第7話 鏑木妙子、強襲
文字数 5,323文字
「せっかくだから、名古屋城でも見ていきますかい?」
窓香と風悟は、愛知県に着いた。名古屋駅で降りることになったのは、そこで宿を取ったからではなく、単に今の資金ではそこまでしか行けなかったからである。
「そんな金はないよ! くっそー、預金が下せれば!」
何故か風悟の方が現実をよく見ていた。自分が会合の当事者でも何でもないのに、である。もしかしたら、心のどこかで窓香のことを見放せておけないと思っているのかもしれない。しかし、
(駄目だ駄目だ。窓香さんは神代の跡継ぎのモノだ。俺にはちょっかいは出せない。俺は自分の安全だけを考えていればいいんだ)
と、自分で否定した。
「硬いこと言わずに、行きましょうよ。滅多に来ることなんてないはずですぜ」
「………そんなこと言うなら俺は、東北に足を踏み入れることになるとは思ってなかったよ?」
結局根負けした風悟は窓香に付いて行くことにした。
「名古屋城。かつて戦国時代に今川氏親が築城した那古野城の跡地に建っている。織田信長が生まれた場所として有名な城であったが、徳川家康が目を付けた時には荒れ野になっていたと言われている…」
他にもうんちくを述べる。
「随分詳しいんですな」
「パンフレットを読んだだけさ。さあ行こう」
風悟が先に足を動かした。少し歩くと、窓香が付いて来ていないことに気が付いた。
「あれ、窓香さん?」
窓香は慌ただしく周囲を見回している。
「どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「風悟さんの守護霊は優しいお方ですぜ。教えてくれなかったら気が付けなかったんです」
「何に?」
話が見えてこない。だが風悟は怒らず、追及もしなかった。
「隠れてないで、出てきたらどうですかい? もういるのはわかっているんですぜ!」
急に窓香が大声を出した。周りの観光客が一斉にこちらに注目するほどのボリュームだ。
「仕方ないわね」
その声は、二人の背後から聞こえた。
女性が一人、立っていた。もちろん風悟は初めて見る顔だが、雰囲気だけでどんな人物かは楽に想像できた。
「窓香さんと同じ類の人か…?」
すると、
「そっちの彼、鋭いわね? 一発で私の正体を見抜くとは。霊能力者ネットワークに情報はなかったけれど、どちらさん? 少なくとも霊が見える人じゃないわよね」
女性はそう言った。
「とすると、知っている相手なのか?」
窓香に聞いたが、返事はノーだった。
「当然よ。私だって今、初めて会うもの」
「何か、私に用があるんですかい?」
心当たりがないから、窓香は言った。
「神代の跡継ぎ、その婚約者。それにあんたが選ばれたなんて、どう考えてもおかしいでしょう? 私に代わりなさい!」
女性の発言で、窓香は目的を察することができた。
「まずは名乗りましょうぜ? 急にやって来て席を寄こせとは、随分と失礼な行為、そう思いませんかい?」
「そうね、じゃあ聞いてもらおうかしら」
一呼吸置いて、女性は、
「私は鏑木 妙子 。年齢は二十二歳。この名古屋のとある神社でバイトしている学生よ」
と自己紹介をした。
「ならば私も…」
「あんたの情報は全部知っているから、いらないわ」
「う?」
名乗り文句を決めていたのに、遮られて変な声が出てしまった。
妙子は風悟の方を見ている。
「…俺は榊風悟だけど。その…幽霊とかに関してはド素人だ」
「あっそう。なら下がっていなさい。用があるのは窓香、あんたの方よ!」
今度は鋭い視線を窓香に送る。まるで威嚇しているかのようだ。
「ふーん。でもそれは譲れないですぜ。第一、会合の内容も私が選ばれたことも、当事者だけが知っていることのはず。どうしてあなたが知っているんですかい?」
「良い霊は良い話も運んでくれるのよ。そんなことも知らないの?」
「知ってますけど?」
「あらそう。そんな風には見えなかったわ」
「きっと視力が悪いんでしょうな。眼鏡でもかけることをお勧めしますぜ」
二人の会話は今にもヒートアップしそうだ。流石にボケッと聞いているわけにもいかず、風悟は発言した。
