第13話 病院の屍
文字数 4,669文字
「明日、退院ですね」
「そうだね」
「退院祝いに何か、美味いものでも食べたくありませんかい?」
風悟は首を横に振った。窓香が数日入院してしまったのは事実だが、元を辿れば首塚に寄り道しなければ良いだけの話。
「そこを何とか~」
おねだりする窓香に風悟は、
「結婚してから式で贅沢な御馳走でも食べれば? 最も俺は呼ばれないから関係ないんだろうけど!」
と冷たい返事をした。
「明日のこの時間に迎えに来るから、おとなしくしててよ」
「わかりましたぜ…」
風悟はまた、宿に戻る。窓香はまた一日、暇だ。昨夜病院内を探索しようとしたが、夜勤の看護師に見つかって速攻で病室に戻されてしまった。今夜こそは、と自分を奮い立てる。
そして夜がやってくる。最後にナースステーションを確認した時、昨日の看護師はいなかった。今夜は番人がいないので、いける。
「出発ですぜ…」
窓香は自分以外に聞こえないよう、小さな声で囁いた。夜の病院は、霊が集まりやすい。例え昼間がにぎやかなところであっても、夜は人がいなくなるからだ。同じ理由で学校なども夜は霊の恰好な活動場所だ。
病室を抜け出して階段を降り、ロビーに出た。それだけで景色はガラリと変わった。
「うお、これはこれは…。たくさんおりますな」
この病院も例外ではなかった。片腕がない霊、顔だけの霊、姿が真っ黒の霊…。そのほとんどが浮遊霊で、夜の病院の雰囲気に誘われここに流れ着いたのだ。
「すみません…」
窓香は、霊に話しかけた。ここに悪い霊はいないらしく、それぞれの事情を教えてくれた。霊の方は警戒心はなく、心地よく窓香を会話に入れてくれる。それが純粋に嬉しい。
――これが私のやり方、であってますな。霊能力者が必ず除霊に務める…なんて法律はありやしませんし、少しくらい死者と仲良くしても。黄泉の国に行きたい霊だけが成仏すればいいんですぜ。私はそれに力を貸すだけですぜ。
不意に、強い未練を感じた。それを放つ霊に窓香が近寄る。
「あの…話、いいですかい?」
子供の霊だ。小学校で言うと中学年ぐらいだろうか。左腕がない。事故にでも遭ったのだろうか?
「…病気? それはしかも肺の?」
意外な答えだった。その子共は肺を患って死んだ霊だった。だがすると、どうして腕がないのかが気になってしまう。
「盗られた?」
こんな病院で臓器販売が、と驚いたが、そうではないらしい。話を詳しく聞いてみる。
「…そんなことがあったんですかい」
病院の屍。噂で聞いたことがある。死者の体のパーツを求めて各地の病院を徘徊し、奪っては自分の体につなぎ合わせる幽霊。最近は数を減らしていると聞いたが、この病院を屍が再び訪れているらしい。
この子供は、その屍が前に来た時に、霊安室にあった遺体の左腕を盗られてしまったようだ。それが悔しくて、未だ成仏できずにいるとのこと。
「じゃあ私が、取り返しましょう! そうしたらその怒りを消して、成仏できますかい?」
はい、と幽霊が答えたので窓香は屍を探すため、病院内を探索し始めた。
やると決めたからには、本気だ。それ故に窓香は、手術室の前に来た。
「自分で言うのもアレですが、ここは結構避けたい場所ですぜ…」
何せ、自分が死んだことに気が付いていない霊がいる可能性が病院内でも異常に高いのだ。だからできれば霊能力者である窓香であっても行きたくないところだ。しかしそんなことを言っていては何も解決しない。
「ホラ…」
早速、遭遇した。どうやら女性のようだ。窓香の存在に気が付くと、寄ってくる。ここはどこだとか、どうしてここから離れられないとか、家族は大丈夫かとか、聞いてくる。
「……すみません。その病室は今日、空きましたぜ…」
患者が手術で助からなかったから。それを伝えると霊は、発狂し出す。金切り声のような悲鳴が窓香の耳を揺さぶる。正直なところ聞くに堪えないが、耳を塞ぐわけにもいかない。我慢して泣き叫び終わるまで、黙っていた。
「もう満足ぜしょう? ここにいても仕方がありません。私なら、極楽浄土に案内できますぜ。大丈夫、任せで下され」
霊によってはいつまでもこの世に留まろうとする者がいる。死を中々受け入れられないためだ。それぐらい、死ぬことは最後の冀望が絶たれることなのだ。誰だって、一秒でも時間が欲しい。一瞬でも長く生きようとするのが、生きている者なのだから。
この女性の霊は、死を受け入れた。それも大事なことだと窓香は思う。そして、それができた者だけがたどり着ける場所もあるのだろう。
「じゃあ、始めますよ」
子供の霊を巻き込まないように器用に除霊を始める。女性の霊は見る見るうちに薄くなって、そして消えていく。その時の表情は、満足げだった。
「…………」
この世に産み落とされた魂は、何故あの世に逝くのだろうか。そして霊は何故、それを拒むのだろうか。窓香の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
