第11話 忍霊
文字数 4,918文字
「ここで問題ですぜ。西暦九四〇年に何があったでしょうかっ!」
風悟はすぐに答えられなかった。
「う~ん、と。ねえ…」
正直、何も思いつかないというのが彼の答えだ。
「大学生なのに、わからないんですかい?」
「そういう肩書どうのこうのは、卒業してから言うよ…。俺は理系だったし、日本史受けてないし…」
「では、答え発表といきますかい! 平将門の乱、ですぜ」
「あったっけ? そんなの?」
だが案内された場所を見るに、関係があるらしい。二人の目の前には、首塚が存在している。
「これ、ガチモンのヤバいところじゃない?」
素人の風悟もここまで来ると、雰囲気でわかるようになっていた。この場所に長く留まることは、危険。本能がそう叫んでいる。
「霊能力者としては、一度来てみたかったんです。いやあ、最高ですな」
「それ、本気で言ってる?」
ちなみにだが、今日は土砂降りである。風も強く二人の服は既にびっしょりだ。お目当てを見ることができて窓香は満足だったのか、そのまま今日の宿に直行することになった。
「でも今日は、あんなところに行ったのに窓香さん、霊は見なかったの?」
「そうですな…。今日は不運でしたぜ。ああいうところに行けば悪霊の一つや二つは漂っているものなんですが…」
平然と怖いことを言う窓香に対し、風悟はこう感じた。
(もしかして窓香さん。幽霊よりも怖い存在…?)
だとしたら、震え上がらずにはいられない。しかし同時に、そんな人が側にいてくれるなら、どんな幽霊も怖くないとも感じた。
「まあ、今日は寝ましょうぜ。明日新幹線で一気に宮城県へ!」
「でも会合の時間はまだだろう? 暇はどうやって潰すんだい?」
「それもありますがなあ、前に妙子さんと出会いましたね。おこぼれを狙っている人が他にもいると私たち、安全にたどり着くことができないじゃないですか。ここは安定を取っていきますぜ。観光は結婚してからでも遅くはないはずですからな」
「そう、か」
風悟は少しガックリとした。
夜も遅くなった。二人は布団に入ると電気を消した。
「明日は、雨降ってなければいいな。最近は天気予報の的中が五分と五分ぐらいだし」
「まあ、新幹線はそんなの関係、ありませんぜ。台風でも来ない限りは余裕~!」
そんな会話をして眠りにつく。
だが、異変はこの夜に起きた。
――ん? 風?
クーラーなら、スイッチをオフにしたはずだ。違うとなると…。
――窓が開いてる? 外は雨のはず。風悟さんが窓を開けるとは思えませんな。
次に、ドタドタと人が歩く音が聞こえる。これは生きている人間のものだ。窓香にはわかる。
――じ、じゃあ、ここは霊の通り道でもない。となると…。
思い当たるのは、一つしかない。
窓香は飛び起きた。そして隣の布団に目をやると…風悟がいない。
「やられた!」
部屋の明かりをつけると、ドアがやはり開いている。寝間着のまま窓香は廊下に出る。ビールの空き缶が転がっているので、さっきの足音は酔っ払いのものだろう。
――となると、風悟さんはもっと前に部屋を出ていた…?
焦りを感じる。同時に危険な霊気も感じる。ボサッとしていると、風悟の身に危険が迫りかねない。窓香には、犯人の想像がついていた。
「…こっち、ですな」
風悟の温もりは、まだ消えていない。第六感を頼りに窓香は動き出した。そして宿の出入り口までは余裕でたどり着ける。問題はその先だ。
「雨がまだ、降ってやがりますぜ…」
そこまで強くはない雨だが、それが風悟の温もりを感じづらくさせている。
「行くしかない!」
傘もささずに窓香は走り出した。瞬く間に服が濡れて重みを増す。だが風悟の方はもっとヤバい状態なはず…。そう思うと一刻も早く探し出さなければいけず、それがさらに窓香を急かす。
――なんとなく見えた!