「ちょっとさ、ここで面倒事を起さないでよね? 熱くなるのもそのぐらいに…」
「部外者は黙ってて!」
と言われてしまい、仕方なく縮こまった。
「大体、あんたのどこが魅力的なのよ? 美貌の美の字も似合わないくせに!」
「人は顔では決まらない、それもわからないんですかい? つまらない人ですぜ」
「はあ? そういうあんたは経験値豊富なの?」
「………。でも、私の方が若いし」
「たったの二つでしょう? 大学すら通ってないのはわかっているのよ?」
「それは卒業してから言ってくださいな。それとも単位が危ういんですかい?」
「何ですって!」
ここまで来ると罵声の浴びせあいだ。これほど醜いものはない。風悟は近くのベンチに腰を下ろそうとした。
「何なら、あっちの彼に決めてもらおうじゃない! 勝負よ!」
「望むところですぜ!」
「……さっきは、部外者は引っ込んでろ的なこと言ってませんでした?」
強引に巻き込まれた感触が否めなかったが、流血騒ぎになっても嫌なので渋々協力することにした。
「ルールは簡単。今から一時間だけ、風悟君が名古屋城のどこかに隠れる。彼を先に見つけた方が、神代の跡継ぎの嫁に行く。わかった?」
「おい、ただのかくれんぼかよ?」
「それは違いますぜ、風悟さん。この勝負、ちょっと妙子が有利ですな…」
何でだ、と聞くと、
「地の利でしょうな。一番大事なのは、いかに霊から協力を得られるか。やみくもに探すんじゃなく、目撃者、つまりは霊と交信しながら探索すれば、いくら広い城内と言えども十五分もあれば風悟さんを見つけ出すことができますぜ…」
「そうか…」
風悟にとっては、どちらが勝っても自分の人生に影響はない。だが窓香に勝って欲しいと思った。さりげなくポケットから、スマートフォンを取り出した。これで連絡を取り合えば、妙子よりも早くなるはずだ。だが、
「そうだ風悟さん。不公平にならないようにそのスマホ、預かっていいですかい? 連絡手段があるとお話になりませんぜ」
何と窓香の方から、スマートフォンの没収の話が飛んできたのだ。
「…わかったよ」
風悟は窓香にそれを渡すと、隠れるために城内の人込みの中に溶け込んだ。
「…時間ね」
一時間はあっという間に過ぎた。これから風悟を探しに行く。
「さあて、まずはあの霊に教えてもらおうかしら」
やはり先に、妙子が動いた。窓香も真似して霊の声に耳を傾けるが、返事はない。
――そりゃ、霊も地元の人を応援しますよな。
窓香は自分が絶望的に不利とわかっていながら冷静だった。気が付けば妙子の姿は近くには無い。それでも心臓の鼓動は焦りを感じさせない。
――では、私も本格的に探すとしますぜ。
一度、目を閉じる。そして深呼吸をし、瞳を開く。景色はさっきまでとは変わらないが、気は引き締まっている。
――今必要なのは、感覚ですぜ。霊能力者としての第六感覚を、研ぎ澄ますんです! それができれば答えはわかる。この勝負、私は負けない。
こんな勝負で負けてしまうようでは、たかが知れている。妙子が作戦を練り、それに従って行動するなら、自分にも考えがある。そしてそれは、もう既に始まっている。
「では、私も歩き出すとしますぜ。待っていてくださいな、風悟さん!」
「おや?」
風悟は天守閣の最上階にいた。窓の外から景色を眺めていると、真っ直ぐ天守閣に向かってくる人影があった。
「あれは、妙子の方か…」
少しガックリとする。別に見つかっても何か取られるわけではないのだが、窓香に勝って欲しいと思っているからだ。妙子が勝ったら、さっき以上の罵詈雑言の嵐だろう。自分のことでないにせよ、鼓膜を振るわせたくない。
「そう言えば、隠れるって言ったって…。動いちゃ駄目とか、ないよな?」
そんな約束はしていない。どうせ移動すればバレてしまうのだろうが、風悟には言い訳ができる。スマートフォンがないから、時間を確かめられないのだ。妙子が動き出したということは、もう一時間は過ぎたのだろう。しかし気が付かなかったことにすれば、ここを動いても大丈夫だろう。
もう景色も見飽きた。風悟は階段を降りることにした。
