第15話 お母ちゃんパワー
文字数 3,220文字
ちらりとラシュアーニ姫を横目で見て、俺はため息をついた。
人間の度しがたさは今に始まったことではない。
地球の覇者を自称する彼らは、他種族を滅ぼしながら繁栄してきた。それどころか、地球環境すら壊しながら今日に至っている。
しかも、直せないくせに壊すのだ。
放射能の除去すらできないのに核兵器を作ったり原子力発電所を作ったりしたときは、人類に対してあんまり興味がない(精気を吸えないから)俺ですら、おいおい大丈夫かよって思ったもんだよ。
まあ、ぜんぜん大丈夫じゃなかったわけだけどね。
「そもそも、わしがほとんど歳を取らなくなったのも、日本軍の実験のせいじゃしの」
美鶴が肩をすくめる。
彼女は生き延びることができたが、実験体にされた他の子供たちは、みんな死んでしまったのだという。
当時、美鶴は六歳、今は七歳から八歳くらいに見える。
ようするに七十年に一、二歳くらいしか歳を取らなくなってしまったわけだ。
長生きできるよ。わーい。と、喜ぶ心境にはなかなかなれないだろう。
「人猫に限らず、獣人たちの圧倒的な身体能力は、簡単に軍事転用できるわよね」
ふんとラシュアーニが吐き捨てる。
人間に数倍する筋力、耐久力、それに寿命。
欲しがる者は、それこそいくらでもいるだろう。
この人猫の少女も、そうした実験施設に囚われていたと考えるのが妥当だ。
そして逃げ出すなり廃棄されるなりして、このビルに潜り込んだ、というところかな。
「後者なら問題ないんだけどね。業腹だけど」
形の良い下顎を夜魔族の第三王女が撫でる。
捨てられたものなら放置だろう。まあそんな可能性はほぼないだろうが。
人間たちにしてみれば、獣人が実在するなんて公表することはできない。秘密ってのは、一部の人間だけが知っているからこそ価値があるからね。
もしいらなくなったのなら、闇から闇へと処分されるだけ。ぽーいって捨てておしまいってことは絶対にない。
「まず前者じゃろうな。すでに猟犬がうろうろしていると考えるべきじゃろう」
美鶴が言い、ラシュアーニが頷いた。
ある意味でこの少女は運が良かったのである。
サキュバスが支配するビルに忍び込んだ、という一点において。
もし外をうろついていたなら、とっくに捕縛されるか殺されるかしていただろうから。
「で、今後のことですけどね。ラシュアーニ姫」
「保護するわ。決まっているでしょ」
希少な人猫の生き残りだ。
このあと数が回復することはないかもしれない。
それでも、いや、だからこそ守らなくてはいけないのである。
「人間たちだって
「そうそう。自分たちで絶滅に追い込んでおいてね」
にやりと悪意の笑みを交わし合う。
浅い眠りからさめた少女は、美鶴から離れようとしなかった。
すっかり懐いてしまっている。
お母ちゃんパワー、おそるべし。
「そなた。名をなんと申すのじゃ?」
頭から背中にかけい、優しく撫でながら質問する。
「三三一号……」
「そうではなく……いや、そうか。すこしばかり花がない名じゃの。これからは
ふふ、と笑いながら、勝手に名前をつけちゃう。
もうね。
俺やラシュアーニが止める暇もなかったよ。
いや、判るよ? 数字でしか呼ばれてこなかったであろう少女を哀れと思ったんだよな。
その気持ちはすげー判りますとも。
だけどね。名前ってのはすげー重要な意味があるんだ。
人間族が考えるよりずっとね。
だから俺の日本名もアゾールトを日本語で読んだだけだし、ラシュアーニの
ちょいちょいといじって良いってものではないのである。
「美胡……美胡……」
「よき名であろう? わしの美鶴より一字とったぞい」
「うん。まま!」
懐いてる。
ちょー懐いてる。
「おうふ……」
「名前で縛っちゃったわね。うちで保護しようと思ってたんだけど」
頭を抱える俺に、ラシュアーニが苦笑を向けた。