今回の悪玉が何なのか、最初から思い浮かべることができたために、向かうべき方向は見失わずに済んだ。近くの寺の階段を登る。
「やっぱりここでしたな!」
登り切ると、そこに風悟がいた。しかし目は、いつもの瞳ではない。憑りついている霊のものだろう。冷たく恐ろしい眼差しだ。それが、寺の古びた井戸に向かって足を進めている。
「止まるんです。もうそこまで! これ以上は逃げられませんぜ?」
声をかけたが、当たり前のように止まらない。ならば体を張って止めに入る。
「うぬぬぬ…」
腰に腕を回して引っ張ると、やっと抗えた。だがこの状態では、憑りついた霊を成仏させることは不可能だ。
では、どうするか。答えは簡単で、風悟が意識を取り戻すまで語りかけるのみ。
「風悟さん! あなたはまだ、死んじゃ駄目ですぜ! 今ならこっちに戻れます。さあ、止まって!」
「………」
まだ声が届いていない。
「駄目なんです! こんなことして喜ぶ人がいますかい? 風悟さんの周りの人が悲しむだけですぜ! そんなに誰かの涙が見たいんです?」
少し、足取りがゆっくりになった。もう少しだ。今度は彼に憑りついている、悪い霊に語りかける。
「お前! 私の大事な人を奪ったら、地獄に落としてやっから! 今すぐ離せ! 私を敵に回すか? 閻魔大王から仏様まで怒るぞ! 業の炎で温まりたいか!」
自分でも訳のわからないことを叫んでいる。それほど窓香は必死なのだ。最悪なことに動きが強くなってきた。霊もまた、風悟をあの世に連れて行こうと必死なのだ。
「いい加減にしろ! ここで楽になりたいか、お前! この世から追放してやるぞ! 私は本気だ!」
その時だ。雷が寺の近くに落ちた。鼓膜を貫くほど大きな音と、辺りが昼になったと勘違いするほどの光が窓香を襲う。
「うわ!」
手を離してしまい、その場に倒れ込む。
「ああうぐぅ!」
倒れ方が悪かった。左手首が悲鳴を上げた。血も流れているし、何もしていなくても痛む。
だがここで、怯んでいはいられない。怪我が悪化するのを承知で窓香は無理矢理手と手を合わせて合掌した。
「もう、遅いですぜ…」
あまり好みではないが、無理にでも除霊する。窓香はお経を唱え始めた。
――これで効かなければ、この身が滅ぼうとも…。私は風悟さんを救う!
窓香の決意は固い。それを察知したのか霊は風悟から離れた。すると風悟はその場に崩れて倒れ込んだ。
「風悟さん!」
すぐに駆け寄る窓香。体を揺さぶると風悟は目を覚ました。
「窓香さん、もう朝…って、えええ? ここどこ?」
「よ、よかったぁ!」
霊は完全に諦めたようだ。窓香は泣いて喜んだ。
「この赤いの…血? 窓香さん、怪我してるじゃん! 一体どうしたの!」
「よかった、よかった…」
窓香の意識が急に遠のいた。焦りと緊張、疲れが体の限界を引き起こしてしまったのである。
「…………」
目を覚ますと窓香は、自分がとある病院に運び込まれたことを知った。左手は包帯が巻かれている。きっと怪我は深刻ではなかったのだろう。
「あ! 大丈夫かい、窓香さん!」
風悟が横にいた。彼もまた、無事であった。
搬送された経緯や怪我の状態は、医者から一通り聞いた。窓香は三日間入院と言われた。
「三日間…」
「窓香さん…」
これは辛い。窓香にとって三日もここを離れられなくなるのは、絶望的だろう。風悟はそう思って慰めの言葉を考えた。しかし、
「その間に、この病院の霊と交流できますな。いやあ入院も悪いものではないらしいですぜ!」
やけにポジティブな発言をしたため、風悟は心配して損した、と思った。
「…ところで、俺に憑りついていたであろう霊は何だったんだ? 何であのお寺にいたのか、まるで記憶がないんだけど…」
「あれは、忍霊 ですな」
「にんりょう?」
