第4話 出会いは路地裏

文字数 3,186文字


 閉店時間までテグルトに付き合い、あくびをかみ殺しながら外に出ると、空はすこし白み始めていた。
 渋谷センター街で最も静かで落ち着いた時間である。

 すっかり人もひけ、路上にあるのはゴミと眠りこける酔っ払いだけ。
 もうちょっとしたら、カラスたちがエサを求めて舞い降りてくるだろう。

 ねぐらに帰ろうと歩いていた俺は、ふと路地に入った。
 尾行されていたから。
 あきらかに害意が漂ってくるんで、襲撃が目的だろう。

 適当なところで足を止めて振り返る。
 目をぎらつかせて立っていたのは、ホスト風の男だった。

「なんの用だい? ハヤテさん」

 まったく面識はないんだけど、こいつが店をクビになったハヤテであろうことは容易に想像がつく。
 俺を逆恨みして襲おうとしてるってことも。

「スカしてんじゃねえぞ! ガキが!」

 ドスのきいた声で威嚇してくる。
 否定しなかったってことは、こいつがハヤテで間違いないっぽい。
 いやあ、十中八九は正解だと思ってたけど、確証があったわけではないからね。

「ガキ、ねえ」

 ふ、と鼻で笑ってやった。
 ハヤテは二十五、六に見える。外見年齢では俺の方がたしかに若く見えるだろう。
 実際は百を超えてるんだけどね。
 人を見た目で判断しちゃいけないっていう好例だ。

「なんの用か訊いたんだけど?」

 小首をかしげて挑発。
 さっさとかかってこいよ、みたいなニュアンスで。

「ざっけんな!」

 突っ込んできたハヤテの拳が俺の頬に決まり、派手に吹き飛んだ。
 まあ半分くらいは、タイミングを合わせて自分で飛んだんだけどね。

「な……なにをする……」

 よろよろと立ち上がる。

「てめえのせいで店クビになったんだよ! こっちは!」

 俺のせいではない。
 だって俺、こいつを処分してくれなんて一言も言ってないもん。
 判断したのはテグルトだ。

「なんのことだ……」
「てめえがチクりやがったんだろうが!」

 それは違う。
 チクられたらクビになるようなことをしていたのは誰かって話だ。

 ふたたびの殴打。
 俺は無様に地面に転がった。

 夜魔と人間では身体能力にかなりの差がある。それは、オリンピックに出場する選手と歩き始めたばっかりの幼児くらいの差だ。
 普通だったら勝負になるはずがない。

 うん。
 普通だったらね。

 魔力も精気もカツカツで、存在を維持するので精一杯な俺は、残念ながら普通のカテゴリには入らないのである。
 あえて言おう、カスであると。
 悲しくなってくるね。

 肉体のみで人間とケンカした場合、まあ五分が良いところだ。
 まして、さっき魔法を使っちゃったし、殴り合いになっても勝てないだろう。
 なので無抵抗で殴られている。

 身体の頑丈さだけは、普通の夜魔と一緒だからね。俺も。
 人間に殴られたり蹴られたりしたくらいでは、さしたるダメージは受けないんだ。

 うずくまっているところをべっこべこに蹴られ、目と急所をガードしているフリをしながら身体を小さくする。

「やめてくれぇ。たすけてくれぇ。ゆるしてくれぇ」

 哀れっぽい声を出せば完璧だ。

 ハヤテとしても、俺を暴行したところで事態の解決には一グラムも寄与しないことは知っている。
 たんにクビになった鬱憤をぶつけているだけ。
 疲れたら去って行くだろう。

「死ね! 死ね! 死ね!」

 蹴ってる足が鈍り、威力も弱くなってきた。
 息も荒くなってるし。

 体力ないなあ。
 こういう不健康な仕事だからこそ、ちゃんと身体を鍛えておかないと。
 女に貢がせて、好きなだけ酒飲んで、好きなだけ寝て、だらだら生活してたら、身体なんかあっという間になまってしまう。

 そしてついに体力の限界に達したのか、ハヤテが足をもつれさせて尻餅をついた。
 頃合いかしら。
 すっと俺は立ち上がる。

「満足したかい? ハヤテさん。じゃあ俺はそろそろ行くね」

 これっぽっちもダメージを受けた様子のない俺に、ハヤテはあんぐりと口を開けた。
 そのままパクパクと金魚みたいに開閉する。
 やがて、憤怒の表情へと変わった。

「馬鹿にしやがって! ぶっ殺してやる!」

 懐からナイフを取り出す。
 あらら。まだ動けるのか。

 刃物はちょっとまずいなあ。
 刺されたらさすがにけっこうなダメージだ。となると俺だってそれなりの防御手段を執らないといけない。
 具体的にはナイフを奪って逆に突き刺したりとかね。