妙子は息も切らさずに階段を登り切った。天守閣の最上階。霊の言葉は正しいので、ここにいるはずである。
しかしいくら探しても、見つけられない。
「……な~るほど。降りたのね」
すぐにその場にいる霊の目撃証言を聞く。どうやらさっき降りて行ったようだ。登ることに夢中で、すれ違っても気が付けなかったのだ。
「あら? どこに行ったか教えてくれるの? 随分と親切ね。後で黄泉の国に送ってあげるから待っててね」
妙子の戦法は、成仏できずにいる霊を送ってあげる代わりに、霊に自分の目の代わりになってもらうことだった。この名古屋城には、時代を問わず霊がわんさかいる。成仏したくてもできない霊も多い。そのほとんどが、強い力を持った霊の影響でこの世から離れることができないのだ。そういった霊は協力的な姿勢を見せてくれるので頼りがいがある。そして悪霊の類は自分と遭遇したくないから、向こうの方から勝手に避けていく。
ふと周りを見てみた。窓香はいない。きっと、霊から情報を聞き出すのに苦戦しているに決まっている。
「ふふ。優れた霊能力者は私の方。私こそ神代の婚約者に相応しいわ」
この名古屋に留まる気はない。妙子には、神代の財産などには興味がなかった。ただ証明してみせるのみである。自分がいかに優れた力を持っているかを。
霊の声が強くなる。嘘は言っていない。もう近くにいる。確実に。妙子には、自分の感覚が、感情が高ぶっているのがわかった。
「む!」
近くの霊が、耳元で囁いた。こっちに風悟がいる、と。妙子は向きを大きく変え、その方向に力強く歩み出した。そして捉えた。
「見つけた!」
妙子がそう叫ぶのと、風悟の腕を掴むのは同時だった。勝利を確信し、思わずニヤッとする。
だが……女神は妙子に微笑まなかったようだ。
「え…?」
風悟の隣には、既に窓香がいたのだ。
「残念! 私の勝ち、ですぜ!」
窓香の声が聞こえたその瞬間、妙子は力なくその場に倒れた。自分の負けを認められなかったし、負ける要素もなかったはずだったのに。
再び立てるようになるまで、数分を要した。そして一度外に出て、何が起きたのかを聞いた。
「答えは、これですぜ」
窓香がポケットから取り出したのは、スマートフォン。しかし、彼女のものではない。
「俺の?」
そう。風悟のものだ。
「この勝負、最初の霊に語りかけて無視された瞬間に、妙子と同じことをしては勝てないと思いました…というのは嘘ですぜ」
そんな答えでは、意味がわからないと二人から突っ込まれる。
「物にも魂が宿るって言うじゃないですか? 私は最初からそれを頼ることにしたんですぜ。風悟さんのものには、風悟さんと同じ温もりを感じさせる魂が宿る。その魂の温もりを感じ取って行けば、霊に頼らずともたどり着ける、ってわけですな」
だから窓香には、感覚を研ぎ澄ます必要があったのだ。
「くっ! まさか勝負が始まる前から、私の負けだったとでも言うの?」
「そうは思いませんね。もし風悟さんがターゲットでなければ、この作戦は通用したかどうか怪しいところがありますぜ」
これを聞いて、ちょっと風悟は照れた。何か窓香にとって、自分が特別な存在である気がしたのだ。
「ふむふむ。じゃあこれはもう返してね」
だがすぐにその気を紛らわした。その心はあまり育てない方がいい。そう判断したのだ。
「あーあ! つまんないの! これじゃあ挑んだ意味ないわね。全く、馬鹿馬鹿しいわ!」
「そんなこと言わんでくださいな。あなたも宮城県に来れば? 何か面白いことがあるかもしれませんぜ?」
窓香は妙子に、手を差し伸べた。決着が着いたのなら、いがみ合う意味はない。
「そうしようかしらね」
自分に向けられた手を掴み、妙子が言った。
「よし! なら一緒に宮城県に…」
「え? 悪いけど私、先に向かうわよ。あんたたちと足並みをそろえる必要はないじゃない? この勝負に負けたんだから、宮城県には私が先に着くわ!」
手を握る指を解くと、妙子は別れの挨拶を簡単に済ませて去ってしまった。
「あ…これは不味いですぜ…」
「そう…だね」