聞きなれない言葉に反応すると、窓香は教えてくれた。
「忍者の幽霊…ではないです。名前の通りに考えて、忍び寄る悪霊、ってことです。あれは霊能力者でも気配を察知することができません。ステルス型の幽霊と言った方がわかりますかい? きっと首塚に行った際に、風悟さんに憑りついたんでしょうな」
「ステルスねえ…。通りで窓香さんでも何もわからなかったんだ」
「しかも厄介なことに、あの霊は腐っても悪霊…。人の命をつけ狙うんですぜ。理由は確か、そうすることで自分の罪が黄泉の国で洗われるから、らしいです」
忍霊について知っていることを大体話した。
「俺も気を付けないと…。意味ないかもだけど…」
「いいえ。対策はありますぜ。ちょっと頭を」
窓香は、風悟が下げた頭に右手を置き、何やらお経のようなものを唱え始めた。それは三分ほどで終わった。
「これで、守護霊を強化しておきました。風悟さんには忍霊は近づかないぜしょう。ふう、ちょっと眠くなってきたので…」
「ああ、ありがとう。俺はあの宿に戻るよ。窓香さんもゆっくりね…」
窓香は寝るフリをして、風悟を宿に向かわせた。
実は、忍霊の特徴について風悟にあえて話さなかったことがある。
――自分の行いを邪魔されたら、次の晩に復讐しに来る…。そんなことは口が裂けても言えないですぜ…。風悟さん、良い人だから、そんなこと聞いたら明日の朝まで病室にいちゃいそうですし。
日が隠れた。もう霊が活発に動き始める、闇黒の時間。この闇にまぎれて窓香のところに、とある霊がやって来る。
忍霊だ。やはり現れた。察知されないのをいいことに、何食わぬ顔で病院に忍び込むと、真っ先に窓香の病室を目指す。そして扉の前まで、悠々とやって来る。
「入れないでしょう? いくら姿が見えないといっても、やって来るってわかっているなら対策できないことはない。霊が入れないよう、ここに結界を作っておいたんですぜ」
忍霊は驚いている。窓香には見えないが、そんな顔をしていることは容易に想像できる。
「何でそこにいるのがわかったかって? 残念ながら私の目は節穴じゃありませんぜ。寧ろ顕微鏡よりも良く見えるぐらいですな。扉の前に、罠を設置しましてね。片腕でも簡単ですよそれは」
ここで忍霊を逃がすと、どこかで襲い掛かってくる。窓香はここで、決めると決意を既に済ませていた。
「でも、あなたも手ぶらで帰れませんよな? 罪人の魂は死してなお罪を望む…。結界を崩してあげますから、入ってきなさいな」
窓香はワザと、結界を壊した。すると病室の扉が、勢いよく開いた。
「青ざめなかった、とは言わせませんぜ? 忍霊さん、見えないのは自分だけとでも思ってましたかい? 見てないのが自分なんじゃないですかい?」
この小さな病室に、充満していた。悪い霊に良く効くと言われているお香の煙が。
窓香はベッドの上ではなく、扉の横に隠れていた。そして再度、結界を張った。これで忍霊はここから逃げることは不可能。閉じ込めたのだ。
「さあさ、話は聞きませんぜ? 悪いことは言わないですが、早く成仏なさい。特別に私が、一人で黄泉の国に行けるよう三途の川の使いに話してあげます」
優しい口調で話しかける。
「ほう、断りますかい…」
だが忍霊の返事は、ノーだった。
「じゃあ、お終いですぜ…」
お香は煙を勢いよく吐き出した。当然、この結界の中で忍霊がそれに耐えられるはずもなく………。
「…素直に言うことを聞けば、苦しむことはなかったのに」
そう言いながら、窓を開けた。役目を終えた煙を外に逃がすためだ。その時窓香は窓際に腕を置いて、
「ねえ風悟さん…。死者と仲良くするのって、難しいですな。私はこの旅を始める前は簡単だと思ってましたぜ。でも今、説得できずに無理に除霊した。今ほど難しいと思える瞬間は、ありません…」
