第5話 いわゆるロリババアじゃよ

文字数 3,240文字


「顔を上げよ。目の前で土下座なんぞされたら、わしの方が気分が悪い」

 ある意味で脅迫と同じじゃな、とか言いながら、くいと顎をしゃくる。
 幼女の仕種ではまったくない。

「エサ……」

 哀れっぽく懇願してみる。
 たのむう。
 もうちょっと。もうちょっとだけで良いから精気をくれぇ。

「なぜ物欲しそうな目で見上げるのか。わしはそなたが喜ぶようなものなど、なにも持っていないぞ」
「か、金なら出すから! いくらでも出すから!」

 俺は懐に手を入れて長財布を引っ張り出す。
 たしか十万ほど入っていたはずだ。

 幼女が右手の指先をこめかみに当てた。

「すこし絵面を考えよ? 路地裏で幼女に財布を見せながら金なら出すなんて言っておったら、普通に事案じゃぞ」

 まったくである。
 児童買春の現場以外の何物でもない。

 精気が欲しいだけなんだい、と、言ったところで警察は信じてくれないだろう。
 場所を変えるべきだ。

「わかった。どこか二人っきりになれる場所で……」

 路地裏から見えるラブホテルの看板を指さしたりして。

「悪化しておるわ! たわけが!」

 蹴られました。
 なんてこった。

「ああ……どうしたら良いんだ……」
「それはわしのセリフじゃよ。そなたは何がしたいんじゃ? いったい」
「エサ……」
「ようするに腹が減っておるのか?」

 辛抱強く話を聞こうとしてくれる。
 まるで聖女のような幼女だ。

「ああ! こんなところにいた!!」

 突然、声が割り込んでくる。
 視線を転じれば、なんと美咲が立っていた。

「おばあ……じゃなくてみーちゃん! なにやってんの! 北斗くんに土下座させたりして!」

 しかも腰に手を当てて怒ってる。
 ものすごい誤解が生まれていそうな気がするぞ。

「いや、美咲。これはこやつが勝手に……」
「言い訳しない!」

 事実を述べたのにびしっと遮られ、幼女がたじたじとなる。
 そして近づいてきた美咲が見たモノは、ボロボロの姿で土下座し財布を差し出している俺だった。

「ひどい……っ! こんなに痛めつけてっ!」

 キッ! と、幼女を睨み付ける美咲。

「……わしではないと言っておろうに……」

 事実である。
 服が泥だらけのボロボロなのは、なんとかっていう元ホストにやられたからだし、財布を差し出したのは俺の意志だ。
 にもかかわらず、美咲は幼女の仕業だと誤解した。

 あれ?
 ちょっとおかしくないか?

 この状況を見て幼女が犯人だって思う人は、いるのかもしれないけど、たぶんかなりの少数派だろう。
 つまり美咲は、この幼女が俺をボコボコに叩きのめし、財布を奪おうとしていると、なんの疑問もなく信じているということだ。

 常識的に考えて、ありえない。
 ふーむ。
 これはなにかあるな。

 調べるべきだろう。
 そしてあわよくば、この幼女とお近づきになるのだー。

「北斗くん。大丈夫? 痛いところとかない?」

 這いつくばっていた俺に肩を貸して、美咲が立ち上がらせてくれる。
 ありがたい。
 すこしだけ利用させてもらおう。

「大丈夫だよ……」

 とか言いながら、ちょっとよろめいたりして。

「ぜんぜん大丈夫じゃないよ!」
「すこし休めば良くなるから……」

 そういって俺が指さしたのは、さっきのラブホテルの看板だ。

「え……」

 ぽっと顔を赤らめる美咲。
 ラブホテルから、いろいろ連想しちゃったのだろう。

 ぶわっと精気が発散される。
 密着している状態で。
 超上質な精気。すなわち俺にとっては猛毒だ。

「ぎぃぃやぁぁぁぁ!?」

 精気の奔流をもろに喰らってしまい、今度こそ演技でも何でもなく俺は転げ回った。

「何をやっているのじゃ。そなたらは」

 やれやれと肩をすくめる幼女である。



 ぐったりした状態でラブホテルに担ぎ込まれました。
 若い女性と幼女の手で。

 ここまでくると、事案を通りこしてコントだ。
 通報されるどころか、ラブホテルのフロントには心配されちゃったよ。

 飲み過ぎただけなので大丈夫、と、美咲が説明していたけどね。
 ていうか、どういう関係に見えるんだろうね。俺たちって。

「そりゃ」
「ぐえ」

 部屋に入るそうそう、ぽいっと床に捨てられる。
 ひどい扱いだ。

 せめてベッドまで運んで欲しい。
 でかいのが備え付けてあるんだから。

「そなたは阿呆か? ガタイの良い男をベッドまで持ち上げられるわけがなかろう。か弱いおなごが二人で」

 苦情を申し立てようとしたら、先回りして罵倒された。
 なんだこのお子様?
 エスパーか?

