第17話 窓香の決意・前編

文字数 6,234文字

「こ、これは、一体全体、どうなっちまったって言うんですかい?」

 新幹線から降りた窓香は、他のお客がいてもお構いなしにそう叫んだ。

「何だか寒気がするよ。窓香さんは寒くない?」

 風悟は、この駅のホームの異様さに鳥肌を立てていた。

「風悟さんも、感じますかい!」
「え? 何かみんな、暗いような…? だって窓香さんが叫んでも、誰も振り向かない…いや、少しは見てる人がいるっぽいけど…」

 窓香は風悟の目を隠して叫んだ。

「見ちゃいけないヤツですぜ!」
「へ?」

 窓香は説明をした。どういうわけかは知らないが、幽霊が大量にホームに存在していることと、一般人のはずの風悟がそれを見えるようになってしまっていることを。

「俺が? そんな馬鹿な!」
「でもここは、ヤバいですぜ…。この県に入ってから、嫌な雰囲気は感じ取ってはいましたが…。まさかこんなことになっているなんて…!」
「こんなこと?」
「霊界重合、ですぜ」
「れいか…何て?」
「簡単に言えば、この世にあの世が被さった状態のことですぜ。だから幽霊が普通に見えるし、雰囲気が不気味…。これは油断なりませんな。早く目的地に向かいませんと」

 急いでホームから降り、改札を通って駅から出る。駅の外は、この世とは思えない、異質な空気が漂っている。

「うわあ! こんなことって…」

 駅の近くのビルから、誰かが飛び降りた。するとまた、同じ人物が飛び降りる。あれは投身自殺を続ける幽霊だ。
 他にも頭がない幽霊や、唸り声を上げる幽霊、防災頭巾を被った幽霊もいる。時代を問わず多様な霊がそこら中に跋扈しているのだ。

 まさに地獄を現世で再現したかのような風景。

「あれ。窓香さん?」

 おかしい。横にいたはずの窓香がいないのだ。はぐれた。

「窓香さん!」

 名前を叫ぶと、聞いたことのない声で、はあい、と聞こえる。しかも何回も。

「うっぎ!」

 振り返る者、みんな死んでいるかのような白い顔だ。そそれらが風悟に迫ってくる。

「むん!」

 そこに窓香が駆け付けた。合掌し、念を入れてほんの一瞬お経を口ずさむと、幽霊たちは退散していく。本来ならば除霊のはずだが、霊界重合のせいでこの世からいなくならない。

「私の大事な人には、手を出させませんぜ! さあ、風悟さん、行きましょうぜ!」

 窓香は風悟の腕をしっかりと握りしめ、幽霊がひしめく街の中に走った。

「場所はわかっているんです。そこまでたどり着ければきっと、この騒ぎを納めてくれるはずですぜ!」


 勾当台公園付近にあるホテルの一室に、男が二人いた。

「大変なことになっているようですよ、外は。行かなくていいんですか?」

 窓の外を差して、栗花落(つゆり)洋大(ようだい)がそう言った。

「洋大、この程度の異変に怖気づくな。我輩が出れば万事解決だろう。だがそれで何になる? 神代はこの程度のことで、わざわざ出向かわん」

 神代の跡取りは、窓の外を見向きもせずにそう答えた。

「またまた。本当は体がウズウズしてるんじゃないですか? 私にはそう見えます」
「…黙れ! と、とにかく。会合は予定通り今夜行う。貴様は我輩の言う通り、会合に参加しろ」
「わかってますよ。しかしその婚約相手、ちゃんとこの街に来れているんでしょうかね?」
「もし不可能ならば、所詮それまで。話が早くて助かる」
「わーお…」

