第14話 悪霊絶句

文字数 6,302文字

 碧と大輝は、県境まで来ていた。異霊を従えている二人の移動スピードは思ったよりも速い。理由は簡単で、既に何度か神代の息のかかった人間の襲撃に遭っているからだ。急がなければ実力者がやって来てしまう。その前に宮城県に入る必要があった。
 しかし、異霊の力は絶大だ。一目見ただけで逃げた者も少なくない。二人は、自分がキツネで後ろにトラがいる気分であった。

「昼間でもピンピンしてんのはありがてえ。普通の悪霊なら太陽の下じゃ、動けねえからな。まさに普通の霊とは異なるわけだ」

 異霊のポテンシャルに驚きながら足を動かす。

「ああ。まるで自分が、最強になった気分だ。しかも、いるだけで、沢山の霊を呼び寄せる。これなら、私たちの呪いも、一層強力になる」

 段々と、生気の放出に慣れてきた気がした。それとも碧の感覚がおかしくなっているのか。はたまた、そういう感覚に異霊が陥らせているのか。少なくとも自分が異霊である、という感覚はまだない。


「…む!」

 碧は足を止めた。後ろから誰かの足音がしたからだ。いつからか、何者かにつけられている。

「また神代か?」

 無言で碧は首を縦に振った。今更驚くことではない。宮城県に近づいたためか、追っ手の頻度も激増した。

「俺が追い払ってやろう」
「いいや。ここは、異霊の力を、確かめよう」

 碧は、異霊の縄張りを後ろに伸ばした。すると異霊は向きを変えて進む。

「ぎゃああ!」

 これには驚きを隠せなかったようだ。すかさず大輝が追っ手のところに向かう。

「お前が追っ手だと?」

 だが逆に、大輝の方が驚かされた。
 この相手は知っている。寺田(てらだ)伊歩(いぶ)。北海道の孤児院で、二人が時を共に過ごした人間だ。

「久しぶりだな、伊歩。俺たちの目的を知ってて協力しなかったお前が、どうしてここにいるんだ?」
「そ、それは…」

 答えられないようだが、神代の人間に頼まれたからだろう。友人の暴走を止めて欲しい。神代の世話になっているのでは、断れない。いや、友人が相手なら断る理由がない。

「見なかったことにしてやっからよ、さっさと北海道に帰れ。それともここで呪われてえのか、ああ?」
「二人に、戻って来て欲しいんだ。私も孤児院のみんなも、二人の帰りを待っている」
「ああ、帰るさ。目的を果たしたらな」
「今すぐ、だよ! 神代の会合なんてどうでもいいじゃない。今まで通りの生活が一番幸せなんだよ! その、おぞましいのを元いた場所に逃がしてさ…」

 伊歩の言うことも一理ある。だからか、大輝は何も答えることができなかった。

「まあまあ、落ち着け伊歩。ここは、クールダウンしよう。無駄に熱くなってはならないのだよ」

 代わって碧が答えた。

「今、私たちが動かなければ、多くの富が、一人の男の手に渡ってしまう。それは多くの悲しみを、引き起こしてしまうことだ。誰も、幸せになれない。そんな世界で、いいのか? それが、多くの人が望む、世界なのか?」

 碧には、これを言えば伊歩が黙ると言う確信があった。孤児院でも同じことを言った。だから伊歩はこの旅について来なかった。

「………」

 図星の様子だ。
 できれば碧は、同郷の者に手を下したくはない。しかし追っ手として現れてしまったのだから、無傷で見逃すこともできない。

「…少し、痛い思いを、してもらおう。心配は、いらない。神代の人間も、馬鹿ではないだろう。友情に頼ることが、無意味なことと、思わせるだけだ。お前が持っているものなら、何でもいい。私に、差し出せ」