「失礼なことを考えてる顔じゃな。くびり殺してやろうかの」
「みーちゃん。ここで殺すのはまずいよ。入ったときと出るときの人数が違っちゃう」

 美咲がたしなめるが、もうちょっと平和的な止め方をしてくれ。
 二時間モノのサスペンスドラマじゃないんだから。

 さっき幼女からもらった精気が、俺の身体を回復させてゆく。
 美咲の精気で受けたダメージと差し引きすれば、ちょっとだけマイナスだ。

人妖(バケモノ)の類いかや」

 とくに驚きもせず、幼女が冷ややかな視線を注いでいる。
 美咲も同様だが、こっちの視線は好奇心でいっぱい。
 けど、そういうことなら話は早い。

「インキュバスのアゾールト。日本人としての名前は中村北斗だ」
「淫魔か。なればその色気にも合点がいくというものじゃ」
「そうなの? みーちゃん」

 美咲が幼女に訊ねる。
 みーちゃんってのは愛称なんだろうね。きっと。

「そなたもこやつに惹かれたじゃろ? 美咲や。それこそが淫魔の特性じゃよ。異性を虜にするようにできおるのじゃ」

 ふふんと鼻で笑い、幼女が自ら名乗った。
 彼女の名は風凪(かぜなぎ)美鶴(みつる)。御年八十四歳だそうである。

「いわゆるひとつのロリババアじゃよ」

 自分でババアとか言ってるし。
 美咲というのは、美鶴の兄の曾孫(ひまご)なのだという。

「普段はおばあちゃんって呼んでるんだ」
「それで、とっさに出そうになったのか」

 路地裏での出来事を思い出す。
 彼女は呼びかけて訂正したのだ。
 そんな面倒なことをしないで愛称で統一すればいいのに。

曾姪孫(そうてっそん)に、みーちゃんなんぞと呼ばれる気持ちが、そなたらわかるか? 北斗とやら」

 睨まれました。
 ようするに、美鶴の希望でおばあちゃんと呼んでいるってことらしい。

「けど、八十四歳には見えないよな。気配も普通の人間のものだし」

 そこが最も大事な部分だ。
 ぶっちゃけ呼び方なんてどーでも良いのである。

「普通の人間じゃよ。ただし、いろいろと身体をいじられてしまったがの」

 皮肉げに笑う。

 七十八年ほど前、彼女は軍に連れて行かれた。
 そして、様々な非人道的なおこなわれたらしい。彼女と同じように連れてこられた子供たちはほとんどすべて命を落としてしまった。
 神の奇跡か悪魔の悪戯か、美鶴は生き延びる。

「死んだ方がマシ、という日々じゃったがのう。しかし、そうこうするうちに終戦じゃ」

 アメリカ軍によって施設は解体され、責任者は処分され、彼女は家に帰ることができた。
 そしてしばしの時が経ち、美鶴は自分が歳を取らないことを知ったのである。

「軍の連中が何の研究していたのか、今となっては知るよしもない。わしが歳を取らなくなったのも、成果だったのか副作用だったのか、それともただの偶然か。調べる術とてないからの」

 連れて行かれた当時、彼女は六歳だったという。
 それから七十八年が経った。

「さて、いまのわしはいくつに見えるかの?」

 にっこりと笑って見せる。
 その笑みは老婆のものではないが、無垢な幼女のものでもない。
 なんとも不思議な表情だ。

「いろいろ苦労してきたからのう。これでも」
「それは、そうだろうな」

 俺もそうだけど、長命種が人間社会でくらすのには苦労が多い。見た目が変わらないっていうのは、一ヶ所に長く住めないってことだしね。

 その意味では、東京は良い街だ。
 隣人が百七歳の夜魔だなんて、俺のマンションの住民は思ってもいないだろう。そのくらい他人に興味がない街だからね。

「おばあちゃんは、定期的に孫娘に入れ替わってるんだよ」

 美咲が説明してくれる。
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登場人物紹介

インキュバスのアゾールト。

初潮前の幼女からしか精気を吸収できないため、ロリキュバスと呼ばれる。

日本名は北斗。

美鶴。

見た目は七才くらいの幼女だが、じつは八十四才。

旧日本軍に身体をいじられ、歳を取らなくなってしまった。

ロリババアを自称している。

ラシュアーニ。

夜魔族の第三王女。サキュバス。

アゾールトとは乳姉弟のため何かと世話を焼いてくれる。

美咲。

女子大生。美鶴の兄の曾孫。戸籍上は美鶴の妹。

たいへんに良質な精気の持ち主。

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