美鶴が名付け、美胡がそれを受け入れたからには、この二人の間に親子に近いだけの絆が生じたってことである。
これを引き裂くのは大変に無礼な行為だ。夜魔族にとっては。
「仕方ねーな。俺のところで保護するよ」
「あんなボロマンションで守り大丈夫なの? どこの組織か知らないけど、間違いなく探し回ってるわよ?」
ボロマンションいうなし。
あんたが購入した高層マンションだろうが。
六本木ヒルズの一角を占める億ションってやつだろうが。
まあ、防衛とかそういう観念でみたら、紙の城と一緒だろうけど。
美胡を捕まえてたのは、まあどっかの軍が軍需産業か、どっちかとみて間違いないだろう。
となれば、ラシュアーニのいうとおり、奪還しようと動くってのも疑いない。
「うちから護衛を出すわ」
「いやいや。他人様に守っていただくほど、俺弱くねーし」
精気を吸収できなくて貧弱ひょろがりだったかつての俺ではない。
定期的に美鶴から精気をもらっており、並のインキュバス程度の戦闘力だってある。
人間の軍隊ごときに負けるわけないじゃーん。
「べつにアンタのことなんて心配してないわよ。このロリキュバス」
「はっはっはっ。無理しなさんなツンデレさんめ。俺のことが心配で心配でふるえるくろどぶは!?」
セリフの途中で蹴り飛ばされ、俺は壁まで吹っ飛んでいった。
べちゃっとカエルみたいにぶつかって止まる。
ひどい。
せめて最後まで言わせてくれよ。
「アンタの家にはミサキがいるでしょ。伝説級の精気の持ち主が。彼女になんかあったら、どーすんのよ」
「いててて……美咲に価値を見出してんのは夜魔だろうが……」
腰をさすりながら立ち上がる。
人間族にとっては、精気の善し悪しなんか関係ないだろうに。
「相変わらずバカね。アンタは。そんなんだからマゾールトとか呼ばれんのよ」
「呼んでるのはお前らだけだろうが……」
「マンションが襲撃されたとき、誰を守るかって優先順位の話をしているのよ」
腰に手を当てて呆れているラシュアーニ。
俺が最終戦に守るのは美鶴だ。これは仕方がない。万が一彼女を失ったら、俺には滅びしか待っていないから。
そして美胡。これは美鶴が庇護しているって関係上である。
残念ながら美咲の優先度は最も低い。
ひとつには、彼女が大学生で自分のことは自分でできる年齢だってのもある。
そして襲撃者が、そんなことを気にするわけがない。
見た目年齢のバランスを考えたら、美咲が俺の恋人なり妻なりと勘違いされ、人質に取られる可能性だってあるのだ。
「たしかに。言われてみれば美咲への守りが薄くなる可能性があるな」
俺は右手で顎を撫でる。
盲点だった。
「盲点ができるくらいミサキのウェイトが軽いってことよ」
「待遇改善を要求する!」
ぶーぶーと美咲が抗議行動をしている。
とりあえずそっちはぽいっと捨てておいて、俺はラシュアーニに向き直った。
「護衛、頼めますか?」
つい友達言葉に戻しちゃってたけど、本来は立場が違うからね。乳姉弟とはいえ。
「任せといて。人選が大変だけどね。希望者が殺到しそうで」
くすりとラシュアーニが笑った。
笑いこどじゃないと思うぞー。それはー。
そいつら美咲を狙う気満々じゃねーか。
「すまんのう。アゾールト。手数をかけてしまったようで」
「問題ないさ。美胡は美鶴に懐いてるし、仮にそうじゃなくても見捨てるなんてできるわけもないしな」
恐縮する美鶴の頭を、俺は撫でようとする。
べしっとその手をたたき落とされた。
美胡に。
「ままにひどいことしないで!」
怒ってる。
尻尾をふくらませて。
「大丈夫じゃよ。美胡。こやつはロリコンゆえ、わしやそなたにひどいことをすることは絶対にないのじゃ」
その背中を撫でてやりながら、美鶴が笑う。
おいこら。
適当なことを教えてんじゃねえ。
「ロリ、コン?」
こてんと美胡が首をかしげた。
変な言葉を憶えなくて良いからね。きみは。