第20話 これだから日本人は
文字数 3,207文字
イフリートのRENとAgileが女子大生と乱交パーティーか!?
という、頭おかしいニュースがSNSを飛び交い、ハイエナみたいな勢いでマスコミがマンションに押しかけてきたのだという。
なんでそんな愉快なことになっているのかといえば、家に帰るモリールトとハッシュルトを、美咲がエントランスまで見送ったのが原因である。
そして、マンションの真ん前で、二人が彼女の頬にキスしているシーンを、通りすがりの人が写真に撮り、SNSに投稿しちゃったのが発端だ。
あいつらってバカだけど、名前の知れたシンガーだからねー。
そんな二人が左右から一人の女のほっぺにチュ、ですよ。
そりゃ炎上しますわ。
大火災ですわ。
「本当に、何をやっておるのじゃ。あのバカどもは」
でっけーため息をつく美鶴。
マスコミなんて、エサを求めてうろうろする飢えた野獣と同じだ。
ちょっとでも話題になりそうなネタを見つけたら、ものすごい勢いで食いついてくる。
政治家だろうと芸能人だろうと、スキャンダルなんて喉からどころか胃からでも腸からでも手を出して欲しがるネタだろう。
「まあ、それが彼らの飯の種だからね。素晴らしい人の素晴らしい行動なんか報道しないさ。そんなのより、こいつはこんな悪いことをしてるんだって攻撃できる対象を提供したいんだよ」
デスクに腰掛け、俺は肩をすくめてみせた。
「達観しておるの」
ソファで眠っている美胡を撫でながら。美鶴が意外そうに俺を見る。
もっと怒るかと思っていた、と、その目が語っていた。
そりゃまあ、家にまで押しかけられて事務所で夜明かしすることになっているわけだから、不本意さを感じていないといえば嘘になるよ。
「冬に雪が降ると報道しても誰も喜ばない。夏に雪が降ったり、どうせ冬に降るなら記録的な豪雪で人が死んだりした方が、センセーショナルさ」
人々が求めるから、という建前で、どんな非道なことでも常識外れなことでもやってのけるのがマスコミだ。
いまさら驚くようなことじゃない。
一九九一年にあった
そしてその行為を報道に殉じた美談と語り、事実に蓋をしてきたか。
警告を無視して危険地帯に赴いたマスコミ関係者が死ぬのは自業自得というものだが、巻き込まれて死んだタクシードライバーや救出に向かって亡くなった消防団員などは、まさに
「あれから三十年くらいも経つけど、さてさて、マスコミの体質は少しは変わったと思うかい? 美鶴」
意地悪そうに訊ねると、八十四歳の幼女は軽く肩をすくめた。
「たしかに、怒るにも驚くにも値せぬのう。ただ呆れるだけじゃ」
「じっさいマスコミなんて、安全だと信じてる場所でピーチクさえずってる雀みたいなもんだからね。ほっといてもたいして実害はないさ」
そんなもんにいちいち腹を立てる必要はない。
真に怒るべきは、美胡たち獣人を使ってなんらかの実験をおこない、エセ獣人どもを作り出した人間の方だろう。
なにしろやつらを放置していたら、俺たちにまで手を伸ばしてくるかもしれない。
しかも、家に戻れないってことは、テグルトたちと分断されてるってこと。
こっちの方がずっとまずい事態だ。
「撃退されたから諦める、というほどかわいげのある連中でもなかろうしの」
「ただ、マスコミが張ってる間は大丈夫かも、とも思うんだよな」
「それは予想ではなく希望じゃな」
美鶴が苦笑する。
昨日、俺たちはエセ獣人どもと一戦交えた。
その際、こちらの戦力情報はある程度わたってしまった、と考えなくてはならない。
これを戦訓という。
一度戦えば、相手の戦術能力や個体戦闘力について知ることができるのだ。
もちろん断片的な情報にすぎないが、その断片から推理を構築して事実に迫るのが情報戦略というもの。