――私もその時が来たら、拒むんでしょうかね。それとも潔いんでしょうか? こればっかりは、生きている内じゃわかんねえみたいですよ、風悟さん…。
「さあて。どうやら屍はここにはいないようですぜ。霊安室、行ってみましょう」
最初に手術室を選んだのは、屍の特徴を知っていたからだ。屍は病院に来るとまず、手術室に向かう。そして死者が出ると、遺体を求めて霊安室に移動する。死者が出るまで手術室に潜むらしく、その間に体がボロボロになって、新しいパーツが必要になるらしい。
「蛇足? 違いますぜ。最初から霊安室に行ったら、さっき手術室前で女性の霊に会えなかったじゃないですか。この世に未練があるのはあなただけじゃないんですぜ」
霊安室の扉は、開いていた。
「…ゴクリ」
窓香は唾を飲んだ。屍の存在は知っているが、見たことがない。理由は簡単で、今まで病院に連日世話になることがなかったからだ。それに窓香には、除霊の依頼等も来ない。
つまり今日は初めて屍と対面する。緊張が、全身を駆け巡った。左手首の傷が痛む。
恐る恐る霊安室の中に足を進める。すると、
「……ン!」
慌てて窓香は口を塞いだ。
そこには、人の体のパーツを出鱈目につなぎ合わせた、ホラー映画に出てきそうなクリーチャーがいた。あまりにも滅茶苦茶な組み合わせのため、生き物で例えることが難しいぐらいだ。もしこの場に風悟がいたら、とっくに泡を吹いて倒れているだろう。この世ともあの世のものとも思えぬ禍々しい霊が、ゆっくりと体を動かしているのだ。
――これを除霊しろってのは、随分と難易度が高いミッションですな…。
見ただけで窓香には、いかに屍が強力な存在であるかがわかった。
急に、子供の霊が動いた。
「駄目です!」
子供は、腕を返してと訴える。対する屍は、反応なし。ふう、と窓香はため息を吐いた。まだこちらの存在がバレていない。
――作戦を考えている暇もなさそうですぜ。だって今日の霊安室には、あの女性の霊の遺体が…! それに手を出させるわけには、いきませんからな!
先手必勝という言葉がある。窓香はそれに賭けた。即席のお札をその場で作ると、物陰から飛び出して屍の体に張り付ける。
「…ひえ!」
屍の体が、弾けた。体のパーツが、霊安室中に散らばった。すごい悪臭と血の匂いが漂い始めた。
「まだ、ですかい…」
屍の体は無駄な部分がなくなってスマートな体型になった。だがそれは一撃で除霊できなかったということ。窓香の行動に屍が、反応しないはずがなかった。こちらに顔を向ける。片目が飛び出し、歯がボロボロで、真っ赤に染まっている顔を。見た瞬間に吐き気に襲われたが、気合で我慢した。
子供の霊はまだ、返せと言う。それが耳障りだったのか、屍はその小さな幽霊を自分の五本もある腕で握りつぶした。
「そ、そんな…」
一瞬で窓香は、子供の霊を守れなかった絶望感に襲われた。必ず取り返して成仏させると約束したのに、果たせなかった。
「許しませんぜ…。決して!」
次に怒りに襲われた。目の前にいる肉塊を、どうやって葬ってやろうか。窓香は思考を巡らせる。
屍は、窓香に襲い掛かった。力任せに飛びかかって来た。それをかわすと、再度態勢を整えて再び飛びかかる。
「脳みそ増やした方がいいんじゃないですかね? ワンパターンなんですよ」
もう一枚、札を取り出す。そしてそれを屍の動きに合わせて床に置く。飛んだ屍は窓香の目論み通りに、札にぶつかってまた体が弾ける。
「これは楽勝ですな。詰み、でもありますぜ…。ウン?」
戻ろうとしたが、扉がおかしい。さっきまで開いていたのに、今は閉じている。
「まさか!」
窓香が霊安室を見回す。さっき弾けた体のパーツが、明らかに足りない。
次に扉を開けようとする。しかし、固い。まるで誰かが扉の向こう側にいて、開かないように押さえているみたいだ。
「これは………はめられた!」
頭が足りてなかったのは、窓香の方だった。屍はワザと同じ行動を繰り返して、窓香に札を取り出させ、ぶつかったのだ。体を千切って、扉の向こう側から開かないように押さえつけるために。扉一枚隔てているだけでも、窓香は屍の体の一部に何もできない。完全に閉じ込められたのだ。
「まさにデスマッチってやつですな…?」
負けたら死あるのみ。己の生死をかけた戦いが始まろうとしていた。窓香にとっては、人生初めての経験。故に緊張する。
「いいですぜ。いつでもかかってらっしゃいな! 私がお相手しましょう」
屍は、唸り声を上げた。勝つ気でいるのだ。おぞましい声で、お前の体をもらう、とも言った。そしてジリジリと距離を詰める。対する窓香は、壁に張り付いてこれ以上後ろに下がれない。
「…!」
ここで窓香は、取り出そうとしていた札を落とした。痛恨過ぎるミスに、屍が反応しないはずがなかった。一瞬で加速し、飛びかかる屍。
「行くぞおおおお!」
窓香は腕を勢いよく前に伸ばした。拳で殴り合えるとは思っていない。そしてすぐに引っ込める。
――これで、勝負!