風悟もこの意味は理解していた。二人は、ここで妙子の協力を得られれば、旅費を出してくれると思っていたのだが、こうも簡単に目論見が破綻するとは思っていなかった。
窓香と風悟は、愛知県に着いた。名古屋駅で降りることになったのは、そこで宿を取ったからではなく、単に今の資金ではそこまでしか行けなかったからである。
「そんな金はないよ! くっそー、預金が下せれば!」
何故か風悟の方が現実をよく見ていた。自分が会合の当事者でも何でもないのに、である。もしかしたら、心のどこかで窓香のことを見放せておけないと思っているのかもしれない。しかし、
(駄目だ駄目だ。窓香さんは神代の跡継ぎのモノだ。俺にはちょっかいは出せない。俺は自分の安全だけを考えていればいいんだ)
と、自分で否定した。
「硬いこと言わずに、行きましょうよ。滅多に来ることなんてないはずですぜ」
「………そんなこと言うなら俺は、東北に足を踏み入れることになるとは思ってなかったよ?」
結局根負けした風悟は窓香に付いて行くことにした。
「名古屋城。かつて戦国時代に今川氏親が築城した那古野城の跡地に建っている。織田信長が生まれた場所として有名な城であったが、徳川家康が目を付けた時には荒れ野になっていたと言われている…」
他にもうんちくを述べる。
「随分詳しいんですな」
「パンフレットを読んだだけさ。さあ行こう」
風悟が先に足を動かした。少し歩くと、窓香が付いて来ていないことに気が付いた。
「あれ、窓香さん?」
窓香は慌ただしく周囲を見回している。
「どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「風悟さんの守護霊は優しいお方ですぜ。教えてくれなかったら気が付けなかったんです」
「何に?」
話が見えてこない。だが風悟は怒らず、追及もしなかった。
「隠れてないで、出てきたらどうですかい? もういるのはわかっているんですぜ!」
急に窓香が大声を出した。周りの観光客が一斉にこちらに注目するほどのボリュームだ。
「仕方ないわね」
その声は、二人の背後から聞こえた。
女性が一人、立っていた。もちろん風悟は初めて見る顔だが、雰囲気だけでどんな人物かは楽に想像できた。
「窓香さんと同じ類の人か…?」
すると、
「そっちの彼、鋭いわね? 一発で私の正体を見抜くとは。霊能力者ネットワークに情報はなかったけれど、どちらさん? 少なくとも霊が見える人じゃないわよね」
女性はそう言った。
「とすると、知っている相手なのか?」
窓香に聞いたが、返事はノーだった。
「当然よ。私だって今、初めて会うもの」
「何か、私に用があるんですかい?」
心当たりがないから、窓香は言った。
「神代の跡継ぎ、その婚約者。それにあんたが選ばれたなんて、どう考えてもおかしいでしょう? 私に代わりなさい!」
女性の発言で、窓香は目的を察することができた。
「まずは名乗りましょうぜ? 急にやって来て席を寄こせとは、随分と失礼な行為、そう思いませんかい?」
「そうね、じゃあ聞いてもらおうかしら」
一呼吸置いて、女性は、
「私は
と自己紹介をした。
「ならば私も…」
「あんたの情報は全部知っているから、いらないわ」
「う?」
名乗り文句を決めていたのに、遮られて変な声が出てしまった。
妙子は風悟の方を見ている。
「…俺は榊風悟だけど。その…幽霊とかに関してはド素人だ」
「あっそう。なら下がっていなさい。用があるのは窓香、あんたの方よ!」
今度は鋭い視線を窓香に送る。まるで威嚇しているかのようだ。
「ふーん。でもそれは譲れないですぜ。第一、会合の内容も私が選ばれたことも、当事者だけが知っていることのはず。どうしてあなたが知っているんですかい?」
「良い霊は良い話も運んでくれるのよ。そんなことも知らないの?」
「知ってますけど?」
「あらそう。そんな風には見えなかったわ」
「きっと視力が悪いんでしょうな。眼鏡でもかけることをお勧めしますぜ」
二人の会話は今にもヒートアップしそうだ。流石にボケッと聞いているわけにもいかず、風悟は発言した。
「ちょっとさ、ここで面倒事を起さないでよね? 熱くなるのもそのぐらいに…」
