第5話 始まった旅

文字数 4,615文字

「そう怒らないことですぜ。いつまで引きずっても仕方がないことですな」

 窓香が風悟の気をなだめるかのように言った。

「あのねえ、事情が説明されないまま連れ出されたんだよ俺は? 誰だって怒るさ、そりゃあ。それとも窓香さんの周りの人はみんな、これを喜ぶのかい?」

 幸い、家には両親がいるし、財布は持っている。
 でも不幸なことに、窓香と宮城県を目指すことになった。

「………」

 財布の中身とにらめっこする風悟。致命的なことに、二人分の旅費はない。キャッシュカードの類も、家に置いてきたままだ。

「窓香さん、金は?」
「全然ですぜ。金欠病という治りそうもない先天性疾患を抱えていまして、ええ。治療の甲斐なくここに至るわけですぜ」

 駄目だこりゃ、と風悟は感じた。

「金がないのに旅ができるか…? ヒッチハイクしろとでも?」
「そこは、私のお家芸ですぜ!」

 お家芸? とクエスチョンマークを頭の上に出現させている風悟を余所に、窓香は周囲を見回す。

「見つけましたぜ、風悟さん」
「何を、さ?」
「怨霊、ですかね? 強い未練と怒りを感じます。これは危険ですね」

 普通、霊能力者がその手の霊を見つけたなら、除霊すると思うだろう。しかし窓香は違った。

「死者の声に耳を傾ける。さあ、何があったのかを聞いてみましょう」
「除霊とかは、できないのかい?」

 首をブンブンと横に振って窓香は、

「死人に口なし、って思ってますかい? それは違います。死者にも文句を言う権利があります。それを聞かずに除霊してこの世から退場させるのは、それこそ殺人と変わりない!」

 と言った。
 風悟には、幽霊は見えないし何を聞いているのかもわからない。だが、こう感じていた。

(窓香さんは、霊能力者であるのに、除霊を選ばない…。霊が自ら成仏する道を選ぶのか)

 この世にどれほど霊能力者が存在するのかは知らないが、風悟はその大勢と窓香は決定的に異なると感じた。

「…わかりました。では、こっちに実家があるんですな?」

 窓香が進みだしたので、風悟も付いて行く。


 たどり着いたのは、マンションの一室。オートロックの扉がないのでここまで来れてしまった。
 躊躇うことなくインターホンを押す窓香。その耳に風悟は、

「知っている人なの?」

 と呟いた。

「全然」

 と返事する窓香。その様子は、不自然なまでに自信に満ち溢れていた。

「どなた?」

 玄関の扉が開いた。家主はちょうど玄関で作業をしていたらしい。

「少しお時間、いただけませんかね?」

 そう言う窓香だが、

「見ての通り、忙しいんでね」

 と家主は返す。その時だ。

「九月九日」

 窓香が日付を口にした。風悟はこの瞬間、自分の時と同じくその日が家主に何か関係していると思った。家主は、

「どうした?」

 気付いていないのか、そう言う。

「あれ、違いましたっけ? あなた方の結婚記念日ですぜ? 三十年前の九月九日でしょう? そして娘さんの誕生日は二十七年前の六月十二日」

 窓香の口から、家主の娘が通っていた幼稚園から始まり、小学校、中学校、高校、予備校、短大、そして終いには就職先まで出てきた。驚きを隠しきれない家主は、

「まさか、娘の知り合いなのか?」
「さっき知り合ったばかりです」

 その返事に家主の表情が一瞬だけ雲ったが、色々知っている窓香が赤の他人であるはずがないと思い、二人を家に上げてくれた。


「もう、死んで三年になるよ」

 家主は娘を失っていた。仏壇で二人は拝んだ。遺影の笑顔から溢れる、まだ生きていたかったという思いが、痛いほど心に突き刺さる。

「それで、君たちは娘とはどういう関係なんだい?」
「娘さんの不幸をよく知る人物です」

 当たり前のように飛んでくる質問。風悟は答えられなかったが、窓香が答えてくれたので安心した。

「お父さん、娘さんが自殺しただなんて考えられないでしょう? もちろんそれは覆しようのない事実ですぜ。ですが、自殺に追い込んだ人物がいたとしたら?」
「………殺してやりたい気分だよ」

 その言葉に二人は、静かな怒りを感じ取った。

「でもね、私も家内も、色々確認したんだけど…。誰かに背中を押されたようには思えなくてね。やはり私たちが娘の異変に気付くべき…」
「それは違いますぜ! 娘さんは殺されたと言っても過言じゃない。娘さんの知人に、工藤(くどう)って人物がいます。心当たりは?」
「工藤…いたかね? 連絡先には特に残ってなかったような…」

 この時窓香は、耳に手を添えた。家主の言葉を聞いているというよりは、そこに誰かがいて、窓香に囁いている様子だった。

「…なるほど。その工藤って人が、裏切ったんですね? 証拠は、机の引き出しの裏」

 窓香はそう言うと、勝手にリビングを出てとある部屋に入る。

「何やってんだお前!」

 風悟がすぐに止めに行く。家主も驚きながら後を追った。
 窓香が開けた部屋は、自殺した娘のものだった。時は三年前から止まっており、その部屋の雰囲気は、決して戻らぬ娘の帰りを待っているかのようだった。
 その机の引き出しを開けると、窓香は裏に手を伸ばす。いとも簡単にそれは見つけられた。普通の封筒のようであるが、中に何か入っている。