その時、袖口からお札が出てきた。事前に仕込んでいたのだ。この不意打ちに、全てを賭ける。
屍はもう止まれない。窓香はお札を握りしめると、もう一度手を前に出した。
「うりゃあああああああおおおおおおおお!」
屍の頭に、窓香の拳が当たった。その瞬間、屍の体は煙に変わり、その煙が窓香を包んだ。
「うぐ、ううう!」
煙はまるで意思があるかのように蠢いた。窓香の口を、、鼻を塞ぐ。最後まで諦めの悪い霊。窓香を道連れにする気だった。
――でも、これは計算に入ってないでしょうな!
窓香はその場に倒れ込んだ。床には、さっき落としたお札がある。その上に転がり込む。すると煙が窓香の体から離れていく。
「はあ、はあ、はあ…。どう、ですかい?」
霊安室の扉に手をかける。何の抵抗もなく、簡単に開けることができた。
そして廊下から、朝日が覗いている。その太陽光に屍から落ちたパーツが照らされると、また煙になって消えていく。気が付けば、血生臭い匂いは治まっていた。
「そうだね」
「退院祝いに何か、美味いものでも食べたくありませんかい?」
風悟は首を横に振った。窓香が数日入院してしまったのは事実だが、元を辿れば首塚に寄り道しなければ良いだけの話。
「そこを何とか~」
おねだりする窓香に風悟は、
「結婚してから式で贅沢な御馳走でも食べれば? 最も俺は呼ばれないから関係ないんだろうけど!」
と冷たい返事をした。
「明日のこの時間に迎えに来るから、おとなしくしててよ」
「わかりましたぜ…」
風悟はまた、宿に戻る。窓香はまた一日、暇だ。昨夜病院内を探索しようとしたが、夜勤の看護師に見つかって速攻で病室に戻されてしまった。今夜こそは、と自分を奮い立てる。
そして夜がやってくる。最後にナースステーションを確認した時、昨日の看護師はいなかった。今夜は番人がいないので、いける。
「出発ですぜ…」
窓香は自分以外に聞こえないよう、小さな声で囁いた。夜の病院は、霊が集まりやすい。例え昼間がにぎやかなところであっても、夜は人がいなくなるからだ。同じ理由で学校なども夜は霊の恰好な活動場所だ。
病室を抜け出して階段を降り、ロビーに出た。それだけで景色はガラリと変わった。
「うお、これはこれは…。たくさんおりますな」
この病院も例外ではなかった。片腕がない霊、顔だけの霊、姿が真っ黒の霊…。そのほとんどが浮遊霊で、夜の病院の雰囲気に誘われここに流れ着いたのだ。
「すみません…」
窓香は、霊に話しかけた。ここに悪い霊はいないらしく、それぞれの事情を教えてくれた。霊の方は警戒心はなく、心地よく窓香を会話に入れてくれる。それが純粋に嬉しい。
――これが私のやり方、であってますな。霊能力者が必ず除霊に務める…なんて法律はありやしませんし、少しくらい死者と仲良くしても。黄泉の国に行きたい霊だけが成仏すればいいんですぜ。私はそれに力を貸すだけですぜ。
不意に、強い未練を感じた。それを放つ霊に窓香が近寄る。
「あの…話、いいですかい?」
子供の霊だ。小学校で言うと中学年ぐらいだろうか。左腕がない。事故にでも遭ったのだろうか?
