第17話 窓香の決意・後編

文字数 5,154文字

 その瞬間、窓香は夢を見た。

 最初に現れたのは、幼稚園の光景だった。友達に話しかけている自分がいる。また別の人に話しかける。しかし返事が中々返って来ない。その人は同じ組の友達から無視されていた。理由は簡単で、窓香の目でしか見ることができなかったからだ。この時窓香は、自分は幽霊を見ることができると自覚した。
 両親の顔が現れた。まだ若い。幼い頃に、幽霊が見えることを話したことがあった。でも、相手にされなかった。きっとまだ自分が小さな子供だから、嘘を吐いていると思ったのだろう。その時の両親の目が冷たかったから、幽霊の話は二度としなかった。

 小学生に上がる頃になると、幽霊が何か言っているのがわかった。迷わず南無阿弥陀仏と唱えた。すると幽霊が苦しみ出したので、止めた。何故自分だけ、幽霊が見えるのだろうか。その疑問に納得のいく答えが欲しく、幽霊に問いただしたことがあった。だが生まれつきではないか、としか言われなかった。答えは冷たかったが、相手をしてくれたことが嬉しくて、幽霊を雑に扱うようなことはしなかった。まるで友人のように振る舞い、仲良くしたことすらある。その代償か、他人と少し距離を置くようになってしまった。
 両親が何も教えてくれないので、独学で心霊分野を開拓した。いろんな本を読み、学んだ。時には寺や神社に行き、そこで働いている人の話を聞いた。占い師にだって会いに行ったこともある。実際に何度も、幽霊にも聞いてみた。

 そうしている内に、答えを見つけ出した。

 自分は、死者の声に耳を傾けるために霊が見えるのではないだろうか? 普通の人は、幽霊と遭遇したら真っ先に除霊を行おうとするだろう。でも自分は違う。死者の言い分を聞くことができる。何を言っているのかがわかる。そして心を通わせることができている。中学生の時、ある幽霊の話を親身になって聞いた。幽霊の抱えた悩みを解決すると、満足して成仏した。
 これだ。確信した。自分は未練を解消するために、幽霊が見える。

 そう思ってからは、様々な霊と出会ってはその言葉を聞いた。悪霊になってしまった霊もおり、危険な目にもあった。だが最終的に怒りを、その根源を解決すると、満足げに点に召されていくのだ。

 高校生になってから、一人暮らしを始めた。より自分にできることに専念したかったからだ。
 霊と接する上で欠かせないのが、遺族だった。残された家族も、霊と同じような思いを抱いていた。それに気付けたからか、人と接するのが苦手ではなくなった。
 時には遺族がいないことだってあった。でもやるべきことは変わらない。お礼が目当てでやっているのではないからだ。

 高校を卒業したら、大学には行かなかった。心霊学、なんてものがあったら進学を考えていたかもしれない。なかったので学び続けることに意味を見出せなかった。結局アルバイトをしながら、霊の成仏を本職にした。

 そんな時、両親に呼び出された。最初は説教されるのではないかと思ったが、様子が違った。聞くと両親が働く神代グループの跡取りが、自分を嫁に欲しいと言っているらしい。流れで会いに行くことになった。

 そして、自分の人生に転機が訪れる。一匹のイヌの霊に出会った。そこから飼い主の元にたどり着いた。そして霊を弔ってあげる。いつものことだ。
 次の日に、悪い知らせが耳に飛び込んできた。神代の会合が狙われているかもしれない。いつどこで、誰が襲ってくるのかすらわからないから今すぐ兵庫県を出ろ、と言われ、風悟の腕を掴んで出発した。

「風悟…さん?」

 言われてみれば、風悟はどうして自分の旅にここまで付き合ってくれたのだろうか? 不思議だ。頼んだ記憶は無い。寧ろ自分が勝手に連れ出したのだ。でも途中で帰ったりはしなかった。旅の最中、心強い味方だった。何度か危ない目に遭ったが、それでも自分の側にいてくれた。

 ここで窓香は、気が付いた。

 風悟が側にいなかったら、自分は除霊を行っただろうか? 風悟の命を危険にさらす霊とは、話が通じなかった。だから自分のポリシーを曲げて除霊を選んだ。

「そう…なのですな」

 そしてわかった。生者は死者の味方にはなれても、友達にはなれないのだ。自分一人だけならいいかもしれないが、霊との友好はいずれ他人の迷惑に繋がってしまう。それで人が命を落とすことがある。そうなってしまってからでは、遅すぎる。死者が必ずしも生者の味方になるとは限らない。両者の関係は、生者の片思いで終わってしまう。