「開けますぜ」

 鍵が一個、入っていた。結び付けられているタグから察するに、貸金庫の鍵のようである。

「娘が何を預けていたんだ?」
「だから、証拠ですぜ」

 家主の質問に窓香は答えた。だが家主の顔は、その意味がわかっていないようだ。

「ちょっと失礼しますぜ。結果は後で必ず教えますから」


 外に出て、近くの銀行に向かう二人。風悟が窓香に、

「なあ窓香さん。そろそろどういうことなのか教えてくれないか? 俺もあのおっさんも、わかってないんだぞ? その、娘さんの霊は何て言っているんだ?」
「簡単ですぜ。あの娘さん、生前に親しくしてくれた人物がいるみたいです。娘さんも、これは運命って思ったんでしょうな。でもでも、その相手にとっては本命でも何でもなかった。利用するだけ利用されて、金の切れ目が縁の切れ目と言わんばかりに、一方的に別れを告げられた。しかもその相手は、自分の手が汚れない方法を考えるのが得意だったみたいで…。今後近づこうものなら警察に通報するとまで言った」
「それで、近づいてしまったのか…」

 風悟の答えに窓香は首を振った。

「早合点しすぎですぜ。娘さんは全てを忘れようとしたけれど、相手は勝手に約束を破ったと言い張った。完全なデタラメですが、かなり効果があったみたいです」

 窓香の口から、娘さんが投げかけられたであろう誹謗中傷の言葉がバンバン飛び出てきた。それを聞いている風悟は、これは耐えがたい苦痛だと感じた。


「着きましたぜ」

 銀行の貸金庫には簡単にたどり着けた。鍵を差し込み金庫を開けると、中にはスマートフォンが一台、封印されていた。

「これが、証拠?」

 三年間も使われていなかったためか、電源は既に切れている。だがこのスマートフォンと同じ充電プラグを窓香は持っている。

「ちょっと銀行側には悪いんですけど、トイレで充電させてもらいますか。風悟さんは外で待っていて下され」

 そう言い残すと、窓香は女子トイレに足を運んだ。


 時刻はもう夕方を過ぎている。辺りは既に暗い。二人はまた別のアパートの前に来ていた。表札を確認すると、その部屋は若い男女が一緒に暮らしているらしい。

「さあ、行きますぜ!」

 ノックもせずに窓香は、思いっきりドアを開いた。その大胆さに一瞬だけ風悟の血の気が引いた。

「誰だ?」

 当然、そのような怒鳴り声が部屋の中から飛んでくる。

「名乗るほどの者じゃねえです。ただ一つ、事実を確認したいと思いまして」

 風悟は思った。窓香の様子から、緊張が伝わってこない。一言で言えば、この行為に慣れている。

「だから誰だ、お前たちは?」

 男と女が玄関までやって来る。男の風貌はそんなに悪そうな面ではないが、優しそうでもない。女は逆に髪を染めたいかにも頭の悪そうな人物。

「これに見覚え、ないですかい?」

 窓香がスマートフォンを取り出した。貸金庫で回収したヤツだ。

「何それー?」
「知らないね。僕はそんなの落っことすほどのドジじゃない」
「でも、この会話には覚えがあるでしょうに?」

 何を言っているんだ、という男女の言葉が届いていないのか、それともワザと無視しているのか、窓香はスマートフォンを操作し、あるアプリを起動した。
 男女の会話が録音されていた。レコーダーアプリだ。

「僕には君以外、考えられないよ」

 再生された声の主は、目の前の男だ。

「私もです」

 しかしもう一つの声は女性のものであるが、隣の女のものではない。

「そう言ってもらえて嬉しいよ。僕と君は出会うべくして出会ったんだね。早く二人で幸せになろう。そのためにも、もう少しお金を貸してくれないかい? 大丈夫、必ず返すさ」

 そのアプリには、他の会話も録音されていた。

「おい、それをどこで…!」

 男が、窓香が持つスマートフォンを奪い取ろうとした。しかし伸ばしてきた腕は窓香を捕えなかった。

「今のは何? 私にも同じようなこと言ってたよね? まさかそれも全部嘘なの?」

 女が体当たりをして遮ったのだ。

「う、嘘なワケないだろ! このガキどもが僕を騙そうとしているんだ!」
「本当のことを言って!」
「本当だ! 僕は君だけを愛している!」

 男は大声でそう叫んだ。
 すると窓香が、

「そうみたいですぜ。みなさん、どう思いますかい?」

 風悟の実家を出たのは朝だったのに、何故こんなに遅くになったのか。それには理由があった。二人はあの娘と同じような被害者を探して回ったのだ。風悟にはわからなかったが窓香によれば、霊は同じような感情に反応しやすいらしい。それで少なくとも六人の女性を見つけることができた。

「許せない!」
「最低!」
「お金、返してよ!」
「もう弁護士呼んだ」
「この女たらし!」
「卑怯者! キンタマ潰してやる!」

 悪霊よりも恐ろしい殺気が漂い始めた。

「生きとし生けるものほど、怖いものはないみたいですぜ。ねえ風悟さん?」
「俺も同感だ。おや、あの家主さんも駆け付けたみたいだぞ」


 その後のやり取りは簡単だった。
 あの男がどうなったのかは知らない。興味もない。しかし家主さんが、

「娘の無念を晴らすことができた」

 とお礼をしてくれた。その言葉は嘘ではない。娘の霊はもうこの世に留まってはいない。自らの意志で黄泉の国に向かった。

「わずかだが、感謝の印を受け取って欲しい」

 と封筒を差し出した。風悟は受け取ることを一瞬だけ躊躇ったが、隣の窓香がにこやかに受け取っていたので、もらうことにした。
 家主に別れを告げてスマートフォンを返却し、二人は歩き出した。

「さあて。今日止まるホテルでもさがしますかい? 言っておきますけど私、野宿はごめんですぜ?」
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