第10話 異霊の森

文字数 6,477文字

 その森は、岩手県の山中にある。心霊スポットとして全国的に有名であるが、地元の住民たちはこの森を避けて通る。それほど恐れられているこの森に、軽率に入ることは許されない。
 なぜならば、そこに住まう霊は危険極まりないからである。

「着いたな。さてここで私を喜ばせてくれる霊がいればいいが…」

 碧は実際に足を運ぶまで、満足していなかった。康嗣たちに除霊されてしまった分、強力な霊が存在している必要がある。

「流石に犠牲者の霊には手は出さない」

 流石の碧と大輝も、そこは譲らない。

「じゃあどうするの?」
「この森は、霊が集まりやすい。そしてその霊も凶悪に育ちやすい…。流れ着いた霊を使う」

 近くに来ると、その異様な空気に誰もが気付く。

「ね、ねえ? 帰りましょうよ…」

 まこがそう言った。気の弱そうな彼女には、この森に入ることは不可能だろう。碧も強制しようとは思っていない。

「…大輝」
「何だ?」
「この三人に、呪いの術を仕込め。森には私一人で行く」
「そうか? 俺がいなくて大丈夫か?」
「心配するまでもない。夜明けまでには戻ろう」

 碧はそう言い残し、森への道を進んだ。


「じゃあまずは、俺が最も得意とする呪いを教えてやろう」

 大輝は藁人形を取り出した。いつも行っている、相手に激痛を与えて動きを封じる呪いだ。難しいことは何もなく、簡単な術。だが、それだけ基本が要求されるということである。
 四人の近くには、やはり強力な霊が漂っている。大輝の呪いはそれが条件であり、それを満たせば誰でも行うことが可能となる。

「人を呪うって、随分と物騒だよね」

 康嗣がからかうつもりで言った。

「そうだ。逆に呪われてもいい覚悟がないとできねえことだ。お前たちの覚悟はどんなものだ? 俺に見せてみろ」

 三人の目の前に、藁人形を置いた。それを康嗣が拾う。

「相手の顔を思い浮かべろ。そして憎しみを持って、どこかをつねってみろ」
「こう?」
「………」

 真面目にやっていないのか、それとも呪いの対象が自分ではないのか、大輝は何ともない。

「もっと怒りを引き出せ。殺気も立てろ。お前の心の底に隠れている全ての闇を、負の力に変えて放出するのだ」
「…こうかい?」

 康嗣が藁人形の腕をつねった瞬間、大輝の腕に痛みが走った。

「おお! いいぞ、やはり才能があるな」
「本当に痛いの? 演技じゃない?」
「ならば保典に代われ」

 保典は康嗣から藁人形を受け取ると、康嗣と同じようにつねってみた。

「うぎゃあああ! いいい、痛い!」

 康嗣が泣き叫ぶ。

「スマンスマン」
「…まあ、こんな感じだ。本番はこれを釘で行う」

 そう言うと、三人の顔の血の気が引いた。彼らはその痛みを想像しただけで、鳥肌が立つ。特にこれを実際にくらった保典は、

「これほど頼りになる呪い…。大いなる期待…」

 三人の中で誰よりもその重要性を理解していた。

「他の呪いも、教えてよ」

 康嗣が言った。もちろん大輝はそのつもりだ。

「いいだろう。だが常に心の中に入れておけ。人を呪うということは……殺めるのと同義。一瞬の判断の間違いが、永遠の命取りとなり得るのだ。油断はするな。相手に合わせてベストな術を探し、実行しろ。呪いは遊びではない。生きる人間と死んでいる霊との力の結びつきが重要だが、霊に心を飲み込まれるなよ? 相手の生気は奪ってもいいが、自分の生気は絶対に失うな」

 これほど重要なことはない。大輝は三人が道を外さないためにも念を押した。


 一方の碧は、まだ森から出られる状態ではなかった。自分の喉を唸らせるほどの強力な霊と出会えていないためだ。

「ここで遭遇できなければ、戦力の増強は不能…。それは避けなければな」

 実は、一発で霊を集める方法がある。
 それは、自分の生気を放出することだ。霊はこの世に未練を残しているタイプが多い。だから生気にすがろうとするのだ。他にも、生きていた時の温もりを求める霊は多数存在する。