 だが洋大はこの神代の跡取りが、態度や言動では判断できぬほどの優しい心の持ち主であることを知っている。

 あれはかなり昔のことだ。まだ二人が中学も出ていないぐらい幼い時に出会った。洋大はやんちゃで失敗し、ある霊の呪いを受けていた。数多くの霊能力者がその呪いの話を耳にしたが、みんな手におえない、自業自得だと見捨てることにした。
 しかし、山を越え谷を越え、後の跡取りとなる彼が洋大の目の前に現れたのである。
 彼は、絶対に不可能とされる除霊をその手でしてみせた。このことがきっかけ神代の跡取りとして相応しい資格を十四歳にして手に入れたのだ。
 あの時、最後まで自分のことを見捨てなかった彼に洋大は感謝している。以後二人は、文通をするほどの仲になった。その信頼関係は厚く、彼は親戚を洋大に嫁として与え、洋大は彼の頼みを断ったことがないほどだ。今もこうして、仲人を頼まれたために一緒に宮城県に来たのだ。

 当然、跡取りは碧と大輝が自分のことを探しているだろうと予想していた。だから、仙台市に一週間前に入った時からこの部屋に結界を四重に張った。お蔭で探知されない安全地帯を早々に手に入れた。その気になれば霊を鎮めることは一瞬。その跡取りは友人を傷つけられるのを許さない。

「洋大、カーテンを閉めろ」
「わかりました」

 外の世界からの情報を、遮断した。だが、

「………やっぱり、開けたままにしておけ」


「うっ!」

 碧が急に立ち止まった。頭に手を当てている。

「どうした?」
「感じたぞ…。神代の元に行こうとする意志を…。この状況でそんなことを考えるのは、神代の会合にどうしても参加しなければいけない者だけだ」

 二人は、会合は開催されなくなったと考えていた。神代の跡継ぎが、いくら探しても痕跡一つ掴めていないからだ。
 だが、希望が生じた。その意志を持つ者に、案内させればいいのだ。

「駅の方角だ。真っ直ぐこちらを目指して進んでいる…」

 勾当台公園で待つ碧。対して大輝は、

「俺が連れて来よう。特徴を頼む」
「そうだな…。これと言った特徴は特にない。どこにでもいそうな女の霊能力者、といったことろか。ん?」

 一瞬言うかどうか迷ったが、口にした。

「一般人を連れている。何故かは不明だが、一緒にいる男には、霊気を司る力がない」
「それだけで十分だぜ。行ってくる」
「任せたぞ。吉報をここで待つ」

 大輝は、この闇黒の街に解き放たれた狼のように対象を嗅ぎ回り、探した。


「こっちの角を右ですぜ」

 土地勘のない街を躊躇なく進む二人。手元のメモにある簡単な地図と、霊能力的勘だけが頼りだ。

「あと曲がるところは?」
「ないはずですな。真っ直ぐ進めばゴール!」

 商店街の真ん中を走る。まだ夕方だというのに他の客はおらず、店はシャッターが閉じている。この不気味な雰囲気で、みんな外に出たがらないのだろう。店側も営業を見合わせているようだ。だが幽霊は普通にうろついている。

 二人の視界に、人影が現れた。その人の目は二人に向けられている。

「随分と怖い形相の幽霊だ」
「あれは…違いますぜ、風悟さん。正真正銘、本物の人です!」
「こんな時に?」

 その目の前に出現した男が口を開いた。

「お前…か? 意外だな、本当にどこにでもいそうな女子じゃないか。大した者ではないな、見ればわかる」

 大輝は、この瞬間のために海を渡った。森も抜けた。神代の会合に招かれた人物なのだから、どんな大物だろうかと期待していた。
 しかし、それは自分とあまり変わらないであろう年齢の若者。正直に言えば、今の大輝は軽く失望している。

「お前が何故、神代の会合に呼ばれている?」

 耳にはしていた、会合を狙っている霊能力者。それが、目と鼻の先に立っている。答える義理はないが、窓香は返事をした。

「…神代の跡継ぎさんが、私をお嫁に欲しいとのことですぜ」
「は、笑えるなぁ」

 大輝の発言は、相手を馬鹿にしたのではない。
 自分たちを心の中で笑ったのだ。
 虐げられ、避けられ、偏見を向けられてきた自分たち孤児院の子供は幸せにはなれず、こんなどこの誰かもわからない女に神代の富が最終的に流れることになる。

