第8話 施設防衛線

文字数 6,714文字

 秋田市の北西にその施設はある。東北最大は噂だけではなく事実で、何も知らない人が見ればそれは学校かと勘違いしてしまうレベルだ。

「待つのだ。今日は乗り込まない」

 正門を開こうとした大輝を、碧が止めた。

「何故だ? 俺たちが動いているのはもう神代に伝わっているかもしれないんだぞ?」
「かも、ではない。確定事項だろう。だがそれでも無計画に突っ込むよりは少し考えた方がマシだ」

 そう言う碧の考えは、この施設にいる霊能力者を炙り出す作戦。意図的に霊を施設に行かせて霊障を引き起こし、ここに彼らを集めるというもの。碧たちが持っている霊能力者ネットワークには、顔写真がない。なのでこの施設に該当者はいるが、見つけ出すことが難しい(相手が警戒していることを考えると、施設に呼び出してもらうのは現実的ではない。碧の読みでは、知らない人物からの面談は全て拒否されるであろう)。
 だが、霊をいくつか置いていく。きっと何事だ、と思って出てくるに違いない。

「結果は明日わかる。今日はもういいだろう」
「…」

 納得のいかない顔を大輝はした。暴れることができなかったからではない。自分たちが憑りつかせている霊を使うのが、嫌だったからだ。

「もし除霊されたら、どうするんだ?」

 呪いに利用できる霊は当然のことながら、怨霊や悪霊が多い。負のパワーが強ければ強いほど、人を呪うのに都合が良いからだ。だがそんな霊たちはいるだけで悪影響を出す。迷惑極まりない存在に対し、霊能力者が除霊を行わないはずがない。
 今大輝たちが所持する霊は、北海道中を探し回って得た、選りすぐりの災厄たちだ。これに代われる霊は滅多に見かけないだろう。それを一時的とはいえ手放す気に、大輝はなれなかったのである。

「そんな心配はいらない。ここの霊能力者は、そこまでの実力の持ち主ではないらしい」

 碧はそう言うと、大輝に手を引っ込めさせた。


 しかし、予想外のことが次の日に起きる。

「どういうことだ? 戻ってこない……」

 再び孤児院に足を運ぶ二人。霊たちは最後まで、帰って来なかったのだ。それが何を意味しているのか、二人にはわかる。

「おいおい…。これじゃあ面倒じゃねえか。どうするんだ?」

 舌打ちをして口を開く碧。

「行くしかあるまい。直接、捕まえなければいかない」

 門をくぐって、入り口から施設の内部に入り込む。

「あ、どなた?」

 職員が当然、声をかけてくる。
 大輝は無言で通過しようとしたが、碧には何か作戦があるようだ。

「ちょうど良かった。ここの職員か? 我々はここの採用試験を受ける者だが…」
「そうですか。では今、確認を取ってきます」

 職員は事務室に向かった。二人もそれについて行く。


 事務室に着いたところで、碧が大輝の耳元で囁いた。

「あれを使え」
「いいのか?」
「許可する」

 すると大輝は、水を一杯要求する。職員の一人が彼にコップを差し出した。

「なんでも水は霊を引き寄せやすいと言う。この呪いの儀式にも当然、必須だ」

 それを、床にぶちまけた。

「何をするんですか!」

 職員は驚いて大声を出した。その瞬間、施設の照明が落ちた。

「さあ怯えろ。恐怖の一夜だ…」

 大輝の使った呪いは、かなり限定的なものだった。

 その呪いは、仇返しの呪いと呼ばれている。相手から物をもらうことが条件で、それを床に落とす。そして霊の力で相手の意識を一夜だけ奪う。普段ならもらう物は何でもいいのだが、今は所持する霊を手放すのは控えた方がいい。だから霊を呼び寄せる水をもらった。

「どんな悪夢を見てんのか、表情が無駄に難しくなってやがるぜ」
「上出来だ。大輝、先を急ごう。ここでモタモタする意味はない。幸いにも、今ので浮遊霊が動き出した」

 監視カメラという便利な物がこの施設には常備されている。だが、霊障が引き起こされているために、写り込んだ幽霊と碧と大輝を区別できなくなっている。


「やはりここか」

 霊の力が弱まっている部分が施設にあった。中庭だ。食塩を用いて霊が入れぬ結界を作り出していたのだ。
 そしてその結界の内側に、子供が三人。

「あんたら、ここで何してるんだ? 見かけない顔だね? 新入り…さんにしては随分と年上じゃない? 知ってる? この施設には十八までしかいられないんだよ? それともいい大人が迷子? ねえねえ?」

