第9話 不死の樹海

文字数 6,084文字

「世界遺産、こんばんはですぜ!」

 窓香と風悟は、富士山の麓に来ていた。窓香がいつものように稼いだために資金は東京まで十分あったが、日本一高い山を窓から眺めるだけにしておくのはもったいない。そう考えたからだ。だが時間はもう遅く、周囲は真っ暗。とても登山できる状態ではない。

「明日、登るのかい?」
「山登りは、控えますぜ。でも行ってみたいところがあるんですよ」

 そう言って窓香が指を差すのは、木々が生い茂る青木ヶ原だ。

「俺は嫌だよ。二度と戻れなくなるんだろう?」
「ところがどっこい、実は観光スポットとして有名なんですよ? 森林浴も楽しめますぜ」
「このただならぬ雰囲気を?」

 風悟が言うのも無理はない。霊能力者である窓香が、樹海近くの歩道を歩いて終わらせてくれるわけがない。何か、ある。自分の本能がそう告げている。

(でも、足を止めてくれるわけもないか…)

 仕方なく風悟は、覚悟を決めた。

「もし俺がショバに戻れなかったら、ちゃんと極楽浄土まで送ってくれよ?」
「何の話ですかい?」

 窓香は何も躊躇うことなく、歩道から外れて樹海に入った。風悟も付いて行く。


 数時間歩いただろうか。周りは木しかなく、時間の経過がわかりにくい。幸いにも、スマートフォンの電波は生きている。これなら迷子にはならない、そう思うと風悟は少し安心した。

「でも窓香さん、意外だな。自分からこの樹海に入るなんてさ」
「どういう意味ですかい?」
「だって、自殺の名所としても有名じゃん? 自殺者の魂がここを永遠に彷徨う…。ああ、考えただけでホラ、鳥肌が立ったよ…」
「そんなの、求めてませんぜ?」
「じゃあ、サンガ? あの都市伝説が本当だと確かめるの?」

 それも違う、と窓香は首を振った。風悟はてっきり、自殺者の魂に会いに行くのだと思っていた。だから悪趣味だと思ったが、そうではないらしい。

「噂で聞いたことがあるんですが、この樹海に…。不死があるって」
「不死?」

 首を傾げる風悟に窓香は説明を聞かせる。

「死なないから不死…。でもそういう意味じゃなくってですね。寝ないから不眠って言うのと同じですぜ。死ねないから不死」
「どういう意味だよ? 全く話が見えてこないぞ?」
「もう伝説と言った方が早いぐらいの時代の出来事ですぜ…」

 何やら窓香が、語り出した。


 霊能力者の間でのみ、語り継がれている伝説がある。
 その森は、死を求める。木々は人の生き血を吸って育つとまで言わしめる森だ。当然人々はその存在を恐れ、近づこうとしなかった。
 しかし森に行く人が後を絶たない。何かがいるのは明白だが、誰も確認に行こうとしない。行けば戻って来られないから。

「私が、見て来よう」

 名乗りを上げたのは、巡礼者だった。彼は普通の人に見えないものが見え、聞こえない声が聞こえた。
 彼は樹海の探索に出かけ、次の日には戻って来られた。

「魔物が生活しているらしい。その魔物をやっつければ、この森に怯えることはない」

 巡礼者は近くの村の人々に、そう伝えた。
 だが村人は、容赦なく槍や刀を巡礼者に向けた。

「この村のためだ。今、死んでくれ」

 実は巡礼者が森を探索して、魔物が見つけられなかったのには理由がある。魔物は自分を払える巡礼者の接近を察知し、一手早く行動に出た。村人にある契約を突き付けたのだ。

「今、この森を探っている巡礼者を殺せ。死体を森に献上しろ。そうすれば俺は森を出て行く」

 巡礼者が魔物に勝てるかどうかはわからない。だから村人たちはおろかにも魔物の出した条件を飲んだ。

「おのれ…」

 しかし巡礼者は、不死の薬を持っていた。これを飲めばここで死なずに済む。はずだった。
 死体を森に運べと言われた村人たちは、弱っている巡礼者からその薬を取り上げ、燃やした。それを見て絶望した巡礼者は、その場で力尽きた。
 そして死体を森に運ぶと、魔物がそれを口に咥えてどこかに去って行った。
 これに喜んだ村人たち。もう森を恐れることはない。

 しかしそれは、違ったのだ。

 この森の恐怖の源は、魔物ではなかった。魔物は森の力を抑えていたのだ。だが森の力の方が強く、村人たちから支援も得られない。森の魔力に負けてやって来る人々は、魔物が殺したのではなかった。森が殺していたのだ。
 魔物が森から去った理由はわからない。気まぐれと言われている。

 ただ確かなのは、村人に殺された巡礼者の怨念が、この森と融合することで膨れ上がり、さらに人の命を奪うようになったということである。そしてその村は次第に人が減っていき、気が付けば最後の一人も、誰かに操られたかのように森に行ったきり。
 そして今もその森には、巡礼者の怨念が存在する。森全体に力を伸ばし、生きる者の命を求め続けるのだ。
 そして巡礼者の怨念は、こう言うと言われている。