 しかし、それはしてはいけない。偶然にも同じタイミングで、大輝は三人に生気の大切さを説いていた。

「生気を失った人間は、生きてはいけない。生気は魂のエネルギー。なくなることなど、あってはいかん」

 碧と大輝の距離はかなり離れているが、碧には大輝が、今の台詞を言ったことが手に取るようにわかった。

「そして生気の浪費ほど、魂にダメージのある行いはない。続ければ体は健康であっても、魂が生きていけなくなるためだ」

 碧がそう続けた。同じ時に大輝も同じことを言っている。碧にはそれがわかった。

「おや?」

 今、碧の目の前を何かが通った。それは動物ではない。かと言って気のせいでもない。やっとお目当てに巡り合えたのだ。

「どこへ行く?」

 こういう霊は一声かけると、こちらにやって来る。まるであの世へ連れて行かんと言わんばかりに。だが霊の思惑通りにはいかない。

「そうだ。こっちに来るのだ。そして私に憑りつけ。まだこの世にいたいだろう?」

 霊の言うことに耳を傾けるのも忘れない。どうやらこの霊は踏切で自殺し、ここまで漂ってきたらしい。どおりで左腕と両足がないわけだ。

「その強い怒り…。今鎮めてみせよう」

 強い霊であることに間違いはない。碧が足を止めたぐらいである。だが、自分に服従させなければ呪いは本領を発揮できない。
 碧は藁人形、釘そして金づちをカバンから取り出した。そして近くの木の幹に藁人形を打ちつけた。

「名前は? …ふむふむ、ではコイツの子孫を未来永劫呪ってみせよう。殺しはしない。死で終わらせてしまうのは、苦しませるのがつまらないだろう? 呪われながらも死ねないことは、どんなに苦痛か…。それを代々にわたってわからせてやるのだ」

 ゴツン、ゴツンと釘を打つ。一発一発に呪いが込められている。金づちを振るたび、周りの霊が碧の方を向く。霊たちも反応しているのだ。

「…………」

 碧は無言だった。何も私語を慎まなければいけない決まりはない。大輝はいつも何かしら叫んでいるし、この呪いを実行する場合、普通は対象の名前を五回、釘打ちと共に繰り返すのだ。しないのには、碧なりの死者に対する思いがあった。

(私に憑りついたのなら、こき使わせてもらおう。だがその前に、霊の無念はきっちりと洗浄する。それが死者への礼儀…!)

 ゴツン。三発目を打ちこんだ。見たことも話したこともない、全くの赤の他人に対し、怒りが込み上げてくる。霊の感情が、自分に流れているのだ。
 ゴツ。四発目。怒りのあまり力が出過ぎた。

(私としたことが…! 憎しみ、悲しみ、嘆き、怒り、妬み…。怨霊の五芒星の要素は、生気に悪影響を…!)

 最後の五発目。ゴツン。碧は冷静さを取り戻し、呪いを完遂した。額から出た汗が顔を縦に流れていき、顎に到達すると水滴となって地面に落ちる。汗ばんでいた手から金づちがすり抜ける。

「…してやったぞ。これで私と供に来れるな? お前の強力な霊力は、我々の呪いの…」

 途中で口が止まったのは、もっと大きな霊を見かけたからだ。あれほど大きな獲物はない。呪いを行うことで疲弊していた体に、一気に力が蘇った。

「……憑いて来い」

 金づちを拾った。もう手は乾いている。喜びのあまり汗も一瞬で蒸発したのだ。
 強力な霊は他の霊を集めやすい。すぐに弱い霊が群がる。碧は手を合わせ、少し力を発揮して霊をかき分けながら進んだ。

「こ、これは…!」

 目を疑った。間違いない。そう確信した瞬間、無意識のうちに口が動いた。

異霊(いれい)…」

 生きている内に、一度、見るかどうか…。それほど珍しい霊だ。
 その姿は、人の形を一応している。だが手足は頭となっている。常人にとっては見ただけで気絶するほど禍々しい容姿だろう。注意深く観察すると、体の表面には顔が細胞のように詰まっている。