負けちゃった。うわーん。って泣きながら逃げていくのは、ただの子供のケンカにすきないのである。
負けたら負けたなりに情報が手に入るし、それを元にして次は勝てるように計算を立てる。
というより、そうでなければずっと負け続けることになるだろう。
子供向けテレビ番組に登場する悪の組織みたいに。
あんだけ負けてるのに失敗から何も学んでないなんてこと、現実ではありえない。
「わしは、仕掛けてくるとしたら今夜だと読むよ。マスコミがその辺にいるかもしれないと思えば不用意に力を使えぬ、というのはこちらも同じゃしな」
にっと笑うお子様だった。
そして、美鶴の予測はこれ以上ないってくらい当たってしまった。
事務所に客があったのである。
夕方から夜に変わろうという時間。
そいつは堂々と、玄関から入ってきた。
ごくありふれたスーツをまとって。
「つまらないモノですが」
と、手土産の菓子折まで持参して。
「これはご丁寧に。まさか襲撃したきたひとからお土産をもらうとは思いませんでしたよ」
皮肉な笑みを浮かべ、俺は来客用のソファに男を導く。
そして、白々しく名刺を交換する。
「国立防疫研究所……」
「表向きは、伝染病などを研究していることになっています」
いやいや。
俺は本当に探偵業を営んでますから。世を忍ぶ仮の姿とかじゃないですから。
「単刀直入に申し上げますと、私どもの施設から逃げた被検体を返還していただきたいのです」
「単刀直入にお断りいたします」
俺の返答は、にべもないと素っ気ないを足して、六をかけたくらいに淡々としたものだ。
この白石と名乗る男が被検体と称しているとおり、返したら実験に使われると判っているのに、はいそうですかと返せるわけがない。
ふざけんなってレベルである。
「なぜです? 理由を伺っても?」
「逆にお訊ねしますよ。白石さん。たとえばあなたは、ある国に自国民が拉致されていたとして、そこから逃げきてた自国民を、返せと言われたら返すのですか?」
ややどぎつい例を出す。
日本人にとっては拉致問題というのはかなり重いはずだから。
「それが国益に適うなら」
ぬけぬけと答えやがった。
そうだった。人間族ってそういう考え方だったよな。
同族すら実験に使うような連中だもん。異種族のことなんか、そりゃ気を使うわけないよな。
美鶴と美胡を仮眠室に隠れさせておいて正解だよ。
「ではその論法でお答えしますね。彼女をあなたたちに渡して、俺たちにどんな利益がありますか?」
「我が国と対立しなくて済みますよ」
「なるほど」
白石の物言いに、ついくすっと笑ってしまった。
日本と対立するというのは、彼にとっては大変に深刻な事態らしい。
俺が笑ったのを見て、ややむっとする。
「失礼。たかが人間族の国家と対立することを、この世の夜を統べる夜魔族が怖れると考えておられるのかと、おかしくなったものですから」
思い切り尊大に言い放って、胸を反らす。
多少の誇張を込めてね。
世界の夜すべては、さすがに支配してないから。
吸血鬼を頂点としたアンデッド、悪魔族、そして夜魔族。三分割ってところかな。
でも、日本を含めた極東が夜魔の支配域だってのは事実だよ。
ヨーロッパ方面だと吸血鬼の支配が強くて、アメリカあたりだと悪魔族の支配が強いけどね。
「たかが、だと?」
白石の眉がつり上がった。
器用だな。
ていうか、なんでそこに怒るのん?
獣人を使って実験してるなら、『世界』のことについて詳しいんでないの?
人間族と闇の眷属との歴史について知ってるんでないの?
彼の反応がちょっと予想外だったため、俺は首をかしげる。
「無駄じゃよ。先の戦争に敗れたとき、この国が持っていた『知識』は、ごっそり全部アメリカに奪われてしまったからの」
唐突に声が響き、美鶴がひょっこりと顔出した。
隠れてろって、言ったのになぁ。