「私は、死ねない。まだ命が足りない。もっと多くの魂を喰らってでも、この世に復讐する」


「最後の方、不穏過ぎない? 最後の台詞はどうにかならなかったの?」
「本当は、別のことを言いたかったんじゃないかと伝わってますぜ。でも、森と融合してしまったために歪み、ああなったと考えられているんですな」

 巡礼者が殺される話は良く耳にする。六部殺しなんてそうだろう。

「でも伝説なんでしょ? 一般人には全く馴染みがないし、窓香さんたち霊能力者でも伝説レベルでしか知らないんだもの」

 すると窓香は目を輝かせて、

「そこに心惹かれるのが、霊能力者の性ってやつですぜ!」

 と言うのだった。当然風悟は、理解できない、と叫んだ。
 ふと時刻を確認すると、もう午前二時だ。

「流石に戻ろうよ。こんな夜遅くはちょっと…」

 危険とか、明日に響くとか風悟は続けたかった。しかし窓香は、

「丑三つ時ってやつですな? 悪霊がもっとも活発に動き回るのは、午前二時から四時の間って言われてますぜ。と、いうことは、私としては好都合ですぜ!」
「俺からすれば、最悪だよ…」

 ここで自分だけ戻るのも危険極まりない。風悟は最後の望みすら、捨て去ることになった。

(どうか、生きて出られますように…!)

 頭上を見上げても木々のせいで星空は確認できない。だから心の中で勝手に流れ星を量産して、風悟は願った。


「うん?」

 風悟が急に声を上げた。何か人影が見えた気がしたのだ。だが窓香は気付いていない様子である。

(一般人の自分に見えるんだから、幽霊ではないだろう)

 そういう思い込みがあったがために、風悟は一瞬だけ足を止めた。その一瞬が、命取りとなった。

「う、うわ!」

 急に目の前が真っ暗になる。持っていたスマートフォンのバッテリーは十分にあったはず。なのに光っていない。

(置いて行かれた? 目と鼻の先を歩いていたのに?)

 ありえない状況に困惑する風悟。彼にできたことは、ただ黙って立っていることだけだった。
 やがて周囲が完全な暗闇になる。自分の感覚も段々となくなっていく。気付けば風の音も聞こえなければ、木々の臭いもしない。声も出せなかった。
 そして、声が聞こえるのだ。

「こっちに来い…」

 明らかに窓香の声ではない。そしてこの場所に第三者がいるはずもない。なのに風悟は疑いもせず、声の方に足を向けた。

「そうだ…。こっちだ…」

 声が大きく、さらにはっきりと聞こえた。不思議なことに、心臓の鼓動はいつも通りだ。

「…………」

 そして、急激な眠気に襲われる。時間が時間だから…と考えるのが普通だが、移動中の電車の中で十分昼寝をした。だから眠くなる理由がない。

(駄目だ…。何も考えられない…。少しぐらい休もう、疲れているんだし…)

 そう考えて、腰を下ろした。ちょうど木がそこに倒れており、腰を任せるのに十分だった。
 だが座った瞬間、まばゆい光が瞼の向こうから風悟の網膜に差し込んだ。

「ここにいましたかい!」

 窓香であった。彼女は霊的勘を頼りに、この広く同じ風景が無限に続く樹海で、はぐれてしまった風悟を探し当てたのだ。

「…? 窓香、さん?」

 手を握られて、強引に体を起こされる。不思議と眠気はなくなっていた。

「危ないところでしたな、フウ。そして隠れていても無駄ですぜ?」

 窓香が叫ぶと、木の陰から人影が現れた。

「ひえぇ、何だあれは!」

 それは人間の顔ではなかった。一言で言えば、草木でできた骸骨。死を表すドクロと、森の構成員である木の融合体のようなもの。

「アレがこの樹海の正体ですぜ…」

 窓香の声は、緊張していた。わずかに怯えているのが、腰を抜かしている風悟にもわかった。

「おしい…。邪魔がいなければ、その者の魂を我が物にできた…」

 驚くべきことに、それは顎を動かし声を出した。

「させませんぜ!」

 窓香の目が、鋭くなった。今までに見せたことがない表情だ。
 樹海の正体。それは切り倒された木々の無念が蓄積し、さらに無念の死を遂げた巡礼者を取り組んだ存在。

――話が通じるとは、一ミリも思いませんな…。

 当たり前だ。それができればこんなに汗をかかない。今心臓が興奮しているのは、目の前のそれが、この世にいさせてはならないとわかっているからだ。
 でもそれだけじゃない。

――私に、除霊ができる?

