第1話 家族に伝えて
文字数 3,225文字
「偶像崇拝主義はいいもんですぜ、オホホ」
黄昏 窓香 は仏像を見て、そう言った。
「お嬢ちゃん、どういう意味だい?」
住職が窓香に聞いた。さっきの台詞はどう解釈しても、馬鹿にしているようにしか聞こえなかったためだ。
「だって、いつも同じ顔見て満足できる…。そうは思いませんかい? 私は一々顔色を伺わないといけないってのに」
「誰の?」
「誰でもですぜ。私はみんなのご機嫌をとるために生まれてきたようなもんです、はあ」
財布の口を開けて小銭を漁る。五円玉がベストだが、ちょうど入っていない。仕方なく窓香は十円玉を二枚取り出し、賽銭箱目がけて投げた。二度頭を下げると、二度手を叩き、再度頭を下げる。
「じゃ、今日は急いでますんで。この辺で」
今、窓香は地元である兵庫県にいる。だがある用事のために、宮城県に向かわねばならない。
「気を着けなよ、最近は物騒だから」
「心配はいりませんぜ! って言うのは嘘ですわ…。新幹線代、出してくれても…」
「後で、神代の人に請求すればいいだろう? お嬢ちゃんは客で、私は住職。金銭的な関係は今、硬貨投げて終わった」
トホホ、と言いながら窓香はその寺を出た。まず行くべきは新神戸駅だ。そこで新幹線に乗って、東京で乗り換える。そうすれば二時間もしないうちに、目的地に到着する。何の計画も時刻表もない旅であるのに、窓香には楽勝に思えた。
「しいて言うなら、お金の問題だけ。でも大丈夫ですわ、バイトで稼いだのを下せば。…スズメの涙ぐらいだけど」
道路を歩いていると、ある若者とすれ違った。窓香はその若者の手をギュッと握った。
「うわ、何するんだよ!」
威勢はいいが、姿勢はよろしくないその男性は窓香の知り合いではない。
だが、見逃すわけにもいかないのは確かなことであった。
「おい、どこ向いてんだ?」
窓香の視線は、男性の顔よりも上に行っている。まるでそこに、何かあるかのように。
「三年前の四月…」
「はぁ?」
いきなり何を言いだすかと思えば窓香は、日付を口にした。
「四月十日。何か思い当たることはないですかい? あなたにとっては重要な日なはずですぜい?」
「変なことを言うな…」
そう返事をしながらも、男性は思い返す。しかし窓香の言ったその日は、自身の誕生日でもなければ、何の記念も思い入れもない日なのだ。
「忘れちゃったんですかい? 三年前には、家で飼っていた…というよりは家族の一員だったブルドッグの、名前はグルブ。ああ、生まれつき右脚が肘から先がなかったけど、それでも元気に歩くことが…」
普通の人ならば、赤の他人が独り言を喋っているで済ませることができるであろう。
しかし、男性はそれを聞いて、思い出した。
「グルブのことを、どうして知っている?」
「素直な子ですわな。色々教えてくれますぜ。あなたと一緒に風呂に入るのが好きだったとか、冬はコタツで一緒に丸くなったとか…」
男性は窓香の肩を掴み、
「グルブが今、どこにいるのか知っているのか!」
そう叫んで、肩を揺らした。
「焦らないで下さいな。ええっと、こっちですぜ」
二人は近くの山林に入っていく。
「グルブはな、俺が小さい頃から一緒だったんだ。どんな時も側にいてくれて、励ましてくれた」
男性は思い出を語る。窓香は相槌を打ちながら耳を傾ける。
「でも三年前、喧嘩しちまったんだ。あの時俺は高校三年生で、美術展に向けて一生懸命絵を描いていた。でも、完成した絵は顧問の先生に、出品できるレベルじゃないと切り捨てられた。俺はショックで飯も食えなかった。なのにグルブ、散歩に行こうって吠えるんだ。そんな気分になれるわけないだろ? でも俺は…」