窓香の思いは、煙と共に空に溶けていく。
風悟はすぐに答えられなかった。
「う~ん、と。ねえ…」
正直、何も思いつかないというのが彼の答えだ。
「大学生なのに、わからないんですかい?」
「そういう肩書どうのこうのは、卒業してから言うよ…。俺は理系だったし、日本史受けてないし…」
「では、答え発表といきますかい! 平将門の乱、ですぜ」
「あったっけ? そんなの?」
だが案内された場所を見るに、関係があるらしい。二人の目の前には、首塚が存在している。
「これ、ガチモンのヤバいところじゃない?」
素人の風悟もここまで来ると、雰囲気でわかるようになっていた。この場所に長く留まることは、危険。本能がそう叫んでいる。
「霊能力者としては、一度来てみたかったんです。いやあ、最高ですな」
「それ、本気で言ってる?」
ちなみにだが、今日は土砂降りである。風も強く二人の服は既にびっしょりだ。お目当てを見ることができて窓香は満足だったのか、そのまま今日の宿に直行することになった。
「でも今日は、あんなところに行ったのに窓香さん、霊は見なかったの?」
「そうですな…。今日は不運でしたぜ。ああいうところに行けば悪霊の一つや二つは漂っているものなんですが…」
平然と怖いことを言う窓香に対し、風悟はこう感じた。
(もしかして窓香さん。幽霊よりも怖い存在…?)
だとしたら、震え上がらずにはいられない。しかし同時に、そんな人が側にいてくれるなら、どんな幽霊も怖くないとも感じた。
「まあ、今日は寝ましょうぜ。明日新幹線で一気に宮城県へ!」
「でも会合の時間はまだだろう? 暇はどうやって潰すんだい?」
「それもありますがなあ、前に妙子さんと出会いましたね。おこぼれを狙っている人が他にもいると私たち、安全にたどり着くことができないじゃないですか。ここは安定を取っていきますぜ。観光は結婚してからでも遅くはないはずですからな」
「そう、か」
風悟は少しガックリとした。
夜も遅くなった。二人は布団に入ると電気を消した。
「明日は、雨降ってなければいいな。最近は天気予報の的中が五分と五分ぐらいだし」
「まあ、新幹線はそんなの関係、ありませんぜ。台風でも来ない限りは余裕~!」
そんな会話をして眠りにつく。
だが、異変はこの夜に起きた。
――ん? 風?
クーラーなら、スイッチをオフにしたはずだ。違うとなると…。
――窓が開いてる? 外は雨のはず。風悟さんが窓を開けるとは思えませんな。
次に、ドタドタと人が歩く音が聞こえる。これは生きている人間のものだ。窓香にはわかる。
――じ、じゃあ、ここは霊の通り道でもない。となると…。
思い当たるのは、一つしかない。
窓香は飛び起きた。そして隣の布団に目をやると…風悟がいない。
「やられた!」
部屋の明かりをつけると、ドアがやはり開いている。寝間着のまま窓香は廊下に出る。ビールの空き缶が転がっているので、さっきの足音は酔っ払いのものだろう。
――となると、風悟さんはもっと前に部屋を出ていた…?
焦りを感じる。同時に危険な霊気も感じる。ボサッとしていると、風悟の身に危険が迫りかねない。窓香には、犯人の想像がついていた。
「…こっち、ですな」
風悟の温もりは、まだ消えていない。第六感を頼りに窓香は動き出した。そして宿の出入り口までは余裕でたどり着ける。問題はその先だ。
「雨がまだ、降ってやがりますぜ…」
そこまで強くはない雨だが、それが風悟の温もりを感じづらくさせている。
「行くしかない!」
傘もささずに窓香は走り出した。瞬く間に服が濡れて重みを増す。だが風悟の方はもっとヤバい状態なはず…。そう思うと一刻も早く探し出さなければいけず、それがさらに窓香を急かす。
――なんとなく見えた!
