第26話 お屋敷の朝
文字数 3,170文字
バカじゃねーの! バカじゃねーの! ほんっとあいつらってバカじゃねーの!!
ラシュアーニの屋敷の居間にある六十五型のでっけーテレビ画面を見ながら、俺は吠え続けていた。
防疫研究所とやらに乗り込んだ翌日のことである。
朝のワイドショーに登場したモリールトとハッシュルトは、こともあろうに
バカですか?
あんなんでも、人気のロックシンガーなんですよ。
RENとAgileって芸名でイフリートってユニットを作っていて、ミリオンヒットもいくつも飛ばしてるんです。
そんな二人が口を揃えて大切な女性、なんて宣言しちゃったら、美咲の立場はどうなるのさ。
「すっかり有名人じゃのう。これでは大学まで手が回るのも時間の問題じゃろうな」
苦笑の美鶴である。
両手でおひつを持って厨房から食堂へ移動中、俺の叫びを聞いて居間に顔を出したらしい。
イフリートの二人をトリコにした美人女子大生。
いかにもマスコミが食いつきそうなネタである。
「あさめしじゃぞ。アゾールト。いつまでもそんなくだらぬテレビを見ているでない」
「はーい。お母ちゃん」
テレビを消し、美鶴の手からおひつを受け取って横に並ぶ。
べつに重そうとかとう感じではなかったけど、女性に荷物を持たせるわけにはいかないからね。
男女同権論者が目を三角にして怒りそうだけど、むしろこんなのは当たり前の行為だろう。
荷物を持つ、並んで歩くときは車道側、電車やバスなどの段差のある乗り物から降りるときには手を貸す。
わざわざ宣言する必要すらない。
人間族でも夜魔族でも男性体の方が身体が大きく、頑丈にできてるんだからね。
こんな言い方をすると、虚弱な男だっているとか、守ってもらいたい女ばっかりじゃないとか反論する人がいる。
それはまったくの正解、であると同時に、まったく筋違いなのだ。
○○な人もいる、というのを言い出すときりがないから。
一般論を語るときには特殊論を交えるべきではない、というのは、どっちかっていうと常識の範囲なんだけどね。とくに日本人はごっちゃ混ぜにする人が多いよね。
まあ簡単にいうと、子供はカレーが好きだから給食にカレーを出すことにしよう、という議題があったときに、カレー嫌いな子供だっているよって反論は意味がないってこと。
カレー嫌いな子供がどのくらいいて、生徒数に占める割合とかがちゃんと判っているならまだしも、誰それは嫌いって言ってた、とか、俺は嫌いなんだよね、とかいうのは、そもそも論ではないんだ。
全体としてだいたいこんな感じって把握するとき、一人一人の特性を見るってのはちょっと間違ってるんだよね。
逆に、その人のことだけを考えるときに、社会全体がどーこーっていうのも間違ってるし、他人と比較するのも間違ってるんだ。
「そんなご大層な理屈をならべんでも、持ってくれたことに感謝しておるぞ。アゾールトや」
こてんと小首をかしげる美鶴。
「いやあ。言っとかないと、性差別だとか喚く人がいるかと思ってさ」
「
「さらっと流されるのも悲しいものがあるなあ」
「そなたはわしになにを求めておるのじゃ?」
「
「ブレぬのう」
「いんきゅばすだもの。あざを」
くだらないじゃれ合いをしながら食堂に入る。
すると、十人くらいは座れそうなテーブルの一角で、美咲がでろーんと死んでいた。
「へんじがない。ただのしかばねのようだ」
「生きてるわよ!」
怒った。
俺の高度なジョークは理解してもらえなかったようだ。
「ホクトくんは、高度って言葉を辞書で引いたら良いと思うよ」
「我が辞書に高度の文字はない」
「遊んでないでとっとと食うのじゃ。いつまでも片付かぬぞい」
茶碗にご飯をよそいつつ、美鶴が苦笑する。
本日の朝食は、ご飯、あさりの味噌汁、たけのこの土佐煮、焼き鮭だった。