 生意気な口調の男の子は、かなり若い風貌だ。きっとまだ小学校も卒業していない。

「そこまで知っているなら、逃げるという選択肢もあったはず。それをしないということは何か、秘策がある。そうだろう?」
「御名答。ここは俺たちが万が一の時のために築いた結界。この施設唯一の安全地帯」

 もう一人の男子が、そう答える。

「ほほう。霊が入り込めないなら、俺たちが力も使えない、という読みだな?」

 大輝が周囲を見回しながら言った。中庭の風景はこれといった変わったものは何もない。
 強いて言えば、霊の類が存在していないことだけだ。

「では、あなた達の目的って何ですか? 何が欲しくて南下しているんでしょうか…?」

 気弱そうな女子が訪ねる。意外なことに答えが碧の口から返って来た。

「我々は仲間を欲している。できれば腕のある霊能力者がいい。君たちはどうだ? 我々の置いて行った霊を退けるくらいは、わけないレベルだろう?」
「へえー。じゃあ、あんたら、弱いんだ? 二人がかりでも目的も達成できないんじゃ、落ちこぼれだね!」

 この少年は怖いもの知らずなのか、平然と感情を逆なでする発言をした。だがその挑発に乗る碧でもない。隣の大輝は今にもキレそうではあるが。

「では聞こう。我々の目的とは、何だと思う?」
「知らないよ。知ってて得する? しないだろ?」
「そうだ。時が来るまで教える気もない」
「でも神代の会合を狙っているって話は聞いた。僕たちにはそれは関係ないけどさ、お世話になっている人に迷惑かけるのって、放っておけないよね?」
「賛成」
「は、はい…」

 横の男子と女子が首を縦に振った。

「じゃあさ。あんたら……通報だよ! ここに来たのは意外だったからまだ連絡してないけどね、霊能力者ネットワークを使えば明日にでもここに霊能力者がワンサカやってくる。でもあんたらは二人。勝ち目はないよね?」

 聞き捨てならない台詞に、大輝が反応する。

「何だこのガキ、もう勝った気でいやがる」
「んん? 違う? 僕たちが負けるとでも?」

 うずうずしている大輝をもう抑えておけないと判断したのか、碧は言った。

「大輝、好きにしろ。ただし必ず負かすことだ」
「ああ、わかってるぜ」


「先に名乗っておこうか。僕は鳥谷(とりたに)康嗣(こうじ)って言うんだ。短い間だろうけど、覚えておきなよ、お二人さん」
「俺は灰虎(はいとら)保典(やすのり)
「わたしは、武律(ぶりつ)まこっていいます…」

 役者は揃った。午前零時近くの中庭に、静かな風が吹く。草木が揺れて、かすれる音がかすかに聞こえる。

 どうやら碧とまこは、積極的ではないらしい。中庭に一つだけあるベンチに、二人で腰かける。碧は一瞬だけ横に座るまこの顔を見た。とても不安そうで今にも泣きだしそうだ。こんな弱々しいのが隣にいても害はないと判断したのか、碧はベンチから追い出そうとはしなかった。まこもそういう態度を見せない。

「えぇ! 一人? ねえちょっと甘く見過ぎじゃない? 今からでも遅くないから、あっちのお姉さんも呼んでくれば? 絶対に後悔しちゃうよ?」

 煽るのが上手な康嗣だ。無邪気な子共であることに間違いはないのだが、それにしても度が過ぎる。

「うるせえ。お前たちが心配すべきなのは、負けた後のことだけだ」
「勝機があるとは大きな自信…」

 保典は、大輝の顔を見て呟いた。怒っているのは確かだが、怒り以上の何かを隠し持っている。
 月を雲が覆った瞬間、中庭の木に止まっていた梟が羽ばたいた。それを合図に大輝が走り出す。相手は自分より子供…。力比べならまず負けない。
 対する康嗣と保典は、二手に分かれた。彼らも大輝相手では、分が悪いと判断したのだろう。賢い選択だ。