今回の悪玉が何なのか、最初から思い浮かべることができたために、向かうべき方向は見失わずに済んだ。近くの寺の階段を登る。
「やっぱりここでしたな!」
登り切ると、そこに風悟がいた。しかし目は、いつもの瞳ではない。憑りついている霊のものだろう。冷たく恐ろしい眼差しだ。それが、寺の古びた井戸に向かって足を進めている。
「止まるんです。もうそこまで! これ以上は逃げられませんぜ?」
声をかけたが、当たり前のように止まらない。ならば体を張って止めに入る。
「うぬぬぬ…」
腰に腕を回して引っ張ると、やっと抗えた。だがこの状態では、憑りついた霊を成仏させることは不可能だ。
では、どうするか。答えは簡単で、風悟が意識を取り戻すまで語りかけるのみ。
「風悟さん! あなたはまだ、死んじゃ駄目ですぜ! 今ならこっちに戻れます。さあ、止まって!」
「………」
まだ声が届いていない。
「駄目なんです! こんなことして喜ぶ人がいますかい? 風悟さんの周りの人が悲しむだけですぜ! そんなに誰かの涙が見たいんです?」
少し、足取りがゆっくりになった。もう少しだ。今度は彼に憑りついている、悪い霊に語りかける。
「お前! 私の大事な人を奪ったら、地獄に落としてやっから! 今すぐ離せ! 私を敵に回すか? 閻魔大王から仏様まで怒るぞ! 業の炎で温まりたいか!」
自分でも訳のわからないことを叫んでいる。それほど窓香は必死なのだ。最悪なことに動きが強くなってきた。霊もまた、風悟をあの世に連れて行こうと必死なのだ。
「いい加減にしろ! ここで楽になりたいか、お前! この世から追放してやるぞ! 私は本気だ!」
その時だ。雷が寺の近くに落ちた。鼓膜を貫くほど大きな音と、辺りが昼になったと勘違いするほどの光が窓香を襲う。
「うわ!」
手を離してしまい、その場に倒れ込む。
「ああうぐぅ!」
倒れ方が悪かった。左手首が悲鳴を上げた。血も流れているし、何もしていなくても痛む。
だがここで、怯んでいはいられない。怪我が悪化するのを承知で窓香は無理矢理手と手を合わせて合掌した。
「もう、遅いですぜ…」
あまり好みではないが、無理にでも除霊する。窓香はお経を唱え始めた。
――これで効かなければ、この身が滅ぼうとも…。私は風悟さんを救う!
窓香の決意は固い。それを察知したのか霊は風悟から離れた。すると風悟はその場に崩れて倒れ込んだ。
「風悟さん!」
すぐに駆け寄る窓香。体を揺さぶると風悟は目を覚ました。
「窓香さん、もう朝…って、えええ? ここどこ?」
「よ、よかったぁ!」
霊は完全に諦めたようだ。窓香は泣いて喜んだ。
「この赤いの…血? 窓香さん、怪我してるじゃん! 一体どうしたの!」
「よかった、よかった…」
窓香の意識が急に遠のいた。焦りと緊張、疲れが体の限界を引き起こしてしまったのである。
「…………」
目を覚ますと窓香は、自分がとある病院に運び込まれたことを知った。左手は包帯が巻かれている。きっと怪我は深刻ではなかったのだろう。
「あ! 大丈夫かい、窓香さん!」
風悟が横にいた。彼もまた、無事であった。
搬送された経緯や怪我の状態は、医者から一通り聞いた。窓香は三日間入院と言われた。
「三日間…」
「窓香さん…」
これは辛い。窓香にとって三日もここを離れられなくなるのは、絶望的だろう。風悟はそう思って慰めの言葉を考えた。しかし、
「その間に、この病院の霊と交流できますな。いやあ入院も悪いものではないらしいですぜ!」
やけにポジティブな発言をしたため、風悟は心配して損した、と思った。
「…ところで、俺に憑りついていたであろう霊は何だったんだ? 何であのお寺にいたのか、まるで記憶がないんだけど…」
「あれは、
「にんりょう?」
聞きなれない言葉に反応すると、窓香は教えてくれた。