「なら、私は…」

 選ばなければいけない。誰かと共に生きる道を。それは生きている人でなければいけない。ならば、風悟を選ぼう。きっと、いや絶対、自分の側にいてくれるはずだ。この旅の苦楽を共にした風悟なら、自分の生きる道を正しい方向に導いてくれるはずだ。

「生きたい、私は。風悟さんと共に!」


 ブチッと、何かが切れる音がして窓香は目が覚めた。濡れた服に風が当たり、冷たく感じる。

――生きて、ますぜ…。

 手に力を込めた。大丈夫だ、腕が動く。起き上がることができる。
 窓香が体を起こすと、左腕に巻いていた数珠玉が環を維持できず、パラパラと落ちていく。そして地面に落ちると全部、砕け散る。

――生きて生きて、生きて。私の人生が始まる! こんなところで立ち止まっている暇なんぞ、ない!

「ば、馬鹿な…?」

 さっきまで笑っていた碧が、驚いた顔をしている。無理もない。死んだはずの人間が、魂を取り戻したかのごとく立ち上がったからだ。

「ならば、もう一度!」

 碧は冷静に戻ると状況を理解し、再び窓香の体に触れようとした。しかし、伸ばす腕は全て、避けられる…。

「何!」

 碧の腕に、窓香は飛び移った。そして碧の頭上目がけてジャンプした。手を伸ばして、何かを掴んだ。

「これが、異霊…!」

 禍々しい見た目のそれが、碧の体から引き剥がされた。窓香はそれを掴んだまま、地面に着地する。

「異霊を、触っているだと? そんなことが出来るはずがない! 死ぬだけだ!」
「ええ、死にましたぜ? 今までの私が。そしてこれからは新しい道を行く!」

 異霊の声が聞こえる。悲しい悲鳴だ。話しているのは、ほとんどが被害者。みんな罪のない魂。元はただの怨霊に過ぎなかったのに、生者の魂を食らうことができるようになってから、今のようになったのだ。魂を食われた者は異霊の一部となり、他の生者が食われていく様を見届けなければいけない。そして成仏できないため、永遠にその苦しい光景を目にするのだ。

 別の声が聞こえた。元になった怨霊だ。コイツだけは、好戦的な発言をする。もっと魂を寄こせ、食う、と。

――コイツの魂だけを、成仏させることができれば、封印しないで済むかもしれませんぜ!

 やってみる価値はある。窓香は目を閉じて意識を集中させた。碧の声は、何も窓香に入らない。そして碧は異霊を恐れて、窓香に掴みかかろうともしなかったので、窓香には好都合だった。

「永遠にこの世に残る罪深き魂よ、その業を洗うべく、地獄に堕ちよ! そして奪い取った生者の魂を、全て解放せよ! 解放されし魂に、安らかな眠りを!」

 そう叫び、手を合わせる。パン、と音がすると異霊は中心部の怨霊が地獄に堕ちたのか、バラバラになり今までに食った魂を放出し、空気に溶けていく。

「解放されし魂よ、私の手の中で、天国へ向かえ!」

 そして、多くの魂が窓香の手と手の間に吸い込まれていく。一つも残らず魂は、黄泉の国に向かった。

「出来ましたぜ…!」

 成仏成功。不可能を可能に変えた瞬間だった。


「そんな馬鹿な! く、お前だけはここで…」

 碧はまだ、諦めていなかった。全ての力を出し切り、膝をついてしゃがむ窓香を呪おうと、藁人形を取り出した。

「させん」

 その後ろから、男の声がした。同時に碧の手から、藁人形が弾かれた。

「お前は!」
「初めて会うな、碧。我輩のことを知っているか?」

 神代の跡継ぎだった。その横には、風悟もいる。

「窓香さん、大丈夫?」

 風悟がそう言いながらしゃがんで、窓香に手を差し伸べる。すると窓香はその手を取った。

「もう安心しろ。災霊は我輩が回収し、この提灯に封じ込めた。霊界重合は治めてやったぞ」

 その証拠に、周りが明るい。分厚かった雲が、かけらも残さず空から消えている。

「さて、碧。貴様には罰を与える…と言いたいところだが、悪いのは我輩たち神代の人間か…。それではいくら罰しても意味がないな。第二、第三の碧と大輝が現れてもおかしくはない」