「…病気? それはしかも肺の?」
意外な答えだった。その子共は肺を患って死んだ霊だった。だがすると、どうして腕がないのかが気になってしまう。
「盗られた?」
こんな病院で臓器販売が、と驚いたが、そうではないらしい。話を詳しく聞いてみる。
「…そんなことがあったんですかい」
病院の屍。噂で聞いたことがある。死者の体のパーツを求めて各地の病院を徘徊し、奪っては自分の体につなぎ合わせる幽霊。最近は数を減らしていると聞いたが、この病院を屍が再び訪れているらしい。
この子供は、その屍が前に来た時に、霊安室にあった遺体の左腕を盗られてしまったようだ。それが悔しくて、未だ成仏できずにいるとのこと。
「じゃあ私が、取り返しましょう! そうしたらその怒りを消して、成仏できますかい?」
はい、と幽霊が答えたので窓香は屍を探すため、病院内を探索し始めた。
やると決めたからには、本気だ。それ故に窓香は、手術室の前に来た。
「自分で言うのもアレですが、ここは結構避けたい場所ですぜ…」
何せ、自分が死んだことに気が付いていない霊がいる可能性が病院内でも異常に高いのだ。だからできれば霊能力者である窓香であっても行きたくないところだ。しかしそんなことを言っていては何も解決しない。
「ホラ…」
早速、遭遇した。どうやら女性のようだ。窓香の存在に気が付くと、寄ってくる。ここはどこだとか、どうしてここから離れられないとか、家族は大丈夫かとか、聞いてくる。
「……すみません。その病室は今日、空きましたぜ…」
患者が手術で助からなかったから。それを伝えると霊は、発狂し出す。金切り声のような悲鳴が窓香の耳を揺さぶる。正直なところ聞くに堪えないが、耳を塞ぐわけにもいかない。我慢して泣き叫び終わるまで、黙っていた。
「もう満足ぜしょう? ここにいても仕方がありません。私なら、極楽浄土に案内できますぜ。大丈夫、任せで下され」
霊によってはいつまでもこの世に留まろうとする者がいる。死を中々受け入れられないためだ。それぐらい、死ぬことは最後の冀望が絶たれることなのだ。誰だって、一秒でも時間が欲しい。一瞬でも長く生きようとするのが、生きている者なのだから。
この女性の霊は、死を受け入れた。それも大事なことだと窓香は思う。そして、それができた者だけがたどり着ける場所もあるのだろう。
「じゃあ、始めますよ」
子供の霊を巻き込まないように器用に除霊を始める。女性の霊は見る見るうちに薄くなって、そして消えていく。その時の表情は、満足げだった。
「…………」
この世に産み落とされた魂は、何故あの世に逝くのだろうか。そして霊は何故、それを拒むのだろうか。窓香の頭の上にはクエスチョンマークが浮かんでいた。
――私もその時が来たら、拒むんでしょうかね。それとも潔いんでしょうか? こればっかりは、生きている内じゃわかんねえみたいですよ、風悟さん…。
「さあて。どうやら屍はここにはいないようですぜ。霊安室、行ってみましょう」
最初に手術室を選んだのは、屍の特徴を知っていたからだ。屍は病院に来るとまず、手術室に向かう。そして死者が出ると、遺体を求めて霊安室に移動する。死者が出るまで手術室に潜むらしく、その間に体がボロボロになって、新しいパーツが必要になるらしい。
「蛇足? 違いますぜ。最初から霊安室に行ったら、さっき手術室前で女性の霊に会えなかったじゃないですか。この世に未練があるのはあなただけじゃないんですぜ」
霊安室の扉は、開いていた。
「…ゴクリ」
窓香は唾を飲んだ。屍の存在は知っているが、見たことがない。理由は簡単で、今まで病院に連日世話になることがなかったからだ。それに窓香には、除霊の依頼等も来ない。
つまり今日は初めて屍と対面する。緊張が、全身を駆け巡った。左手首の傷が痛む。
恐る恐る霊安室の中に足を進める。すると、
「……ン!」
慌てて窓香は口を塞いだ。
そこには、人の体のパーツを出鱈目につなぎ合わせた、ホラー映画に出てきそうなクリーチャーがいた。あまりにも滅茶苦茶な組み合わせのため、生き物で例えることが難しいぐらいだ。もしこの場に風悟がいたら、とっくに泡を吹いて倒れているだろう。この世ともあの世のものとも思えぬ禍々しい霊が、ゆっくりと体を動かしているのだ。
――これを除霊しろってのは、随分と難易度が高いミッションですな…。
見ただけで窓香には、いかに屍が強力な存在であるかがわかった。
急に、子供の霊が動いた。
「駄目です!」
子供は、腕を返してと訴える。対する屍は、反応なし。ふう、と窓香はため息を吐いた。まだこちらの存在がバレていない。
――作戦を考えている暇もなさそうですぜ。だって今日の霊安室には、あの女性の霊の遺体が…! それに手を出させるわけには、いきませんからな!