ああ……滋味が染み渡るぜ。
「その様子じゃと、美咲もテレビを見たのじゃな」
「もう大学いけないよう」
言って、携帯端末を見せる。
ぶぶ、ぶぶ、と、連続して駆動音が鳴っていた。
いわゆる、通知が止まらないって状態だ。
「顔にはモザイクがかかってたのにな。もう特定されてんのか。おそるべし特定班」
くくく、と俺は笑う。
人の迷惑をかえりみず、渦中の人物や場所を特定して、その情報をネットに流す人々のことだ。
もちろん公的な機関に所属して、仕事としてやっているわけではない。
当然のように、百発百中ではないため、まったく関係のない人物を槍玉にあげてしまうこともある。
訴訟になったとかいう噂も聞くんで、まあロクなもんじゃないよね。
「他人事だと思ってぇ……」
美咲の恨み節だ。
だって他人事だもの。
「ま、しばらくは屋敷に引きこもるこのが正解でしょうね。それにしても、ホントに精気が含まれてるのね。この食事」
感心しつつ、ラシュアーニが美咲を慰める。
事態が落ち着くまで我が家と思って逗留して良い、と。
俺のマンションの五十倍くらいあって、しかもメイドとかがいるような屋敷に。
気分はお嬢様だ。
まあ、ラシュアーニは姫君だけどね。
「良いんですか?
「人の噂も七十五日っていうからね。そのくらい隠れてたら沈静化もするでしょう」
「それは前期試験が終わってしまいます。留年してしまいます」
嘆いている。
仕方ないね。
モリールトとハッシュルトに会えたことに浮かれて、不用意なことをしちゃったから。
留年どころか、退学処分まであると思うよ。俺としては。
「大丈夫大丈夫。そうなったら私の会社に入れば良いわ。いきなり課長職とかにしてあげるわよ」
無茶な勧誘をするラシュアーニ。
こいつのところって、一応は大企業だからなぁ。
けど、最初から役職持ちとか、大盤振る舞いすぎる。
間違いなく美咲の精気が目的だな。
「栄養課長とか、そんな感じ」
「目的を隠すつもりすらなかった!」
「サキュバスたちとイチャイチャするだけの簡単なお仕事です」
「美咲が過労死しそうじゃの」
くすくすと笑いながら、美鶴がラシュアーニの差し出した茶碗におかわりをよそった。
快楽死というのは、なかなか珍しい死に方ではある。
「イチャイチャするだけで大企業の課長……地道に就職活動なんかするよりずっと……」
そしてぶつぶつ言ってる美咲であった。
揺れてる揺れてる。
悪魔族の持ちかける取引にたぶらかされてる善良な農民みたいだ。
「で、風祭のことは、なにか判ったか? ラシュ」
「判ったことは判ったけど、全容にはほど遠いわね」
肩をすくめてみせる。
どうにも一つ上の存在のことしか知らされていないらしい。それなりの幹部っぽい足立でも。
徹底しているな。
「一度アメリカ軍に解体させられてるからの。一気に全容を掴まれないようにしておるのじゃろう」
じゃが、と、美鶴が微笑する。
「上役が知れたならそれで充分じゃろう。順番に叩いてゆけば、いずれはトップにたどり着くからの」
「そうだね。まま」
美胡も同様の表情を浮かべた。
怒りよりも凄みのある笑み、というやつである。
徹底的に追いつめ、狩り尽くすつもりなのだろう。
もちろん俺に反対する理由はない。
相棒のやることだもの。全力で協力するさ。
「ただまあ、手伝えるのは夜だけになっちゃうけどね。昼間は探偵の仕事があるから」
これもまた仕方がないことではある。
浮気調査とかそういう仕事は断れるけど、猫探しはそういうわけにもいかないからね。
飼い主たちにとって、愛猫がいない一日は一年にも相当するだろう。
一刻も早く家に戻してあげないといけないんだ。
「そなたはなにを言ってるのじゃ? アゾールトは。わしの復讐など本業のついでに決まっておろう」
ついでって言っちゃったよ。この幼女。