 碧は仇返しの呪いを使うつもりだった。それなら最小限の被害に収まる。
 だが、

「おい伊歩…。追っ手はお前一人じゃないのか?」

 大輝が何者かの気配に気が付いた。

「どうした? 誰か、いるのか?」
「え? 聞いてないよ?」

 三人が辺りを見回す。確かに気配はある。だが人影はない。

「こっちですよ、こっち」

 上の方から声がした。見上げた瞬間、電信柱から女の子が一人、三人の目の前に飛び降りてきた。スチャ、とナイスな着地を見せる。

「お前…まこじゃないか! どうしたんだ、こんなところに? 康嗣と保典は無事なのか? あれから連絡が何もないから心配したんだぞ?」

 確かに相手はまこ。だが、様子が違う。気弱なイメージがまるで湧かない。この違和感に戸惑いながらも大輝は声をかけた。すると返事をもらえた。

「ああ、あの二人なら…知りませんねぇ。置いてきました。もう役目も用事もないですので」
「置いてきた?」

 耳を疑う発言だ。

「だって、いたところで意味ないんですよ? あの二人は霊能力者としても二流ですし。私一人いれば十分、でしょう?」

 この違和感の正体に気が付いたのは、碧だった。

「…お前、憑りつかれているな。悪霊が、大勢、後ろに見える。橋で拾った、そうだろう?」

 するとまこは、笑いながら、

「でしょうね。でもだから、何だって言うんです? いけないことでも私がしましたぁ? 違うでしょう? 今、すごくいい気分なんですよ。こんなに愉快な感じは初めてです…まるで生まれ変わったようですね」

 まこは悪霊に魅入られ、憑りつかれてしまっていた。しかし、それは様子からすぐにわかることだ。
 もっと恐ろしいのは、悪霊の言葉を代弁していないこと…つまりまこの隠されていた本心が、露になっているのだ。

「では、聞こう。何で戻って来た? 今のお前なら、神代の人間など、恐れるにたらないだろう。そのまま宮城県に留まることだって、できたはずだ」
「理由ですか、はい。碧さんが持っているソレ…異霊をもらいにきたんですよ。今の私なら、コントロールできますよ。生気を消費するなんて馬鹿な事なんかしなくても、です」
「ほほう。随分と舐めたこと、言ってくれるじゃないか」
「事実ですよ。私は魂がどうのこうのなんて煩わしいことは言わない。ここにいる霊たちを見て下さいよ。生気もなしに、私についてきたんですよ?」

 まこの狂気には、ゾッとするものがあった。碧は一歩後ろに下がった。

「うるせえな。ちょっと黙ってろ!」

 大輝は逆に一歩前に出て、藁人形を取り出した。

「あ、それそれ!」

 しかし釘を刺す前に、まこが素早く動いて大輝の手から藁人形を奪い取った。

「おい、返せ!」
「これ…ぐちゃぐちゃにしたら相手はどうなるんでしょうかね? 知りたくないですか?」
「…!」

 大輝も後退した。

 これで二人は完全に理解した。恐らくまこは憑りつかれた影響もあって完全に正気を失っている。だがそうさせた悪霊にとっても予想外のことがあったのだ。それは、まこが心に抱えていた闇が深すぎたこと。もう別人と言った方がいいレベルである。臆病な少女は、まこの被っていた仮面にすぎなかった。この豹変ぶりには、憑りついた悪霊も言葉を失っている。


「じゃあ、始めちゃいましょう!」

 まこが、藁人形の腕を引っ張った。力は全く加減していない。本気で引き千切るつもりだ。

「うおおおおおおお!」

 大輝の腕が大きな悲鳴を上げる。押さえても誤魔化し切れないほどの痛み。あまりにも痛くて、情けないが涙が出そうだ。

「あれ? 中々千切れませんね。結構丈夫なんですね、藁人形も人間の体も。それともこの呪い、拷問にしか使えないとか? だとしたら最初から、バラバラにできないんですかね?」