その先を言わなかった。窓香も追及しなかった。
二人は無言のまま、木々の間を抜けた。
「そこで、右ですぜ」
指定された場所は、川の近く。
「ここに、グルブがいるのか?」
窓香が黙って頷くと、
「そんなわけがない! 第一お前は誰だ? どこのどいつだ? 何で俺をこんなところに連れてくる?」
窓香は黙ったままだった。鞄の中からスコップを取り出し、そこの土を掘った。
そして土の中から、白いものが出てきた。
「お、おい? 何だそれは?」
「…やっぱり言われた通り、右脚はないんですな」
「え……?」
掘り出したそれを、器用に並べていく。まるで予め解いておいたパズルのように、すぐに出来上がっていく。
「出来ましたぜ。これで全部」
それは、一頭の犬の骨だった。窓香は最後に頭蓋骨を、丁寧に置いた。そしてその骨には、右脚の肘から先がなかった。これは窓香が掘って確かめなかったからではない。最初から存在しないのだ。
「三年前の四月十日。あなたがグルブと喧嘩した日。グルブが家を出て、帰って来なかった日。家に帰ることができなかった日」
窓香は、骨のある一か所を指差した。左前脚だ。そこだけ、折れているのだ。
「グルブは、この上の斜面で転んでしまって、脚を折った。だから歩けなくなって、ここで蹲った。でも誰も助けに来てくれなくて、結局そのまま死ぬことになった」
男性は、涙を流した。自分が一生懸命探し回った愛犬は、既に死んでいたのだ。
「グルブ…。かわいそうに、こんなに、軽くなって」
涙声で男性は、犬の頭蓋骨を持ち上げて、それが愛犬であるかのように撫でた。
その後すぐに男性は家に戻り、バケツを抱えて戻って来た。グルブの骨を拾い集めると、家の庭に埋葬した。簡単だが、墓石も立てた。
「犬小屋は、供養して処分することをお勧めしますぜ。そうしないとグルブが上手く成仏できませんのですわ」
男性の両親は、初対面の窓香の言葉を一つ一つ聞き、メモした。アドバイスをし終えた窓香はその場から立ち去ろうとした。
「待ってくれ」
男性に呼び止められた。
「どうして、グルブのことがわかったんだ? それが知りたい」
「簡単ですぜ、オッホン」
窓香は、常識を述べるかのように言った。
「グルブが教えてくれたんですよ。ここ掘れワンワンってヤツですな」
「教えた?」
こちらも当たり前のように首を傾げる男性。すると窓香は、
「見える人って、世の中に当たり前のようにいますぜ? 私がそうなので」
「見えるって、幽霊がか?」
コクンと頷く窓香。すると男性は、
「馬鹿な? そんなものが存在するとでも?」
「ところがどっこい、いるんですよ。じゃないと私も、グルブの所にたどり着けませんでしたから」
説得力のある言葉に、男性は引き下がった。認めるしかないのだ。
「な、なら、教えてくれよ。グルブは俺のこと、どう思っていたんだ? 恨んでんだろう? そうに違いない!」
いえいえ、と手を振ると窓香は、
「恨みはこれっぽっちも感じませんでしたわ。寧ろ、勝手に死んで済まない、と思っていたみたいですぜ。ああ、こうも言っている。もっと君の側にいたかった。でもここで眠れば、いつでも見守ることができる。大切な家族に、自分が死んでしまったことを知ってもらえた。もう、彷徨うことはないんだ、って」
グルブは、死してなお、男性の下を離れることを嫌ったのだ。相当な絆が芽生えてなければ、貫き通せぬ信念。窓香は墓石の前で合掌し、目を瞑った。その瞼には、暗闇ではなく一頭の犬の思い出が映し出されていた。
日は暮れていた。この時間帯に外を出歩くのは危険である。窓香も男性もそれはわかっていた。だからなのか、男性は窓香に、家に泊まっていけと伝えた。
「ええ、いいんですかい? じゃあお言葉に甘えて遠慮なく!」
