをいいなさんな。
「殺すなんてするわけないだろ。彼らの上司を魅了して操ってしまえば、それで済む話なんだから」
「ほれ。これが人妖の倫理観というやつじゃよ。白石とやら」
「……なるほど」
こくりと白石が頷く。
お待ちなさいな。なにがなるほどなのか、ちょっと責任のある回答をしてもらおうじゃないの。
泣いちゃうぞ?
俺が泣いたら、かなりうっとうしいぞ?
まあ、冗談はともかくとして。
「できれば獣人を実験に使うのはやめて欲しいんだよな。人猫なんてすごい希少種で、俺たちは絶滅したと思っていたくらいなんだ」
切々と訴えてみる。
「それはできませんね」
きっぱりと断られた。
「こちらも国益のためにやっています。私個人がどう思うかなど関係なく」
強い口調だ。
さっきまでのたじたじっとした様子はもうまったくない。
組織人ってやつだな。
「ここまでお話を伺ったところ、私どもとあなたたちとは対立する理由がないように思います」
ゆっくりと、噛みしめるような言葉だ。
そう。対立する必要はないのだ。
彼らが退いてくれれば、俺たちはわざわざ本拠地を割り出して攻撃を仕掛けるつもりなんてない。
互いに、無関係な隣人として暮らしていける。
「どうでしょう。被検体を返還していただき、それで手打ちというのは」
「話の最初に戻ってしまってるじゃないか。それだと」
「こちらの戦闘員が害されたことについては、不問にいたしますから」
「不問て……」
なんにいってんだ。こいつ。
襲いかかってきておいて、反撃で殺されたことの責任を鳴らすつもりだったのか。
俺は大きなため息をつく。
「話を理解していただけてないようだな……」
「理解しておりますよ。あなた方が我々に対抗できるだけの戦力がある、という主張ですよね」
冷笑を浮かべた。
なるほどね。
信じないって方向に進むわけか。
それもまた正しい判断ではあるよ。白石さん。
得体のしれない人妖と幼女が喋ってるだけだからね。タワゴトと取るのはむしろ常識的な判断だろう。
「戦うぞ戦うぞ、と、殊更に主張するのは、実際は戦う力がない証拠だともいいます。弱い犬ほどよく吠えるというやつですな」
ほほう。
そう取りますか。
俺は肩をすくめてみせた。
平和的に解決したかったんだけどな。どうやら無理そうな流れだ。
「最後通告です。被検体を返してください」
「帰りな。いまは無事に行かせてやる。だが次は容赦しない」
「そうですか。交渉決裂ですね」
すっと立ち上がり、白石が去ってゆく。
俺も美鶴も、姿勢を崩すことなく見送っていた。もちろん玄関まで送るなんてサービスはないよ。
「塩の壺でもあれば、ついていって背中にぶちまけてやるのじゃがな」
「せいぜいスティックシュガーくらいしかないよ。事務所には」
「あの男、最後まで美胡のことを、彼女とのあの娘とも言わなかったの」
首を振る美鶴。
相互理解の難しさを嘆くように。
その肩を、ぽんぽんと叩いて慰撫してやる。
指先に伝わる精気は悲しみの味だ。
うん。
これはあんまり美味しくないな。