「部外者は黙ってて!」
と言われてしまい、仕方なく縮こまった。
「大体、あんたのどこが魅力的なのよ? 美貌の美の字も似合わないくせに!」
「人は顔では決まらない、それもわからないんですかい? つまらない人ですぜ」
「はあ? そういうあんたは経験値豊富なの?」
「………。でも、私の方が若いし」
「たったの二つでしょう? 大学すら通ってないのはわかっているのよ?」
「それは卒業してから言ってくださいな。それとも単位が危ういんですかい?」
「何ですって!」
ここまで来ると罵声の浴びせあいだ。これほど醜いものはない。風悟は近くのベンチに腰を下ろそうとした。
「何なら、あっちの彼に決めてもらおうじゃない! 勝負よ!」
「望むところですぜ!」
「……さっきは、部外者は引っ込んでろ的なこと言ってませんでした?」
強引に巻き込まれた感触が否めなかったが、流血騒ぎになっても嫌なので渋々協力することにした。
「ルールは簡単。今から一時間だけ、風悟君が名古屋城のどこかに隠れる。彼を先に見つけた方が、神代の跡継ぎの嫁に行く。わかった?」
「おい、ただのかくれんぼかよ?」
「それは違いますぜ、風悟さん。この勝負、ちょっと妙子が有利ですな…」
何でだ、と聞くと、
「地の利でしょうな。一番大事なのは、いかに霊から協力を得られるか。やみくもに探すんじゃなく、目撃者、つまりは霊と交信しながら探索すれば、いくら広い城内と言えども十五分もあれば風悟さんを見つけ出すことができますぜ…」
「そうか…」
風悟にとっては、どちらが勝っても自分の人生に影響はない。だが窓香に勝って欲しいと思った。さりげなくポケットから、スマートフォンを取り出した。これで連絡を取り合えば、妙子よりも早くなるはずだ。だが、
「そうだ風悟さん。不公平にならないようにそのスマホ、預かっていいですかい? 連絡手段があるとお話になりませんぜ」
何と窓香の方から、スマートフォンの没収の話が飛んできたのだ。
「…わかったよ」
風悟は窓香にそれを渡すと、隠れるために城内の人込みの中に溶け込んだ。
「…時間ね」
一時間はあっという間に過ぎた。これから風悟を探しに行く。
「さあて、まずはあの霊に教えてもらおうかしら」
やはり先に、妙子が動いた。窓香も真似して霊の声に耳を傾けるが、返事はない。
――そりゃ、霊も地元の人を応援しますよな。
窓香は自分が絶望的に不利とわかっていながら冷静だった。気が付けば妙子の姿は近くには無い。それでも心臓の鼓動は焦りを感じさせない。
――では、私も本格的に探すとしますぜ。
一度、目を閉じる。そして深呼吸をし、瞳を開く。景色はさっきまでとは変わらないが、気は引き締まっている。
――今必要なのは、感覚ですぜ。霊能力者としての第六感覚を、研ぎ澄ますんです! それができれば答えはわかる。この勝負、私は負けない。
こんな勝負で負けてしまうようでは、たかが知れている。妙子が作戦を練り、それに従って行動するなら、自分にも考えがある。そしてそれは、もう既に始まっている。
「では、私も歩き出すとしますぜ。待っていてくださいな、風悟さん!」
「おや?」
風悟は天守閣の最上階にいた。窓の外から景色を眺めていると、真っ直ぐ天守閣に向かってくる人影があった。
「あれは、妙子の方か…」
少しガックリとする。別に見つかっても何か取られるわけではないのだが、窓香に勝って欲しいと思っているからだ。妙子が勝ったら、さっき以上の罵詈雑言の嵐だろう。自分のことでないにせよ、鼓膜を振るわせたくない。
「そう言えば、隠れるって言ったって…。動いちゃ駄目とか、ないよな?」
そんな約束はしていない。どうせ移動すればバレてしまうのだろうが、風悟には言い訳ができる。スマートフォンがないから、時間を確かめられないのだ。妙子が動き出したということは、もう一時間は過ぎたのだろう。しかし気が付かなかったことにすれば、ここを動いても大丈夫だろう。
もう景色も見飽きた。風悟は階段を降りることにした。
妙子は息も切らさずに階段を登り切った。天守閣の最上階。霊の言葉は正しいので、ここにいるはずである。