 碧の動きは慎重だった。異霊は他の霊とはいくつか異なる部分が存在する。その内の一つに、生者の魂を食らうというものがある。普通の霊は生きている人をあの世に連れて行くが、異霊は直接殺めて自分の一部とするのだ。

 不意に、カラスが一羽、地面に落ちた。恐らく異霊に触れ、魂を食われたのだろう。

「おお、これは期待ができる」

 異霊の除霊記録は、いかなる文献にも存在しない。成仏不可能、と言った方がいいかもしれない。その起源は不明だが、室町時代の文献である旧怪霊妖死書式によれば、理不尽に奪われた罪なき魂の集合体というのが一番有力である。ちなみにその古い本には、異霊は見かけても絶対に手を出してはいけないと、名前の下に忠告されている。
 だがこの今世紀最大の大物を前にして、ただ黙って見つめている碧ではなかった。

 移動速度は遅い。だから簡単に前に回り込めた。

「異霊よ、私が見えるか?」

 次の瞬間、屈辱的なことが起きた。異霊は向きを変えた。碧はなんと、異霊に無視されたのだ。

「私が目に入らないとは、フフフ…!」

 何故か身も心も熱くなる。相手は自分を試してすらいないというのに。
 碧は一旦距離を置いた。異霊の動きはナメクジより鈍い。少し作戦を練っていてもどこかに行ったりはしないだろう。


「…除霊は目的ではない。私に憑りつかせることが目的。ならば異霊は、どう動く? そもそも異霊が誰かに憑りつくなんぞと言う話は、聞いたことがない」

 大輝たちを呼ぶか? それでも異霊を屈服させられるかどうか…。碧をもってしても、わからない。
 では霊を呪うというのは? 今までやってみたことはないが、試してみる価値はありそうだ。

 碧は藁人形を取り出すと、釘でその足を刺した。

「効いた…」

 足にダメージがあったのか、姿勢を崩す異霊。変な風に曲がった足に存在する顔は苦しみを訴えていた。

「よし。それ以上苦しみたくなければ、私の言うことに耳を傾けよ」

 しかし、ここでも無視される。しかも異霊は、ダメージのあった足を切り落とした。碧の握っている藁人形の足の先が、勝手に千切れて落ちた。

「…ふ、ふう。ここまでしても話も聞けないとはな…」

 今まで築き上げてきたプライドが、音を立てて崩れ落ちるのが碧にはわかった。これは難しい案件になりそうだ。
 だが呪いが通じることはわかった。

「…!」

 碧は一瞬で後ろに飛んだ。切り落とされた異霊の足が、形を変え、小さな異霊となった。それが足元にまで迫っていたのだ。

「危ないところだった…」

 気付くのが遅れたら、命を奪われていた。嫌な冷や汗が背中を流れる。
 一方、大本の異霊の方は、足が再生していた。

「そういう霊か…」

 どうりで除霊ができないわけである。体を自由に切り離すことができるのなら、適当な部分を身代わりにして除霊をかわすことができる。

 碧の頭に一秒だけ、小さい方の異霊を持って行く案が浮かんだ。だが次に心臓が鼓動した時、自分で却下した。小さい方に興味はない。あれは千切れた身代わりであって本物じゃない。
 さらに注意深く観察してみることにした。どうやら碧の魂に興味がないらしく、こちらに顔を向けようとしない。だがすれ違いざまに、小動物はバタリと倒れ、死んでいく。