 恐ろしいことを平気な顔で言ってのけるまこ。

「じゃあ他にできることは? 何ですか? へえ、でもそれは意味があります? ないんなら口を動かすんじゃねえ!」

 悪霊に尋ねている。

「碧…。どの手を使う?」

 大輝が肘の辺りを押さえながら碧に聞いた。

「まこ本人に攻撃は、あまり、現実的ではない。悪霊が守って、いや、守らされている。となると、憑りついている悪霊を、除霊した方がいい。そうすれば、正気に戻るかもしれないが…」

 やってみなければわからないが、できるかどうかもわからない。まこへのダメージを度外視するなら他にもやりようはあるが、こうなってしまった責任は霊が多く集まると噂されていた橋に向かわせた碧にあった。だからなのか、

「早く、解放してみせよう。だがその時は悪霊たちは、全て没収する」

 と言った。きっとその背景には、育った場所は違えど、まこも孤児院の住人であることが関係している。同じ苦しめる同胞を碧は、心のどこかでは傷つけたくないと思っているのだ。

「できます? あはは、無理言わないで下さいよ。異霊を従えてることしか取り得がないあなたに、何ができるって?」
「ならば、教えてやる。大輝、五分でいい。異霊を見張っていろ」
「わかった」

 見張ると言っても、異霊は縄張りから離れられない。それはいらない心配だ。だが大輝は言われた通り、後ろに下がった。ここは碧に全て任せる。

「まこ…。正直言うと私はお前を見くびっていた。気弱で不幸なことに霊が見える体質で生まれてしまったとばかり考えていたよ。しかし今は違う。孤児院に置いた霊もお前が除霊したのだな?」
「はい。あんなの簡単でしたよ。一人でできない康嗣や保典と一緒にしないで」
「してないさ。そしてお前の力は今、増している。この私が怯えるぐらいにな」

 もはやまこに憑りつく悪霊に、除霊は通じない。どんな霊能力者であっても、手遅れと匙を投げるだろう。
 だが諦める碧でもなかった。

(今のまこの霊を全て奪えば、もう協力者は必要ない。私と大輝だけで十分だ)

 絶望的な状況であっても、心を奮い立たせる。

 不意に、梟が鳴いた。その鳴き声が聞こえた瞬間、まこが先に動いた。さっき大輝を呪うために使った藁人形を、今度は碧に向けた。まこはさらに、自分の髪の毛を数本、抜いた。

「これは、まさか!」

 大輝が教えたとは思えない。恐らくまこがここで、自分で編み出した呪いだ。抜き取った髪の毛で藁人形の首を絞めるように結びつける。

(何だ?)

 急に息が苦しくなる。それだけじゃない。足にも力が入らない。

(これが、新しい呪い…!)

 だが呪いであるなら、解除方法もあるはず。一まず碧は、服に仕込んである鏡を取り出そうとした。

「させませんよっと」

 まこがそれを叩き落とした。地面に落ちた鏡はパリンと割れた。

「大丈夫か?」

 大輝が叫ぶ。手を出すな、と腕を振って合図を送る。

(コイツは必ず、この手で!)

 ふと、周りを見た。使えそうな物はない。

(だとしたら、アレをやるしかないようだな。できれば最後に取っておきたかったのだが…仕方ない)

 碧は決断した。

「おい、お前も正気じゃなくなっちまったのか!」

 大輝が叫んだ。が、碧の耳には入っていない。

「ん? 何ですか?」

 まこも驚く。当然だ。碧は自分の手首を切って、そこから流れ出る血を自分の顔に塗り付けた。

「もはや手段は選べない。正攻法では、まこには勝てない」

 それは、死化粧の呪いだった。自分の生気を激しく使うが、効果は絶大だ。

「あの呪いって…」

 伊歩は知っていた。当然大輝も知っている。

「ああ。死化粧の呪いは、自分を呪う。あえて自分を傷つけ、その血を使う。文献によれば、実行した者が命を落とす確率が異常に高いらしい。まさに禁じ手、だな」
「止めてよ。大輝ならできるでしょ?」