 一番の問題点だ。窓香は霊と話すのは得意だ。相手の納得のいく形に落とし込み、霊が自ら成仏するようにしてやる。今までそうやって多くの霊の怒りを鎮めてきた。
 だが、今は違う。相手の思考を無視して除霊させなければいけない。それができないなら、風悟は、いや自分もここで三途の川の向こう岸に連れて行かれてしまう。

――やらねばいけない時が、来ましたぜ…。

 ぶっつけ本番だが、それ以外に手はない。窓香は息を大きく吸った。そして目を瞑り合掌してお経を唱える。
 一瞬だけ目を開けた。相手は窓香の努力虚しく、ぴんぴんしている。

――ま、練習もしてない手法は成功なんてするはず、ありませんよな。

 心に余裕を持った。そうしなければ踏ん張っていられない。

「さあて、ここからが本番ですぜ!」

 窓香には、秘策があった。

「あなたは、生きて何がしたいんですかい?」
「何だ…?」

 相手が聞き返した。風悟も窓香の発言には首を傾げた。

「生きなければならない理由…。あなたにはあったはずですぜ。森と融合しなかったら、村人に裏切られなかったら、何をしようと思っていたんです?」

 森の怨念は、素人の窓香でどうにかなるレベルをはるかに超えている。だったら手が届きそうな部分、つまりは巡礼者の魂に賭けてみる。

「巡礼の旅が、続けたかったんじゃないですかい? こんなところで足を止めて、一体どうするんです? 次の目的地はここじゃない。それはあなたが一番わかっていらっしゃることぜしょう?」
「ククク…。つまらん…」

 相手は、窓香の意見を切り捨てた。

「我が目的は生きて、生きて魂を食らい、人間に復讐すること…」

 それを聞いた窓香は、形相を変えて怒鳴った。

「お前が喋るな! 私は今、巡礼者に語りかけている! 生きて、その先の目的は、本当は何だ? あなたを殺した村人は既に村ごと滅んだ。ならばあなたが復讐する相手はもうこの世にいない。あの世にしか存在しないはず。復讐するなとは言わない。したいのならするべき場所…黄泉の国でゆっくりすればいい!」

 普段の優しい言動からは想像できないほどの、強く低い声。風悟は一瞬だけ窓香のことが別人に見えた。

「我が目的は…。我が…」

 相手は急に、口を押えた。恐らく言いたいことと言わせたいことが一致しないからであろう。

――もう少しですぜ。巡礼者の正義の心は、死んではいないはず。

「うぐぐおががが…!」

 バキ、と鈍い音がした。相手は何と、これ以上喋るまいと自身の下顎をもぎ取ったのだ。

「何! これじゃあアイツと会話ができないんじゃ…?」

 心配の眼差しを、風悟は窓香に送らずにはいられなかった。
 だが一方の窓香は、安心しきっている。鞄から和紙を取り出すと、『怨念消失』と書いて相手に叩き付ける。

「………!」

 相手は無言で、ただし物凄い迫力で抵抗してみせる。質量でもあるのか、手で窓香の腕を掴んでみせる。

「とど…かせる!」

 あと一歩。その一歩で即席の札が届く。

「うおおおおおおお!」

 急に、窓香の力が勝った。
 風悟だった。完全にビクついていた彼は気力だけで体を動かしている。窓香に自身の全体重をかけ、相手の腕がボキ、と折れる。

 そして二人の手に、怨念を滅却する感触が伝わった。


 気が付けば朝日が、暗い樹海に差し込んでいる。

「おお、お」

 古びた木の残骸が足元に転がっていた。それは朝の風に吹かれるとチリに変っていく。

「やった…んだよね?」

 風悟が窓香に聞く。

「……」

 無言だったため、もう一度訪ねると、

「やりましたあああああ!」

 と叫んで風悟に抱きついてきた。

「うわあ! ちょっと…」

 風悟の心境は複雑だった。嬉しい反面、こうしてはいけないと思う心がある。窓香は神代の跡継ぎの婚約者なのだから。

「風悟さんは嬉しくないんですかい?」

 風悟の様子を見て窓香が言った。

「お、俺? 嬉しいさ。だって窓香さんが助けてくれたからね。もし俺一人だったら、絶対に死んでたよ」
「でも、私がいなかったら樹海に近づきすらしなかったんじゃありませんかい?」
「そうかも…。ってそんなこと言いだしたらキリがないよ! とにかく助かったんだ!」
「…安心するのは、まだ早いようですぜ……」

 え、と風悟が驚くと、窓香が足元を指差して言った。

「私の即席お札…。破かれてますぜ。恐らく巡礼者の魂は成仏させられたはずです。が、森の怨念の方はまだの様子。きっと奥深くに逃げたんでしょうな」

 普通ならそれを聞いて、絶望するだろう。だが風悟は、

「それって、森は窓香さんに敵わないことを認めったってわけだろう?」

 ポジティブだった。そして窓香も、

「まあ、そうなんですけどね!」

 と自信過剰に言った。
 本来なら、森に追い打ちを仕掛け、完全に怨念を絶つべきだろう。しかしさっきの行為のお蔭で、森としてはうかつに人に手を出せなくなったはず。巡礼者の霊魂は消えた。しばらくは死者も出ないだろう。

 それと今優先すべきは、早く宮城県に到着すること。この森の一件は神代の人間に報告し、トドメは他の人に任せてしまおう。
 そう考えた二人は、朝焼けの眩しい道路に戻った。
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