 では、自分たちの人生は何だったのだろうか? 孤児院には、社会に出るなら世話になった神代のために働きたいと言う人もいる。そして実際に、大輝たちの先輩がそうであった。一昨年は院を出た人は全員、神代が経営する塾に就職したぐらいだ。それほどの忠誠心を見せつけているにも関わらず、報われることなく一生を終える。まるで奴隷になった気分だ。

「一つ気になることがある。聞いていいか?」
「私が答えられるなら、何でもいいですぜ」
「いくら、払ったんだ?」
「え、何て?」
「どれほどの金を幸福に対して出したんだ、と聞いている」
「お金ですかい? さあ、金銭的なやり取りは聞いてませんな」
「ほう。それは聞き捨てられねえな」

 耳を疑う発言だ。怒りが湧き上がり、大輝は拳を強く握った。金も払わず、神代の跡継ぎの嫁に? 孤児院の仲間が聞いたら、どんな顔をするだろうか。誰しもが不平不満を叫ぶに違いない。

「そちらはどうして、ここまで来たんですかい? 私にとってはそれが不思議ですぜ」

 今度は窓香が聞いた。
 窓香としては、是非とも知りたいことだ。風悟の家に泊めてもらった次の日、二人組の霊能力者が裏で動き始めたことを知った。旅を続けるうちにそれは、鎧戸碧と落蹴大輝という高校生である情報も受け取った。その二人の目的は、会合だと言う。しかし会合と言っても、結婚の前の顔合わせのようなものだ。それほど重要とはとても思えない。妙子のように自分こそ相手に相応しい、と言うのだろうか。それとは違う気がする。
 神代の跡継ぎと自分が良い関係を築くのが、そんなに嫌なのだろうか?

「金だ」

 大輝は答えた。

「聞いて驚くな…。幸福は金で買える。俺らの仲間全員に富を分配する。そうすれば誰も苦しまねえ。神代の跡継ぎを脅してでも、絶対に富を掴み取ると誓った!」
「お金が幸せを示す度数になるとは、到底思えませんぜ」
「黙れ! お前には何もわからないだろう!」

 確かに何もわからない。窓香には家族がいる。親がいる。友達がいる。実家がある。どれも持っていない大輝が突如、激昂するのも無理はない。

「教えてもらおうか。ここまで来たってことは、だ。神代の跡継ぎはこの辺りのどこかに潜んでいるな?」
「わかりました、って言うと思いますかい? 私の口はそんなに軽くはないんですぜ」
「じゃあ言いたくさせてやろう」

 大輝が得意技を披露しようと藁人形を取り出した。だが次の瞬間それは叩き落とされていた。

「…?」

 あまりにも早業過ぎて、隣にいる風悟ですら何が起きたかわかっていなかった。

「させませんぜ、呪いなんて。霊能力は人を傷つけるためにあるんじゃねえです!」

 藁人形には、お札が貼られている。窓香が一瞬で投げたのだ。正確かつ素早い一撃に大輝は驚き、後ろに下がる。

「少しはやるみてえだな。だが!」

 服のあらゆるところに藁人形を隠してある。今度はポケットだ。手を入れようと手を伸ばした。しかし、何故か指が入っていかない。

「何、またか!」

 お札が、目にも留まらぬスピードでポケットに貼りついている。それが霊的な力を放ち、指の侵入を邪魔しているのだ。

「幽霊相手にお札を投げつけるのは、あまり好きではないですぜ。でも相手が生きてる人なら、関係ありませんぜ」
「クソッ! この女、見た目以上に強い…!」

 ここで大輝は、このまま攻めるかそれとも引くかの二択に迫られた。一度後ろに下がれば、安全に藁人形を取り出し、呪うことが可能だろう。だから目的のために行動するのなら、間違いなく後者を選ぶ。
 だがそれは、同時に窓香に勝てないことを認めることでもあった。