窓香は機嫌良さそうに、男性の家に上がり込んだ。
「お嬢ちゃん、どういう意味だい?」
住職が窓香に聞いた。さっきの台詞はどう解釈しても、馬鹿にしているようにしか聞こえなかったためだ。
「だって、いつも同じ顔見て満足できる…。そうは思いませんかい? 私は一々顔色を伺わないといけないってのに」
「誰の?」
「誰でもですぜ。私はみんなのご機嫌をとるために生まれてきたようなもんです、はあ」
財布の口を開けて小銭を漁る。五円玉がベストだが、ちょうど入っていない。仕方なく窓香は十円玉を二枚取り出し、賽銭箱目がけて投げた。二度頭を下げると、二度手を叩き、再度頭を下げる。
「じゃ、今日は急いでますんで。この辺で」
今、窓香は地元である兵庫県にいる。だがある用事のために、宮城県に向かわねばならない。
「気を着けなよ、最近は物騒だから」
「心配はいりませんぜ! って言うのは嘘ですわ…。新幹線代、出してくれても…」
「後で、神代の人に請求すればいいだろう? お嬢ちゃんは客で、私は住職。金銭的な関係は今、硬貨投げて終わった」
トホホ、と言いながら窓香はその寺を出た。まず行くべきは新神戸駅だ。そこで新幹線に乗って、東京で乗り換える。そうすれば二時間もしないうちに、目的地に到着する。何の計画も時刻表もない旅であるのに、窓香には楽勝に思えた。
「しいて言うなら、お金の問題だけ。でも大丈夫ですわ、バイトで稼いだのを下せば。…スズメの涙ぐらいだけど」
道路を歩いていると、ある若者とすれ違った。窓香はその若者の手をギュッと握った。
「うわ、何するんだよ!」
威勢はいいが、姿勢はよろしくないその男性は窓香の知り合いではない。
だが、見逃すわけにもいかないのは確かなことであった。
「おい、どこ向いてんだ?」
窓香の視線は、男性の顔よりも上に行っている。まるでそこに、何かあるかのように。
「三年前の四月…」
「はぁ?」
いきなり何を言いだすかと思えば窓香は、日付を口にした。
「四月十日。何か思い当たることはないですかい? あなたにとっては重要な日なはずですぜい?」
「変なことを言うな…」
そう返事をしながらも、男性は思い返す。しかし窓香の言ったその日は、自身の誕生日でもなければ、何の記念も思い入れもない日なのだ。
「忘れちゃったんですかい? 三年前には、家で飼っていた…というよりは家族の一員だったブルドッグの、名前はグルブ。ああ、生まれつき右脚が肘から先がなかったけど、それでも元気に歩くことが…」
普通の人ならば、赤の他人が独り言を喋っているで済ませることができるであろう。
しかし、男性はそれを聞いて、思い出した。
「グルブのことを、どうして知っている?」
「素直な子ですわな。色々教えてくれますぜ。あなたと一緒に風呂に入るのが好きだったとか、冬はコタツで一緒に丸くなったとか…」
男性は窓香の肩を掴み、
「グルブが今、どこにいるのか知っているのか!」
そう叫んで、肩を揺らした。
「焦らないで下さいな。ええっと、こっちですぜ」
二人は近くの山林に入っていく。
「グルブはな、俺が小さい頃から一緒だったんだ。どんな時も側にいてくれて、励ましてくれた」
男性は思い出を語る。窓香は相槌を打ちながら耳を傾ける。
「でも三年前、喧嘩しちまったんだ。あの時俺は高校三年生で、美術展に向けて一生懸命絵を描いていた。でも、完成した絵は顧問の先生に、出品できるレベルじゃないと切り捨てられた。俺はショックで飯も食えなかった。なのにグルブ、散歩に行こうって吠えるんだ。そんな気分になれるわけないだろ? でも俺は…」
その先を言わなかった。窓香も追及しなかった。
二人は無言のまま、木々の間を抜けた。