 そんなことになったら、酔っぱらい同士のケンカってわけにはいかなくなる。
 警察沙汰だ。
 新聞に載っちゃうかもしれない。

「そこまでにしておくことじゃな」

 突如として路地裏に声が響いた。





 まだ変声期を迎えていない甲高い声、早朝の渋谷センター街にはあんまり似合ってない黒ゴス。
 物憂げに差し始めた陽光を受け、黒髪がきらきらと光る。

 美少女だ。
 もっのすごい美少女だ。

「あとはタップするだけで警察に繋がる。場所が場所じゃ、ものの数分で警官が駆けつけよう」

 手に持った携帯端末を掲げてみせる。
 ずいぶんと古風な話し方だな。
 流行ってるのかしら。

 しばしそれを睨み付けていたハヤテだったが、少女と反対方向に走り去って行った。
 無言のまま。

 なんでこんな時間のこんなところに少女がいるのかとか、疑問は尽きないだろうけど、逃走を優先したようだ。
 良い判断である。
 目撃者がいる状態での殺人や暴行は、彼のその後の人生を容易に奪ってしまうから。

「助かりました。ありがとうございます。お嬢さん」

 目の前まで移動し、俺は丁寧に頭を下げる。
 時の氏神というべき登場だったのだから、このくらいしてもバチはあたらない。

「礼には及ばぬ」

 素っ気なく言って、少女は端末をポシェットに仕舞った。

「花に群がる害虫どもが殴り合おうが殺し合おうが、本来は興味などない。しかし警察沙汰ともなれば、あの娘のもとにも捜査官がくるやもしれぬでの」

 それが煩わしかっただけで、べつに俺を助けたわけじゃないと付け加える。

 ていうか胆力すごくない? このお子様。
 見た感じ七、八歳くらいなのに、あわや傷害事件って現場に介入するとか。
 ちょっと只者じゃなさすぎる。

「それでも、助けられたことは事実ですので」

 にこっと笑ってみせると、少女の顔が上気した。
 殴られたり蹴られたり地面を転がったりで、なかなかひどい有様だったけど、夜魔の魅了は健在だったようだ。

 でも、ちょっと待って。
 こんな子供に俺たちの種族特性が有効なの?

「さすがはホストじゃの。女を喜ばす手練手管に長けておるわ」

 ほうと熱い吐息をつく。
 その仕種は、幼女のそれではなかった。

 たしかに発散される精気。
 俺の鼻腔から、甘い香りとともに入り込んできた。

「はぁぁ……ぁぁ……あふぅ……」

 満たされてゆく。
 乾ききった大地に水が染みこんでいくように。
 飢餓状態だった俺に、エネルギーが貯まってゆく。

「ぁぁ……もっとぉ……お願い……もっとぉ……」

 恍惚の表情で懇願してしまった。

「きも! なんじゃそなたは!」

 思いっきり引かれました。
 精気の発散も止まってしまいました。

 ああ。
 なんてことだ。

 生まれて初めて味わった精気の、なんと甘美なことか。
 食べたい。
 もっと食べたい。

「ああ……あああ……ああああ……ちょうだい……もっとちょうだい……」

 じりじりと少女ににじり寄っていく。

「ええいっ! 寄るな!」

 予備モーションなしの右回し蹴りが、俺の頭に直撃した。
 かなり身長差があるため、ものすごいハイキックになってる。

 ふわっとめくれたスカートの中心部に、俺の視線はくぎ付け。そこか。そこが精気の中心部か。
 頭に受けた衝撃まで利用して、がばっと四つん這いになる。

「エサをください! お願いしますお嬢様!」

 そして哀願だ。

「ええぇ……」

 ドン引きなんて生やさしいレベルじゃない表情を少女が浮かべる。
 そして、ゴミを見るような目で見下ろされました。
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登場人物紹介

インキュバスのアゾールト。

初潮前の幼女からしか精気を吸収できないため、ロリキュバスと呼ばれる。

日本名は北斗。

美鶴。

見た目は七才くらいの幼女だが、じつは八十四才。

旧日本軍に身体をいじられ、歳を取らなくなってしまった。

ロリババアを自称している。

ラシュアーニ。

夜魔族の第三王女。サキュバス。

アゾールトとは乳姉弟のため何かと世話を焼いてくれる。

美咲。

女子大生。美鶴の兄の曾孫。戸籍上は美鶴の妹。

たいへんに良質な精気の持ち主。

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