「ここで逃げる? そんなことは俺の全感情が許さねえ…」

 だから大輝は、前者を選んだ。霊能力者としての意地が、彼の足を前に動かした。

「お前は、確かに実力者だ。認めるぜ。だがな、呪いには精通してねえだろう? さっき除霊は好きじゃないって言ってたもんな?」

 小道具はいらない。最大級の呪いを相手にぶつけるまでだ。
 大輝は手と手を合わせるフリをした。それなら警戒されないと踏んだのだ。そして、右の親指の爪で、左手首を切った。次に吹き出す血を自分の顔に塗り付ける。死化粧の呪いだ。

「おい、大丈夫か!」

 突然出血したのだから、風悟は驚いた。

「動いちゃ駄目ですぜ、風悟さん!」

 窓香が腕を風悟の前に出し、彼を止める。

「これは、触れてはいけぬ何か、を感じますぜ…」

 大輝が顔を真っ赤に染め上げた時、周りの霊が動き出した。まるで掃除機に吸い込まれる埃のようだ。沢山の霊が、大輝の中に取り込まれていく。

「うおおおお!」

 大輝は、自分の中に入ってくる霊の感情に心を破壊されそうになった。

「受けろ! これが俺の死武装の呪いだ…」

 手首の患部を抓って、血を窓香たちの方に飛ばした。窓香は何が起きているのかわからず、その血を一滴、顔に浴びた。

「中には、血の匂いを好む霊もいる。俺の血を分けてやる代わりに、あの女に不幸を!」

 すると、霊が一斉に窓香の方へ向きを変えた。それが見えてしまっている風悟は、

「ひえええええ!」

 と叫んで完全に腰を抜かし、地面に転げ落ちた。
 大輝の中の霊も、窓香に向かう。これほどに大量の霊に憑りつかれたら、ただでは済まされないだろう。霊能力者としての勘が窓香にそう告げている。だが、一体一体除霊していては時間がない。

「でもそれは、相手も同じ…」

 窓香の取った行動は、シンプルだった。手鏡を取り出した。そして窓香は大輝と同じことをした…つまり手首を少し切った。切り口からこぼれ出る赤い水滴を、手鏡に落とす。その鏡には、大輝の姿だけが映り込んでいる。

「鏡は、儀式に用いられる神秘的かつ霊的な物質ですぜ。知らないとは言わせませんぞ?」
「な、馬鹿な…?」

 この行動によって、呪いが跳ね返された。もちろん鏡なら大輝も持っている。だが何かを取り出そうものなら、窓香のお札が一瞬で飛んでくる。そのお札は、小道具を封じる力を持っている。
 周辺の霊が、全て大輝に向かう。死化粧の呪いを始めた時既に壊れかけていた大輝の心がこれに耐えられるはずがない。

「うぐ、がは!」

 大輝は泡を吹いて、その場に倒れ込んだ。それを見届けると窓香は、手鏡を割った。そうすると霊は動きを止め、大輝の心の中からも出て行った。

「しっかりしろ、おい!」

 やっと腰を上げられた風悟が倒れた大輝に近寄る。気は失っているようだが、命に別状はなさそうだ。手首の自傷には驚かされたが、出血は勢いがなくなりつつあり、致命的ではない。

「彼は大丈夫ですぜ。加減しましたから」

 窓香は、これ以上霊が入って来られないように大輝の体にお札を貼る。

「そしてもう一人と会う必要がありますぜ。今、周りの霊の数が一瞬だけ減って気が付いたんぜすが、とても大きな何かの存在を感じますぜ…」

 何か、と言ったのは、単純に相手が幽霊か人間かわからなかったためである。どちらでもあるような感触も、どちらでもないような感覚もあるのだ。

「行くのかい?」
「ええ。ここで止まる必要がありませんぜ」

 心配そうな顔をしている風悟に対し、窓香は明るく振る舞った。

「大丈夫ですぜ。絶対に戻ってきますから」
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