「そこで、右ですぜ」
指定された場所は、川の近く。
「ここに、グルブがいるのか?」
窓香が黙って頷くと、
「そんなわけがない! 第一お前は誰だ? どこのどいつだ? 何で俺をこんなところに連れてくる?」
窓香は黙ったままだった。鞄の中からスコップを取り出し、そこの土を掘った。
そして土の中から、白いものが出てきた。
「お、おい? 何だそれは?」
「…やっぱり言われた通り、右脚はないんですな」
「え……?」
掘り出したそれを、器用に並べていく。まるで予め解いておいたパズルのように、すぐに出来上がっていく。
「出来ましたぜ。これで全部」
それは、一頭の犬の骨だった。窓香は最後に頭蓋骨を、丁寧に置いた。そしてその骨には、右脚の肘から先がなかった。これは窓香が掘って確かめなかったからではない。最初から存在しないのだ。
「三年前の四月十日。あなたがグルブと喧嘩した日。グルブが家を出て、帰って来なかった日。家に帰ることができなかった日」
窓香は、骨のある一か所を指差した。左前脚だ。そこだけ、折れているのだ。
「グルブは、この上の斜面で転んでしまって、脚を折った。だから歩けなくなって、ここで蹲った。でも誰も助けに来てくれなくて、結局そのまま死ぬことになった」
男性は、涙を流した。自分が一生懸命探し回った愛犬は、既に死んでいたのだ。
「グルブ…。かわいそうに、こんなに、軽くなって」
涙声で男性は、犬の頭蓋骨を持ち上げて、それが愛犬であるかのように撫でた。
その後すぐに男性は家に戻り、バケツを抱えて戻って来た。グルブの骨を拾い集めると、家の庭に埋葬した。簡単だが、墓石も立てた。
「犬小屋は、供養して処分することをお勧めしますぜ。そうしないとグルブが上手く成仏できませんのですわ」
男性の両親は、初対面の窓香の言葉を一つ一つ聞き、メモした。アドバイスをし終えた窓香はその場から立ち去ろうとした。
「待ってくれ」
男性に呼び止められた。
「どうして、グルブのことがわかったんだ? それが知りたい」
「簡単ですぜ、オッホン」
窓香は、常識を述べるかのように言った。
「グルブが教えてくれたんですよ。ここ掘れワンワンってヤツですな」
「教えた?」
こちらも当たり前のように首を傾げる男性。すると窓香は、
「見える人って、世の中に当たり前のようにいますぜ? 私がそうなので」
「見えるって、幽霊がか?」
コクンと頷く窓香。すると男性は、
「馬鹿な? そんなものが存在するとでも?」
「ところがどっこい、いるんですよ。じゃないと私も、グルブの所にたどり着けませんでしたから」
説得力のある言葉に、男性は引き下がった。認めるしかないのだ。
「な、なら、教えてくれよ。グルブは俺のこと、どう思っていたんだ? 恨んでんだろう? そうに違いない!」
いえいえ、と手を振ると窓香は、
「恨みはこれっぽっちも感じませんでしたわ。寧ろ、勝手に死んで済まない、と思っていたみたいですぜ。ああ、こうも言っている。もっと君の側にいたかった。でもここで眠れば、いつでも見守ることができる。大切な家族に、自分が死んでしまったことを知ってもらえた。もう、彷徨うことはないんだ、って」
グルブは、死してなお、男性の下を離れることを嫌ったのだ。相当な絆が芽生えてなければ、貫き通せぬ信念。窓香は墓石の前で合掌し、目を瞑った。その瞼には、暗闇ではなく一頭の犬の思い出が映し出されていた。
日は暮れていた。この時間帯に外を出歩くのは危険である。窓香も男性もそれはわかっていた。だからなのか、男性は窓香に、家に泊まっていけと伝えた。
「ええ、いいんですかい? じゃあお言葉に甘えて遠慮なく!」
窓香は機嫌良さそうに、男性の家に上がり込んだ。