しかしいくら探しても、見つけられない。
「……な~るほど。降りたのね」
すぐにその場にいる霊の目撃証言を聞く。どうやらさっき降りて行ったようだ。登ることに夢中で、すれ違っても気が付けなかったのだ。
「あら? どこに行ったか教えてくれるの? 随分と親切ね。後で黄泉の国に送ってあげるから待っててね」
妙子の戦法は、成仏できずにいる霊を送ってあげる代わりに、霊に自分の目の代わりになってもらうことだった。この名古屋城には、時代を問わず霊がわんさかいる。成仏したくてもできない霊も多い。そのほとんどが、強い力を持った霊の影響でこの世から離れることができないのだ。そういった霊は協力的な姿勢を見せてくれるので頼りがいがある。そして悪霊の類は自分と遭遇したくないから、向こうの方から勝手に避けていく。
ふと周りを見てみた。窓香はいない。きっと、霊から情報を聞き出すのに苦戦しているに決まっている。
「ふふ。優れた霊能力者は私の方。私こそ神代の婚約者に相応しいわ」
この名古屋に留まる気はない。妙子には、神代の財産などには興味がなかった。ただ証明してみせるのみである。自分がいかに優れた力を持っているかを。
霊の声が強くなる。嘘は言っていない。もう近くにいる。確実に。妙子には、自分の感覚が、感情が高ぶっているのがわかった。
「む!」
近くの霊が、耳元で囁いた。こっちに風悟がいる、と。妙子は向きを大きく変え、その方向に力強く歩み出した。そして捉えた。
「見つけた!」
妙子がそう叫ぶのと、風悟の腕を掴むのは同時だった。勝利を確信し、思わずニヤッとする。
だが……女神は妙子に微笑まなかったようだ。
「え…?」
風悟の隣には、既に窓香がいたのだ。
「残念! 私の勝ち、ですぜ!」
窓香の声が聞こえたその瞬間、妙子は力なくその場に倒れた。自分の負けを認められなかったし、負ける要素もなかったはずだったのに。
再び立てるようになるまで、数分を要した。そして一度外に出て、何が起きたのかを聞いた。
「答えは、これですぜ」
窓香がポケットから取り出したのは、スマートフォン。しかし、彼女のものではない。
「俺の?」
そう。風悟のものだ。
「この勝負、最初の霊に語りかけて無視された瞬間に、妙子と同じことをしては勝てないと思いました…というのは嘘ですぜ」
そんな答えでは、意味がわからないと二人から突っ込まれる。
「物にも魂が宿るって言うじゃないですか? 私は最初からそれを頼ることにしたんですぜ。風悟さんのものには、風悟さんと同じ温もりを感じさせる魂が宿る。その魂の温もりを感じ取って行けば、霊に頼らずともたどり着ける、ってわけですな」
だから窓香には、感覚を研ぎ澄ます必要があったのだ。
「くっ! まさか勝負が始まる前から、私の負けだったとでも言うの?」
「そうは思いませんね。もし風悟さんがターゲットでなければ、この作戦は通用したかどうか怪しいところがありますぜ」
これを聞いて、ちょっと風悟は照れた。何か窓香にとって、自分が特別な存在である気がしたのだ。
「ふむふむ。じゃあこれはもう返してね」
だがすぐにその気を紛らわした。その心はあまり育てない方がいい。そう判断したのだ。
「あーあ! つまんないの! これじゃあ挑んだ意味ないわね。全く、馬鹿馬鹿しいわ!」
「そんなこと言わんでくださいな。あなたも宮城県に来れば? 何か面白いことがあるかもしれませんぜ?」
窓香は妙子に、手を差し伸べた。決着が着いたのなら、いがみ合う意味はない。
「そうしようかしらね」
自分に向けられた手を掴み、妙子が言った。
「よし! なら一緒に宮城県に…」
「え? 悪いけど私、先に向かうわよ。あんたたちと足並みをそろえる必要はないじゃない? この勝負に負けたんだから、宮城県には私が先に着くわ!」
手を握る指を解くと、妙子は別れの挨拶を簡単に済ませて去ってしまった。
「あ…これは不味いですぜ…」
「そう…だね」
風悟もこの意味は理解していた。二人は、ここで妙子の協力を得られれば、旅費を出してくれると思っていたのだが、こうも簡単に目論見が破綻するとは思っていなかった。