「忍者の幽霊…ではないです。名前の通りに考えて、忍び寄る悪霊、ってことです。あれは霊能力者でも気配を察知することができません。ステルス型の幽霊と言った方がわかりますかい? きっと首塚に行った際に、風悟さんに憑りついたんでしょうな」
「ステルスねえ…。通りで窓香さんでも何もわからなかったんだ」
「しかも厄介なことに、あの霊は腐っても悪霊…。人の命をつけ狙うんですぜ。理由は確か、そうすることで自分の罪が黄泉の国で洗われるから、らしいです」
忍霊について知っていることを大体話した。
「俺も気を付けないと…。意味ないかもだけど…」
「いいえ。対策はありますぜ。ちょっと頭を」
窓香は、風悟が下げた頭に右手を置き、何やらお経のようなものを唱え始めた。それは三分ほどで終わった。
「これで、守護霊を強化しておきました。風悟さんには忍霊は近づかないぜしょう。ふう、ちょっと眠くなってきたので…」
「ああ、ありがとう。俺はあの宿に戻るよ。窓香さんもゆっくりね…」
窓香は寝るフリをして、風悟を宿に向かわせた。
実は、忍霊の特徴について風悟にあえて話さなかったことがある。
――自分の行いを邪魔されたら、次の晩に復讐しに来る…。そんなことは口が裂けても言えないですぜ…。風悟さん、良い人だから、そんなこと聞いたら明日の朝まで病室にいちゃいそうですし。
日が隠れた。もう霊が活発に動き始める、闇黒の時間。この闇にまぎれて窓香のところに、とある霊がやって来る。
忍霊だ。やはり現れた。察知されないのをいいことに、何食わぬ顔で病院に忍び込むと、真っ先に窓香の病室を目指す。そして扉の前まで、悠々とやって来る。
「入れないでしょう? いくら姿が見えないといっても、やって来るってわかっているなら対策できないことはない。霊が入れないよう、ここに結界を作っておいたんですぜ」
忍霊は驚いている。窓香には見えないが、そんな顔をしていることは容易に想像できる。
「何でそこにいるのがわかったかって? 残念ながら私の目は節穴じゃありませんぜ。寧ろ顕微鏡よりも良く見えるぐらいですな。扉の前に、罠を設置しましてね。片腕でも簡単ですよそれは」
ここで忍霊を逃がすと、どこかで襲い掛かってくる。窓香はここで、決めると決意を既に済ませていた。
「でも、あなたも手ぶらで帰れませんよな? 罪人の魂は死してなお罪を望む…。結界を崩してあげますから、入ってきなさいな」
窓香はワザと、結界を壊した。すると病室の扉が、勢いよく開いた。
「青ざめなかった、とは言わせませんぜ? 忍霊さん、見えないのは自分だけとでも思ってましたかい? 見てないのが自分なんじゃないですかい?」
この小さな病室に、充満していた。悪い霊に良く効くと言われているお香の煙が。
窓香はベッドの上ではなく、扉の横に隠れていた。そして再度、結界を張った。これで忍霊はここから逃げることは不可能。閉じ込めたのだ。
「さあさ、話は聞きませんぜ? 悪いことは言わないですが、早く成仏なさい。特別に私が、一人で黄泉の国に行けるよう三途の川の使いに話してあげます」
優しい口調で話しかける。
「ほう、断りますかい…」
だが忍霊の返事は、ノーだった。
「じゃあ、お終いですぜ…」
お香は煙を勢いよく吐き出した。当然、この結界の中で忍霊がそれに耐えられるはずもなく………。
「…素直に言うことを聞けば、苦しむことはなかったのに」
そう言いながら、窓を開けた。役目を終えた煙を外に逃がすためだ。その時窓香は窓際に腕を置いて、
「ねえ風悟さん…。死者と仲良くするのって、難しいですな。私はこの旅を始める前は簡単だと思ってましたぜ。でも今、説得できずに無理に除霊した。今ほど難しいと思える瞬間は、ありません…」
窓香の思いは、煙と共に空に溶けていく。