「保典、あっちだ!」

 康嗣が指を差すと、保典はその方向に動いた。

「待て!」

 追いかける大輝。だが中庭の隅々を把握している保典の方が、良いフットワークを見せる。そして保典は中庭に置いてあったバスケットボールを拾う。

「これでもくらえ、馬鹿野郎!」

 思い切りボールを投げつける。さすがの大輝も避けきれず、頭にくらう。そして中庭の隅の壁の前に倒れ込む。

「あはぁ、よっわ! アレが僕だったら恥ずかしくて生きていけないよ~」

 腹を抱えて笑う康嗣。だが、

「油断するな康嗣」

 すぐに保典が、気を引き締めさせる。

「わかってるって。でも笑わずにはいられないだろ?」
「笑うのは最後」

 よろめきながら起き上がる大輝。近くに転がるボールを掴むと、周りを観察する。

「…………………」

 この距離では、投げても避けられる。近づかなければ当てられそうにないが、二人はちょこまかと動き回ってしまう。そうなると不利だ。
 では、どうするか。その答えをこの中庭の中から探さねばいけない。

「ふ! どうやらあるみてえじゃねえか…この施設にもよ…」

 大輝がバスケットボールを投げる。だがその先は、康嗣でも保典でもなかった。
 中庭に生える、一本の木を狙った。その幹にボールが当たると、激しく揺れる。

「俺のいた施設にも生えてるんだぜ、玄関の近くに。とは言っても種類が違うが」

 ドスン、と音を立てて何かが落ちた。

「狙ったのは俺らではなく柿の木?」

 また違うところで落ちる。まだ季節ではないので、とても固い実が。流石にこれは避けなければ怪我を負うレベルだ。

「もったいないことをしてくれる…。毎年収穫を楽しみにしているのに!」

 ドスドスと落ち始めた。今康嗣と保典は、上に注目している。攻めるなら今がチャンス。だが大輝は、全然違う方向に走った。中庭の隅に転がって行ったバスケットボールを確保した。

「……え? 馬鹿なの? 何で攻めないの? 今絶対にチャンスだったじゃん?」

 また、康嗣が笑った。そして腹を抱えながら、地面に落ちた固い柿を拾って、

「あ~あ、本当に余計なことしてくれたよ。でもコレ、僕たちにも攻撃チャンス来たってこと? うわぁかったい! 投げてみようかな?」

 と言う。

「…何も手出しはしないんですか?」

 まこが言うと碧は、

「黙っていろ。あの二人に負ける大輝ではない」

 とだけ返す。

「じゃあ、それ!」

 投げられた柿が宙を舞う。壁にぶつかると鈍い音がした。大輝は壁に張り付いて横に移動する。これ以上距離を置くことができないからだ。だがすぐに隅に追い詰められる。

「保典? 僕の合図で一斉に攻撃だ。だぁれかさんのおかげで、柿はいっぱいあるからね」
「了解」

 勝ち誇った顔で、大輝にも聞こえるボリュームで康嗣は喋った。

「まだまだ子供だな…」
「うん、子供だよ?」

 ここで悪あがきと言わんばかりに、大輝がバスケットボールを投げた。

「今度は何だ?」

 二人の視線が、高く飛び上ったボールに釘付けになる。

「この瞬間を待っていた!」
「何!」

 すぐに顔を下に戻す。だが大輝は、また隅の方に移動している。

「おいおいおい、何今の? 何がしたいわけ? 意味わかんないんだけど?」

 またも攻撃に移るチャンスを、野放しにした。
 一見すると、理解不能な行動。だが碧は把握していた。

「勝負あったな。お前たちの負けだ」
「え、何でですか?」

 まこが理解できていない。だから碧はまず一つ目の隅を指差した。

「あそこから始まっている。そして次があっち。その次がこっち。そして最後が、今のポジションだ。ここまで言えば、霊能力に精通しているお前ならわかるだろう?」
「……しまった!」