 しかし、このお願いを断る。

「碧が決めたことだ。碧に任せる」

 碧の顔が瞬く間に、鮮やかな赤に染まっていく。どこか恐ろしげな雰囲気ではあるが、わずかに美しさも残している。

「だが碧! ここでそれを使う大胆さと、命すら惜しまない勇敢さ…。俺が全てを見届けよう!」

 死化粧の呪いは、自分を呪うことだが、その本意は除霊である。周囲の霊を全て、自分に向かわせ憑りつかせる。その時に霊の数も種類も選べないので、悪霊や死神ですらも自分の中に入れてしまう。命が危険にさらされるのは、そのためだ。

「何ですか? 何をするかと思いきや、自分で顔を汚してる…。馬鹿げていて、笑えますよ!」

 それも今のうちだ、と碧は心の中で言った。

「見ろ伊歩。周りの霊が、碧の体に吸い込まれていく…!」

 近くを漂っていた浮遊霊も、その場所から離れられない地縛霊も…。みな、抗えない力に引っ張られて碧の体に流れていく。

「昔の人間はよ、これを強制除霊と呼んだらしい。やっていることは除霊のように見えなくもないんだが…」
「な、な、何だ? 一体?」

 異変はまこも襲った。

「そ、そんな! 悪霊が、私の体から、離れていく…?」

 まこの心の底に根付いていた霊が、段々とその根っこが剥がされていくのを感じる。

「させるか!」

 まこは死化粧の呪いを中断させようと碧に飛びかかった。意外なことに大輝は、動かない。

「やっぱり怖いんでしょう? あなたは動こうとしない! それでも男ですか? だらしない!」

 違う。動けないのではない。動く必要がないのだ。
 まこは碧の首筋に掴みかかる。すると碧が口を動かす。

「死化粧の呪いはな…行っている人物に触ってはいけないのだよ。触れば呪いが、跳ね返ってくる」
「な!」

 既に遅かった。碧の体に吸い込まれた霊たちが一斉に、まこの心に入り込む。

「悪霊に憑りつかれている間は、闇の深さで逆に驚かせていたのだろう? だが他の霊はそうではない。人の心に入るだけ入って、それを滅茶苦茶にする霊もいる。お前の心の闇がどれだけ深かろうと、見て楽しむだけの霊もいる。そして…人の心を折り曲げて、死を選ばせる霊がいる!」

 その霊を何の準備もなしに、まこは入れてしまった。その瞬間、まこの目は虚ろになり、さっきまでの勢いは完全に消え失せた。まこの顔は、完全に生気を失っていた。

「…………………………」

 無言で釘を取り出すとそれを握りしめ、まこは自分の首目がけて突き立てた。
 だが釘は、首には刺さらなかった。大輝が一瞬早く手を伸ばしたからだ。

「ようやく痺れが取れてきた」

 そして自分の手に突き刺さった釘を見ながら、

「これと、藁人形は返してもらう」

 と言った。言った瞬間にまこの体は膝から崩れ落ちた。


「伊歩。私たちはもう、引けない。後ろに戻る気も、ない。わかってくれないか? できればお前とは、争いたくはないものだ」
「わかったよ…。神代の人には、説得できなかったって言う。それと、武律まこ、だっけこの子? 気を失ってるから、病院にも連れて行かないと」

 伊歩はまこを抱えて、来た道を戻って行った。それを見届けると、今度は碧が地面にしゃがみ込む。

「う、ぐぐ…」
「大丈夫か?」
「血を少し、失ったからだ。それに新たな霊にも憑りつかれた」
「違うだろう? まこを救うために生気を使ったな? 俺を騙し通せると思うなよ? 伊歩は気が付かなかったようだが」

 もし碧が何もしなかったら、まこは釘で自殺を図ろうとはしなかっただろう。霊の圧力に押し潰されて、命が尽きた可能性が高い。

「さあな。では、急ぐぞ? 余計な時間を、使ってしまった。すぐに挽回しなければ、いけない」

 二人は休憩もせず、県境を跨いだ。
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