先手必勝という言葉がある。窓香はそれに賭けた。即席のお札をその場で作ると、物陰から飛び出して屍の体に張り付ける。
「…ひえ!」
屍の体が、弾けた。体のパーツが、霊安室中に散らばった。すごい悪臭と血の匂いが漂い始めた。
「まだ、ですかい…」
屍の体は無駄な部分がなくなってスマートな体型になった。だがそれは一撃で除霊できなかったということ。窓香の行動に屍が、反応しないはずがなかった。こちらに顔を向ける。片目が飛び出し、歯がボロボロで、真っ赤に染まっている顔を。見た瞬間に吐き気に襲われたが、気合で我慢した。
子供の霊はまだ、返せと言う。それが耳障りだったのか、屍はその小さな幽霊を自分の五本もある腕で握りつぶした。
「そ、そんな…」
一瞬で窓香は、子供の霊を守れなかった絶望感に襲われた。必ず取り返して成仏させると約束したのに、果たせなかった。
「許しませんぜ…。決して!」
次に怒りに襲われた。目の前にいる肉塊を、どうやって葬ってやろうか。窓香は思考を巡らせる。
屍は、窓香に襲い掛かった。力任せに飛びかかって来た。それをかわすと、再度態勢を整えて再び飛びかかる。
「脳みそ増やした方がいいんじゃないですかね? ワンパターンなんですよ」
もう一枚、札を取り出す。そしてそれを屍の動きに合わせて床に置く。飛んだ屍は窓香の目論み通りに、札にぶつかってまた体が弾ける。
「これは楽勝ですな。詰み、でもありますぜ…。ウン?」
戻ろうとしたが、扉がおかしい。さっきまで開いていたのに、今は閉じている。
「まさか!」
窓香が霊安室を見回す。さっき弾けた体のパーツが、明らかに足りない。
次に扉を開けようとする。しかし、固い。まるで誰かが扉の向こう側にいて、開かないように押さえているみたいだ。
「これは………はめられた!」
頭が足りてなかったのは、窓香の方だった。屍はワザと同じ行動を繰り返して、窓香に札を取り出させ、ぶつかったのだ。体を千切って、扉の向こう側から開かないように押さえつけるために。扉一枚隔てているだけでも、窓香は屍の体の一部に何もできない。完全に閉じ込められたのだ。
「まさにデスマッチってやつですな…?」
負けたら死あるのみ。己の生死をかけた戦いが始まろうとしていた。窓香にとっては、人生初めての経験。故に緊張する。
「いいですぜ。いつでもかかってらっしゃいな! 私がお相手しましょう」
屍は、唸り声を上げた。勝つ気でいるのだ。おぞましい声で、お前の体をもらう、とも言った。そしてジリジリと距離を詰める。対する窓香は、壁に張り付いてこれ以上後ろに下がれない。
「…!」
ここで窓香は、取り出そうとしていた札を落とした。痛恨過ぎるミスに、屍が反応しないはずがなかった。一瞬で加速し、飛びかかる屍。
「行くぞおおおお!」
窓香は腕を勢いよく前に伸ばした。拳で殴り合えるとは思っていない。そしてすぐに引っ込める。
――これで、勝負!
その時、袖口からお札が出てきた。事前に仕込んでいたのだ。この不意打ちに、全てを賭ける。
屍はもう止まれない。窓香はお札を握りしめると、もう一度手を前に出した。
「うりゃあああああああおおおおおおおお!」
屍の頭に、窓香の拳が当たった。その瞬間、屍の体は煙に変わり、その煙が窓香を包んだ。
「うぐ、ううう!」
煙はまるで意思があるかのように蠢いた。窓香の口を、、鼻を塞ぐ。最後まで諦めの悪い霊。窓香を道連れにする気だった。
――でも、これは計算に入ってないでしょうな!
窓香はその場に倒れ込んだ。床には、さっき落としたお札がある。その上に転がり込む。すると煙が窓香の体から離れていく。
「はあ、はあ、はあ…。どう、ですかい?」
霊安室の扉に手をかける。何の抵抗もなく、簡単に開けることができた。
そして廊下から、朝日が覗いている。その太陽光に屍から落ちたパーツが照らされると、また煙になって消えていく。気が付けば、血生臭い匂いは治まっていた。