 大輝は自分の意志で、ワザと隅から隅に移動していたのだ。
 霊を入れない結界。それは四隅に、決められた順番に食塩をまくことで出来上がる。
 だがそれとは逆順で食塩をまくと、結界どころか霊界が出来上がってしまう。

「な、何だ?」

 さっきとは、風が明らかに異なる。不気味な雰囲気が中庭に漂い始めた。勝負に挑んでいるから感覚が鋭くなっている皮膚が、空気が異常だと大声で怒鳴って伝えている。

「結界はなくなった。もう霊が入れる。そうなれば俺は、呪いを使いたい放題だ」
「これが奴の狙い!」

 保典は、再度結界を展開するために隅に走った。だが直後に転ぶ。

「何やってんだよ! 肝心なところで!」
「俺が転ばせた」

 大輝の手には、既に藁人形が握られていた。その脚の部分が釘で貫かれている。

「これが呪いの強さ…!」

 脚を押さえる保典だが、痛みを紛らわすことがまるでできない。ズボンをめくってみても、外傷はない。何が痛みを生じさせているのか、全くわからない。

「なら、僕が!」

 見かねた康嗣が動き出した。まず足元の柿を拾い、それを大輝に向けて投げる。

「これでもくらってろ!」
「もらっておこう」

 大輝はその柿を上手くキャッチした。

「…というのは冗談だ」

 だがすぐに、地面に投げ捨てた。すると同時に、康嗣がその場に倒れ込む。

「何ぃ! どうなっているコレ?」

 激しい痛みを感じていても、仲間のピンチに保典は声を出せた。

「…仇返しの呪いをここで使うか」

 碧は何が起きているのかを理解していた。大輝が康嗣の体を起こしてやると、その表情は苦痛に満ちていた。物凄い悪夢を味わっているのだろう。

「もう終わりだ。この中庭にたくさんの霊が集まっている。お前たちはその霊気に抗えるとでも言うのか? 我々は恐れることでもないが、わざわざ結界を作っておくということは、大量の邪気を相手するのは苦手のようだな…」


 勝負が終わった。中庭に吹く大きな風が、木々を揺らしている。葉と葉が擦れ合って、不愉快な音が響き渡る。

「起きて、康嗣!」

 まこが康嗣の体を揺さぶる。だが康嗣は歯を食いしばり、小さい悲鳴を上げるだけで目を開こうとしない。

「無駄だ。仇返しの呪いは、夜が明けるまで続く。このガキは話し合いにも参加できないだろう」

 保典とまこは、潔く負けを認めた。これ以上は抵抗できない。除霊しながら戦うことは無理だ。二人に妨害される。それに非常に強力な呪いを目の前で見せられたまこと実際に一部を体験した保典には、もはや張り合う気力は残っていない。こうなってしまったら、言うことに従った方が被害が出ない。

 一度中庭を離れる五人。話を切り出したのは、保典だった。

「どうすればいい? 俺たちに何を求めるんだ?」
「そうだな…」

 碧は、答えをためた。すぐに宮城県に向かうのもいいが、この三人の実力で何かできることがあるはず…。そう考えると、ただついて来いと言うのはもったいなく感じる。

「まずは、岩手県に向かおうか。お前たちが除霊してしまった分、霊を補充しなければいけない」

 碧が奥羽山脈を眺めて言った。

「ちょうど霊を拾うのに適した場所を知っている」

 碧が不気味にニヤリと笑った。それを見た保典とまこが、ビクッと背筋を凍らせた。

「お前たちの実力も、少し試してえ。俺たちの呪いを伝授すれば神代のどんな霊能力者が出てきても大丈夫だぜ」

 碧と大輝は、今日ぐらいは休ませようとは思わなかった。今からこの施設を立ち去る。その前に一度、施設を漂う霊をできる限り回収した。

「霊は私の体に憑りつかせる。見かけ次第、私に報告しろ」

 深夜だというのに、歩き出す一行。最後に碧が振り向いて施設を見た。

 この施設は大きい。だからたとえ社会で傷ついても、舐め合える仲間が多くいる。だがそれがイコール幸福とは限らない。受けた傷は、一生消えない。同胞が悲しみをこれ以上背負わないためにも、神代の財産を早く獲得しなければいけない。
 その一心が、碧の心を少し焦らせていた。
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