「徘徊するタイプか…。特定の範囲…縄張りを持っていて、その中しか移動をしない。そして自分に偶然触れた者の魂を瞬時に食らう」

 今自分がいるこの森はまさしく、異霊の森なのだ。

 ここで碧には、あるプランが頭の中で浮かんだ。それは異霊のテリトリーを、書き換えることだ。自分の近くのみを動く範囲にすれば、休憩中でも接触する心配はない。
 さらに作戦は膨らんだ。まずは大輝たちを呼ぶ。森全域が縄張りでは広すぎる。狭めるのだ。これは彼らにやってもらう。そして自分は、自分たちの都合のいいようにテリトリーを作る。
 この時碧は、携帯を取り出さなかった。この森の霊障は大きい。電波は圏外である。
 だがこういう時のために用意してあるのが打ち上げ花火。一つ取り出し点火する。さすがの不気味な雰囲気の中でも火はついたし、花火は打ちあがった。


「何だ? ドデカいな~。たまや~」

 近くで花火が上がった。ドドーンと大きな音を立て、辺りをものの数秒だけ照らし出す。

「こんなところにパーティーピープルがいるんでしょうか…?」
「違うな…。色は青。集合合図だ。それも俺たちが移動せよ、だ」

 大輝は花火の色で、信号を理解した。

(見つけたのか? それともヤバいのか?)

 多くの花火を毎回持ち歩くのは非現実的すぎる。だから碧が今、どういう状態に置かれているのかは、言ってみないとわからない。

「急ぐぞ! 距離は二~三キロといったところか。多くの浮遊霊や地縛霊、その他モロモロいるだろうからな。足元も安定しない。気をつけろ。なあに大丈夫だ、基本を抑えれば問題は何もない」

 大輝が先陣を切り、森の中に入った。


「到着したか。思っていたよりも速かったな」

 碧は、大輝と康嗣、それに保典は大丈夫だろうがまこには荷が重いので、少々遅くなると予想していた。だがいらぬ心配だったようだ。

「あれは…?」

 大輝たちが口を開く。見ているだけで全身から冷や汗が流れ出そうな物体。それが碧の少し前を歩いている。

「アレが、異霊だ。非常に危険ゆえにその対処は私だけが行う。大輝たちは森の霊気を弱めろ。この森には呪いが効く。方法は任せる」

 各自、森の奥に散らばった。一番奥に行かせるのは大輝だ。碧にとっては彼が一番信頼できる。その他の三人は、あまり距離が離れていないところを担当させる。
 やがて一人、二人と戻ってくる。すると異霊の行動にも変化が現れた。

「成功だ」
「何が、だ?」

 異霊は動かなくなった。ピタリと足を止めて、はるかかなた上空を見上げている。

「ここに、こうすれば…」

 碧はその時、禁忌を犯した。

「やめろ! 死ぬ気か?」

 それは大輝にもわかった。生気を放出しているのだ。

「こうしなければ、異霊を、思い通りに、動かせない。コイツは、自分の縄張り、の中だけを、移動する。縄張りを、縮めることは簡単、だが、広めるのには、生気がいる…」

 碧が動くと、異霊は足を動かし始めた。少し後ろを憑いて行っているようだ。

「無茶をするな! お前がいなくなったら、俺たちの野望も意味がない。俺に指揮が取れると思うか?」

 すかさず肩を貸す大輝。碧は標準体型だが、その体は見た目から想像できないほど重くなっている。これも異常な霊に憑りつかれたためだ。少ない生気でコントロールができているみたいだが、それもいつまで持つかはわからない。

「さあ、ゆっくりと、進め。まずは森、を抜けよう」

 足取りは重い。康嗣たちは碧と大輝の行いにビビッて、手が出せなかった。だが三人を責めたりしない。寧ろ碧たちにすれば、異霊を移動させるための負担が二人で済んでいる。

「康嗣、保典、まこ。お前たちに、指示を、出そう。先に、宮城県、に入れ。場を整える、のだ」

 この状況では、神代の人間たちに待ち伏せされては致命的になり得る。異霊の力を使った呪いは、最後の最後に一度きりになりそうだ。この状態の碧には、先陣を切る力は無い。自分でそう判断した。

「…わかったよ。それぐらい、学校のテスト並みに楽勝だね。次元が違うことを証明しようじゃないか!」
「俺も賛成」
「では、行きましょう…。まずは駅に行って最終的に新幹線に…」

 三人は先行した。大輝は自分の生気を碧に分け与えながら、共に森を出た。
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