 神代の跡継ぎは、本気で罰を与えないと言っている。

「優れた霊能力を見せてもらった。貴様と大輝の二人には将来、裏の仕事を与えてやろう。それと、約束しなければいけないこともある」

 彼は、孤児院の環境を改善すると約束した。多くのお金はかけられないかもしれないが、孤児院の誰もが苦しい生活を送らずに済む方法を神代グループ全体で模索すると誓った。

「本当、なのか?」
「ああ。二度とこういうことを起さんためにな」

 碧と大輝の行動は、無駄ではなかった。神代グループはこの一件を重く受け止めた。その証拠に、跡継ぎは孤児院の子供たちのことを顧みず、済まなかったと深々と頭を下げた。

「おお…」

 碧は泣いた。目的こそ果たせなかったものの、もう苦しむ仲間を見なくていいのだ。


 窓香と風悟は、近くの喫茶店に案内された。四人掛けのテーブルには既に男が一人座っており、手招きをした。

「全く、やはり非情になれませんでしたね。私は最初から、こういう結末になると思ってましたよ?」
「…黙れ、洋大」

 各々自己紹介を済ませると、窓香が突然切り出した。

「すみません。この話、なかったことにしてくれますかい?」

 その発言に、風悟と洋大は驚いた。

「何だって? じゃあ何でここまで来たんだよ!」
「だって私、一緒にいるべき人を見つけたんですよ。その人と共に歩みたい。だから…」

 窓香は恥ずかしくなったのか、言葉に詰まった。

「構わん。よいぞ」

 神代の跡継ぎは、すぐに許可を出した。

「元々、我輩の望まぬ話だった。しかし先代の意向で、勝手に話が進んだ。だから全く知らぬ窓香の名を挙げて、適当な理由をつけて断ろうと思っていたところだ。それに貴様、もう決意を固めた目をしておる。その瞳の灯を吹き消す権利は誰にもない」
「じ、じゃあ風悟さんと!」

 風悟は自分の名前が窓香の口から飛び出したので、ドキッとした。

「…いいんですね? 私の人生を歩んで。私は二度と仙台には来ないかもしれませんぜ?」
「ああ。無駄足を踏ませたな。駄賃代わりにくれてやる」

 そう言って、提灯を差し出した。あの、災霊が入っているヤツだ。だが窓香は、

「いりませんぜ。私は死者の声に耳を傾けることに一生を使おうとしてましたぜ。しかし、これからは一人の霊能力者として神代で働きたい。駄賃を出すと言うなら、仕事をくれませんかい?」
「いい心掛けだ。ならば早速、くれてやろう。不死の樹海に向かえ。そこにいる霊を鎮めろ。巡礼者の霊は貴様が鎮めたと聞くが、森の怨念はまだうろついておる。できるか?」
「やってみせますぜ」

 窓香は元気に返事をした。

「任せたぞ。人の死せる魂を追う者よ」


 結局神代の会合は、中止になった。理由は、街一つを脅かす脅威が生まれそうだったから。災いの元を辿れば、勝手に動いた神代関係の霊能力者の責任だ。災霊は彼には返却しない代わりに、罰則は警告で済んだ。

「心霊現象か? 仙台で謎の集団の目撃情報多数…」

 新幹線を待っている間、風悟は新聞を読んでいた。昨日のことが一面に書かれているが、不思議と関係のある人物の名前は出てこない。

「さて、帰りますかい?」

 窓香がそう言うと、

「でも、樹海に行くんでしょう?」
「ああ、やっぱり! 風悟さんって私と一緒にいたいんですな?」
「……そう、だけど…?」

 もう隠す意味がなかった。風悟は自分の想いを隠さず窓香に打ち明けた。

「風悟さん。私もあなたと一緒にいたいですぜ。きっと運命を変える出会いだったんです」
「そうだね。俺の愛犬…グルブに感謝だな。窓香さんを呼び止めてくれなかったら、こういう話にはならなかったんだもの」

 二人は手を握った。お互いの温もりを確かめながら、駅のホームに出た。
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